27_07_イザベラの働きぶりからみる、現文明の国際交易事情 下
ネオンによれば、俺たちが命からがら――なんて言ったらシルヴィに怒られそうだけど――帝国軍の包囲網を突破してきたその日のうちに、結構大変そうなことをイザベラに命じていたらしい。
それも、こちらが帰還したことは黙っておいて、だということだ。
「その日は当初の予定ですと、まだヴィリンテル聖教国の滞在7日目、つまり旅程の最終日です。滞在中になんらかの成果があり、それにもとづいて現地から通信機で連絡を入れた……と、イザベラは思い込んでいたようですね」
実際には、期日より1日早くヴィリンテルを出てきちゃったけど、本当だったら、ジューダスがヴィリンテルを発つ最後の日だった。
そんな日に連絡が来たということは、潜入工作が穏便に完了見込みで、なおかつ何らかの進展があったものと、イザベラは当然に考えた。
なのに、蓋を空けたら、俺たちは帝国の大部隊を相手に大脱走劇の大立ち回り。
事がしっかり起こっていたのだ。
「そりゃあ、恨み言のひとつも言いたくなるか」
「いえ、この指示に関しては、彼女は非常に喜んでいました。妹が開拓できていないゾグバルグ連邦との取引ルートを手に入れられると」
「え? ああ、そっか。ゾグバルグ連邦国とラクドレリス帝国って、あまり国家間の仲がいいとは言えないもんな」
別に両国は戦争状態ってわけじゃないし、ゾグバルグは国として帝国から奴隷を購入したりもしているから、完全な没交渉ということではない。
けれど、バジェシラ海の聖域指定の件とかで、帝国はヴィリンテル聖教国との間には軋轢を生じさせている。
となれば当然、そのヴィリンテルの後ろ盾の大国であるゾグバルグ連邦とも、外交面では険悪な雰囲気がちらほらと感じられる。
交易している商人が全くのゼロではないけれど、国としてはあまり推奨していない……というのが、両国共通のスタンスなのである。
「というか、今もフレッチャー商会って、ゾグバルグとの取引が再開できてなかったんだな」
一応、大商会ならではの調達能力を活かして、第三国を介してゾグバルグの特産品を細々と買い付けているらしいとは聞いたことがある。
でも、フレッチャー商会ほどのネームバリューがあったら、連邦国内の主要商会とかと大手を振って交渉に臨むことも、もしくは、さっき話題に出たような中間商人たちを使うとかして大量買い付けを行うことも、決して不可能じゃないはずなのに。
「イザベラの妹さん……ガーネット=フレッチャーって、歴代のフレッチャー家当主の中でもかなりの切れ者って触れ込みだったけど」
会頭に並外れた商才があり、商会自体も優れた調達能力を持っているのに、どうして二の足を踏み続けているのだろうか?
「リスク・ヘッジの側面もあるのでしょう。あえて間接取引に留めることで、取引依存度を抑えているものと思われます」
「依存度を、抑える?」
「仮にですが、莫大な利益が見込めるからといって、商取引の比率をゾグバルグとの交易ばかりに傾倒しきってしまいますと――」
「あ、そっか。帝国との間で戦争が起こったときに、大打撃を受けちゃうもんな」
ひとたび戦争状態になってしまえば、当然、2国間の繋がりは断絶する。
完全な断絶にはならないケースも意外と多いけど、それでも、平時に比べて色んなことが大幅に制限されてしまう。
当然、商取引にだって、大きな影響が出るはずだ。
「もしも直接取引という形で、それも、かなりの利益比重を置いていた場合、最悪の最悪は、フレッチャー商会という大きな組織を維持できなくなってしまうことでしょう」
そうなってから、慌てて代わりの取引先や代替商品を探すより、最初から第三国の商会なんかを間に挟んだ取引にしておけば、戦時下でもゾグバルグの品を迂回ルートで仕入れられるかもしれないし(ただし、戦時下に敵国産の品物が売れるかはともかく)、また、その商会がフレッチャー商会との関係を途切れさせたくないのであれば、ゾグバルグ以外の卸先を見つけて帝国の品の購入を続けてくれるかもしれない。
平時下の利潤をだいぶ捨てているけど、有事下の致命的損失を回避する選択をしている、ということである。
「言われてみれば、帝国きっての巨大商会が、たった1国との取引にだけ全力を傾けるなんてリスキーな真似、するはずがないよな」
『でしょうね。やけっぱちで金鉱を掘ってたイザベラと違って、余裕ありまくりなんでしょうし』
これも言われてみたら、なかなかのギャンブラーぶりだったよな。出会った当初のイザベラって。
「また、ゾグバルグ連邦側からしても、仮想敵国の有力商会との直接取引は避けておきたいところかと」
「まあ、相手も好感を持ってはくれないか」
『そうよね。特に、今回のヴィリンテル近傍での大軍事行動なんて、ゾグバルグ連邦の不興を大いに買ったことでしょうし』
ヴィリンテル聖教国と深い繋がりのあるゾグバルグ連邦国。
かたや、ラクドレリス帝国の中枢とべったりのフレッチャー商会。
水と油もいいところだ。
「あれ? でも、それならさ。イザベラがゾグバルグで商売できてるのって、おかしくない?」
「逆ですよ、司令官。フレッチャー家の人間でありながら当主と反目しているイザベラには、ゾグバルグにとって軍略的な意味で接近する価値があると言えるのです」
要するに、裏工作。
敵国の中の、内輪揉めみたいな商売合戦を煽っておけば、いざ有事に発展したときに、その国の物流や調達能力に混乱を与えることが可能かもしれない。
「たかが物流……なんて、馬鹿にできないもんな」
『たかがどころか、超重要よ。戦線に弾薬が届かなかったり、粗悪な武器しか納入されないようになってみなさい。戦局に重大な影響が出るわよ』
「影響は戦地の軍隊のみならず、民間人にも及びます。戦時中に物資の流通が滞り、民衆に食糧等が行き渡らない事態が生じれば、革命やクーデターの引き金にさえ成り得ます」
だから、仮想敵国で起きている商戦に、平時のうちにこっそり介入しておく意義というのは、軍事戦略や諜報活動という視点においてかなり大きい。
戦争で得をするのは商人……なんていう蔑みの言葉もよく聞かれるけど、やっぱり商取引と戦争との間には、切っても切れない深い関係性があるのだ。
「だからゾグバルグ連邦国も、イザベラに積極的に肩入れするはず、か」
「軍略的要因が味方することに加えて、イザベラには神殿騎士からの紹介、聖教会有力派閥との取引実績という非常に強い武器もあります。妹のガーネットに、神殿騎士に優るゾグバルグとのコネがあるとも思えません」
つまり、もしもフレッチャー商会が、ゾグバルグとの交易方針を直接取引に切り替えることがあったとしても、
「あの国における商取引において、イザベラの優位性は動かない……か」
思い起こせば、イザベラは俺たちの聖教国入りに、最初期から乗り気な姿勢を見せていた。
結果から見るに、彼女の商機を嗅ぎ分ける嗅覚は間違っていなかった、ということになりそうだ。




