24_05_5日目④/奇跡を起こすための一歩
<5日目、夜>
夜になって、出かけていたアイアトン司教とセラサリスが戻ってきた。
「どうでした? アイアトン司教」
ふたりは今まで、教皇府で開かれた臨時の委員会に召喚されていた。
「無論、奇跡と認められたぞい。全会一致じゃ」
「聖女、認定」
にこやかに報告してくれたセラサリス。
正確には、認定されたのは〝聖者〟だけど、それが女性の場合は、一般的に〝聖女〟と呼ばれるのである。
「それでダニエルさん。セラサリスさんの処遇はどのように?」
「これもまた全会一致で、この教会にいて良いということになったわい」
「保護、継続」
「え? 許可されたんだ」
これはさすがに反対されるかと心配してたんだけど、リーンベルに籍を置いたままにしておけるという。
「教皇様のとりなしが効きまくりじゃよ。幾人かは、さも反対したげに眉根を寄せとったが、おいそれとは口に出せん様子だったわい」
「てことは、あまり良く思われてないんですか?」
「そりゃそうじゃ。いかに神秘性と話題性が十分であろうとも、ぽっと出の得体の知れない聖女様では、聖職者全体の支持を集めることまではできまいて」
ましてや5大派閥の重鎮どもの支持はのう、とアイアトン司教は溜息を吐き出しながら付け足した。
……ちょっと、嫌な予感。
「あの、この流れで言うのもアレなんですけど、実はこんな提案があって――」
・
・
・
「ダメじゃろうのう」
第一声で示されたのは、強い難色だった。
「ダメ……ですか。彼らの、この様子でも?」
セラサリスが〝奇跡〟を起こした際の、聖職者たちの感極まったリアクション。
信仰心に訴えれば、協力を望めるんじゃないかという憶測を伝え、映像もしっかり見せた。
しかし、アイアトン司教の反応は、やっぱり芳しくなかった。
「さっきも言ったとおりじゃよ。いかに奇跡の所業に心打たれておろうとも、有力派閥の枢機卿を引き込むことまではできまいな」
「……アイシャさんは、どう思う?」
「実際に空気感を知るダニエルさんが言うからには、そういうことなんでしょうねー」
アイシャさんも、彼の実感が正しいものだろうと言う。
「ですが、現教皇様がセラサリスさんのことをお認めになったという事実があれば――」
「無理じゃな」
司教は力なく首を振った。
「教皇様がお認めになられたのは、あくまで〝セラサリス嬢が起こした奇跡〟についてだからのう。無論、彼女が認められたことと同義とは言えるんじゃが、それが聖教内での地位に直結するという意味にはなってくれんよ」
ゆえに、他の枢機卿たちからの協力に繋がるかというと、そうは問屋が卸さない。
「権力を持つ側からすれば、セラサリス嬢はその地位を脅かしにきた侵略者みたいなもんじゃ。これまでせっせと裏で大金をばらまき、何年何十年と媚を売って築いた牙城が、たった数秒の奇跡で切り崩された日には、とても歓迎などできる心持ちではいられんじゃろう」
「聖女という立場が強すぎる、ということですか?」
ジューダスが秘蹟殿に入ったところで、一介の貴族という立場は変わらない。
『極限レベルの信仰心』というおまけがついても、聖職者の地位に匹敵することはなく、だから協力を得られる可能性があった。
けれど、聖女ともなると話が変わる。
相手の信仰心に訴えたくても、権威や面子という壁が最後は邪魔をするのだと、アイアトン司教は語った。
「それでもと言うならば、まあ、当たってみんこともないが……正直、裏金を流した時とおんなじ結果が見えるのう」
「そうですねー。副教皇派も、しっかり妨害してくるでしょうねー」
やる価値は薄い、というのが、ふたりのなかで確定事項であるようだ。
「結局、振り出しに戻っただけか……」
――いや。
本当にそうか?
協力を得られないのは確定的、それは確かにそうかもしれない。
でも、ひとつ。
今日1日の動きのなかで、たったひとつだけなかったか?
この現状を打開する可能性がある、唯一の不確定要素が――
「教皇様を、味方に引き入れられないかな?」
唐突な提案に、全員が目を白黒させて俺を見た。
「司令官、それは――」
「わかってる。教会組織の最高位にして一国の最高権威者が、金銀財宝で靡くとは到底思えない」
でも、公務を取りやめてまでこのリーンベルを訪問したのは事実だ。
セラサリスの聖者認定のことだって、強く後押ししてくれていた。
話が通じないということはないはずだ。
「それに、あの目……」
あの人と目が合ったときに覚えた、不思議な感覚。
じいちゃんの目と似ているようで、けれど……なんて言ったら良いんだろうか。
言語化がうまくできないけど、とにかく――
「どうにかして、教皇様と話をする機会を得られれば……」
それも、できれば教皇様がひとりでいる時を狙って。
「あ、あるわけなかろう、そんな機会」
うろたえるアイアトン司教。
彼にとって、いや、聖職者にとって、これほどに畏れ多い考えも、そうはない。
「ですが、セラサリスさんには会いに来てくださいました」
ファフリーヤが尋ねてくれるも、司教はぶんぶんと全力で首を振る。
「ありゃ特例中の特例じゃ。普段は儂ら聖職者でさえ、おいそれとはお会いできんお方じゃぞ。外部の人間で、しかも要注意人物のお前さんらでは、お目通りなど絶対に叶わん。司教の地位を賭けてもいいわい」
「確かにダニエルさんの持ってるパイプじゃ、弱いと言わざるを得ないですねー」
アイシャさんの煽りに反論してこないところを見るに、アイアトン司教の力でどうにかするのは本当に無理なのだろう。
「仮に、セラサリス嬢を伴ってお住まいのコロルゼア小宮殿を訪ねようとも、あちらからの呼びつけでないなら門前払いが目に見えとる。教皇様の執務室はおろか、敷地内の砂粒ひとつ踏みしめることはできやせんぞ」
「うーん、だめか……」
「それにじゃ。あそこは警備だって、むっちゃくちゃに厳重なんじゃぞ。朝から晩まで警衛の神兵が常に巡回しておるし、昼間は職員や枢機卿たちも公務で詰めとる。そんな中で教皇様とサシで話そうなどとするなら、それこそ、深夜に寝室に忍び込むくらいせんと――」
……深夜に、寝室?
