27_12_断尾の蜥蜴 下
「さぁ野郎ども。手抜かりは無しだぜぇ。満足いくまで支度しとけよぉ」
イザベラが去ってからすぐ、ランディたち断尾の蜥蜴は、舞い込んだばかりの仕事の準備に取り掛かった。
請け負った荷の量から適切な馬車のサイズと数を検証し、その馬車数を安全に運行できるルートを模索、地図を広げて候補を幾つか検討した。
「ここっすかね? ヨシュセルからエルメン山に向かうっていうと……」
「まあ、そこだよな。峠をひとつ越えねえとだが、他は盗賊の根城ばっかだ」
「現況も確認しとけよぉ。新手が寝床にしてねえとも限らねぇ。襲われたからって、今回は荷を捨てて逃げらんねえぞぉ」
「心得てますさ。あの姉御の依頼ですからな」
皮肉と嘲りばかりを繰り返していたランディだが、その実、彼はイザベラのことが気に入っていた。
妹に敗れてなお足掻き続けるその気概と、その足掻きのために、こんな危険な場所まで自ら乗り込んでくる胆力。
彼らは彼女を買っていた。
「いっぱしの商人にできるもんじゃあねえぞぉ。相応の地獄を見てなきゃ、踏み出すこともできねえだろうよぉ」
「今も地獄の中、なんですかなあ?」
ランディも言っていたように、彼ら断尾の蜥蜴のモットーは、〝誰からの、どんな仕事でも請け負う〟である。
眼鏡に適った相手の仕事なら、事実、なんでも請け負うことにしていた。
事情を詮索することはないし、積み荷の中身も確認しない。
生き物はやめてくれと事前に言ってはいるが、厳守までは求めていない。
もちろん、仕事を受けたことを含めて、秘密を誰かに教えることもしない。
彼らは深く理解しているのだ。
彼らの商売は信用だけがすべてであり、その糸が切れるときは、自らの命脈が断たれるときだと。
つまり、彼らにとって仕事とは、常に罠と襲撃を警戒するべき危険な状態。
安全は信用によってのみ保証され、だからこそ信用できる人間からの依頼であっても、罠である可能性を排除することはない。
「とはいえ、だ。まあ、今回のは安全そうだ。〝掟〟を持ち出すことにゃあなるまい」
ランディは客を信じ切ることはしない。
代わりに、部下の技量を信頼していた。
ゆえに、彼らをルールでガチガチに縛るようなことはしなかったが、それでもひとつだけ、厳しく守らせている鉄の掟が存在した。
【手傷を負った仲間は見捨てろ】
一人の負傷は味方全体の速度を奪い、血痕は味方の位置を敵に知らせる。
ゆえに、蜥蜴が尻尾を切り捨てるように、全体のために一部を切り捨てることを、その覚悟を全員に徹底した。
それこそが、断尾の蜥蜴の名たる所以。
「ときにおめえらぁ。この〝掟〟ってもんの本質を、何だと思うよぉ?」
「あん? 急になんですかい、お頭?」
「そりゃあ、プロの運び屋の誇り、ってやつでしょ?」
「んなわけあろうかぁ。危ない仕事を請け負わんための方便よぉ」
「……はい?」
部下のキョトンとする顔を見ながら、ランディは、例のニタニタとした皮肉笑いを浮かべ言い放つ
「敵の追跡が初めから予想されとる〝運び〟なんぞ、どうして請けられようもんか? ええ?」
どんな仕事でも受諾する。
そう喧伝しておかなければ、客から信用を得られない。
が、死ぬほどのリスクに踏み込むつもりは毛頭ない。
〝危険〟と〝敵〟を持ち込むくそったれを、客として信用するなど有り得ないのだ。
「追われるってのは、キツいんだぞぉ。何日何十日と不眠に不休で逃げ隠れても、それでも諦めてくれんような相手もいてなぁ。これが多勢に無勢だったら絶望もんさぁ」
