25_04_6日目④/証明された神々 下
言葉が、うまく出てこなかった。
ネオンとシルヴィさえも、唖然となってジーランを見つめることしかできないでいた。
ジーランは、前文明の存在を知っていた……?
「どうして……いえ、どうやって……」
「いずれ現れると、記されていたのだからな」
記されていた?
いったい何に?
メレアリアス神話?
いや、知る限り、神話にはそんな記述も解釈も……
だとしたら、聖遺物……?
いや、これは――
「未解読の失われた神話……あなたは読み解けたというのですか?」
「神の奇蹟、とでも述べておこうか」
動揺を隠せなくなった俺に対し、「ずいぶんと意地の悪い奇蹟だったがな」と、ジーランは吐き捨てるように言い放った。
「これほどの傲慢が世にあろうか。自分らで滅びの種を蒔きながら、芽を摘むことを軽々に放棄し、実ってしまった悪夢の果実が腐り果てるまで眠りにつき、あまつさえ、別の人間が苦労して耕し直した畑を強奪しようというのだからな」
前文明の人間たちをコールド・スリープから目覚めさせ、かつての新人類たちの国をつくるネオンの任務。
この男は、そんなことまで把握している。
「先史文明の大いなる負の歴史にして、我々の文明がなぞりつつある暗黒の未来……知ってしまった者の責務であろうよ。私は、人類総ての悲劇を回避するために人生を費やし、千辛万苦を噛み締めここまで至ったのだ!」
彼の怒りは個人にではなく、不特定多数の人間たちにですらなく、本当に世界そのものに対して向けられている。
すでに滅んだ前文明という世界に対して。
あるいは……〝神〟という世界に対して。
思想や怒りの域を超え、もはや妄執に成り果てていた。
「さて、貴様は先程、『協力』などと言いおったな」
その怨讐の目が俺を貫き、思わず生唾を呑み込んだ。
「貴様らに神の名を貸し与え、圧倒的な軍事力で世界を征服でもするか? 悪い手ではない。検討に値する。貴様らが妥協できるのならばな」
「妥協……とは?」
「先史人類の復活は諦めよ。彼奴らは神を信じぬ〝合理的な不条理論者〟か、もしくは、間違った神を信じておるかのいずれかでしかない。世界の危難を取り除けなんだ、〝意義が果たせぬことを証明し終えた無救の神〟をだ」
これほどまでに明確な、断絶の言葉があるだろうか。
「彼らを、目覚めさせてはならないと?」
「共存はできまい。棲み分けすらもできぬであろう。強者が弱者を支配する、その因業からついぞ抜け出せなんだ傲れる先史の人類どもには」
前文明の人類が目覚めれば、必ずや現文明の人類を支配する、そうジーランは断言する。
……間違いでは、ないのかもしれない。
そして、『人の精神が未熟』な現文明の人類であれば、その宿業を回避させられると彼は語る。
「そのためのツールとして、聖教の神を?」
「いかにも。貴様はおそらく、先史の人類ではあるまい。ならば知っていよう。メレアリア聖教の大陸全土への普及と、人々の精神への浸透を」
否定できない。
できるはずがない。
信仰心がそう高くない俺でさえ、聖教の教えが人の心と生活に、どれだけ根付いているかは理解している。
(地方の村々にまで建っている教会。誰をも拒まず教えを説く神父様。子どもですら知っているメレアリアス神話……)
思いつくのは、ジーランの言葉を肯定することばかり。
そして、だからこそわかってしまう。
この人は、本当に神様を……いや、宗教という総体を、平和の実現のために合理的に利用しようとしている。
それも、ふたつの文明を俯瞰しながら。
(これは、間違い……なのか?)
聖職者特有の理想論とは一線を画す、神すら利用する平和論。
それでも理想の域を出ず、実現性の面を疑問視できるはず。
だけど、ジーランのこの自信。
彼は、これを机上の空論に堕とさない、何らかの現実的な秘策を持っている?
「その実現のために、避難民たちを犠牲にするのですか?」
「聖教国を帝国に潰させるわけにはいかぬ。踏み台とするべき聖教会が消えてしまっては、元も子もないのだからな」
やっぱりだ。
この人は、実現のためのビジョンを明確に持っている。
そのためには犠牲も厭わず……ひょっとしたら、帝国の思惑さえも捻じ伏せる腹積もりが――
「今のご提案は、断固としてお受け入れできません」
そのジーランに、ネオンが毅然と立ち向かった。
『先史人類の復活は諦めよ』。
彼女がこれを聞き入れられるはずがない。
ジーランも、突然割って入ってきたネオンを、鋭い目つきで一瞥する。
「その物言い……ふん、貴様がそうか。いや、貴様も人形だな?」
この言い方、ネオンのことも見抜いている?
