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27_13_数奇にして複雑な運命

時刻は少々遡る。


<ヴィリンテル聖教国 リーンベル教会>


「ま、間に合った……」


 正午が近づき、演奏会も終わりに近づいた頃。

 マルカが息を弾ませて、礼拝堂の中にそろりと入ってきた。

 重い鎧を着込んでいながら、彼女はここまで全力疾走で走ってきていた。


「よかった……まだ……1曲……残って……」


 極力静かに呼吸を整えたマルカは、オルガンの音色にうっとりと聞き入った。

 敬愛するセラサリスの奏でる美しいメロディが、疲れた彼女を体も心も()やしていく。

 マルカが入ってきたのを見ていたアイシャは、遠慮なく彼女に声をかけた。


「いいんですかー? 神殿騎士ともあろう人が、公務をさぼっててー」

「……午前中の仕事は、全て片付けてきています」


 静聴を妨害されたマルカは、わずらわしげな声色を抑えきれず答えた。


「ドライデン騎士長からも、ここには頻繁(ひんぱん)に訪れるようにと指示を……あ」


 そして失言し、思わず口元を抑える始末。


「勢い余っちゃいましたねー」


 アイシャはくすくすと笑い、焦る彼女をフォローした。

 おそらくマルカは、リーンベル教会やセラサリスの様子を、こっそり気にかけるよう言われていたのだろう。

 神兵をふいご係として派遣したことも、なにかあればすぐに動いてくれるという、ドライデン騎士長の心遣いであるはずだった。


(そう、はず(・・)なのですけれど、ね)


