26_19_撤退戦③/後詰めの智将
岩と土砂でできた津波が、小さな谷を呑み込んでいく。
ガラガラという轟音に、地震のような大きな振動。
砂煙がぶわっと広範に舞って、辺り一帯に濃霧のように立ち篭めた。
そして、足場を奪われた〝狼〟も、崩落する岩々の中に消えていった。
「あんなことまでできたんだ、ネルザリウスって……」
「谷がなくなってしまいました……」
背後の衝撃の光景に、膝の上のファフリーヤもびっくりしている。
さっきまでも樹とか岩とかを吹っ飛ばしてたけど、今のは地形まで変えるほど強烈な、もはや大災害レベルの威力の攻撃だった。
『威力っていうか、攻撃を地中の〝歪み〟に集中できるからよ。だから、どっちかといえば、それを探れるクレアヴォイアンスの功績かしらね』
クレアヴォイアンスの発するBF波、その最大の特徴。障害物の高透過率。
この高性能レーダーにかかれば、地形構造だけではなく、地層を構成する土砂岩石の種類や分布、風化度合いから湿度、保水量まで、かなりの情報を得ることができる。
そして、これらの情報をもとに、地中の応力集中箇所や、その応力の大きさ、方向などを算出することも可能だという。
『要するに、力の歪みが生じている場所を割り出すの。この峡谷の複雑な地形なら、応力ベクトルが変な具合に掛かり合ってるところが山程見つかる。あとはネルザリウスを、適切な箇所に適切な出力で、ほぼ同時に叩き込んであげるだけ』
それだけで、大規模な土砂災害の出来上がり。
「怖っ!」
粉々の土砂に埋まった〝狼〟2匹は、地上に出てくる気配を見せない。
あの岩の津波にライトクユーサーまで捕まっていたら、今頃は俺たちも……
『巻き込まれないよう、ちゃんと計算してたわよ。ネオンが』
「SRBSシミュレーターの演算性能にかかれば、敵兵器のみを巻き込むことなど造作もありません」
しれっと言ってのけるネオンとシルヴィ。
ともあれ、これであの2体は、こちらを追ってこれなくなった。
***
<Side:ラムンテーダ>
「あらら。仕留め損なってんじゃん」
「しょーもな。先走ろうとすっからだろ」
崩落した小谷に、4体の〝狼〟たちが集結した。
第2陣の、ナオンザーグとメラクリオーザ。、それに、第3陣のバラゼルンドとカミィララン。
4隊は、岩と土砂に埋め尽くされた、谷だった場所を見下ろした。
この下に、第1陣が生き埋めになっている。
「これ、まさか俺らが掘り返すのか?」
「日が暮れちまうな。昇ってもいねえうちから」
味方の多くが第1陣の失態をなじる中、バラゼルンドの操縦者、ブラッド=ウェルズリーは、冷静にこの状況を分析していた。
(これだけの大規模破壊……崖に爆薬が仕込まれていたのか? 追い詰めたつもりのデリックたちは、逆に誘導されていた?)
しかし、それもおかしいと、ブラッドは考え直す。
こんな大掛かりな罠は、それに見合った大掛かりな工事が必要だ。
人員も資材も、相応の量が運び込まれていなければおかしい。
だが、この大峡谷地帯に、大量の資材を運搬することなどできようか?
