27_01_まつろわぬ黒骸
<3年前>
<ゾグバルグ連邦共和国内 アーメライ地区の外れ、ドルーム教会>
「ふむ。少し時間がかかったかな」
黒く静かな深い夜。
古めかしい小さな教会の、薄暗い地下礼拝堂。
小さな蝋燭の火だけが灯った広い密閉空間に、男は、その暗さよりも遥かに濃い黒色を体に張り付け、悠然と立っていた。
長身で、純黒の円錐型兜で顔と頭を覆い、純黒の騎士甲冑を纏った男は、椅子や壁板の破片とともに床に倒れる4人の老人を、涼しげに見下ろしていた。
「存外に暴れてくれたものだね、神父諸君。老いてなお矍鑠……などという柄でもあるまいに」
爽やかな口調とは裏腹に、彼の風采は悪魔か死神を思わせるものだった。
全身の黒色具合もさることながら、頭に被る黒兜は、面当ての目穴の周囲がふたつ大きく窪んでいて、さながらに暗黒の髑髏を想起させる。
その暗黒の死神が視線を送る老人たち――皆、メレアリア聖教会の神父の身なりである――は、顔や体に、いくらかの生傷を負っていた。
「さて、念の為に確認しておこう。あなたたちがこの教会に赴任している4人の聖職者で間違いないのだね? アイヴス神父、チェンバース神父、ドゥーリフ神父、カウフマン神父」
あえて全員の名を呼び上げた黒骸の男は、口の端を小さく上げて、ふっ、と笑った。
「やはり全員、かなりのお歳を召されている。無論、この地下礼拝堂ほどではないにせよ、ね」
男は、わざとらしい大げさな所作で、数多の時を刻んだ礼拝堂を見渡してから、神父たちへと視線を戻す。
「加えて、信仰心もかなりのものだ。実績がそれを物語っている。私が聞き及んでいる限りでも、あなたがたの齢を考えたならば、司教に昇格していなければ実に不自然であるほどに」
ここで、横たわる神父のひとりが体をよじり、震えながらも声をあげた。
「き、貴様らはわかっておらん。この地下礼拝堂の歴史的価値が、どれほどの――」
「知っているさ。あなたたちと同等のところまでね。メレアリア聖教の秘儀を封じた、隠伝教会がここだろう?」
男はおもむろに、暗黒の鉄兜を脱ぎ捨てた。
露わになった頭髪は、対照に全てが真っ白で、しかして、顔貌は決して年老いていなかった。
むしろ、若々しさに溢れた凛々しい青年然たるその顔は、薄闇の礼拝堂を白々と照らすかのよう。
ただし、その白い顔立ちにおいて双眸だけは、爛々と燃える火のような赤色であった。
その顔を見た瞬間、神父たちは怯えを忘れ、はっとした表情に変わった。
「その白髪に赤い瞳……まさか……」
「そうか、貴様が、あのガウフリッデンか」
青年は、静かに不敵に微笑んだ。
「その通り。私こそがガウフリッデン。ガウフリッデン=アモンレイスだ」
途端、神父たちの老顔が怒りと軽蔑の色で染まった。
「卑しい黒骨旅団の首魁めが!」
「よくも、この聖なる場所に足を踏み入れられたものだ!」
唾棄すべきとばかりに、神父たちは神父らしからぬ悪罵痛罵の声を浴びせた。
だがそれを、ガウフリッデンと名乗った若者は、涼しい顔で受け流す。
「外せない用向きでね。あなたたち4人だけが知っている秘密を、私に教えていただきたい」
「秘密だと? 異端の分派が、聖教の秘儀なぞ知っていかにする気か!」
「下賤な悪党の末裔め! 貴様に教えることなど何も――」
「塵灰の鎧袖」
4人は絶句し、慄然と背筋を震わせた。
「このドルーム教会は、表向きには小さな地方教会であり、裏向きには地下に秘密の礼拝堂を保存している……が、その裏すらも偽装情報だ」
ガウフリッデンは再び礼拝堂を見渡しながら、床に横たわる老聖職者たちに背を向ける。
「裏向きの、更に裏。本当に守るべきもの……秘中の秘たる神秘の結晶を、人々の目に届かないようにしているのがこの教会の真の意義。規模に見合わぬ4名もの神父が派遣されているのは、君たちが〝守り人〟だからだ」
ひとりの神父が、声を上ずらせながらも叫んだ。
「わ、我々は、何も知らない!」
「ほう、そうかね?」
ガウフリッデンはくるりと振り向き、すたすたとその神父のもとへと近づいた。
次の瞬間、ザシュッと、肉の絶たれる音がした。
「ぐえっ!?」
蛙を潰したような不快な声。
次いで、ゴトリと、頭蓋が床を叩く音。
