27_11_断尾の蜥蜴 上
『へえ。そんな繋がりまで持ってるんだ』
「そりゃあ、商人だからね。伝手や手蔓は、大小いくつも確保してるのさ」
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「さて、あたしも動かないとね」
ベイルとの通信を終えたイザベラは、窓の外を流れる牧歌的な景色で現在地を確認した。
彼女が指輪の通信機を使っていたのは、馬車の中。
イザベラは今、帝都クリスタルパレスにはいなかった。
地方へ商談に出向いていた彼女は、雇っている馭者に馬を任せ、帝都へと戻る道すがらである。
が、彼女はここで馭者に指示を出し、帝都に向かう最短ルートから馬車を外して、ある場所を目指し始めた。
つい先程、ベイルとの通信で話した『運び屋』に、コンタクトを取るためである。
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「着きましたぜ、イザベラ様」
馭者の男から声がかかり、イザベラは、馬車が目的地に到着したことを知った。
「相も変わらず、荒んだ場所だこと」
再び窓から外を見る。
古びた木造の家屋が点在するそこは、鄙びた村……というより、朽ちた村落の跡地だった。
見える範囲に人影はない。
イザベラは、陰鬱な気分を追い払うように溜息をひとつ吐き捨てると、馬車を降りて、馭者席に座る男に声をかけた。
「わかってると思うけど、あんたはここで待機。下手にその辺をうろつくんじゃないよ」
くどくどと釘を差された馭者は、しかし、不機嫌になることはなかった。
「承知してますさ。好き好んで中に行きてえとは、俺には思えねえ」
*
無人の村を、イザベラはすたすたと歩いていく。
目指しているのは、一番奥にある建物。
寂れた土地にある村の住居にしては、やけに大きな……けれど、ボロボロで損壊箇所も多く目立つ、平屋建ての木造住宅。
もはや廃墟と呼ぶべきその家には、しかして、人の気配があった。
「邪魔するよ」
臆することなくイザベラは、建物の中に踏み入った。
薄暗い部屋の中には、やはり、人が居た。
「おや、どうされたんだいお嬢さん? こんな辺鄙なところまで?」
フランクに声をかけてきたのは、室内なのにフードを目深に被った、いかにも怪しげな若い男だった。
部屋の窓や壁には大きな布が何枚もかけられていて、陽を遮り、男の容姿を判りづらくしている。
男は、その布に覆われた壁へと背を預けて、奥へと続くらしき大きな扉に注意を払いつつ、入ってきたイザベラを一瞥した。
「運んでほしいものがあるの」
「へえ? 誰かへの贈り物かい?」
「ええ。〝故郷の母に、黄色いお花の詰め合わせを〟」
暗合を聞いたフードの男は、口元をニヤリと歪めると、大きな扉から目を離し、そして、背を預けていた壁の布を左手で剥いだ。
そこには、本当に奥へと続く通路が隠されていた。
「通ってくれ」
「ありがと。いつも悪いわね」
礼を述べ、しかしイザベラは足を踏み出さず、代わりに銀貨を取り出すと、天井めがけて指で弾いた。
薄暗い部屋の中、銀貨は回転しながら光を放って、宙空に綺麗な銀色の孤を描いた。
それを見上げて、フードの男は再度ニヤリ。
「毎度。スカーレットの姉御」
彼は、自分に向かって落ちてくる銀貨をパシンと掴み取った。
腰に忍ばせたナイフの柄から右手を離して。
「ほんと、物騒なセキュリティだよ、ここは」
「へっへ。この業界、リスクに対して備え過ぎってことは、ないですからねえ」
扉は、暗合を知らない人間を炙り出すための捕縛の罠。
そして案内役は、礼儀を知らない人間を後ろから刺す処刑人。
「姉御と違って、弁えのない客人ってのは、後々トラブルを呼び込むことが多くって」
「信用の証と受け取っとくよ。客を選ぶのは、あたしもおんなじだからね」
「どうもー」
フードの男は愛想よく会釈すると、イザベラを奥に通した。
*
隠された暗い通路を進んだ先は、今しがたの部屋とは真逆の光景だった。