よしんばできるとて、樹海の内外には帝国軍の大部隊が哨戒していた。
樹海に入り込む集団がいたなら、どこかで未然に発見したはず。
それこそ、煙のように消えたり現れたりできない限りは。
(神の奇跡……敵も聖遺物兵器を罠に? いや、今はそれより、この下だ)
彼はひとまず思考をリセットし、心沌識閾領式に接続した。
『4番隊、応答しろ。生存者は何人いる?』
『アホ言うんじゃねえ。全員生存に決まってんだろ』
デリックのイライラとした声が、白い世界の中に響いた。
ラムンテーダの展開する防御障壁が、重く被さる岩々を食い止め、彼らの生命を守っていた。
『トーケールも全員無事だよ。いやあ、派手なことをするもんだねえ』
ピートの部隊も死傷者はない。
『脱出は? 自力で土砂から這い出せるか?』
『ラムンテーダは無理だ。でけえ岩が真上にあって、潰されねえので手一杯だ』
『トーケールはいけそうだね。そう深い場所じゃないし、加重もそんなにかかってないから』
息が続くうちには出られるよ、とピート。
搭乗者の安全を保護する力場によって、どういう理屈か、酸素の消費も抑制されている。
『ただ、脚部にちょっと不具合が出てしまったかな。左前脚の可動がうまくいかなくなった。脱出にはそんなに時間はかからないと思うけど』
『戦闘継続は困難か』
この結末は、ブラッドにも想定外だった。
足止めに残った獲物はわずか1体。
ラムンテーダとトーケールが早々に仕留め、後続は残りの獲物に追い付き、追い詰める……そんな一方的な狩りが展開されるはずだった。
『まさか、後詰の出番があるとはな』
思案に数秒を割いてから、彼はこの後取るべき方針を決定した。
『トーケールは脱出次第、ラムンテーダの救助に当たれ。あの敵は、俺たちバラゼルンド以下4隊が追う』
冷静に見えるブラッドの目に、怒りの炎が燃え滾る。
『油断はしない。相手が手負いであろうとも』
『コノヤロ、まるで俺らが油断してやられたみてえじゃねえか』
事実だろう、とは、彼は言わなかった。
『ラムンテーダはこのまま心沌識閾領式のホストになっていろ。全員に戦況を共有し、バックアップに回れ』
***
<Side:リーンベル教会?>
『こ、れは――』
ジーランは、不可解な世界の中にいた。
『どこだここは? 一瞬前まで、リーンベル教会にいたはずだが』
世界は一面に白かった。
上下左右の別もなく、すべてが純白に染まっている。
自分の声が妙に響き、地に足がついているのかも定かでなく……いや、そもそも、地面と呼ぶものがここにはないようだ。
『まさか、翠蓋の核珠が見せているのか? しかし、これまでこんな現象は――』
『接続不備を解消しました。ラゴセドの匣の呼び声を、これであなたも聞き取れます』
突然の声に、ジーランは振り返った。
背後に立って……いや、浮かんでいたのは、金髪の髪を揺らした、可憐な少女。
『聖、女……だと?』
リーンベルにいたはずの、セラサリスの姿がそこにあった。
『馬鹿な、翠蓋の核珠を共使用した、だと?』
『否定します。あなたの胸に埋め込まれたデバイスは、他者にアクセスするための心の鍵』
『っ!? 貴様、言葉をしゃべれたのか――』
言ってから、しかし、ジーランはその考えを自ら否定した。
この現象の本質を、彼も感覚的に理解しつつあった。
『……そうか、やはりここは、現実の世界ではないのだな』
セラサリスは、穏やかに微笑んだ。
『心沌識閾領式。ラゴセドの匣が形成する無秩序型精神空間にして、〝反転させたアカシック・レコード〟。そして、〝月〟から送信される【リュクセム】の集積地』
『月……リュクセムだと……』
『あなた方が〝翠蓋の核珠〟と呼ぶデバイスは、この空間に接続するための認証端末にもなっています』
セラサリスは白い手を、つと、ジーランの胸に。
現実ではそこに埋まっているはずの聖遺物は、この空間ではなくなっていた。
『ここであれば、あなたに伝えられます。ラゴセドの匣のアクセス・コードを』
『なんだと? 貴様、何を言って――』
『■■■■■■、■■■■、■■■■■■■■』
何も無いはずのジーランの胸に、翡翠色の光が現れ、
『ぬっ? これは!? ぐ、うおおおおおおお!?』
・
・
・
***
<Side:ライトクユーサー1号車>
「あいつら、追ってこないな」
小谷を抜けた1号車は、しばらく走って、開けた岩場のエリアに入った。
岩崖の壁はいつしか右側だけになり、その上から、幾筋もの滝が降ってきていて、足場の岩は水びたし。
というより、水が足場の岩の下を、渓流となって流れているのだ。
渓流は、左側の降り斜面に向かって流れていて、しばらく先で再び滝となり、遥か下まで落ちていた。
「岩場に見えるけど、川のど真ん中なのか」
『こんな地形で追いつかれたくはないわね。まだアレイウォスプも飛ばしきれてないってのに』
「あれほどの崖崩れです。生き埋めのまま、命を落としたのではないでしょうか?」
テレーゼさんが現実的に、搭乗者の死を推測する。
だけど俺には、そう簡単に、あの連中が戦死するとは思えなかった。
『生き埋めっていうか、ホントは大岩を直撃させてあげるつもりだったんだけど、全部外れたわ。運のいいヤツらね』
シルヴィも、やはり生存を疑っているようだ。
ただ、実際〝運〟ではあったのだろう。
「メリッサに勘づかれたんだと思う。やばい時ほど直感が当たる奴なんだ。で、身構える時間が僅かとはいえできたことで、崩落直後にデリックが、瞬時に被害の少ないポイントを計算できた……ってとこかな」
