27_20_各々の旅路、あるいは試練 下
<旅立ちその3 外法の運び屋たち>
ランディたち断尾の蜥蜴は、イザベラから受けた仕事を遂行するべく動いていた。
10台の大きな荷馬車を念入りに整備し、その操り手と荷の積み下ろし要員として、アジトにいる部下全員をかき集めると、その日のうちに大所帯で出発した。
まず向かうのはヨシュセルの街。
イザベラが買い付けたという依頼の荷を回収し、そのまま小さな峠を超えて、所定の場所……エルメン山の中腹へと運搬する。
そんな計画だけを、部下たちには伝えてある。
10台の馬車は、のどかな田舎道を縦列に並んで走り、牧歌的な風景に蹄の音と土埃を残していく。
数時間ほどが経った後、ランディは「順調だねぇ」とつぶやいてから、馬車の走行音に負けない大きな声で、部下に指示を贈った。
「おぉし、お前ら! 小休止だ! ここいらで一度、馬を休ませるぞぉ!」
部下たちは荷馬車を減速させながら、しかし、指示に違和感を覚えていた。
馬の体力や機嫌、地理や治安を勘案するならば、休憩場所はもう少し先のほうがいいはずだった。
「ん? お頭、まっすぐヨシュセルに行くんじゃねえんですかい?」
「ちょおっと寄るところがあるのよぉ。運搬計画にゃあ支障出さねえから、安心しなよぉ」
にたりと笑ってとぼけるランディ。
事情を知る数人の部下は溜息をつき、知らずに尋ねた先程の部下は、「はあ」と気のない相槌を返した。
「いいですけどもね。あんまり仕事の最中に、別の仕事を受けんでくださいよ」
「ほぉ? お前ら、いつの間に一意専心なんて殊勝な言葉を覚えたんだぁ? んん?」
皮肉を返したランディに、別の部下が、やはり溜息混じりになって答えた。
「よく言うぜお頭。多過ぎる仕事はリスクが掛け算で増えてくから止めろって、俺らにゃ口を酸っぱく言ってたじゃねえか?」
「おっとっと、そうだったかねぇ」
ランディは再び、にたにたと笑ってとぼけた。
「ま、今回のは大目に見ろよぉ。あんな奴らでも、昔っからのお得意さんでなあ。手を貸さねえわけにもいかねえのよ。先の無え連中だとしてもなぁ」
*
<旅立ちその4 聖教国の聖職者たち>
ラトグンド街道。
ヴィリンテル聖教国とゾグバルク連邦国を結ぶ、歴史ある長大な交易道である。
この街道は、途中に設けられた関所でふたつに枝分かれして、やや細い方がクロンシャ公国へと繋がる道にも伸びていく。
そのクロンシャ方面へと続く道を目指して、今まさに、1台の馬車がヴィリンテル聖教国を出発した。
馭者を務めるのは神兵で、車内には、外交催事に赴くジーラン枢機卿と、その護衛役に任命された、神殿騎士マルカが乗っていた。
(気まずい……)
ふたりの間に会話はなかった。
馬車内に流れる空気は重苦しく、ジーランはそれを一顧だにせず無表情。小さな本を読んでいた。
かたや、マルカは落ち着かない様子で、居心地の悪げな顔を隠せていない。
「なぜ、わたくしを?」
結局、場の空気感に耐えきれなかったマルカが意を決し、沈黙を破りジーランに尋ねた。
「『なぜ』、とは?」
「此度の護衛役の件です。ジーラン枢機卿直々の推挙であったと伺っています」
ジーランは、大げさに伝わったものだ、と内心で嘆息し、読んでいた本から目を上げた。
「たいした理由はない。私は貴様ら神殿騎士に縋るつもりなど、毛頭ないのだからな」
「でしたら――」
「が、貴様は私の翠蓋の核珠のことを知っている。あれが私の体調に影響を与えかねん以上、何かあったときに人払いをする手間は省けよう」
マルカは絶句しかけたが、尋ねるべきだと言葉を続けた。
「枢機卿は普段から、あれをお体に?」
「外すことはできぬ。心の臓腑と結合させているゆえな」
「……お聞きしてはならないのかもしれませんが、なぜ、そのようなことを? ラゴセドの匣との関係性はご存知ではなかったと、セラサリスさんが言っていました」
ジーランは顔をしかめた。
「おしゃべりな聖女め。だが、仲間には私のことを話していないとみえるな」
表情とは裏腹ではあるが、ジーランはこの事実に、一種の安堵を覚えてもいた。
現状、翠蓋の核珠が露見した際のリスクは大きくふたつ。
自身の拉致か、ラゴセドの匣の奪取。
それくらいのことは起こり得ると……いや、先史人類ならば起こし得ると、ジーランは本心から警戒していた。
「そして、それは貴様もだ、マルカ=ディアーノ。私の抱えるこの秘密を、何故、誰にも教えぬ?」
今度は、マルカが顔をしかめる番だった。
彼女は、ジーランの翠蓋の核珠のことを、テレーゼにもドライデン騎士長にも伝えていない。
あの夜に起こった奇跡は、あの場に居合わせた3人の胸のなかに、暗黙のうちに秘められていた。
隠す理由は三者三様。
それぞれの心情と心境とが、複雑に絡んだ結果といえる。
ただ、そのなかでマルカの理由は、アイシャやアイアトン司教と比べて単純だった。
「あなたとセラサリスさんの間には、他の誰にもわからずとも、紛れもなく信頼関係が存在しています」
苦々しい顔をしながらもマルカは、それでも一点の曇り無く、秘匿の理由を明らかにした。
