27_03_イザベラ嬢は情報をご所望
「ふーん。じゃあ、帝国軍の現地調査って、粗方が終わってるんだ?」
『一次調査は、だけどね。対象地域は大草原地帯にカルリタの樹海。とてもじゃないけど、全容解明なんてできやしないよ』
帝国軍の大規模演習……難民狩りの大部隊は、作戦の失敗に伴い解体されたそうである。
また、軍のトップであるアーノルド皇子やその他上層部などへの結果説明……というか釈明のため、かわりに調査部隊が直ちに編成されたという。
急造なうえ、わずか数日の期間しか与えられなかった調査部隊は、しかして皇子への報告という重大な責務を背負わされ、死に物狂いで当時の状況を調べ上げ、報告できる限りを報告したらしい。
「一次ってことは、二次調査もあるの?」
『そりゃそうさ。逃げられたって結果は覆しようがなくたって、難民やら敵対者やらがどこに逃げたかは執念深く突き止めようとするに決まってる。辺境とはいえ自国領内で起きたことだしね。て言っても、前ほど大規模な部隊動員はできないだろうけど』
確かに調査は執念深いものになるだろう。
なにせ、自軍の兵士が殺傷されているのだから。
調査隊を組織し、あるいは捜索隊を編成して、そして、今度はジラトームの難民のみならず、海に消えた泥の怪物と、仲間を殺した憎き奴隷の軍勢を、徹底的に探しだそうとすることだろう。
そして、懸念はもうひとつ。
「こうなっちゃうと、ヴィリンテルへの圧力も、どんどん強くなってくる……のかな」
調査の結果、泥の怪物を聖遺物兵器だと帝国軍部が認識したならば、ヴィリンテル聖教国にも政治的軍事的圧力をガンガンかけてくるはずである。
……ところが。
『それなんだけど、なんかさあ、変な話になってるらしいよ』
「ん?」
『あんたらの読みどおり……っていうか、実はもう知ってるのかもしれないけど、帝国は正規の外交ルートを通じて、ヴィリンテル聖教国に今回の件についての見解を尋ねてるんだよ』
抗議や非難ではなく、見解の問い合わせ。
数ある圧力手法のなかでは、割合マイルドな部類に入る。
だけどこういうのも、正式な外交ルートでやられると、国際政治の面でそこそこ厄介だ。
が、ヴィリンテル聖教国も、帝国にそうやすやすと強気な外交を許さなかった。
「ああ、一応知ってるよ。うまい手を打ったよね、聖教国も」
『そうさね。まだ実務者レベルのやりとりのところに、国と教会のトップが直々に動くだなんてね』
そう。
この問い合わせに対応したのが、通常の外交窓口ではなく、なんと教皇様だった。
教皇様は、「神の遣わした乗り物であるならば、泥だらけでゴミまみれのはずがあるまい」と、そんな内容を公式の会議で自ら発言、それをそのまま正式な書状にしたためて回答させたのだ。
もちろん、記録や書面に残るから、言葉はかなり選んであったそう。
だけど、実質的には問い合わせを難癖だとして、逆に強気に一蹴したのである。
『ここに関しちゃ、たいして不思議はないけどね。どうせあんたらがどうにかやって、教皇サマを味方につけたんだろ?』
たとえ言い逃れにしか聞こえなくとも、現教皇様の口から発せられたお言葉である以上、絶対的な効力を持つ。
それほどに、大陸全土に布教されたメレアリア聖教の影響力というのは大きいのだ。
政治外交の世界においても……いや、政治外交の世界だから、とも言えるだろう。
「味方ってのとは少し違うけど、軽く接触はしてきたかな」
『ふん、もはや驚きもしないよ』
「じゃあ、『変な』ってのは、どれのことさ?」
『引っかかるのは、軍上層部の対応なんだよ』
イザベラに相談があったことからも判る通り、ラクドレリス帝国軍の上層部は、かなりの窮状に陥っていた。
なにせ、軍のトップ、アーノルド第3皇子による現地視察の最中での失態だったのだ。
責任の追求は、必至も必至。
可能ならば、ヴィリンテル聖教国による妨害や裏工作が原因であるとしたかったが、教皇様直々の対応によって、それも難しい。
こうなると、組織における責任の訴求先はひとつ。
