26_01_作戦名、人道的ラットライン
静粛な深夜の礼拝堂に、パイプオルガンの音色が響く。
繊細で、夜に溶けいるような厳かなメロディ。
その音に導かれるかのように、大勢の人間たちが礼拝堂に現れた。
一様にやつれた顔つきの老若男女。
地下壕に匿われていた、102名の難民たちだ。
「皆さまをお連れいたしましたわ、セラサリスさん」
淡い月明かりに包まれながら、パイプオルガンを演奏するのはセラサリス。
難民たちは、美しい旋律を奏でる神々しい少女を前にして、陶然とつぶやいた。
「あの時と同じ音色……それでは、このお方が聖女様なのですか?」
彼らは、聖女セラサリスの存在を知っていた。
滞在5日目、聖女見たさに人々がリーンベル教会に殺到したときのこと。
あの日、セラサリスがオルガンの演奏を始め、その音は、伝声管で地下の彼らにも届けられた。
群衆の声と一緒に。
がやがやしていて内容はわからなかったものの、その喧騒の中に、唯一、『聖女様』という声がいくつも混じっていたことだけは、彼らにも聞き取れていた。
だから彼らは、藁にも縋る思いで、こんなふうに理解していた。
聖女様が、危難に喘ぐ我らを救いに来てくださったのだと。
縋りつく藁がなければ、壊れてしまう寸前とも言えた。
「その通りじゃ。先日、オルガンの音を届けた際には、訳あって『慈愛に満ちたお方』としか説明できなかったんじゃがのう」
司教が事情を説明し、その後をテレーゼさんとマルカが引き継いだ。
俺を前面に立たせて。
「そして、こちらのお方も、〝協力者〟ではありません」
「聖女セラサリス様をこの地に護送する使命を帯びた、神の御使いだったのです」
難民たちにどよめきが走る。
偽の身分を色々騙ってきたけれど、今度は神の御使いだ。
「御使い様が、これからあなた方を、安全な地域へと運んでくださります」
彼らにとっての待望の瞬間。
しかし、喜びの声はあがらない。
むしろ、不安げな表情ばかりを浮かべている。
(当然だ。外には追っ手の帝国兵、率いていくのは胡散臭い偽貴族)
いくら縋りつくための藁とはいえ、こんな、怪しさ満点の男に、さて、どうやって説得力を持たせるのか。
と、難民のひとり、小さい女の子から、こんな質問が。
「あの、聖女様は、一緒に来ていただけないのですか?」
実に絶妙なタイミング。
テレーゼさんは女の子に、優しい声音でこう諭した。
「聖女様はリーンベル教会の中から、ずっと祈っていてくださいます。このように」
女の子が両手を前に差し出すと、その中に、小さな光の像が浮かび上がった。
もちろん立体映像だ。
光は徐々に解けていき、セラサリスと同じ姿に変わっていく。
本物のセラサリスが祈りのために両手を組むと、像も全く同じポーズを取った。
リアルタイム映像なのだ。
「皆さまのために、聖女様が起こしてくださった〝奇跡〟です。聖女様は常に、皆さまを見守っていてくださります」
目を輝かせている女の子。
周りの大人たちも同様だ。
(狙い通りだ。こんなのを見せられたら、そりゃあみんなも納得する)
これで信用は勝ち取った。
と、思っていたら、
「では御使い様、彼らにお言葉を」
(……はい?)
打ち合わせになかった段取りを、しれっとネオンが入れてきた。
輝きに満ちた多くの目が、俺へと向きを変えている。
これ、間を置いたらマズイやつだ。
「こほん。私は神の意思を受け取り、聖女を無事にリーンベル教会へと送り届けました。そして今、神より新たな意思を授かっています。神の御心と、聖女様の祈り、それに私の命にかけて、あなたがたを安住の地へと護送いたします」
彼らは神にひれ伏すが如くに、セラサリスを、そして神の御使いである俺を、一斉に崇め始めた。
「我々を信じて、着いてきてくださいますね?」
「もちろんです、御使い様」
難民たちは口々に信頼の言葉を述べていく。
〝信じる〟というのは、実に便利な言葉である。
*
「皆さまこちらへ。裏に用意した馬車へと――」
マルカに先導される形で、難民たちは礼拝堂を後にする。
みな、聖女であるセラサリスと短い言葉を交わしてから、ぞろぞろと裏口から外に忍び出る。
その隙に、ちょっとだけ文句を言ってみた。
「だからさ、ネオン。ああいうのは事前に打ち合わせしてくれって……」
あの手の振りは初めてじゃないけど、俺の心臓に大ダメージなんだよう……
「難民たちの精神状態をリアルタイムで解析したうえでの、臨機応変な対処です」
必要な対応だった主張するネオン。
俺のクレームはさらりと聞き流されてしまう。
「それに、これまでの司令官の交渉経験を鑑みれば、あの程度のアドリブには当意即妙に応じてくださると信じておりました」