「私はセラサリスさんを信じています、なれば、あなたのことを信ずるのも、当然の道理です」
「……盲信的なことだ」
そっけなく突き放したジーランだったが、言葉は決して否定ではなかった。
確かにジーランとセラサリスの間には、ある種の信頼と呼ぶべき、合意と相互理解が存在している。
しかし、やはり、彼は先史人類を……セラサリスの仲間までは、同等には信用できていなかった。
一種の〝予言〟、あるいは〝呪詛〟を、しかと見てきてしまったがゆえに。
(……私が述べた言葉だったか。『知ってしまった者の責務』とは)
ジーランは物思いに耽るように、窓の外を流れていく景色にぼんやりと目をやった。
その横顔をマルカは無言になって見つめ、馬車の中は、再び重い沈黙に包まれた。
そして、そんなふたりと時と場所をほぼ同じく、ある事実を知ってしまった者たちの姿があった。
*
<旅立ちその5 皇狼部隊>
「おいおいマジかよ」
最初に驚きの声を上げたのは、木々の陰からラトグンド街道を見張っていたデリックだった。
「神サマの思し召しってか? こうも都合よく、ターゲットが顔を拝ませてくれるとはよ」
「あのおじいちゃんなのー? デリックが心沌識閾領式で見たのって」
隣のメリッサも望遠鏡越しに、ヴィリンテル聖教国を発った馬車の、その窓から覗ける老人の顔をまじまじ見ている。
ラッドとディアドラも、同様に馬車を観察していた。
「……ディアドラ、あの人だれ?」
「パトリック=ジーラン。メレアリア聖教会の枢機卿のひとりだ。副教皇を筆頭とする派閥に所属し、かなりの発言力を持っていると聞いた」
「ふーん。大物なんだ、あのおじいちゃん」
彼ら4人は、サザリの門から遠く離れた、ヴィリンテル近傍の林の中に潜んでいた。
門の櫓に常駐する、警衛の神兵の監視が届かない位置に潜伏し、聖教国の様子を伺っていたのだ。
実は彼らは、半ば途方に暮れていた。
当初は、聖教国内の諜報部員に協力してもらうか、交易品の納入事業者に成り済ますかして、サザリの門を潜れぬものかと画策していた。
しかし、いざ到着して、入国手続きの厳正さを目の当たりにした彼らは、これは一筋縄では忍び込めないと悟り、どうしたものかと頭を悩ませることになった。
そんな折に、まさかの標的の片割れが、堂々と姿を表したのである。
狙っていた聖女のほうではなかったが、獲物としては十二分。
「で、どうするのー?」
彼らは少し離れた別の林に、ラムンテーダも隠している。
実力行使も不可能ではない。
しかし。
「こないだの恨みがあるからな。今すぐにかっ攫ってやりてえところだが」
忌々しげに「ちっ」と舌打ちするデリック。
彼の不機嫌顔の理由を、ディアドラが具体的に言語化した。
「ここで襲撃などかければ大事になる。ラトグンド街道は全体がクロンシャ公国の管轄領地であるうえに、神殿騎士まで随伴している。他の護衛の神兵も、おそらく手練れだろう」
デリックは前半部分には同意したが、後半部分、護衛の神兵のくだりには反論した。
「おいおい、あんな時代錯誤な鎧を着こんだアホ軍隊、狙撃のいい的じゃねえか」
「……持ってる武器も、剣と斧剣だけ。一方的に撃ち込めそう」
ラッドの意見もデリック寄り。
しかし、メリッサが違う見解を示した。
「どうかなー。あのおじいちゃん、もしあたしたちと同じだったら、体に聖遺物を入れてるってことでしょ?」
デリックの眉がぴくりと動いた。
「反撃が有り得るってか?」
「現にやられたんでしょ? この前」
さらりと傷を抉られたデリックは、再び舌打ちの音を響かせた。
「それにさー。副教皇派って、聖教会の最大派閥のひとつじゃなかった? あのおじいちゃんがそこに入れた理由が、聖遺物を使えるから、だったとしたら?」
「あのジジイは操り人形、裏で糸を引く奴がいる、か?」
デリックの脳裏に、否が応でも、もうひとりの標的の顔が浮んでくる。
「……それ、メリッサの〝勘〟?」
「んー、わかんない。あんまりそんな気はしてないんだよねー」
「へえ、珍しいじゃねえかよ。お前が直感じゃなくて理屈で物を判断するとはよ」
「あ、ひっどーい! あたしだって色々考えてるんだからね!」
ともすれば悪態の応酬になりかけた議論を、ディアドラが迅速かつ的確に統括した。
「そうだな。罠の可能性は十二分にある。例の聖女の存在も見過ごせない」
「とにかく情報が足りてねえ。今仕掛けるのは拙策か」
果敢な攻めを封じられ、モチベーションが下がるデリック。
しかし、ラッドは違った。
「……獲物はわかった。あとは、じっくり追い詰めるだけ」
瞬きひとつすることなく、じいっと標的を見続けるラッド。
優秀な狩人の前向きな発言は、自然に他の3人の意気を上げた。
「ちっ。癪だがそいつが最善だな。仕方ねえ」
「そだねー。チャンスもたぶん、そのうちちゃんと来るんじゃない?」
「決まりだな。デリック、ラムンテーダを起動してくれ」
彼らは馬車を追跡する。
静かに、密かに、忍び足で獲物を狙う、飢えた狼の群れのように。