聖教国を悪にできないなら、現場の人間を生贄に。
追い詰められた上層部は、演習部隊の責任者の誰かに今回の責めの一切を負わせようとしたのである。
現場が、自分たちの失態隠しのための言い訳にヴィリンテルの関与を仄めかして……つまりは、泥の怪物なんて作り話をでっちあげて、煙にまこうとしてるんだろうと、そういうふうに結論づけた。
そして、体よく任務失敗の責任を取らされる生贄役が選ばれ、経緯の報告のためにひとりの大隊長が査問委員会に呼びつけられた。
敗戦処理でよくある話だ。
だが。
『ただ、その報告をした大隊長ってのが、アーノルド皇子の覚えが良かった軍人らしくてね』
ここで、イザベラの話は少し、その様相を変えていく。
『この実直な男が嘘の報告をするとは考えにくいって、アーノルド様が直々に裁定されて、おまけに、作戦に動員された兵たち全員への聴取を命じたんだってさ』
「全員? 8000人以上いたんじゃなかった?」
聴き取りだけでもかなりの時間を要するはずだが、それを数日以内に報告するよう、皇子は冷然と言い放ったという。
『それはそれは怖ぁいお顔で厳命されたそうだよ。ひとりの聴取漏れもなく、一切の忖度も捏造もなく、事実のみを集め再報告せよってね。そしたら、泥の化け物やら、銃で死なない奴隷の戦闘部隊やら、あまりにも同じことを言う兵士がいっぱい出てきて、どうやらこれは本当らしいって、軍上層部も認めざるを得なくなっちゃったってさ』
それでも懐疑的な目で見てる人間はいっぱいいたそうだけど、トップにして皇族であるアーノルド皇子がこの報告を正式に受理したことで、異議を唱えることはできなくなったのだそう。
『……ってことなんだけど、どう思う?』
「なんだか、俺まで釈然としないなあ」
責任の所在がひっくり返ったってところは、皇族の意向が働いたって理由があるからまだわかる。
けど、その前。
いくら責任を取らせる生贄が必要だからって、〝泥の怪物〟という報告を嘘だと断じたってところが、俺にはどうにも腑に落ちない。
(そりゃあ、にわかに信じられないって言い分は、ある意味正当性がある。それに、〝奴隷の軍勢〟のロジックで、聖教国をもともと疑いにくいって事情もあっただろう。けど……)
加えて、教皇様の公式回答があったがために、そういう恣意的判断を強いられたっていう可能性だって考えられる。
ついでに言うなら、俺たちとしても願ったりの状況であるのだ……が。
(でも、帝国軍だって、聖遺物を兵器としてあの場に持ち込んでいたんだ。なのに……)
自国が使う強力な兵器は、いずれは敵国も使ってくる。
そういう認識と危機感が、一国の軍事組織には絶対的に不可欠なのだ。
だから、新兵器の完成というのは、その兵器への対抗手段の開発開始の合図であるか、もしくは対抗手段の同時完成でなければならない。
少なくとも、俺は従軍予備学校で、そういうふうに教わった。
『ま、上層部と現場の認識ってのは、噛み合わないのが世の常なんだろうけどね』
イザベラは、やけにふわっとした総括で、今の話をまとめてしまった。
彼女が本当にしたい話は、この先だったのだ。
『なんでも、アーノルド様はご自身が主導で、軍の改革に乗り出してるって噂があってね』
「改革? 帝国軍の?」
『これは、まだ表に出てない話なんだけど……ていうか、あたしも最近まで知らなかったんだけど、うちの商会にも数ヶ月前から、明らかに軍事目的らしき新規物品の注文が、国から多数入ってるんだよ』
数ヶ月前からってことは、今回の戦闘で損耗した装備の補填じゃない。
それも、帝国きっての大商会であるフレッチャー商会への注文ってことは、かなり大規模な取引であるに違いない。
「注文の内訳って、わかる?」
『残念ながら、だよ。国への納品の仕切りは全部、ガーネットがやってるからね』
「ああ、妹さんが」
小さくギチリと歯ぎしりの音。
飄々とした口ぶりだけど、本当はかなり悔しいのだろう。
『まあ、今のは話が逸れたけどさ。外交面や国際情勢に関しては、ヴィリンテルが何て言うのか次第だね。いずれは近隣各国向けに、公式の見解とかを出すんだろうし――』