頭が首から離れ去り、首の肉の断面から、赤い血が床に広がっていく。
その血溜まりに、ガウフリッデンが握る銀色の長剣が映っていた。
「ひっ!?」
「貴様ぁ!」
「なんと……なんと、酷い……」
「ああ、すまない。3人になってしまった。これはよくない」
人を殺めるという残虐な行為を犯しながら、ガウフリッデンは一切の昂ぶりを見せず、謳うように科白を続けた。
「これはよくない。本当によくない。これでは、真実を話したところで最後には縊り殺されるかの印象を植え付けてしまう。私は確かに悪党だが、信義を貫く悪党でね」
彼はパチンと指を弾いた。
その瞬間、地下礼拝堂の扉が勢いよく開け放たれ、黒い服飾の男たちがぞろぞろと現れる。
そのうちのひとりに、ガウフリッデンは問いかけた。
顔の右目周りに大きな火傷の痕がある、赤毛頭の男だった。
「デンゼル、地上階はどうなっている?」
呼ばれた赤毛の男は、やけに低音のくぐもった声で答えた。
「問題なく制圧した。シスターたちは逃げ出せないし、外部にも気づかれていない。お前の方こそ、首尾は順調なのか? ガウフ」
「ああ、もちろん」
ガウフリッデンが視線を動かし、黒い男たちもつられるように、横たわる神父の死体と、そこに溜まった真新しい血を冷淡に見流した。
「なるほどな。確かに順調であるようだ」
「だろう?」
一様に黒い装束を着ている男たちには、その実、統一性がほとんどなかった。
髪色も背丈も、瞳の色も違っている。
皆、異なる民族なのだ。
その差を補正するかのように、彼らは総じて、頭に黒い鉄兜を被っていた。
黒い黒い、暗黒の髑髏に見紛う黒兜を。
「さて、話を戻しておこうか、神父諸君。君たちのみが知る聖遺物、塵灰の鎧袖だが――」
「あ、あんなものを、どうするつもりだ!?」
恐怖に抗い絶叫する守り人たちを、黒い髑髏たちが取り囲む。
逸る彼らを制するように、ガウフリッデンは半ばほくそ笑みながら、高らかに宣言した。
「ようやく到達できるのだよ。我々黒骨旅団の悲願……いや、黒骨の聖騎兵団の宿願、至る道へと」
「ふ、不可能だ! 塵灰の鎧袖だけでは、〝6つの難題〟を踏破するには及ばない! 嘘ではない!」
「その通りだ。が、5つ目の難題の解決は図れよう」
守り人たちの顔が、蒼白に変わった。
「言ったはず、私は知っているのだと。あなたたちと同等のところまで……とね」
ガウフリッデンは剣についた血を布で拭き取ると、黒い男たちに指示を出し、生きている3人の神父を強引に立ち上がらせた。
痛みで呻き、ふらふらと直立するのも困難な神父たちに、彼はこう宣告した。
「さて、明日の朝、私は君たちを処刑する。それまでは、3人ばらばらに監禁させてもらおう」
この教会は個室が多くて助かるよ、という白々しい礼が、恐怖と絶望に怯える神父たちへと贈られる。
「助かるのはひとりだけだ。私たちに、より協力した1名だけを、私たちの同志と認めて迎え入れよう」
「み、耳を貸すな! 異端の黒骨旅団に与することなど、あってはならない!」
「ああ、そうだとも。仲間にはうんと釘を差しておけ。そうすれば、最初に裏切る君が助かる」
3人は言葉を失い、白髪の死神を睨むことすらできなくなった。
「処刑時刻は明日の夜明けだ。いや、もう今日か? まあいい。それまで君たち3人を別々の部屋に閉じ込めておくが、最初の5分間だけ人をつけておく。そのあとは1時間後まで独りになり、それからまた、5分だけ人がやってくる。それをもう3回繰り返す」
言いながら、ガウフリッデンは拭いたばかりの剣を逆手に持ち替え、振り上げた。
そして。
「わかるだろう? 生き残るチャンスは4回。最初の1回目が――」
銀色の刃が閃いて、首のない神父の死体にグチャリと突き刺さった。
「ひっ!?」
「――この後すぐだ」
小さい悲鳴をあげた神父を一瞥してから、ガウフリッデンは剣を鞘に戻した。
流れる血が、歴史ある礼拝堂に赤い色を加えていく。
「話したいことは、遠慮せずに話すといい。そうすれば外に出られる。最も有益な情報を与えてくれる者に、最大の賛辞と祝福を」
・
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「ああ、これだ……これこそ私が、父たちが求めた、世界を開くための鍵……」
