24_06_5日目⑤/潜入、教皇邸
<5日目、深夜>
『正面通路クリアー。そのまま曲がり角まで直進して』
暗く広い廊下の中を、音を立てずに進んでいく。
『しばらく停止。右手から巡回の衛兵が来るわ。あと7秒で反対側に抜ける……4、3、2、1、今よ、進んで』
指示に従い停止して、また進んでを繰り返す。
静かに動いているはずなのに、心臓の鼓動がやけに響く。
気を抜いたら荒くなってしまう呼吸を、意識的に深く、長くし、体と心を落ち着けながら先を目指す。
ここは、教皇様のお住まい、コロルゼア小宮殿。
入る機会など一生なかったはずの偉人の住居の中を、俺は、場違いな真っ黒ボディスーツに身を包み、顔をすっぽり覆う真っ黒マスクまで着用し、静かに静かに忍び歩く。
エセ貴族の服飾もかなりアレだったけど、これまた大概な姿にさせられてしまった。
「変な格好が、最近は板についちゃったなあ……」
『変とは失礼ね。アンタのそれは第17セカンダリ・ベースで正式採用されてた、隠密潜入用の夜間迷彩装備なのよ』
通信機越しにぷりぷりと怒るシルヴィ。
彼女のサポート――アレイウォスプとアレイマウスによる索敵と先導――と、それにこの夜間迷彩スーツによって、俺はここまで見つからずにやってこれた。
でも、暗闇に紛れるためとはいえ、このスーツは不審人物感が半端ない。
『整形自在なHFDアーマメントに、静音性の高い構造のスーツ設計プログラムを流し構築しています。サイズも司令官の身体に合わせていますので、あらゆる動作を阻害しません」
テクトータを高高度上空から降下させるときに使ったHFDアーマメント。
鳥型の外骨格スーツとして用いたアレを、今回は本来の用途、人間用の護身装備として成型。
形状のバリエーションはいくつもあるようで、隠密行動に適したものがこれなのだそう。
『形は違えが、暗色の生地って点では変わりがねえな』
なお、サポートにはネオンやシルヴィだけじゃなく、ケヴィンさんとファフリーヤも加わっている。
『最適を取ろうとすると、やっぱりこういうところに落ち着くのよ。ま、全天候対応型の熱光学迷彩スーツなんてのも、むかしむかしはあったんだけど』
『あん? なんだそりゃ?』
『早い話が、〝体を透明にしてくれる戦闘服〟ね』
『便利そうじゃねえか。何で無くなったんだ?』
『廃れちゃったわ。センサー技術とかの発展が……と、一旦ストップ。右から来るわよ』
静止して、姿勢を低くし壁際に寄る。
すると、廊下の先、十字路の右方向から、仄かな灯り。
夜間に巡回している警衛の神兵が、そのまま左に通り過ぎていく。
『精度が極めて高い動体検知や熱源探知にはバレちゃうのよ。今ドローンでやってるみたいなね。他にも、微量の音や微弱な気流の感知技術にも弱いし、壁や床用の感圧センサーに体重がかかればわかっちゃうし……行っていいわよ、そのまま階段まで直進』
片足ごとにしっかり加重を移動して、重心をぶらさず動く。
身体の上下動も極力減らして、とにかく足音を響かせないよう注意する。
が、ここまでやっても僅かに音は鳴ってしまうし、空気の流れや体の重みも当然消せない。
『つまり、シルヴィ様の時代では、人間が潜り込むより、小さい兵器を送り込んだほうが安全で成功率も高い、ということでしょうか?』
『けっ、人の兵士はお払い箱ってか』
『なにも、人間の潜入要員を全くの無意味だとは言わないわよ』
こっちは心臓バクバクなのに、向こうは会話が弾んでるなあ……
『潜入者をサポートするためにセンサーやトラップ・システムをハックするって手もあるわ……あ、停止して。でも、そこまで凄いハッキング技術があったら、わざわざ透明人間に危険を負わせて潜入させなくったって……正面クリア、進んでいいわよ。もっと効率的かつ低リスクな作戦立案ができそうなもんでしょ。次の十字路、右ね』