……うん、便利な言葉だよね、〝信じる〟って。
「ともかくじゃ、賽は高々と投げられたわい。後戻りはもうできんぞ」
自分にいい聞かせるような含みの声で、アイアトン司教が俺を見た。
「わかっています。中のことをお願いします、アイアトン司教」
「うむ。外のことは、よろしく頼んだぞい」
がっちりと握手を交わす俺とアイアトン司教。
敵は中と外、両方にいる。
俺たちが外に出た後も、ここには敵が現れるはずだ。
6日間お世話になった司教様との挨拶を済ませた俺に、テレーゼさんも言葉を添えた。
「ご安心ください。我々神兵も、この作戦のために全霊を傾けます」
敵だけじゃない。
この国には、味方だって沢山いる。
だからこそ俺たちもこの作戦、「オペレーション・ラットライン」を実行できるのだ。
『世界的宗教の総本山が用意する逃亡ルート……まさに文明を超えたラットラインね』
「もっとも、今回逃がすのはナチスの残党などではなく、国を追われた戦争難民です」
この作戦において俺たちは、ついに彼らを避難民ではなく難民と呼称する。
ヴィリンテルには存在してはならない難民。
けどそれは、あくまで各国の政治や外交の都合に過ぎない。
侵略者が目前に迫り、故郷を追われた人たちのことを、政治的理由でラベリングするなんてのは非道理だ。
「彼らを無事に、なおかつ隠密にターク平原まで護送し、バートランドシティに迎え入れるための援助ルート。極めて人道的なラットラインだと言えるでしょう」
*
難民の最後のひとりが礼拝堂から出ていった。
俺たちも彼らを追って外に向かう。
これで、このリーンベル教会ともお別れだ
「ベイルさん。避難民たちを……いえ、難民たちを、よろしくお願いいたしますわ」
アイシャさんからも、改めて、彼らのことを託される。
「ああ。まずは彼らをサザリの門に」
「はい。準備は整っています」
門からそう遠くない林の中に、すでにライトクユーサーが待機している。
前にテレーゼさんたちを送り届けた、あの泉。
あそこに、難民全員を乗せられる数の車両を用意したのだ。
「ですが、セラサリスは、このままリーンベル教会に残ってもらいます」
「ああ、わかってる。副教皇派に対抗するため、だろ?」
難民たちがサザリの門を抜けたとわかれば、副教皇派の連中が、すぐにもやってくる可能性が高い。
その対抗手段として、他派閥の枢機卿たちを味方につけられる聖女の存在が、今宵のリーンベル教会には必要だ。
「……長い夜に、なりそうだな」
「明けない夜はありませんよ、司令官」
*
『裏路地には誰もいないわ。ここから南の門までのルート上に、監視の目はひとつもないわよ」
アレイウォスプとアレイマウス、それにホルス・アイによって、監視者の不在が確認される。
「では皆様、急ぎこの馬車の荷台へ」
難民たちが乗り込むのは、初日に俺たちが乗ってきた5台の馬車。
ただし、見た目はかなり変わっていた。
目立つキンキラな装飾は外して、車体の色も黒系統の暗色に変更。
さらには荷台の後ろに、ほとんど鉄板にしか見えない極薄折りたたみ式のトレーラーを接続して、乗車人数を増やしている。
これらは、シルヴィによる指示のもと、神兵たちがセッティングしてくれた。
「見た目上は脆弱に見える簡易トレーラーですが、10トンの積載重量に耐えられます」
「スペースも広いね。荷台とあわせれば、馬車1台で30人くらいは乗れそうかな?」
「はい。我々も含めた全員を、一度に運搬可能です」
人の目を気にする俺たちにとって、迅速さは重要だ。
そのために、乗り込みについても、ある人たちがサポートしてくれている。
「少し狭いですが、さあ、この上に」
「落ちないように気をつけて。すぐに門につきますからね」
難民をトレーラーに誘導するのは、見覚えのある女性神兵たち。
俺たちの街で保護を受けていた、〝遭難組〟の6人だ。
作戦決行の知らせを受けたドライデン騎士長が、ずっと待機させていた彼女らを、満を持して動員してくれた。
お陰で、最も目撃リスクの高かった馬車への乗り込みは速やかに完了。
馬車専用道の裏路地を通って、難民と俺たちの全員を、南シェリエンテ広場へと運びきった。
「監視者は、本当に誰も潜んでなかったな」
『司教さんの功績ね。内側の敵を、きっちり撹乱してくれたわ』
そして、馬車はとうとう、南のサザリの門の前に。
そこにも、見知った人が待っていた。
「やあ、待っていたぞ。ついにこの時がやってきたな」
ドライデン騎士長だ。
彼は俺たちの前に立つなり、深々と頭を下げた。
「先日は済まなかった。協力いただいている立場でありながら、君たちの身を危険に晒した」
