26_02_ルート・オプション 上
ついに開放されたサザリの門を、馬車が順々に潜り外に出た。
車体が少し揺れている。
前文明の技術で改造してあるとはいえ、トレーラーを連結したこの状態は安定性にやや欠ける。
「しばしご辛抱ください。林の中に、この馬車よりも安全な乗り物が待っていますから」
親身に声かけをするテレーゼさん。
難民たちがパニックを起こしてしまわぬよう、不安を丁寧に取り除いている。
『プロジェクション・コンシーラーを張ってるけど、移動中はやっぱり粗がでちゃうわね』
遠くからでも違和感を見抜ける状態だとシルヴィ。
夜とはいえ、5台もの馬車が走るとなれば、相応に目立ってしまう。
常時監視の目が張り付いている以上、コンシーラーでも見抜かれてしまう危険は高い。
だが、
「ネオン、監視の兵士は?」
「敵兵士の視線はこちらに一切向いていません。戦術がうまく機能しています」
帝国兵は、誰ひとりとしてこちらの馬車に気づいていない。
そんな余裕は、今の彼らから消え失せているのだ。
「古典的って、まさかあんな方法で……」
『何よ、文句でもあるの?』
ぼやいた俺の周りにブンブンと、ハチ型ドローンのアレイウォスプを飛ばすシルヴィ。
彼女が用いた古典的手法とは、まさにこのアレイウォスプ。
門を監視しているすべての敵部隊のところへコイツを差し向け、数人のおしりを針でチクリ。
そいつが悲鳴を上げたのを皮切りに、更に大量のアレイウォスプを周囲にブンブン飛び回らせた。
敵兵たちは混乱し、慌てふためき、たちまちのうちに配置地点から離れていく。
当然、監視どころではなくなった。
『一から十まで高度な技術に頼り切っちゃう必要はないのよ。その場その場で臨機応変にって、アンタも訓練で叩き込まれたでしょ?』
門を出てすぐ、ネオンが敵の配置を調べていたのは、このためでもあったそうである。
だから別に、高度な技術を使っていないわけじゃないんだけど、なんか……ねえ?
*
ともあれ、馬車は無事に、例の泉に到着した。
「シルヴィ、ライトクユーサーはどこに? 結構な数なんだろ?」
『今呼び出すわ。全部で20両よ。難民たちが驚かないよう、テレーゼはフォローをお願い』
まさかの車両数。
それを全て、この林の中に集結させている。
「こんなに大量の兵器を、一度に動員することになるなんて……」
「非常に大掛かりな作戦です。ですが、これが我々にとって最もリスクの少ない方法であることは、先に議論し尽くしたとおりです」
そう、これが現状の俺たちにとって、ベストな作戦なのだ。
このことは、日付が変わる前に、念入りに議論を行っていた。
***
「腑抜けた顔してねえで、とっとと作戦とやらを教えやがれ。もうできあがってんだろ?」
時は数時間前、6日目の夜まで遡る。
アイアトン司教の働きによって、サザリの門が開けられることになったあの時。
俺たちがこれから実行する作戦、オペレーション・ラットラインについて、ネオンから説明が為されていた。
「ラットライン?」
『色んな意味と曰くがあるけど、避難経路だと思ってくれればいいわ』
「えっと、つまり、避難民を……いや、難民たちを逃がすための最も適切なルートってこと?」
難民という言葉を使った俺のことを、一同は一瞬だけ見つめ、けれど、誰も咎めようとはしなかった。
『そうよ。善良な一般人たちを安全圏へと護送するルート。たとえネズミにしか通れないほど小さな穴でも、絶対に送り届ける作戦よ』
シルヴィはやけに嬉しげに、自信を込めてこの作戦の意味を謳う。
「『小さな穴』と言いますからには、あなた方にも、不可能な選択肢がございまして?」
アイシャさんの確認に、ネオンは静かに頷いた。
「行動が制限されているという意味において、その通りだと言わざるを得ません。ですので、まずは現状の再確認も含め、不可能な選択肢、ありえないルート・オプションから潰していきましょう」
まずは全員の理解水準を揃えるところから。
このためネオンは、いくつかの『ありえない』作戦案から提示を始めた。
*
<作戦案その1。北のローテアド王国海軍と連携して、大陸北側の海を通って難民たちを移送する>
「北って、難民をまたナギフェタ国に戻らせるってこと? 追っ手のかかってるこの状態で?」
そりゃあ、確かに有り得ない。
「来た道と同じルートは使えないでしょう。あちらにも多数の帝国兵が哨戒しているはずですから」