いや、単に揶揄しただけなのか?
わからない、この人は一体、どこまでを見通して……
「画一化された思想を人類に植え付け、神の名において管理すると?」
「これを『管理』と宣おうとは、やはり先人は、烏滸がましい発想しかできぬらしい」
怨念じみた低い声が、ネオンに向けて放たれる。
「私が人民に与えるのは思想ではない。神というただの方向性のみだ。重要なのは、方向性の与え方。貴様らにはできなかったことであろう……いや、違うか。本当は可能であったのに、することができなかったと言う方が正確なのだろう?」
人の社会が発展すれば、人も単純な在り方を捨てて、複雑化せざるを得なくなる。
全員が、同じ方向を向けなくなる。
そうなる前の、世界が発展途上な今であれば、これを成し遂げることができるとジーランは豪語する。
言い換えれば、発展しきってしまった社会は……新人類とまで呼ばれるくらいに変革しきった前文明の人類は、彼にとっては――
「相容れぬ思想を抱く隣人を、一概に〝敵〟と呼ぶ。先史の人類は、我らの敵に他ならん」
「どのようにおっしゃられようと、我々は、前文明の人類を蘇らせねばなりません」
かつての人類の復活は、ネオンの背負う最上の任務。
これを反故にすることは、彼女にはできない。
「ならば交渉は決裂だな。先史文明の人間どもなど、争うことを止められなかった〝理知的な蛮族〟と評するにしか値せぬ。利益のために戦争行為を繰り返し続けた暴虐の徒。いかに高度な知恵をつけていようと、本質は野生の肉食獣に大差ない」
何も言うことはできなかった。
ジーランを引き止める術も、対抗する術も、俺たちは持ち合わせていないのだから。
「私は断じて、負の歴史を繰り返させぬ。そのために古の遺産を利用するが、古の民との共存は断じて認めぬ。甘い考えは一切持たぬ……持つわけになど、いくまいよ」
彼の声には、最後の一瞬だけ、抑えきれない悲哀を湛えた響きがあった。
その余韻を嫌ったかのように、ジーランは静かに席を立った。
「邪魔したな、ダニエル」
「パトリック、お前さんは――」
「何も聞くな」
低く静かな声色が、すべての言葉を拒絶する。
「何も聞かずにそのままでいろ。お前はこの件に、一片たりとも関わりを持つべきではない」
去りゆくジーランの背中に、アイアトンは語りかけた。
「のう、パトリックよ。儂は、ヴィリンテルに来るべきではなかった……かのう?」
ジーランは足を止めない。
今日の彼は、アイアトン司教が出した紅茶に口をつけなかった。
たったの1回も。
「すべては、神のお導きだ。お前がリーンベルに根を下ろしてしまったことも……私とお前の道が違ったこともな」
彼は振り向かないまま外に消え、ひと呼吸あってから、扉がパタンと閉められた。
「……違ったとは、儂は思っておらんよ。これっぽっちものう」
言葉は、閉ざされたドアに阻まれる。
カップに注がれたままの紅茶が、ほんの僅かに揺らめいた。
「今の、あ奴の話は……?」
アイアトン司教は、こちらを振り向こうとして、それをやめた。
「いや、よそう。詮索は、儂に似つかわしくないことじゃったな」
彼はその場で頭を振ると、ティーカップを片付け出し、
「ああ! まったく、理由はわからんが肝が冷えたわい。熱いお茶でも淹れ直すとしようかのう」
空元気を振り絞り、厨房へと消えていった。
聖職者たちが消えた場には、重苦しい静けさだけが、岩のようにのしかかった。
【一応、補足(というより弁明?)】
今回の話の中で、ジーラン枢機卿に前文明の宗教の神様のことを『間違った神』と言わせました。
なかなかに危うい発言。
本作品は現実の世界と地理や歴史をリンクさせており、その観点からすれば、ジーランが言う『間違った神』とは、実際に存在する宗教の神様だと読み取れてしまいます。
ですが、本作における前文明とは、あくまで『軍拡が進み世界中に軍事基地が存在する』うえ、『謎の戦争で滅んだ』という結論が存在する、フィクションの未来世界です。
よって『間違った神』という言葉も、パトリック=ジーランという人間が、前文明(=平和を実現できないままに滅んだ世界)に対して抱いている印象の発露。
なので、この直後の台詞も『世界の危難を取り除けなんだ、〝意義が果たせぬことを証明し終えた無救の神〟』と続いています。
『救済』を売り文句にしていながら、全人類が戦争で滅んじゃったという結果があったら、それはちょっと……というお話ですね。
こんなことを、わざわざここに書く必要はないのかもしれませんが……
ほら、ネオンやシルヴィにもこれまで言わせてきたとおり、宗教がらみって、めちゃくちゃ厄介だから……