 だが、アイシャは、これを少しだけ悪い方向にも考えた。

 善意の者を張り付かせることは、消極的な監視手法(・・・・・・・・)としても成立する。


 沈思したアイシャに何かを感じたか、マルカも彼女に、ある事実を提示した。


「さきほど、教会の外でドライデン騎士長とすれ違いました」

「教会の外で、ですか?」


 思わずアイシャは眉をひそめた。

 彼が礼拝堂を出ていってから、それなりに時間が経っている。

 よもや、騎士長自らリーンベルを見張っていた……などという訳ではないだろう。

 しかし、この教会を目に収めながら、ひとりで考えたいことが彼にはあった……ということにはなる。

 部下(マルカ)の接近にも気付けなかったほどに、深い深い考えを。


「ドライデン騎士長と、何かあったのですか?」

「いえいえー。そういうわけではないんですよー」


 取り繕ったが、マルカの視線は鋭くアイシャを射抜き続けた。

 アイシャは()むなく観念し、今の状況を彼女に伝えた。


「ただですねー、彼からすると、私たちとジーラン枢機卿との距離が不自然に詰まったように見えている……ということには、なっちゃいますかねー」


 明るく言い放たれた言葉を、マルカは暗い表情で受け止めた。


「あの夜の真相を、騎士長に話すべきでは?」


 至極もっともな意見かもしれない。

 しかし、アイシャはこれにどうしても賛同できなかった。

 彼女は、被っていた頭布(コルネット)に手をかけ、ゆっくりと外した。


「今はまだ早い……かしらね」

「……『まだ早い』、ですか?」


 ジーランの胸に埋まった聖遺物。

 それを埋めるに至った経緯。

 そして、彼とセラサリスとの間に結ばれた何らかの『合意』。

 これら事実の意味するところが、アイシャには全く掴めていない。

 懸念するべきことなのかさえ判らないのだ。


「せめて、その輪郭の一部でも掴みませんと。でないと、あらぬ誤解が誤解を呼んで、良くない結果を生みかねませんわ」


 諭すように、あるいは自分に言い聞かせるように紡がれた言葉は、しかして、騎士の曇った顔を晴らせることはできなかった。


「足踏みする間に、ますます誤解が深まらなければ良いのですが……」


 ますます心配そうにうつむくマルカ。

 アイシャは表情を取り繕って、頭布(コルネット)を被り直した。


「まあ、大丈夫ですよー。今はお互い、色々考えちゃう時期ってだけですからー。ケンカしているわけじゃなし、誤解が深まる何かなんて、そうそう起こったりしませんよー」


 アイシャの励ましに、マルカも「そうですよね」と少しだけ気を取り直し、オルガンの演奏に再び耳を傾けた。

 優しくも荘厳に響く音色が、彼女たちの不安を一時的にも和らげていく。


 しかし、この時のマルカの心配は、このすぐ後に、半ば当たってしまうことになる。


***


 この日の夕刻。

 1日の公務を終えたジーランは、自室で椅子にかけていた。

 2階の窓際に置かれているその椅子からは、外の様子が一望できる。

 彼は、美しい聖教国の街並みには目をくれず、夕陽が沈んだ薄暮の空を、ただ静かに見上げていた。


「月は……やはりあの位置か」


 ふと、彼は目下に人の気配を感じた。

 ふたり組の男が、彼の家のドアをノックしようとするところだった。


 ・

 ・

 ・


「急な訪問で申し訳ないですな、ジーラン殿」


 来訪者は、見知った壮年の男性と、見覚えのない若者だった。

 見知ったほうは、副教皇派に属する司教のひとり。

 ジーランよりも階級は低いが、派閥内では幹事的な役割を任されている人物であった。


「エプスタインか。珍しいな、貴殿が私に用向きとは」

「いやはや、私はプライベートで人を訪ねることをあまりしない(たち)ですからな。ですが、本日は少々、お時間をよろしいですかな?」

「お(くつろ)ぎのところ恐縮です、ジーラン枢機卿」


 エプスタインが会釈したのに続いて、もうひとりの若い男も深々と頭を下げた。

 着ている服は白い法衣。

 つまりは、聖教国の官公庁の職員である。

 装着している徽章(バッジ)からして、巡礼省の所属であるとジーランは気が付いた。

 訪問の意図も、おおまか程度には予想がついた。


「かまわん。〝ペシュリの巡礼〟の件であろう?」


 若い職員はビクリと震え、エプスタインも目を丸く見開いた。


「おや? もうお聞き及びでしたかな?」

「何も聞かされてはおらん。が、巡礼省の管轄(かんかつ)で、この時期に副教皇派(われわれ)に持ち込まれている案件となれば、あれしかあるまい」


 ジーランの推測は当たっていた。

 が、このことは若い巡礼省職員を、恐縮のあまりガチガチに緊張させる結果を生んだ。

 (かしこ)まって二の句を継げなくなった彼の代わりに、隣りにいたエプスタインが訳知り顔で(うなず)いた。


「教会も(せわ)しなくていけませんな。空送り(テレン)の祭も近いというのに、同じ時節にあれもこれも……ですからなあ」

「だが、軽んじるわけにもいくまい。歴史は動かせぬのだからな」


 ペシュリの巡礼とは、ヴィリンテル聖教国の外交催事のひとつである。

 聖教国内の高位聖職者がクロンシャ公国領を表敬訪問し、大公への謁見ならびに、開かれる祝賀式典に参加する。

 外交ではあるが、巡礼と名がつくとおりで、宗教儀礼としての側面が強く、歴史も深い。

 巡礼は5年おきの間隔とされ、有力派閥の持ち回りに近い形で、枢機卿の階位にある者1名を出席させることが、古くからの慣例となっている。


「さて、今回の巡礼には、我々副教皇派から誰がしかを出さねばなりますまいと、昨年の暮れ頃、会合にて出席者を(はか)りましたのをお覚えですかな?」

「満場一致でダンチェッカー枢機卿に決まっていたはずだが……トラブルか?」


 エプスタインは、静かに目を閉じ、頭を軽く横に振った。


「よりにもよってこのタイミングで、(きょう)の持病が再発しましてな。(とこ)を動けぬと相談を持ち込まれたのが昨日の晩のこと。まったく、お年寄りの不摂生(ふせっせい)にも困りものですな」


 (くだん)のダンチェッカー枢機卿とは、派閥内で唯一の、クロンシャ公国支部の教会出身者。

 彼以上に公国との繋がりの深い聖職者は、範囲を司教まで拡げて見渡しても、例がなかった。


「無駄な論議に時間を費やすこともあるまい、エプスタイン。私が出向けばよいのだろう?」

「話が早くて助かりますな。さすがはジーラン殿」


 エプスタインは笑顔で礼を述べ、「副教皇様には自分から伝えておきましょう」と、速やかに諸々の雑事を請け負った。

 口調と態度こそ軽妙だったが、彼は心のなかで、実は安堵の溜息を漏らしていた。


 クロンシャ公国は王族のいない小さな国だが、聖教会の歴史を語るうえで絶対に欠かせないほどに重要な国家である。

 なので安直に、枢機卿の地位にあるなら誰でもいい……などとしてしまう訳にはいかなかった。

 ダンチェッカーのように公国の関係者か、そうでなければ、最も格上を出すのが通例であり礼儀にあたる。

 そうでなければ公国を軽視したとして、他派閥や各省庁からの非難さえありうると、エプスタインは危惧していたのだ。

 ジーラン自身、この件には自分が適任であると、自然な思考で受け入れていた。


「で、では、ジーラン枢機卿。ご出席にあたりまして、いくつかお願いが」


 話が(まと)まったのを見ていた巡礼省職員が、ここで、おずおずと切り出した。


「出国に際してのルールか?」

「はい。まずは同行者の規程です」


 職員は緊張し続けていたが、しかし、最も難関であるルール(・・・・・・・・・・)のクリアを最優先する程度には、肝が座っていた。


「本件のように儀礼としての側面が強い出国案件ですと、護衛として神殿騎士がひとり、側につくことになりますが……」


 よろしいでしょうか、と、職員は(おもね)るようにジーランに尋ねた。

 副教皇派の聖職者たちは、反神兵の立場を常日頃から公言している。

 そして、その先鋒がジーラン枢機卿であることも、聖教国内においては周知の事実。

 ジーランが神殿騎士の帯同を快く思わないであろうことは想像に(かた)くなく、そして、友人であるアイアトン司教をして『堅物』と言わしめるほどに信念を曲げない性格であることも、方々に広く知れ渡っていた。


 しかし、それ以上にジーランは、規律と規範を重んじる人間でもあった。


「国の規則であれば従わぬ道理はあるまい。人選は誰でも構わん……いや、そうだな」


 また、彼は彼と同様に、本件に適任である人物が神殿騎士にいることを――それもそれが、自身と少なからぬ縁を持つ人間であることを思い出していた。


「確か、最年少で騎士に抜擢(ばってき)された者がいたな。マルカ=ディアーノといったか?」


 ジーランの思わぬ言葉に、巡礼省の若い職員は、一瞬ぽかんとした表情を浮かべた。


「おりますが……彼女は実力というよりも、大衆受けの良さで選ばれたところが大きいかと思われますが」

「広告塔として適材ならば、この件にも(あつら)え向きということになろう。本人が拒まぬならば、あれを護衛役として連れて行く」


 職員はやや驚きながらも、「聖戦庁に打診いたします」と、(うやうや)しく返答した。




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