「おっしゃる通りですわ。特に、ジラトームやナギフェタに戻るルートはすべて封じられていると考えるべきですわよ」
「はい。ですので北方に向かうなら、北北西のローテアド王国を目指すのが妥当かと――」
「アホ抜かすな。ひとの国に災厄を持ち込むんじゃねえ」
猛反対するケヴィンさん。
対して、アイシャさんはそこそこ乗り気だった。
「実際のところ、交渉の余地はありまして? ローテアド王国側も気乗りしてくださるようでしたら、こちらも相応の対価を検討するところですわ」
おそらく彼女は、ローテアドの軍艦に期待を寄せているのだろう。
あそこの海軍の操船術は、大陸で一、二を争うほどにハイレベル。
難民たちを軍艦に乗せて、北の海からターク平原に運べないかと、アイシャさんなら即座に考えついたはず。
だが。
「無理だな。事が戦争難民の受入となりゃあ、モーパッサン提督ひとりの権限でどうこうすることは不可能だ。軍艦を貸し出すどころか、入国後に匿うことすら至難だろうよ」
海軍の協力は望めないと、きっぱり断言したケヴィンさん。
「おまけに今のローテアドは、南方からの陸路全部をベルトン王国によって封鎖されちまってる。交易道は言うに及ばず、国境沿いの山に至るまで、ベルトン軍が堡塁を築いて完全遮断してやがるぜ」
そう。
問題は、海にも陸にも存在するのだ。
まずは陸。
ローテアド王国が所在するウレフ半島。
その〝付け根〟の地域一帯を国土とする内陸の強国、ベルトン王国が、敵国ローテアドへの交通の要衝を尽く押さえている。
「だいたいよ、俺らの軍艦を使う意味がねえだろ。こいつらの潜水艦とかいう兵器……ハイネリアっつったか。あれで運んだほうが、あらゆる意味で安全だろうが」
「安全とは言い切れません。潜水艦も、乗艦の際には海上に浮上せねばなりません。加えて今現在、大陸北の海域には、帝国海軍が厳戒態勢を敷いています」
そして海。
北側の海は、今、荒れている。
少し前に俺たちが引き起こした、帝国軍艦カーク=シェイドルの座礁事故。
あれによって、周辺海域では帝国海軍による綿密な調査が行われているのだ。
その調査は、海岸線の警戒という形をとって、厳戒態勢に匹敵する帝国海軍の兵士が動員されていると、マリンベースのエルミラから連絡を受けている。
「仮にローテアドの軍港をお借りできようとも、敵国の海洋軍事拠点を帝国が見張っていないはずがありません。ハイネリアで北の海岸線に乗り付けるのは、発見のリスクがあまりに高いと言わざるを得ません」
「てめえ! そのリスクをローテアドに押し付けるんじゃねえ!」
憤慨したケヴィンさんに、ネオンは淡然と言い放つ。
「『ありえないルート』であると申し上げておいたはずです。ローテアド王国の協力が望めないことも含めて、北の海岸を経由した撤退ルートは選択不可能です」
閉口するケヴィンさん。
ともあれ、難民を北へと向かわせるのは、色んな意味で得策じゃない。
*
<作戦案その2。空路を利用した難民移送>
「海がダメなら空から、か……でもさ、もう『空路はムリ』って、議論し尽くしてきたよね?」
「これまで散々否定されてきたもんを、また再考すんのか?」
今は人々の目が空に向く宵瘴の驟雨の真っ只中。
さて、見つからない方法などあるのだろうか。
「航空輸送機をヴィリンテルまで呼び寄せて、ってのは――」
「無理だな」
「無理でしょうね」
これはもはや、論を俟たないところである。
もちろん俺も、承知のうえでの発言だ。
これを受けて、ネオンが室内に立体映像を投影する。
映し出されたのはヴィリンテル聖教国の近傍エリアの立体地形図。
以前、ヴェストファールでテクトータを空中投下した際に得ていた分析データだ。
マップ上には、おびただしい数の赤い光点が表示されている。
「この光点が、全部帝国兵なんだよね?」
『これでも一部よ。ヴェストファールで観測できた範囲以外にも、たぶんいっぱいいるでしょうから』
表示はあくまで、サーチできていたヴィリンテルの周辺地域のみ。
なのに、この人数。
「これだけの数の人間の目、全てを搔い潜り着陸させることは不可能です」
「あ、じゃあさ、音よりも速い航空兵器は?」
スピアーグレイとかフルミナスレッドとかの、極超音速で飛行する兵器。
目にも止まらない速度で飛んでくれば、空を見上げていようが……ってことにならないかな?