天窓……というより大穴が空いた屋根から陽光の差し込む、明るくて広い部屋。
中央には破れた革張りのソファが置かれ、そして、そこに半ば寝そべるように腰掛けている、小柄だが筋肉質な老人の姿があった。
ボサボサによじれた白髪の髪と、皺の多いカサついた肌。
そして、歳の割に太い二の腕には、刺青で、尻尾が切れた3匹の蜥蜴が彫られていた。
「よーお、イザベラお嬢様じゃあねぇか。最近ご無沙汰だったが、お仕事は順調かぁ?」
親しげに、あるいは小馬鹿にするように、老人はニタニタと卑屈げに笑う。
イザベラは快も不快も顔に表さず、淡白に答えた。
「お久しぶり。相変わらずふんぞり返ってるわね、運び屋ランディ翁」
老人の名は、ランドルフ=レッドフォード。
愛称をランディという。
「そう邪険にしなさんなよぉ。この歳だぜぇ? 腰を労らにゃならんのさぁ」
「よく言うよ。腰痛持ちのご老体に、運び屋と交易商が務まるもんかい」
老人は、表向きには交易商で通っていた。
厳密には、国境をまたいで交易品を流す役割の、中間商人とも呼ばれるブローカー。
「なぁに、できた手下に恵まれるとなぁ、ボスはこうやって寝そべってても上手く組織が回るのよぉ」
そして、裏向きの顔は、法外の運び屋集団【断尾の蜥蜴】の頭株。
誰にも尻尾を振らない代わりに、誰からの、どんな仕事でも請け負うことをモットーとする、〝孤立だが無縁ではない運び屋〟を自称する集団である。
「で? 今回は何を運ぶってぇ? どんな品でも、迅速かつ丁重な運びを提供してやるぞぉ? 例えいわく付きの品でもなぁ」
「知ってるよ。赤子を運んだことさえあるって言うんだろ」
「流石に今はやらんがねぇ。ま、ちょっとした広告材料ってぇやつよ。とはいえ金輪際、人の子と動物は運ばんことにしとるがねぇ」
前言が、わずか二言目で撤回された。
ランディの掲げる『誰からの、どんな仕事でも』とは、『(信用できる相手なら)誰からの、(面倒じゃない品物なら)どんな仕事でも』という具合に行間を読む必要がある。
国家の法から外れた運び屋とて……いや、法外の稼業だからこそ、不必要なリスクを踏まないことが、彼の長生きのコツであった。
「そんで、今回は? 表の馬車の中の荷かぁ?」
「いんや、まだ仕入れ前だよ。荷下ろしされたのを受け取るとこからお願いしたくてね」
「だろうなぁ。俺ら風情を頼るにしちゃあ、あんな馬車じゃあチンケすぎる」
*
ニタニタと下卑た笑みを続ける老人に、イザベラは、こう思わずにいられなかった。
(本っ当に、いちいち癪に障るジジイだこと)
人里離れた山村までやって来て、こんな卑屈な老人を相手に仕事の話。
進んでしたいことでは、もちろんない。
(正規の業者に頼めない荷運びじゃなきゃ、誰がこんな奴らに)
頼めない理由はもちろん、これがベイルたちに横流しする、不法の荷だからである。
発覚すれば反逆罪すらもありえる以上、口の軽い人間には任せられない。
いつもは雇っていた私兵を使っていたが、しかし今は、それができない。
ゾグバルグでの事業に大勢を割いたほか、ジラトームでの戦争発生の気配を嗅ぎつけ、先んじて各国にも送り出している。
他の商人より早く、必要な商取引を今のうちに成立させておくために。
(使いにくい連中だけどね)
私兵と交わした傭兵契約には、この手の仕事は含まれていなかったが、この商機を逃すイザベラではない。
動くべきに時には必ず動き、自分が動けないときには他人を動かすのが彼女のやり方である。
なかにはやはり、こんな〝お使い〟まで請け負った覚えはないと、契約を盾に拒否の姿勢を見せた私兵もいた。
だが、
『ふん、あたしが好き好んで、あんたたちみたいな人間に買い出しをまかせてると思うのかい?』
などと仄めかすようなことを言っただけで、私兵たちは、ベイルたちによる何らかの脅迫があったものと勝手に思い込み、途端に従順になりさがった。
(ま、半分は本当のことだしね)
使える人手が限られるなか、それを上手にやりくりすることにかけて、イザベラは実に優秀だった。