今度は俺の推測を、テレーゼさんが信じられない番だった。
「あれを、個々人の能力によって回避したと言うのですか?」
「そう。ラッドがやってた狙撃と一緒だよ。常人を遥かに凌駕する、尖った才能を持ってるのがあの連中なんだ」
そのせいか、同期の奴らは全員が全員、ずいぶんと他人を見下す節があったように思う。
「それに、才能が無いのとは違うけど、尖ってないのに怖い奴ってのも――」
俺の言葉は、SePシステムの警告音にかき消された。
『また来たわ! 新手が1体、高速で1号車を追ってきてる!』
表示されたカメラ映像に、単騎駆けする〝狼〟の姿。
濡れた岩の足場の上を、水飛沫を跳ね疾走してくる。
『さっき埋めてやったのとは別の機体よ。搭乗者の顔ぶれが変わったわ』
この〝狼〟にも、やはり4人の帝国兵が乗っている。
そのうちの1人、先頭に乗る人間の顔に、俺の目は釘付けになった。
「……ブラッド=ウェルズリー」
低い声を出した俺に、ファフリーヤが反応した。
「お父様、その人が危険なのですか?」
「ああ。俺の同期の中で、最も優秀な成績を収めた男だ」
あの従軍予備学校を、首席で卒業した男。
最後の最後に切り捨てられた俺とは、まさに対極と呼べる存在。
「ベイル殿。あの兵士は、どのような特殊な技能を?」
ブラッドの技能、いや、才能は――
「あいつは、特殊ってほどの尖った才能を持ってなかった。ラッドのような索敵能力もなければ、メリッサみたいに直感に優れてるわけでもない。それでも――」
もちろん首席だけあって、技能のひとつひとつが高水準だ。
だけど、他の奴らの天賦の才覚とは、どうしても見劣りしてしまう。
それでも、一番怖いのはあの男だ。
「――同期生の中で、戦場全体を支配できたのは、ブラッドだけだった」
「戦場を、支配……」
いわばブラッド=ウェルズリーは、弱点のないオールラウンダー。
他の連中のように、一点特化した才能、高すぎるレベルの戦技を有するのではない。
しかし、部隊戦闘におけるあらゆる戦術を、万遍なく高いレベルで理解している。
このことが、戦場を戦略的に俯瞰する際、特別な意味を帯びてくる。
「戦術理解は戦場の理解。ブラッドは、それを体現した指揮官タイプの軍人だ」
指揮官にだって、強さはもちろん必要だ。
だが、強すぎることまで必須かと言えば、そうではない。
自分でなくとも、〝強すぎる味方〟の力によって戦況の要所を穿てばいい。
自軍にとっては効果的に、敵軍にとっては驚異的に、特化戦力を活用し戦場を蹂躙する。
味方を手足のように動かすのではなく、戦場があの男の手足なのだ。
『その割には、やけに無理して攻めてくるわね。1匹じゃこちらを仕留めきれないって、わかってるはずよ』
実際、デリックたちは〝狼〟2匹がかりでも、ライトクユーサーに有効なダメージを与えられなかった。
奥の手を出し切っていない可能性はある。
しかし、それはこっちもおんなじだ。
ブラッドだって、当然これを承知のはず。
なのに単機で追ってきた。
この事実に、背筋に寒いものが走った。
「何かの策を、すでに講じているんだ」
が、それを見極める余裕はない。
「シルヴィ様! 銃口がこちらを!」
ブラッドの後ろで、同乗者――サイラスが銃を構えている。
あの男も、優れた狙撃の腕の持ち主。
つまり、使うのはあの銃弾だ。
『同じ手ばかりってのは、嫌だけど――』
〝狼〟の周囲の岩が爆散した。
シルヴィがネルザリウスを連射したのだ。
岩を破壊し、崖肌を爆砕し、破片を〝狼〟に当てていく。
だが、翡翠色に輝く防御障壁が本体を守護し、進路も変えずに防がれた。
『ま、そうくるわよね』
すでに使った戦術は、敵も当然織り込み済み。
そして当然、シルヴィも防がれることを織り込み済みだ。
「敵兵器が加速しました。狙撃を封じられたことで、近接戦闘に切り替えるつもりです」
これもさっきの焼き直し。
大岩や崖を利用して、立体的な機動をもって〝狼〟がこちらに接近する。
爪の一撃を喰らわせようと飛びかかり、ライトクユーサーも跳躍で回避、距離を離した。
『しつっこい連中ね! 埋まった仲間は放置なわけ!?』
「〝倒れた味方は死体と思え〟って教わったよ。救助するより敵を殺せ。それこそが本当の救助になるってさ」
『あきれた詭弁だわ!』
正味のところ、詭弁に近い。
〝脅威の排除〟を優先というならまだしも、今のあいつらは、放っておけばいなくなる敵を執拗に追いかけ、味方の危険を放置している。
……いや、これがもし、詭弁にならないのだとしたら。
「それだけ重要度が高いのですね。帝国にとって、難民たちの握る聖遺物の情報は」
テレーゼさんが核心を突き、ネオンもその意見に同調した。
「真相は定かでありませんが、ともすれば、難民全員が帝国軍にとっての高価値標的である可能性もございます。その観点から結果論を申せば、彼らを先行して避難させた司令官の判断は、最適にして最良の方策だったのかもしれません」
さすがにこれは買いかぶりだと、心のなかでやや苦笑。
「それよりネオン、あいつの動き、妙じゃないか?」
ブラッドの駆る〝狼〟は、攻めては来るけどワンパターンだ。
攻撃手段を何度も切り替えていたデリックたちに比べ、いくらなんでも単調すぎる。
「わたくしにもそう見えます、お父様。追いかけて来てはいるのに、追いつくつもりがないみたいです」
ファフリーヤも、同じ違和感を抱いていた。
こちらを泳がせ、巣穴を探ろうとでもいうのか?