探していたものは見つかった。
黒い鉄兜の内側で、ガウフリッデンは滂沱と涙を流していた。
「これが……これがあれば、私は……この世界は……革新される……」
この涙は歓喜であり、悲哀であり、憤怒でもあった。
彼のこれまでの生涯すべての苦難苦心が激情化したと言ってよかった。
あらゆる感情が綯い交ぜとなって押し寄せて、彼は体ごと打ち震えた。
が、長くそうしていることはできなかった。
「ガウフ、浸るのはそこまでにしておけ。準備ができた」
「ああ、済まないね、デンゼル。汚れ仕事ばかりを任せて」
「構わんさ。そう遠くない未来で注がれる汚名だ。そうなのだろう? ガウフリッデン=アモンレイス団長?」
ガウフリッデンは鉄兜を脱ぎ去り、静謐な笑顔を部下に授けた。
「もちろんだよ、デンゼル。亡き父と、祖父と、数多くの先祖たちに誓って」
「ならばいい。期待を裏切るなよ、ガウフ。さて、最後の汚れ仕事だ」
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「炎は燃えよ、燃えるべくして。不都合な真実が、隠されるべくあったように」
朝。
まだ陽の登りきらない薄明の空を、赤い猛火と黒い煙が塗りつぶした。
歴史あるドルーム教会は、隠し続けた秘儀を失い、塵と灰へと姿を変えた。
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<2日後>
<ヴィリンテル聖教国 コロルゼア小宮殿>
「公務中に失礼いたします! 教皇様!」
メレアリア聖教の総本山、ヴィリンテル聖教国。
その中枢たるコロルゼア小宮殿の教皇執務室の机で公務に当たっていたクリストフ=デュレンダール教皇のもとに、ひとりの教皇府職員が駆け込んできた。
「ゾグバルグより緊急伝令用の伝書鳩が舞い降りました! 昨日未明、アーメライ地区のドルーム教会が炎上、地下礼拝堂も含め全焼したとの報せです!」
「アーメライの、ドルーム教会……!」
焦る職員は、しかし、事態が火急であることを、わかる人間には伝わる言い方で端的に叫んだ。
当然に、デュレンダール教皇はすべてを察し、立ち上がる。
「詳細は?」
「報告では、赴任していた4名の神父ならびに、12名のシスター全員が……その……焼死体で発見されたとのこと。放火と失火が共に疑われる状況、ということまでしか、まだ……」
教皇の深い瞳に、陰りが生まれた。
伝書鳩は、現時点で判り得た限りを送った第一報。
この後、数日、数十日と時間を置けば、第二報、第三報と、徐々に確実なことが判明してくるだろう。
しかし、その数日をただ座して待つことは、彼らにとって得策でない。
クリストフ=デュレンダールの決断は早かった。
「……今すぐに、聖戦省のオリバーン長官と、ドライデン騎士長を呼んでください」
「では、神兵に……いえ、聖骸部隊に調査を?」
「大至急、あれの所在確認を行わなければなりません。表向きの派遣理由は、教皇府で用意しましょう」
教皇は机上に置かれた羽根ペンを取ると、引き出しから小さな紙片を取り出して、自分の名前だけをそこに記した。
「かしこまりました。内密に彼らを招集します」
職員は紙片を受け取り、素早く一礼すると、すぐさまに教皇執務室を後にし、駆け足で聖戦庁へと向かっていった。
見送ったデュレンダール教皇は、祈るように目を閉じると、深く沈思した。
「もしも、もしもこれが、恐れていた事態の引き鉄であるとしたら……」
負の思索を巡らせるうちに、やがて彼は、まぶたの裏側に、ある人物の顔を思い浮かばせた。
つい数ヶ月前にこの世を去った、かけがえのない戦友の顔を。
「……我が友、バートよ。君ならば、来たるべき最悪のシナリオを、どう回避する?」
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同日のうちに、聖戦庁でドライデン騎士長を筆頭とした調査隊が結成され、直ちにゾグバルク連邦共和国へと派遣された。
その中には、当時すでに神殿騎士としてヴィリンテルに赴任していたテレーゼ=モーリアックの姿もあった。
だが、事件は真相の究明が為されないまま、3年もの歳月が経過した。