「おい始まったぞ、お頭の戦時中の体験談が」
「手短に頼んますよ。まだ作業が残ってんすから」
「要するに、命あっての物種、ってやつでしょ?」
反応の思わしくない部下たちに、ランディも話をさっさと切り上げた。
「無茶な仕事は意地でも受けん。金も名誉も、死んだ者には何らの価値も残しちゃあくれん。上手く事を運ぶほうが、荷を運ぶより重要ってこった」
そういう意味において、表で名の通ったイザベラ=フレッチャーは、彼にとって上々の取引相手であると言えた。
「しっかし、不吉ですねえ」
「あぁん? なんだぁ、おめえ。臆病風に吹かれるタマじゃねえだろぉ?」
「いや、わかるぜ。お頭がこういう〝いい話〟的なモンを俺らに言ったときってのは、決まって良くねえことが起きんだよな」
「そうそう。いっつも仕事に支障が出んだよ。わかってんだ」
「おめえら、人のことを疫病神みてえに――」
――チリン。
「むぅ?」
不意に、小さなベルの音がした。
「……お頭、また客ですな」
「……おぉ。それも、あっちから来る奴ときたかぁ」
彼らの目線は一斉に、イザベラが入ってきたのとは別方向の壁、そこにある別の出入口に集中した。
鳴っていたベルは、その隠し扉の上に吊るされているものだった。
「面倒だねぇ……だが」
ベルの音と、この別入口は、彼らのセキュリティのひとつ。
あまり良くない取引相手の来訪を知らせるものである。
「だがまあ、客は客だよなぁ。敵ならベルなんぞ鳴らさねえ。ま、会うことは会ってやらにゃあなぁ」
ランディは地図を片付け、新たな客人を出迎える用意を始めた。
この部屋に向かってくるということは、少なくとも、相手は礼儀を示したということではある。
*
「こいつぁ珍しいねぇ。真っ黒い髑髏がお客さんとは」
彼らの前に現れたのは、2人組の男だった。
そのどちらもが、黒い骸骨と見紛うような、黒色の鎧兜を被っていた。
黒骨旅団の証である、黒い黒い鎧兜を。
「久しいな、ランディ翁。また仕事を頼めるか?」
挨拶したほうの男が鎧兜を脱ぎ去った。
すると、その下から、赤毛の髪と、右目の周りにひどい火傷の痕がある顔が現れた。
見覚えのある顔だと、ランディは心のなかで舌打ちする。
「よーお、デンゼル坊主。しばらくご不沙汰だったじゃねえかぁ。運ぶ荷どころか物資もなにも尽きちまったかと、心配してたんだぜぇ?」
意地悪く笑ったランディ。
それをデンゼルは、表情を消して受け流した。
「新愛の証と受け取るが、『坊主』はやめてもらおう。これでも今は、この方面の旅団支部長を継いだ立場、若い部下の手前がある身だ」
「時間が経つのは早いねぇ。あの小坊主が、今や、部下を率いてここに来るようになるなんざぁ」
そう言ってランディは、デンゼルが引き連れていた若い男をジロリと一瞥した。
彼もまた、デンゼルの動作にあわせて黒いヘルムを外しており、その素顔をさらしていた。
まだ少年のあどけなさを残す、見目麗しい美男子だった。
「……アンジェロ=デットーリです。以後、お見知りおきを」
そう述べた割に、アンジェロは不審と警戒の目を、露骨にランディに向けている。
(ふん、若いねぇ)
ランディはその視線を受け流さず、にたにたと卑屈な笑みを浮かべ返した。
案の定、アンジェロは反応した。
「……何か?」
「おめえさん、若ぇのにどうして黒骨旅団なんぞに入ってる? 利発そうだし、顔もいい。うまくやりゃあ、どこぞのご貴族様の寵愛でも受けられそうな面じゃあねえかぁ」