秘蹟殿の件だろう。
結果はともかく、彼は侵入していた俺たちのもとに、味方ではない聖職者たちを案内してきたことになる。
「副教皇派には警戒していたのだが、他の派閥の人間を差し向けるとは……考えが甘かった」
「頭を上げてください騎士長さん。あなたの立場は理解していますし、あれがまさに、逆転の一手になったわけですから」
そう、結果に目を向けるなら、あそこでセラサリスの〝奇跡〟が目撃されたから、俺たちは巡り巡って、教皇様とコンタクトすることができたのだ。
*
「開門! なるべく静かに鎖を引け!」
ドライデン騎士長から、門を開けよと指示が飛ぶ。
同時に、シルヴィが数機のドローンを宙に舞わせた。
『投影開始!』
そのドローンが、巨大な立体映像を投写する。
開きゆく門に被せるように映し出すのは、閉じられた状態のサザリの門。
『【プロジェクション・コンシーラー】よ。門そのものを偽映像で覆い尽くして、内外にサザリの門が閉じているよう見せかけるの。じっと見られちゃうと違和感あるけど……』
だから、コンシールする時間はとにかく短く、とシルヴィは言う。
「静かに、しかし急いで開門してください。時間をかけるだけ、気づかれる危険度が増していきます」
「はっ! 心得ております! 馬車が全台出国次第、すみやかに門を閉鎖いたします!」
開門作業を急がせるテレーゼさん。
近くで見れば、本物の門でないことはわかってしまう。
住人たちに気づかれてしまえば騒ぎになる。
人々が寝静まっているとはいえど、違和感を与えかねない時間は極力削らねば。
「どう? ネオン。何か見える?」
一方俺たちは、完全に開ききる前の門から出て、外の様子を確認していた。
当然、帝国軍だって、四方の門を監視しているはずなのだ。
「見渡せる範囲だけですが、監視の任を帯びていると思しき部隊が複数見られます。開門に気づいた様子はありません」
よし、いい具合だ。このまま――
「ですが、悪い知らせもございます。範囲面積あたりの兵士数……いえ、部隊数が、以前より大きく増加しています」
「……敵の数が、増えたのか」
可能性は危惧していた。
帝国軍が、難民の確保に重要な意味を見出しているならば、発見が遅れている現状、哨戒兵を増員するのは、これも当然の流れだった。
「シルヴィ、このコンシーラーで、ライトクユーサーを覆うことってできないのか?」
もしもリアルタイムで周囲の景色を映せるのなら、敵から視認可能な場所でも、バレずに通り抜けていくことが――
『できるけど、高速動体だとそれこそ違和感の塊になっちゃうわ。それに、これって結局、光を照射して像を作ってるものだから』
投影された像というのは、結局のところ光の集まり。
この門のように位置が固定されているならともかく、闇夜のなかを素早く移動するものに使うと、遠くから全景を見ている人には何かが変だと気づかれやすい。
加えて、光だからどうやっても半透明で、背後の物体を完全には遮断できない。
近寄られたり、目を凝らされても、像の後ろのライトクユーサー本体が透けて見えてしまうのだ。
それだったら、夜間迷彩だけにしたほうが効果的だと、シルヴィは言う。
『それに、見えるのは車体だけじゃないわ。車両がハイ・スピードで走行すれば、残してしまうものはかなり多い。車輪の轍、踏みつけた草木、昇ってしまう土煙……コンシールの範囲を外れた瞬間に、パッと景色が変わったら、ここでも強い違和感を生んじゃう。足跡全てを覆い尽くせない以上、これを〝天狗の隠れ蓑〟として使うのは、とんでもなくリスキーよ』
高速走行との併用は逆効果。
やっぱり、そう都合良くはいかないそうだ。
……天狗の隠れ蓑って何だろ?
「じゃあ、ここからは?」
まずは馬車で、ライトクユーサーのところまで難民を運ぶ必要がある。
「別の目隠しを用意するわ。古典的な方法よ」
算段としては、馬車をこのまま、前にテレーゼさんたちを送り届けた例の泉へと進ませる。
そこに待機させているライトクユーサーに全員を乗り替えさせ、一気に包囲を抜けていく。
だが、その前に、マルカとはここで別れることになる。
「マルカ=ディアーノ、あなたにはセラサリスの護衛として、リーンベル教会に残っていただきます」
「了解です。国内のことはお任せください」
「そして、テレーゼ=モーリアック。あなたには我々とともに、ライトクユーサーに同乗していただきます」
「承知しています。微力ながら、全身全霊で職務を全ういたします」
ふたりの騎士は、感情をこめた目で互いを見交わし、手を取り合った。
「ご武運を、騎士テレーゼ」
「騎士マルカ。あなたも」