「指示するのか雑談するのか、どっちかにしてくれよ……」
結構いっぱいいっぱいなんだぞ、俺だって。
『テレーゼに聞いていましたけれど、本当に隠密作戦がお得意ですのね』
ちなみに、アイシャさんも、この作戦の成否を一緒に見守っている。
『先日の情報収集能力といい、羨ましい限りですわ』
けれど、最後まで反対していたアイアトン司教は、今は薬で眠らせてある。
ローテアド王国を訪問したときに、ケヴィンさんに盛ったのと同じ睡眠薬を使ったのだ。
今回も、ものの30分くらいでぐっすり。
相変わらず凄い効果である。
『しっかし、お前さんも案外と手馴れてるじゃねえか。家宅侵入が初めてじゃねえのか?』
……またケヴィンさんは、人聞きの悪いことを。
「地獄の訓練の賜物だよ。敵国の重要施設を想定した潜入や突入のための演習を、従軍予備学校でさんざんやらされてたんだ」
それは、敵の要塞や野営地、あるいは他国の王宮や王城などを想定した訓練だった。
警備が厳重な建物や敷地に、単体、もしくは少人数で潜り込んで制圧するための技法を、徹底的に叩き込まれた。
敵に発見されないよう、足音を極限まで消す特殊な歩法だとか。
反対に、哨戒する兵士が発する足音を、その微弱な地面の振動までを全身で感じ取る方法だとか。
「まさかそれを、ヴィリンテルで活かすことになるなんて、思ってもみなかったけど」
しかも、初の実践が聖教会の最高権威者の邸宅だなんて、無謀な巡り合わせにもほどがある。
『司令官、繰り返しますが、騒がれたり交渉が決裂した場合は、直ちに撤収してください。万一顔を見られてしまえば――』
「わかってるって。この国から即刻退去を命じられてもおかしくない。それだけは絶対に避けなきゃならない」
そうなったら、今までのすべてが水の泡だ。
『もうじき着くわよ。通路の奥の……そう、その扉』
「ここが、教皇様の寝室」
この部屋の中に、あの人がいる。
『アレイマウスを先行させるわ』
ネズミ型の生物偽装ドローンを1匹……いや、1機、ドア下の僅かな隙間から侵入させるシルヴィ。
本物のネズミさながら、身体を潰すように小さくして、するすると室内に入っていく。
『鍵はかかってないわね。入っていいわよ』
音がしないよう、静かにゆっくりドアを開け、隙間から体を潜りこませて入室、またゆっくりとドアをしめる。
(よし、潜入成功)
ひとまずこれで、巡回中の衛兵に見つかることはない。
彼らだって、教皇様の寝室までは見回りにこないはずだ。
「……ふう」
無意識に息を大きくついた。
自分で思っていたよりも、呼吸がずいぶん乱れている。
脈拍もかなり早い。
『司令官、まずは呼吸を整えてください。時間の猶予はありませんので、手短に』
深くゆっくり息を吸い、深くゆっくり息を吐く。
数回の深呼吸で、心音は少しだけれど落ち着いた。
『行けるわね? 教皇様はベッドの上よ』
「ああ、ぐっすり眠ってるみたいだ」
小声で答えて、そこで初めて、交渉相手を直視した。
多くの皺を刻んだ威厳ある顔貌から、安らかな寝息が聞こえてくる。
(相手はメレアリア聖教の教皇様。一国の王様よりも偉い立場と言っても過言じゃない、まさに雲の上の人……)
マスクの下で汗が滲む。
心臓がまだバクバクいってるのは、休憩が足りてないせいだけじゃない。
(こんな人と、失敗の許されない交渉を……いや、自分でやるって言ったんだ。今更迷ってどうする)
現状、俺たちには、他に打てる手が存在しない。
おまけに、法を犯して忍び込んでいる以上、失敗はイコール罪人扱い。