アンジェロは一瞬で怒り、赤面した。
「貴様! 私を愚弄するか!」
「おぉ、怖いねぇ」
憤慨し、腰に下げた剣を抜こうとするアンジェロを、デンゼルが「よせ!」と食い止める。
「ランディ翁。あまり若者をからかわないでくれ」
「悪いねぇ。これも商売でなぁ。新しく来た奴のこたぁ、確認しねえ訳にはいかんのよぉ」
もっともらしい物言いで、ランディはデンゼルの苦情をあしらった。
これがますます、若いアンジェロの怒りを誘った。
「支部長殿! 何故にこんな下劣な奴らを頼るのです!」
答えたのはランディだった。
「そりゃあ、おめえ、報酬の約束さえ守ってくれりゃあ、誰からの仕事でも受けるのが俺ら運び屋だからさぁ。貴族だろうと、商人だろうと、黒骨旅団の残党だろうとなぁ」
「残党ではない! 我々は壊滅も解散も、ましてや敗北もしていない!」
「怒るなよぉ。言葉の綾だろぉ? 悪党と貶さなかったあたり、良心的だと思って欲しいねぇ」
今にも飛びかかろうとするアンジェロを、その背後から止める声があった。
デンゼルではなかった。
「止すんだ、アンジェロ。彼らは味方ではないが協力者だ。敵に回す愚は犯しちゃいけない」
穏やかな調子の声が部屋に響き、アンジェロと、そしてデンゼルも振り返って、その主を見向いた。
「だ、団長!?」
「来ていたのか、ガウフ?」
そこにいたのは、黒い騎士兜を被った長身の男だった。
その声に、ランディはやはり覚えがあった。
「ほお、誰かと思えば、ガウフリッデン旅団長様じゃねえかよぉ」
「おや、覚えておいでか。ランディ翁」
男は、先のふたりと同じように、黒いヘルムを脱ぎ去った。
現れたのは、白い頭髪に赤い瞳。
忘れろという方が無理な容姿を持つこの人物こそ、ガウフリッデン=アモンレイス。
現在の黒骨旅団を束ねるリーダーであり、数年前にこの世を去った前旅団長の息子でもある男だった。
「おうともよぉ、最初に来たのは10歳もそこそこだったよなぁ。それがまあ、たくましく成長したもんだねぇ」
やはりニタニタ顔で話すランディは、しかし内心で、窓口役として配置した部下に毒づいていた。
(……デミルの野郎、何してやがった?)
客を新たに通したのなら、新たにベルが鳴らねばおかしい。
が、戸口のベルは微動だにしないまま、新たな人物が部屋に迎え入れられている。
よくない事態だ。
「噂は聞いてるよぉ。難儀そうだねぇ。人材不足で、頭領自ら、あちらこちらの拠点を飛び回ってるってなぁ」
「良い耳だな。まあ、多忙なところは父たち譲りさ」
「あげく、こんな辺鄙なとこまでいらっしゃるとは、ご苦労さんだなぁ」
「褒め言葉として受け取ろう。しかし、私も神ならぬ人の身でね」
「……ほぉ?」
「飛び回りきれないところは、腕の良い運び屋諸君にお願いしたい……ということさ」
*
荷物の一部を持参しているということから、彼らは共連れて外に向かった。
途中、玄関口の部屋でフードの男、窓口役のデミルが、一瞬だけ驚いた顔を彼らに向け、すぐに表情を切り替えた。
ランディは訝しんだ。
(……どうなってる? デミルの奴、一人増えたのに気づいてなかったって面じゃあねえか)
そんなミスなどありえない。
侵入を許すくらいなら、命を賭して異常を知らせる覚悟がある。
そういう信用と信頼があるから、ランディは彼を窓口役に置いているのだ。
(ガウフリッデン……どっから現れやがったってんだ? ああ?)