「あるいは、先ほどの地崩し戦術を目の当たりにし、こちらが大峡谷地帯全域に罠を張っていると考えたのかもしれません」
迂闊に攻めるのは悪手だと、攻め時を見極めているってことか。
「ですがネオン殿。罠を警戒するというのであれば、反対に早期に決着を図るものでは?」
テレーゼさんから、その行動を訝しむ声。
聖骸部隊という特殊部隊の出だけあって、目の付け所がとても鋭い。
罠というのは、その設置にこそリスクを伴う。
敵地に設置する場合、常時最大限の襲撃警戒が求められ、それでも防げないケースも多い。
それならば、敵地ではなく自軍の陣地に大量に仕掛けて、敵を誘導してくるほうが、遥かに無難に済んでしまう。
つまり、標的が巣穴の奥まで逃げていくほど、罠の可能性が上がるのが戦場の理。
それに罠だけじゃなく、待ち伏せだって自陣地のほうがしやすくなる。
「追跡する側の心理としては、罠だらけの巣穴に逃げ込まれる前に、標的を迅速に仕留めておきたいと思うはずです」
なのに、それでも強襲をかけてくる気配はない。
帝国の兵士らしくない。
なにより、ブラッドの戦闘指揮らしくない。
……いや。
そもそも、指揮官タイプのブラッドが単騎駆けしてきたこと自体が、どこかおかしい。
その理由は、SePシステムの警告音によって明かされた。
「本機正面に動体反応! 敵兵器3体が、前方1キロメートル先に出現しました!」
「正面に!? 一体どうやって!?」
新たな部隊?
いや、違う!
ブラッド以外の後続の3体が、突如前方に出現したのだ。
車内はにわかに騒然となり、しかし、
『こっちの過負荷出力に似た、出力増強機能があったんでしょうね』
しかし、シルヴィは冷静に分析していた。
『スピード任せの力技よ。SePシステムのエリア外、アレイウォスプを展開しきれてなかったエリアから、とんでもない加速をかけて回り込んできたんだわ』
アレイウォスプが、正面の敵の姿を捕捉した。
モニターに映し出された3体とも、足関節から翡翠色の光の粒子を放っている。
「あれが……出力増強機能なのか?」
「その一部だと思われます。関節部を加速に耐えさせるための防御機構の働きかと」
『さあて、どう捌いてあげましょうか』
前後からの挟み撃ち。
右手には滝と高い崖、左手には深く落ち込む滝の谷。
逃げ場はない。
おまけに足場は、水の流れる岩場の難路。
シルヴィの取った選択は――
***
<Side:バラゼルンド>
鋼鉄の機狼バラゼルンドを駆るブラッドは、隠密行動を成功させた別働隊にコンタクトした。
『やるな、刻限通りだ』
『当然だ。おいしいところを逃す趣味はない』
『ウサギちゃんはまだまだ元気ね。狩り甲斐があるじゃない』
『デリックたちの汚名をそそいで、貸しを作ってやるとしようか』
ナオンザーグ、カミィララン、メラクリオーザ。
標的の進行方向に回りこんだ3体は、ある機能を発動していた。
『【神速】の出力は?』
『至って安定している。時間上限の半分ほどを消費したが、関節部の負荷は想定内。戦闘動作に支障はない』
最高のシチュエーションに持ち込めたことを確信し、智将は、詰めの一手を味方に指示する。
『よし、全隊で仕留める。高速連携戦術、パターン3F−4で行くぞ。心沌識閾領式で互いの動きを常時把握しろ』