ただちに衛兵に突き出されてしまう。
(肝心なのは最初の声掛けだ。起こしたと同時に叫ばれたら、その瞬間に衛兵が部屋に殺到してくる。侵入者がジューダスだと判明したら、俺を預かるリーンベル教会や、国に招き入れたブラックウッド枢機卿まで問責される。事は俺の責任だけに収まらない……)
……緊張する。
今になって緊張してきた。
とんでもなく緊張してきた。
さっきまでの潜入行動の時より、心臓がドックンドックンいっている。
(大丈夫だ、何度もシミュレーションしてもらったじゃないか……あとは飛び込むだけ、踏み出すだけ……でも)
考えがぐるぐると巡り、まとまらない。
よし、落ち着こう。
まずは落ち着こう。
もう一度、静かに深呼吸だ。
ゆっくり息を吸って、吐いて――
『早くしなさい』
『早くしろ』
『司令官、迅速に対象を起こしてください』
そして全員から急かされた。
「ちょ、ちょっと待ってくれって。もう少し心の準備を――」
『できていなくとも起こしてください。時間をかけるのは悪手です』
わかってる。
発見されるリスクが続いている以上、目的は最短で遂げねばならない。
……ならないのは、重々わかっているんだけど。
「だって、教皇様だぞ? 聖教国の最高権威者だぞ? 無礼があったら、今後の計画にだって差し障るんだぞ」
せめて、あと10秒でいいから落ち着く時間を。
『土壇場で煮え切らねえ野郎だな』
『直前であれこれ考えるからプレッシャーに飲まれちゃうのよ。さっさと交渉開始しちゃいなさい』
皆してせっついてくる。
覚悟を決めて、自分を奮いたたせる。
(……行くぞ、行くんだ、行くしかない、行かなくちゃ)
……たたせたんだけど、思わず本音が小声でポロリ。
「勢いで忍び込んではみたけど、早まったかなあ……」
本当にか細い、蚊が鳴くくらいの小さな声。
だっていうのに、確かな答えが返ってきた。
「そんなことはあるまい、勇敢なるアロウナイトよ。お前が下を向いて誰が救われる?」
「いやいや、勇敢なんて、これまで言われたことも――」
『っ! おいっ!』
『司令官!』
ばっ、と間合いを取って身構えた。
(なぜ、知っているんだ!?)
緊張が、困惑に寄って上書きされる。
今はマスクで顔をすっぽり覆っているし、なにより、ヴィリンテルではずっと偽名を使って、嘘の身分で通してたのに。
声の主、教皇は、ベッドの上で上半身を起こしながら、その皺だらけの顔から、くつくつと笑い声を漏らした。
「どうしたね? 私に会いに来たのではないのかな?」
昼間とは口調も雰囲気も違う。
罠か? 嵌められたのか?
目だけを動かし、瞬時に周囲に気を配る。
しかし、部屋の中には教皇様以外に動くものはなく、誰かが潜んでいる気配もなかった。
「……どうやって、俺の名を知ったのですか?」
聞き返しながら、マスクを取って顔を晒した。
正体の隠匿は、もはや無意味だ。
状況を把握するためにも、今は駆け引きに乗るしかない。
しかし、教皇のしわしわの口から発されたのは、俺の質問の趣旨とは違う回答だった。
「聞いたからだよ。本人から。バーリンジャーの名は捨てると」
本……人……?
「バートランド=バーリンジャー。後世の名は、バートランド=アロウナイト」
趣旨とは全然違う回答。
けれど、その答えは、すべての核心に迫るものだった。
「そして君が、バートの孫。ベイル=アロウナイトだな?」
「じいちゃんを……いや、祖父をご存知なのですか?」
戸惑い、立ち尽くしている俺を見て、教皇様は、口角を吊り上げ楽しげに嗤った。
「知っているとも。あの男とは、神の導きと呼ぶより他にない、まさに奇蹟の出逢いだった」