「――待てお前さん。その妙な沈黙と顔つきはなんじゃ?」
何って、ねえ?
『ふうん、いいことを聞いたわね』
「さすがは司教の地位にある御方。迷える子羊に道をお示しいただき、感謝いたします」
俺たちを代表して、ネオンが慇懃にお辞儀した。
「や、やるんじゃないぞ! 絶っ対にやるんじゃないぞ!」
今にも掴みかかってきそうな司教の前に、アイシャさんが立ちふさがる。
「大丈夫ですわアイアトン司教。事は、あなたの知らないところで、勝手に起こるだけですから」
「バカモン! アイシャ、お主も奴らを静止せんか!」
向こうでワーワーと揉めているうちに、俺たちは細部を詰め始めた。
「本来であれば、小型の飛翔ドローンを潜入させて無線通信と、するべきところですが……」
立体映像を投影して、教皇様と遠隔でお話ししようって作戦。
しかしこの案に、ケヴィンさんとアンリエッタから否定的な意見が。
「やめたほうがいいな。んなもんを寝起きに見たら腰抜かして転んじまうぞ」
「それに今って、空から悪魔が降ってくるっていう時期なんでしょ? ふわふわ浮かぶドローンとか立体映像って、この国の人からしたらまさにそれじゃないかしら」
これは確かに。
あの歳で転倒したら、骨折とか、それ以上の怪我だって有り得るし、宙に浮かぶ人物なんて悪魔の遣いと思われかねない。
『ドローンじゃなくて、人型のセラサリスに潜入してもらうのが妥当かしら。隠密潜入用の戦術プログラムはインストールしてあるし、なにより聖女様だし』
「立体映像を投影するのがセラサリスさんなら、神の奇跡だという説明が成立しますね」
もっともな意見、もっともな人選だ。
だけど、およそ最良だと思われるこの案に、俺が異を唱えた。
「ごめん、みんな。潜入は、俺に行かせてもらえないかな?」
一同が言葉を失くした。
無茶を言ってるってことは、俺も重々承知している。
けど、こんな無茶苦茶なだけの意見を、
「俺も賛同するぜ」
唯一、ケヴィンさんだけは支持してくれた。
「おたくらだって気づいてたはずだ。教皇の爺さんが、さも意味ありげな目つきになって、コイツのことを見てたのを」
歴戦の軍人である彼が、そういう〝人間の機微〟に気づいていないはずがない。
命のやり取り、生きるか死ぬかを乗り越えてきた兵士ほど、味方の異変や敵の異常に対する勘が鋭くなる。
そうならなければ、生き残れないから。
だから、この場の大勢があの目に気づいていたということ。
「アンリエッタ、お前にも見えてたな?」
「そうねケヴィン。確かにあのご老人は、この人だけを見つめる時間が何度かあったわ」
「わたくしも気づきました。教皇様はお父様にじっと視線を送られて……悪い感情ではなかったように、わたくしには思えたのですが……」
ファフリーヤはネオンに答えを求め、しかし彼女は、首を横に振った。
「人の目が多かったため脳波干渉試験機を設置できず、心中を読むことはできませんでした」
「そんなご大層なもんはいらねえ。強い思と念の篭った視線には、それを向けられた人間にだけ伝わるものが確かにある。コイツが感じ取ったのは、そういう類のもんだ」
『非論理的よ。作戦行動のための根拠にはできないわ』
「お前さんは何を感じた?」
感じたこと、何を感じた?
言語化のうまくいかない、あの、不思議な感覚は――
「――懐かしさ」
「懐かしさ?」
「お父様、過去に教皇様とお会いしたことが?」
「いや、ない」
あるはずがない。
でも、一番しっくりくるのが、それだった。
「あの人の目は、俺のじいちゃんが時折見せていた目に似てたんだ。死期が間近に迫ってた頃の、遠い昔を振り返る時にしていた目……それが、あんな感じだった」
何かを思い起こし、あるいは後悔し……そんな時に浮かべていた、遠い遠い湿った目。
その目が、俺に向いていた。
ある強い意志をもって。
「最初はさ、死んだじいちゃんを重ねちゃったんだと思ってた。でも、そういうのとは違う……何ていうんだろう。漠然としたものなんだけど……」
やっぱり上手く言葉にできない。
けれど、それでも紡いでいく。
「俺と、あの教皇様との間には、何か……魂の根底で通じ合えるものがある。そんな気がするんだ」
味方の説得に用いるには、あまりに拙い未熟な言葉。
「司令官。シルヴィも述べたとおり、あなたの言葉は至って非論理的と言わざるを得ません。作戦成功率の見地から申し上げても、推奨はいたしかねます」
「ネオン……」
「ですが、作戦の決定権は司令官にございます」
けれど、それでもネオンは俺の心情を汲みとって、大役を俺に任せてくれた。
「ありがとう、ネオン」
「御心のままにお進みください。未来を築くのは、人間の強き意思であるべきです」
彼女の浮かべた微笑みが、俺をますます奮い立せる。
さあ、行こう。
聖教会で最も偉い人のところに。