しかし、疑問は解消されないまま、彼らは外に出て、商談を始めることに。
「さて、あちらが今回お願いしたい荷だ」
ガウフリッデンは、彼らが乗ってきたらしき馬車の荷台を手で示した。
積まれていたのは、大きな木箱が3箱ほど。
「こいつが、ある場所に60個ほど隠してある」
木箱は、わかりやすく蓋がずれていた。
どんな中身か教えるためだろう。
ランディは遠慮なく中を覗き込み、「ほお」と感嘆の声を漏らした。
「こりゃあ、また、えらく古めかしいもんを集めたじゃねえか」
中の荷は、大量の銃火器類。
それも、現在の主流の燧石銃より時代の古い、型落ちも型落ちの骨董品じみた古銃ばかり。
かつての大戦で用いられたのと同型の銃である。
それらが箱に、いっぱいに詰め込まれている。
「こんなもんをたんまり用意して、何を企んでるんだぁ? ええ?」
「戦える準備は常に整えておく、ということだ。我らの宿願成就のために」
ランディはずれていた蓋を閉じると、くくく、と皮肉げに嗤った。
「おめえさん、まさか、期待してるのかぁ?」
「期待?」
「おめえさんらが今一度、お陽さまの元を闊歩できるようになるとよぉ?」
アンジェロが怒り叫ぼうとしたのを、デンゼルが手と目で制した。
ガウフリッデンは特にこれといった感情の変化を見せず、穏やかに言い返した。
「我々には、俗欲などというものは無い。大義は昔から変わらない」
「ほお、大義となぁ?」
「今の世界を支配している、誤った認識を是正する。それだけさ」
「そうすりゃあ、歴史に刻まれた悪名も注がれる、ってかぁ?」
なおも皮肉げな顔のランディを、今度はガウフリッデンが鼻で笑った。
「名誉の回復は、俗欲と呼ばれるものの最たるひとつだ」
張り詰めた空気が場に漂う。
が、ここはあっさりランディが引いた。
「くくく、まあ、怒るなよぉ。ちょっとした茶目っ気じゃあねえか」
「仕事の度に客を試すのは、あまりいい趣味とは呼べないな? ご老人」
これ以降はスムーズだった。
ランディたち断尾の蜥蜴は、仕事の依頼をあっさり受諾し、ガウフリッデンたち黒骨旅団も、荷物を速やかに引き渡して、残りの荷物の場所を教えた。
「世話になるな、ランディ翁」
「なあに、持ちつ持たれつさぁ。死んだりするなよぉ、ガウフリッデン」
かくて、彼らの商談は成立した。
*
黒骨旅団が乗り込んだ馬車を見つめながら、ランディの部下の一人がデミルに尋ねた。
「デミルよお。持ち場を離れちゃいねえんだろ?」
「……当然です。あの野郎、どっから湧いてきやがった?」
デミルは、まるで射殺しそうな怖い目で、去っていく馬車を見送っている。
「お頭、俺もさすがに嫌な予感がしてますぜ」
そんなものは、ランディも当然感じている。
だが。
「だがまあ、仕事は仕事だぜぇ? 連中も、俺らごときを罠にはめる気はねえだろうしよぉ。こちとら、数少ねえ協力者様だってんだぁ。しっかし、なぁ……」
ランディはピリピリとした雰囲気を解いて、いつもの卑屈そうな顔に戻ると、馬車のいなくなった方角をぼんやり見つめた。
「虚しい輩どもよなぁ」
「ですなあ。ひと昔前なら義賊として、英雄扱いもされてたろうに」
「いやいやぁ、そっちじゃねえのよぉ」
「おや、違いましたかい?」
ランディは生まれついての意地の悪げな笑い方で、立ち去ったお得意さんを心から皮肉った。
「奴さんら、〝旅団〟と呼ばれたことにゃあ、ちっとも怒らなかったじゃねえかぁ。古参がみんな死んじまって……本当の名を忘れちまったのよぉ」