『視覚は誤魔化せるかもだけど、今度は聴覚でバレちゃうわ』
「スピアーグレイなどがそうですが、兵器が音速の壁を越える際、ソニックブームという轟音を伴う衝撃波が発生してしまいます」
そっか。
そういえば、ローテアド王国海軍との海上戦で……
「よぉく覚えてるぜ。うちの艦隊をいいように蹂躙してくれやがった、あの暴風だろ?」
ケヴィンさんが、顔に青筋を浮かべて言う。
あんな爆音が鳴り響いたら、帝国兵どころか、ヴィリンテルの人たちにだって一発で見つかってしまう。
『それに、衰弱がみられる難民たちじゃ、極超音速の加速度に耐えられないわ。アンタもハイネリアに乗ったとき、とんでもない加速度を体験してるでしょ」
「ああ、あれか……うん、無理だね」
極超音速の兵器も却下だ。
「それならさ、デプスフロートって言ったっけ? あの真っ黒くろな浮上装置ならどうかな。ヴェストファールは空の高いところに飛ばしておいて、難民たちを下からこっそり空に上げる」
イザベラが仕入れた物資の回収に用いている、気球兵器。
あれを使えば、テクトータを高高度上空から降下させたのと、真逆の手法を実行できる。
仮に地上から目撃されても、騒ぎが起こった頃には、難民たちはみんな空の上。
安全性だけは確保できる。
「技術的には可能です。専用装備を全員分用意すれば、搭乗者を高高度上空の環境に適応させられますし、デプスフロートも夜空に溶け込む迷彩塗装を施しておけば、すぐには見つからないかもしれません」
「うん、テクトータにもやってたよね」
「しかし懸念は、空に畏れを抱くというメレアリア聖教信徒の特性です。地表から高度上空まで上げるとなると、搭乗者がパニックを起こしかねません。あらかじめ眠らせておくのも手段では有りますが……」
「……そうか、そっちがあったか」
俺も初めてヴェストファールに乗ったときは、かなり取り乱してたっけ。
心身ともに衰弱している難民たちにあれをやるのは、かなりの無茶振りだ。
『なにより、帝国兵に見つかる危険があるのはやっぱりマズいわよ。この街の中から空に上げたら、聖教国が関与してるって言わんばかり。戦争になりかねないわ』
「リーンベル教会としても、少し困りものですわね」
アイシャさんも、別視点からこの提案の無謀さを説いた。
「先日のテクトータの降下は、多くの近隣住民に目撃されていましたわ。あの時はまだ、宵瘴の驟雨の期間に入る前であったにもかかわらず、ですわ」
正式期間に入った今、住民たちにも目撃される可能性が高い。
大きな混乱がもたらされ、〝犯人〟探しが始まるだろう。
「真っ先に疑われますのは、直近で奇跡を起こしたセラサリスさんと、彼女を保護するこの教会ですわね」
「うむ。徹底的な調査が入ることじゃろう。そうなったら、地下壕という証拠を見つけられてしまうぞい」
リーンベル教会を抑えられたら、他の国に匿っている別の難民たちの状況にも差し障る。
「証拠以前に、過激派や狂信者たちに騒がれては事です。最悪、悪魔を呼び寄せたとでも言い出して、シスター・アイシャやアイアトン司教を火炙りにでも処しかねません」
「わ、儂もなのかっ!?」
『ラットラインの再現の前に魔女狩りの再現……なんてことになったら目も当てられないわ』
かといって、ふたりを一緒に俺たちの街へと連れて行くわけにはいかない。
ヴィリンテルの外の難民たちにも、彼女らは必要とされているのだから。
「本来は迷わず空路を選択すべきです。が、今回は得策ではありません。諸々の状況に加え、現文明において唯一、対空監視が存在してしまう宵瘴の驟雨の特異性を考慮すれば」
たかが宗教行事でしかないはずの宵瘴の驟雨を、やはり対空監視と言い切るネオン。
順序立てて不可能を証明していった彼女は、最後の選択肢を提示した。
「ですので、選択は陸路。それも、聖教徒たちには見つからず、かつ、帝国軍の追跡部隊から逃げ切る完全隠密行動が求められます」




