26_23_撤退戦⑦/屈強なる軍隊
<Side:帝国軍部隊>
夜闇の残滓が、薄明の空に消されていく。
――おおおおおおおお!
日の出が近づく。
辺りが徐々に明るくなって、南の果て、海岸線にも、少しずつ輪郭が与えられる。
――おおおおおおおお!
「む、なんだ?」
その海岸線から、音がした。
「聞こえたか?」
「ああ、だが、何の音だ?」
帝国兵が首を傾げ、海の方角に目を凝らす。
――おおおおおおおお!
地鳴りのような、獣の唸り声のような音。
海岸線から、土煙が上がっていた。
「何事か!」
その異常を、現場の指揮官も察知した。
望遠鏡を持つ近衛の部下に、煙の正体を確認せよと指示を出す。
「あれは、なんだ……?」
「どうした! 何が見えたか報告しろ!」
近衛の部下は、顔色を失い震えていた。
「あ、ありえません。あんなもの……あんなもの……」
「ええい、貸さんか!」
要領の得ない部下を見限り、指揮官は望遠鏡を奪い取った。
覗いたレンズの先に、映っていたものは――
「ば、かな……」
明けゆく空。
舞い上がる砂塵。
薄れゆく闇のヴェールを切り裂いて、その一団は現れた。
「おおおおおおおお!」
屈強な肉体の、そして、褐色の肌の男たちが、この戦場へと迫ってくる。
その正体は、見破るまでもなかった。
「西の大陸の……奴隷……」
男たちは例外なく、見慣れぬ意匠の装束を纏い、例外なく、猛った大声を空に発し、そして、ひとりの例外もなく、手に曲剣を有していた。
「馬鹿な! 奴隷を武装させ、軍隊として組織しただと!?」
指揮官は理解できなかった。
敵はすべてが、西の大陸の民族で構成されていた。
隊を率いる指揮者でさえ、奴隷なのだ。
「蛮族どもを一掃しろ!」
指揮官は直ちに部下に命令を与え、兵たちも速やかに銃を取った。
「構え!」
号令に従い兵たちは、迫る敵へと狙いを定め、
「撃てぇ!」
一斉に引き金を絞りきった。
だが。
「そんな!? なぜ死なない!?」
「確かに体に直撃したはずだ!」
奴隷の兵団は止まらない。
胸を撃たれど、腹を撃たれど、痛がる素振りすら見せない。
銃弾を弾く硬質な鎧を、服の下に着込んでいるに違いない。
「馬鹿な……」
かなりの重量になるはずだが、屈強な西の蛮族ならば、着用して走り戦うことも可能なのだろう。
そこはいかんとも腑に落ちる。
だが、
「馬鹿な、ありえん、ありえるはずがない……」
そんな優秀な防具を、それほどに強力な武装を、奴隷に渡してしまう馬鹿がどこにいる!
「ひ、怯むな! 頭だ、頭を狙え!」
だが、再装填をする間はなかった。
初弾が通じず、距離を詰められた彼の部下は、曲剣でバサリバサリと斬り裂かれていく。
鮮血が飛沫のように舞い散って、地面には味方の兵士の無惨な死体が、あれよあれよと増え転がる。
あまりに圧倒的な光景に、帝国兵たちは完全に打ちひしがれた。
「お、のれ……」
指揮官は、しかし、この光景を努めて理知的に分析しようと歯を食いしばる。
(確かに奴隷は膂力が強い。だが、強制的に連行され、虐げられてきた者どもに武器を与えるなど、反乱を起こしてくれと言うようなもの……)
自身の安全を顧みぬ愚者か?
いや、それこそありえない。
敵はここまで、徹底した隠密行動によって誰一人として拘束させず、顔を見られることすらなく、ここまで逃げ遂せてきたのだ。
まさに、狡猾な狐のような連中だ。
「ならば、いったい何だ? 奴隷に武器を渡しても反逆されぬ方法……身の安全が保証される手段……金ではない。食い物でもない。西の大陸の蛮族どもは、施しを受けての生より誇りを貫く死を選ぶ。そういう獣のような精神性を有する輩だ。そんな相手に与える物、与えるべき物とは――」
彼は、ひとつの可能性にたどり着いた。
「――安住の地か」
武器どころか、完全な自由を奴隷に与えることで、見返りに力を振るわせる。
「だが、これだけでは……他にも何か、何かカラクリがあるはずだ……」
奴隷の軍隊化は、奴隷制度を認める国には不可能なのだ。
奴隷というシステムを是とする国の人間に、蛮族どもは決して従わない。
なにより、一流の軍人の勘が、戦場を生き延びてきた経験則が、そんな単純な話ではないと叫んでいる――
「隊長! 〝四ツ足〟が方向転換! まっすぐ崖へと向かっていきます! 減速しません!」
「なんだと!?」
彼の思考は中断された。
望遠鏡を構えた兵士が指し示す先を、彼も見た。
この混乱に乗じたのか、〝四ツ足〟の化け物は、一直線へと海岸線に向かい走っていく。
そして、多くの兵士が見ている前で、崖を飛び越え海へと跳んだ。
愕然とする指揮官の前で、化け物は地平の下へと消えていき、一瞬の静寂の後、水飛沫が大きく上がった。
「馬鹿な……そんな馬鹿な話があるものか……」
消息不明となった標的。
撃っても死なない蛮族の軍団。
任務の達成はもはや困難。
ならば、部隊の生存を選択するより他にない。
「総員! 退避だ! 撤退しろ!」
「引け! 引けぇ!」
歯ぎしりしながら、彼は愛馬に踵を返させ、混沌の戦場を後にする。
敗戦の将に課された最後の責務を、確かに果さんがために。
「伝えなければ、この異常な事態を、なんとしてでも本国に――」
死に物狂いで撤退していく帝国軍の大部隊。
怨敵に一矢を報いた屈強なイダーファの戦士たちは、勝鬨の声を高らかに上げた。