「あ、そっちの情報は届いてないんだ」
『おや、何か知ってるのかい?』
「うん。難民の件についても、教皇様から非公式ながら声明が発表されてるんだ。まだ、ヴィリンテルの国内向けで、それも上位の聖教者だけに宛てられたものだけど――」
聖教国の中では、まだ噂でしかなかったジラトーム難民の不正入国。
これに、ラクドレリス帝国から正式な問い合わせがあったことで、ヴィリンテル国内の枢機卿が一同に介する臨時の評議会が設けられた。
その席で、教皇様はこんなことを言ったという。
***
「不法入国者の存在について、我々ヴィリンテル聖教国は遺憾ながら感知しておらず、苦難の民を保護した事実も残念ながらありませんでした。もしも、それらの人々が本当に存在し、また、この一件に神のご意思が働いていたとするならば、何らかの手立てで民をお救いになったと同時に、愚鈍にして力不足な我々への警告でもあったのではないでしょうか」
更には、こんな言及まで。
「この機会に今一度、メレアリアス神話を新たな視点で読み解いてみる必要があるかもしれません。神の御心が泥や木の枝の塊として地上に顕現されたと解釈できる箇所がないか、皆で探してみましょう」
***
『へえ。あんたらの兵器に対するフォローまで組み込んでるじゃないか』
「どっちかっていうと、帝国に対する皮肉と牽制かもしれないけどね」
『そう聞こえる、ってところが秀逸だよ。やるもんだねえ、教皇サマも』
この声明は、あくまで内部に向けたもの。
とは言え、そこそこの数の人間が聞いている。
人の口に戸は立てられない以上、間違いなくラクドレリス帝国も嗅ぎつけているだろう。
「この教皇様の発言を軸に、聖教国としての公式見解と、聖教会としての公式解釈を近々発表するんだってさ」
『……ちょいとあんた。聖教国の内部事情に詳しすぎやしないかい? いったい中で何して来たのさ?』
得られた情報の質と量に、イザベラは露骨に怪訝な声。
まあ、これは文句っていうより、褒め言葉かな。
「一部の人とは協力関係を築いてきたよ。今後も難民を受け入れていくことになってる。各地にまだまだいるんだってさ」
『そうだろうね。帝国軍が押し入ったっていうジラトーム国の西端部は、辺境の高原地帯にしては集落数が多いみたいだよ』
そう。ジラトーム国を脱した難民は、今回受け入れた人たちだけじゃない。
各国各地の教会などで、今なお匿われている困窮者を、この街まで護送しなくてはならないのだ。
となれば、それを主導するシスター・アイシャさんをはじめ、他にも聖教会の人々の協力が、どうあっても必要になってくる。
『そこで教皇様のお力を……ってことかい?』
「いや、そこまでは。聖教会だって、正体不明の組織に対して、表立ってのバックアップはできないし」
『その割には、信用はしっかり勝ち取ってきたってふうに聞こえるねえ』
鋭いイザベラ。さすがは商人。
「そこはほら、実際に難民を受け入れてるって実績があるから」
信用どころか、まさかのじいちゃんの戦友だったっていうね。
言わないけどさ。
『ま、あんたたちが教皇様と仲良くやれてるんなら、あたしは言うことなしだよ。ヴィリンテルやゾグバルグでの商売に横槍を入れられる心配がなくなるからね』
前半は特に肯定せず、後半部分を「順調なの?」と聞いてみたら、『あたりまえさ』と、これまた強気な答えが返ってきた。
『なんと言っても、ブラックウッド派との繋がりができたのは大きいね』
俺たちが偽名でお世話になった、ブラックウッド枢機卿。
なんでも数日前、聖教会の帝国支部の人間を通して、こっそりイザベラにコンタクトがあったという。
用件は、ジューダスが贈った純金彫刻。
あれを購入できないか、という打診だったそうである。
『まったく、たいした強欲ぶりだよ。寄贈したのが偽貴族だって判明したってのにね』
「あー、そのことだけど」
『ん? なんかあったのかい?』
「なんかそれ、明るみにはしなかったらしいよ」
『……は?』




