25_03_6日目③/証明された神々 上
<6日目、朝>
さて、朝食が終わり、教会巡りの準備……は、今日はちょっとだけ遅らせる。
偉い人たちからの接触が予想される今、一番早いタイミングは、今この時間帯だ。
誰か来るかなと待ち受けていた、その矢先。
『やっぱりというか、また来たわよ』
教会の周りを張っていたシルヴィから、見知った人物の来訪が告げられた。
「……ジーラン枢機卿」
ドローンから投影された映像には、あの気難しそうな顔が映っている。
「他に先駆けて、この人か」
「あるいは、すでに他の派閥を牽制してあるのかもしれませんわね」
『正解よ。副教皇派の聖職者が他派閥の重鎮たちに会いに行ったのを、アレイウォスプで監視してたわ』
ジューダスと接触するのであれば、副教皇派との〝戦争〟になる。
彼らはそんなふうに嘯いて、他派閥の動きを止めていたのだ。
「リスキーですわね。教皇様との〝戦争〟にもなりかねませんのに」
「帝国との〝本当の戦争〟のほうが遥かにリスキーだと、そういう判断もあったのでしょう」
政争よりも戦争のほうが恐ろしい。
そこに異論を挟む気はない。
……でも。
「でも、そのためなら避難民たちを見捨てていいなんて発想は、間違ってる」
結局のところ、ジーランをどうにかしない限り、避難民たちの国外脱出は叶わないのだ。
*
リーンベルの応接間で、ジーラン枢機卿とテーブルを挟み相対した。
2日前、ジーランが訪ねてきたときと同じ構図。
ただし今日は、ネオンも部屋の中にいる。
避難民たちを国外に無事に出すための、ここが最大の山場となるのだ。
「前置きは、必要でしょうか?」
「いらぬ。私も暇ではない」
そう言う割に、ジーランはなかなか口火を切ろうとしない。
アイアトン司教がティーセットを持って部屋に現れ、俺とジーランに紅茶を用意した。
俺はカップに口をつけたが、ジーランは手を伸ばそうとしなかった。
「まずは、貴様を侮っていた非礼を詫びよう」
置いたカップが、カチャリと音。
それを皮切りに、ジーランは〝戦争〟を開始した。
「まさに有言実行。かなりの高値で買っていただいたようだ」
我々との喧嘩をな、とでも続けそうな鋭い目つきで、俺をグサリと一瞥する。
「ご協力は、いただけませんか?」
「ほう、何への協力か?」
「平和への」
避難民という言葉は、まだ出さない。
敵に回すにせよ、本当に協力を取り付けるにせよ、相手の出方を知らないうちは、交渉という次元に至れない。
特に、ジーランみたいなタイプの場合は。
「できんな。貴様らも、戦争を是とする側の人間であろう?」
ジューダスは軍人あがりの貴族の家系。
確かにそういう設定を練ってきた。
「戦争を起こさせぬためには、より強い武力を求めよという野蛮な発想。貴様ら軍人は、平和の実現を力によって叶えるものだと決めつけていよう」
「では、あなたはどのように?」
「神を用いればよい」
迷いなく、淀みなく、ジーランは神を道具にすると言い切った。
「人間は、元来、単純な生き物だ。隣人と同じ神を信ずることで、隣人をも信じられる。同じ神を愛することで、隣人を愛するようになる」
「人を疑わずに済めば、諍いは起こらなくなると?」
「信じること、疑わぬこと、受け入れること。これすなわち真の親愛。人の身だけでは到底至れぬ、神の御業にのみよって至れる境地。このような説法が、各地の教会で人々に説かれている。これを、貴様らは綺麗事だと蔑みおる」
「……蔑むというのは、いささか言葉が強すぎるきらいがありますが、平和や戦争という現実的な観点からみると、実情にそぐわない言論という感は否めません」
これでも、かなり言葉を選んだ。
が、彼の反応は予想と違った。
「ふん、私も同意しよう。人は大多数が単純な生き物だ。が、その単純さを利用しようと企む〝ごく一部〟がいる以上、平和は常に脅かされる。ゆえに、平和の維持には力が必要だという発想も、的を射たものと認めはしよう」
尽く対立することになる思っていたが、そうではなかった。
しかし、これは意見の一致とは言えない。
「だが、私の思想は、貴様ら軍人のそれとは根本が違う」
「……と、言いますと?」
さあ、どうくる?
「『戦争は武力の不均衡が引き起こす』。『回避するにはより強い武力が必要だ』。そんなことを、世の軍略家は揃って言う。だが、その発想と方策は、世界の彼処で国際緊張を顕在化させる根幹となり、武力の増強競争を生み出す源泉となるに過ぎぬ。緊張が極限まで高められ、軍備の拡張に追従できぬ国が出てしまえば、すなわち、そこが戦地となる」
彼の言葉は、静かに、しかし、確実に熱を帯びていく。
だんだんと、怒りを露わにしてきているのだ。
「必要なのは武力ではない、人の心の革新なのだ! そして、それを成し遂げられる神という名の偶像が、都合よく大陸全土に撒かれている。これを利用せずして、何を使う!」
だから聖教会を守らねばならない、避難民を背負うわけにはいかない、そういうことなのだろう。
大局のための少数の犠牲……軍人の考えにも通じなくはない発想。
しかして、確かに根源は聖職者的だ。
これは、逆に追い風かもしれない。
「……聖職者らしからぬご発言はともかく、そんなことが、本当に可能であるとお思いなのですか?」
ジーランが感情任せになってくれれば、突破口が見えるかも……?
そんな浅はかな俺の挑発は、
「可能だとも。人の精神が未熟である、今この時代においてならば」
予想の斜め上の地点に、話を飛躍させることになる。
「革命されるべくは、国ではなく人なのだ。人が変われば世界は変わり、人が変わらねば世界は変わらん。なれば、全ての人間に唯一絶対の価値観を与えればよい。ゆえに革新は、人の手ではなく神の手によって成し遂げられねばならんのだ!」
違和感があった。
ジーランの言葉の中に、そして視線に。
(この人、さっきから俺を見ていない……?)
目線は俺に向いている。
なのに、目は俺のことを捉えていない。
怒っているのは、俺個人に対してではないのだ。
なら何に?
「そういうあなたも、ずいぶんと論理的に……いえ、戦略的に神を語るのがお好きなようだ、ジーラン枢機卿」
わからない。
思想には確かに隔たりがある。
けれど、戦略的という点においては、一定以上に似通った方向性があるようにも思える。
「ならば、本当はわかっているはずです。目先のリスクを危ぶみ回避したところで、それは後々の大きなリスクの前触れでしかないことを。全面的にとは申しません。利害が一致する部分だけでも、協力を――」
「できぬな」
怒気を込めて拒絶するジーラン。
このまま進めば、おそらく核心に迫ることができる。
でも、何だ?
なにか、妙な気配……嫌な予感が……いや、迷うな。
鬼が出ようが蛇が出ようが、踏み込まなければ、事態は何も変わらないんだ!
「あなたは、何をそんなに意固地になっているのです?」
「知った口をきくのは構わん。事実、知っているのだろうからな」
言葉の違和感、焦点の合わない怒り。
『知っている』ことが、それを生む。
だとしたら、この人は、俺たちの何を知って――
「だが! 不可能だとして調和を諦め、現実的だと軍備の増強にひた走る。そんな〝合理的な不条理〟を積み重ね続けた結果……貴様らの、かつて栄えた先史の文明はどうなった!」




