7_03_異国からの偵察部隊
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時刻は、この日の朝陽が昇るより前に遡る。
まだ日付が変わったばかりの、月明かりさえ微弱な宵闇の世界。
ターク平原の先、西の海岸から数キロメートルの沖合に、1隻の大型帆船が現れ、海の底まで錨を下ろした。
船は、静かな夜気に溶けこむような漆黒に全体を塗られていた。
マストの色まで黒かった。
闇夜に紛れて、隠密に航海するための船であることは疑いようがない。
その甲板上には、異国の軍服を着た兵士たちが集っていた。
「ランソン隊、準備はいいか?」
「抜かりはないぜ艦長どの。ケヴィン=ランソン隊長以下12名、これより、ラクドレリス帝国領内に潜入する」
船は、2艘のボートを海に降ろした。
どちらのボートも、やはり、船体が黒い塗料で染められている。
そのボートに6人ずつが乗り込んで、音も立てずに海岸を目指した。
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「隊長、例の断崖の下に着きました。情報通り、見事にまっ平らだ。登れますぜ」
「よし、錨を下ろしてボートを固定。すぐに鈎梯子を組み立てろ」
隊長であるケヴィンの指示を受け、部下たちは、ボートに運んでいた鈎付きの梯子を組み立てて、崖を登る準備を始める。
ただ、彼らのうちのひとりだけが、近くの岸壁に、あるものを見つけていた。
「ケヴィン、崖に洞窟があるわ」
「あん? ……ああ、あれか。確かに洞窟っぽいが、アンリエッタ、お前この暗闇でよく見えるな」
アンリエッタと呼ばれた部下は、隊で唯一の女性だった。
年の頃はまだ若く、少女と形容するほうが自然であるかもしれない。
また、彼女だけは、他の隊員たちとは違って、浅黒い褐色の肌をしていた。
「あの洞窟、自然に空いたものじゃないわ。誰かが掘ったのよ。それも、海の方から」
「海側からだあ? おいおいアンリエッタ――」
「本当よ」
むっと頬をふくらませた少女をフォローするように、別の隊員が進言した。
「隊長、お嬢の言うことなら確かですぜ」
「わあってるよ。隠密任務に、こんな年端のいかねえ娘っ子を連れてきてんだ。有用性は俺だって理解してる」
ケヴィンは部下たちに、作業の一時停止を指示する。
もっとも、他の隊員たちも、アンリエッタの言葉を聞いた時点で自発的に手を止め、周囲を警戒していた。
「上陸は一旦ストップだ。まずはあの洞窟を調査する。ポール、ブレーズ、ふたりで中を確認しろ。5分以内に奥が深いかどうか判断して、報告に戻ってこい」
ケヴィンはボートを洞窟の下に移動させ、組み立てた鈎梯子で、ふたりの部下を洞窟の中に送った。
彼らは、4分ほどで外に戻ってきた。
「確かに人が掘ったであろう洞窟です。不自然に真っ直ぐ伸びていました。ですが、一番奥は行き止まりです」
「固い岩盤層にでも当たったのか、壁みたいに平らな岩に阻まれました。部屋や横道は存在しません」
この報告に、隊長は眉をひそめた。
他の部下たちも、不審げに謎の洞窟見つめ、あるいは辺りの崖に目を光らせている。
「どうします隊長? こいつはどうも妙ですぜ」
言われるまでもない。
明らかに妙だ。
だが。
「だが、今の俺たちの任務は進軍ルートの偵察だ。ターク平原を、そして、その先のラスカー山地を友軍が越えるためのルートを見つけ出し、危険性を評価しなきゃならん。洞窟の調査に時間を割いてる余裕はねえ」
しかしケヴィンも、これが罠である可能性は排除しなかった。
「崖を登るぞ。もしも上に何かあるなら、直ちに母艦に引き返す。そうでなければ任務続行だ」
平らな崖を登り切った彼らは、そこに、茫漠と広がる荒れた大地を目撃した。
不審なものは何もない。
あるのは、風と、空と、星のみっつだけ。
「どうだ、アンリエッタ?」
「何もないわ。ずうっと向こうまで、草も木もない荒野が続いてる」
拍子抜けとまではいかないが、ケヴィンは安堵の息を漏らす。
「よし、任務続行だ。予定のルートに沿って進行する。全員、装備を整えろ」
ケヴィンは、ボートから運んだ荷物のひとつを解かせた。
刃の厚い短剣と、そして、砲身の長い燧石銃が、全員に配られる。
彼らはそれを、大きな砂色の軍用背嚢と共に身に付けた。
「先頭はロランだ、方位を常に確認しろ。最後尾にはアグリッパがつけ。他のやつも、周囲の監視を怠るなよ」
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彼らは夜通し荒野を歩いた。
空が白んで、やがて太陽が昇っても、休まず先を目指し続けた。
「本当に景色が代わり映えしねえな。ロラン、方角は大丈夫か?」
「問題ありません。常に方位磁石と見比べてます。陽も出ましたから、方向を間違えることはありません」
辺りに注意を払いながらの行軍は、しかし、彼らの集中力を奪うことはなかった。
見るからに誰もいない、土と石だらけの枯渇した土地を、彼らは油断せず、臆することなく前進していく。
「ここらで一度休憩にするぞ。4人交代で歩哨に立て。最初はルイ、ミシェル、ブレーズ、レジスだ」
彼らは四方に見張りをつけて、携行糧食で食事をとった。
「ねえ、ケヴィン」
「なんだアンリエッタ? ……ていうか、お前もちゃんと『隊長』と呼べ」
「この保存食、前のよりおいしくないわ」
「仕方ねえだろ。この任務の性質上、自国の食い物は持ち込めねえんだ。口に合わなくても我慢しろ」
「何日も、この食事なの?」
「他にも2種類くらいはあるが、味はお察しだ。つうか、携行糧食なんてどこの国だって似たようなもんだぞ。俺らの国のだって――」
「ううん、あれはおいしかった」
小休止を終え、一行は再びラスカー山地を目指して行軍を再開した。
アンリエッタが叫んだのは、その数分後だった。
「ケヴィン! 前から何か来る!」
全隊員に緊張が走った。
熟練の兵士たちにさえ見えない遠くの何かを、唯一、彼女の目だけが捕捉した。
「全員、身をかがめろ!」
急ぎその場に伏せた彼らは、地平線へと目を凝らす。
その目はすぐに、驚愕によって見開かれた。
「なんだ、あれは……?」
土煙を上げて迫り来る、四角い鉄の塊。
鉄塊は猛スピードで、こちらに向かって唸りをあげて接近してくる。
あれが何かはわからないが、自分たちを認識していることは間違いなかった。
「散開! 銃を出しながら散れっ!」
固まっているのは悪手だと、ケヴィンは全員をばらけさせる。
「着剣しろ! 正体は不明だが、敵だ!」
散りながら、彼らは燧石銃の先端下部にナイフを取りつけ銃剣にした。
隠密の偵察任務で発見されてしまった以上、撤退するか、あるいは、相手を無力化するしかない。
たとえ相手が一般人でも、ましてや化け物でも。
「アンリエッタ! 俺の側から離れるなよ!」
返事を確認せず、ケヴィンは彼女を連れて鉄の化け物の進路上から退避し、銃の引き金に指をかけた。
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