優秀な商人に必須の資質だと言ってもいい。
とはいえ、それでもやはり、限界ラインは存在した。
他国の商人との取引を急ぎ、ゾグバルグへも販路を拡大している今、本当にベイルたちから頼まれている物資の買付と運搬に支障が出てしまったのは、仕方のないことではあった。
このため今回は、この卑屈な老人が率いる運び屋、断尾の蜥蜴を頼らざるを得なくなったのである。
*
「ヨシュセルの街で仕入れた品を、エルメン山の中腹まで」
「なんだってぇ?」
驚きの声を上げたランディを無視して、イザベラは仕事の詳細を続けた。
「荷物の数はいつもよりやや少なめだよ。大型馬車7台もあれば充分ってとこ。もう買い手のついてる商品だから、丁重にね」
あまりに無茶な仕事は受けてくれないが、ある程度までの無理くらいなら、報酬次第で聞いてくれる。
それだけの信用関係を、イザベラは彼らとの間に築いてあった。
とはいえ、意味の掴めない荷物の運搬先に、運び屋の頭株は目を丸くした。
「いったい、どこの馬鹿から請けた仕事だ?」
「おや、ご老体。あんた、いつから物事に筋を求めるようになったんだい?」
ランディは一瞬むっとした顔をしかけてから、その後すぐに取り繕った。
「別に、質問じゃあない」
「だろうね。ま、いつもの通り、秘密厳守で頼んだよ」
ふたりの間に証文はなく、契約は言葉のみ。
人員も、経路も、荷物をどのように扱うかさえ、ランディから示されたことはない。
商売を信用のみで成り立たせる、腕の立つ裏稼業集団。
それが外法の運び屋、断尾の蜥蜴である。
だが、このことは、大切な商品を預けるイザベラにとって、リスク以外の何物でもない。
しかし、それでもこの集団を利用しなければならない理由が、彼女にはあるのだ。
「特に、ガーネットには、かぁ?」
イザベラの眉がピクリと動き、その反応に満足したように、ランディは「へっへっへ」と、意地悪げな笑いを見せた。
「好きに姉妹喧嘩をやるといい。うちにとっちゃあ、儲けの種だ。せいぜい、人としての呵責に苛まれんことだな」
「呵責? 変なこと言うねあんたも。あたしはただ商いをして、利益を叩き出してるだけ。それのどこに後ろめたさなんてあるんだい?」
いらつきを抑えきれなくなってきたイザベラに、ランディはなおも皮肉を言い放つ。
「商人の流儀は俺にはわからんねぇ。戦うなら殺れ、殺れねえなら戦うな、だ。さもねえと、死ぬのはてめえ自身だぞぉ。ん?」
「血生臭いね。軍隊の流儀かい? 確かあんた、元軍人だって言ってたね?」
「いんやあ、こいつは万世の真理ってえやつだ。神様ならざる人間にとっちゃあ、敵ってえのは作っちゃならん大きな脅威で、作っちまうなら、絶対に負けちゃあならん。違うかぁ?」
が、この皮肉は、逆にイザベラを落ち着かせることになった。
「……作りたくなくたって、敵ができちまうことはあるだろ」
「ぬぅ?」
予想外の反応に、首を傾げるランディ。
それを視界にも入れずイザベラは、今の自分の境遇を呪った。
(あんな人間ならざる化け物連中、誰が好き好んで敵に回したがるもんかい)
彼女は内心で毒づいたが、同時に思考が諦念で支配され、最前までの苛立たしさを忘れさせる結果となった。
「抗えねえ宿命か。ま、それも人間ゆえの真理じゃあるってもんかねぇ」
ランディは『敵』というのを妹ガーネットのことだと解釈したらしいが、イザベラは特に訂正しなかった。
言うつもりがない以前に、愚痴を聞いてもらいたい相手では、断じてない。
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商談が終わり、イザベラの去り際。
ランディは特に意味もなく、こんな問いを彼女に投げかけた。
「お前さん、地獄を見たことはあるか?」
「見てるわよ、現在進行系で」
「はっ。家と男を奪われたんだったなぁ。そいつは、たいそうな地獄かもなぁ」
「……色々あるのよ。それ以外にも」
「あん?」
イザベラは蜥蜴の巣窟をスタスタと後にし、ランディは白髪頭をポリポリと掻いた。




