24_03_5日目③/起こるべくして起きるもの
教皇様が去り、観衆たちもいなくなってから、俺たちはようやく緊張から解き放たれた。
「はひぃ、疲れたぁ……」
「もう動けん。もーう何もせんぞ、儂は」
揃って礼拝堂の長椅子に倒れ込む、俺とアイアトン司教。
もはや精魂尽き果てて、身じろぎひとつ取りたくない。
「お疲れ様でした、お父様。アイアトン司教様も」
「セラサリスも、大役ご苦労様でした」
「教皇様、優しい人」
「思った以上に良い流れですわ。教皇様のお言葉が、完全にこちらの追い風になりましたわよ」
『そうね。まさか、もう一度秘蹟殿に入れるなんて、びっくりだわ』
倒れ伏せた俺たちを尻目に、周りは盛り上がっている。
「教皇ってのもやるもんだな。反対意見を言わせる間もなく、あの場をまとめあげちまった」
「まあ、荒事に慣れとると言えるお人じゃからな。デュレンダール教皇様は」
アイアトン司教が、「どっくらせ」と体を起こした。
体が休まったはずもなく、いまだ顔じゅうが汗塗れ。
手でパタパタと顔を扇いでいる。
そんな司教に、アイシャさんがタオルとお水を持ってきた。
彼は首筋を拭ってから、水を一気に飲み干して、ふう、と大きく息をついた。
「先の大戦後、各地で数多の紛争が勃発したのは知っとるじゃろ? 若き日のクリストフ=デュレンダール様は、そんな阿鼻叫喚の紛争地域の教会を転々としておった。神の名のもとに問題を解決し、あるいは暫定的な同意に至らせ、対立しあう多くの民族を調停へと導いたんじゃ」
「はっ。嫌な役回りを何度も押し付けられては、それが実績になったってクチか」
鼻で笑ったケヴィンさんのことを、司教が鼻で笑い返した。
「ところがどっこい。教皇様は、紛争の調停が済むや、自ら進んで次の紛争地域へと任地換えを志願しておったんじゃ。引き止める声や出世の話がいくつもあったにもかかわらず、じゃぞ。戦後のセラクネイス大陸に早期に安定がもたらされたのは、あのお方の尽力によるところが最も大きいという声まであるくらいなんじゃわい」
自慢気に語る司教。
まるで自分のことかのような誇りようだ。
聖職者にとって教皇様がどういう存在か、如実にわかる一幕である。
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「失礼します。皆様、いらしゃいますね」
半刻も経たず、俺たちのもとにテレーゼさんとマルカが現れた。
「教皇府の決定をお伝えに参りました。セラサリスさんの秘蹟殿入殿を許可。神殿騎士立ち会いのもと、ラゴセドの匣に再度接触していただきます」
教皇府内の手続きは、本当に迅速に完了。
加えて、その立会者にはテレーゼさんとマルカの両名が選出されたそうだ。
「よくふたりが選ばれたね。侵入に加担したとか言われなかったの?」
副教皇派あたりが横槍を入れて、別の人間を選出しそうなものである。
「教皇様のご意向です。見ず知らずの者に囲まれるより、顔馴染みの私たちを臨席させたほうが、セラサリスさんも心落ち着いてラゴセドの匣に向き合えるだろうとのご見解を協議会にて述べられました。このお言葉に、多くの者が賛意を示されました」
これについて、遠回しに反対意見を表明した者もいたそうだけど、奇蹟は起こるべくして起こるものだという教皇様の更なるお言葉の前に、すっかり沈黙してしまったそうだ。
「また、立会は我々や教皇様だけでなく、教皇府の職員のほか、副教皇様や枢機卿の地位にある者も同伴する運びとなりまして」
聖教会側はオールスター。
ただし、こちらは俺やネオンが同行することは許されず、あくまでセラサリスひとりで……ということに決められたそうだ。
「申し訳ありません、他の方をお連れすることは、どうしても認められず……」
『大丈夫よ。後で勝手に覗き見するから』
外からの解析はできずとも、やりようは幾らでもあるとシルヴィは言う。
『セラサリスが中に入るとき、完全自律設定の小型ドローンを一緒に忍ばせるわ。セラサリス自身にも、アクセサリーとかの形で盗聴器とカメラを仕込んでおく。どっちもリアルタイムでは覗けないけど、映像と音声を記録させる手段はいっぱいあるわよ』
「問題はラゴセドの匣ですね。昨晩は事なきを得ましたが、セラサリスが接続することで不測の事態が発生する怖れも、ないとは言えません」
そもそもの話、匣が動いた事そのものが、不測の事態だったのだ。
今度も穏便に済むという保証はないし、匣が動いてくれない可能性だってある。
そうなったとき、俺たちがすぐに介入するのは難しい。
が、これにマルカが、力強い表情を浮かべて宣言した。
「ご安心ください。何が起ころうとも、私が命に変えてもセラサリスさんをお守りします」
「……その発言は大丈夫? 神様に抗うみたいな意味にもなっちゃいそうだけど」
また寝不足なんだろうか?
しかし、マルカに怯む様子は微塵もない。
横のテレーゼさんが、小声でこう補足した。
「秘蹟殿の内部で副教皇派などからの妨害が懸念されます。国内に暗殺者を手引きしたくらいですから」
「あ、そういうことか」
2度目の奇跡を起こされる前に、事故に見せかけて……なんて考える奴がいたっておかしくない。
彼女たちは、それを阻止する役割なのだ。
「もっとも、教皇様お立ち会いのもとですから、そこまで大胆なことはできないでしょう。仮に過激思考の人物がいたとしても、ジーラン枢機卿が抑制すると思われます」
「ジーラン枢機卿が?」
思わぬことを言うテレーゼさん。
「私見ですが、あの方は暗殺という愚劣な手段を是とするタイプではございません。卑怯な策を弄するくらいなら、真正面から詰め寄ってきて、真っ向からの討論を望まれるお人です」
「ああ、うん。それやられた」
手段を選ぶ人間だって、アイアトン司教も評してたっけ。
『ま、大丈夫よ。どんな刺客に襲われたところで、セラサリスなら返り討ちにしちゃうから』
「むしろ、襲撃は歓迎ですね。悪漢から教皇様をお守りしたことになれば、セラサリスの聖女性がますます高まることでしょう」
……こっちは手段を選ばないよね、ほんとにさ。
***
<5日目、夕方>
「で、無事にラゴセドの匣は動いたと」
「はい。拍子抜けするくらい、簡単に」
暗殺や襲撃なんて起こることもなく、普通にセラサリスが匣に近づき、普通に匣が動いて光を放って、聖職者たちが一斉に跪いた……という、昨晩の再現になったそうだ。
『ついでに、面白いデータも採れたわよ』
記録映像を表示するシルヴィ。
ラゴセドの匣が動いた直後の、立会者たちの映像だ。
教会側からは、教皇府の職員のほか、地位の高い聖職者たちも大挙していった。
それはつまり、各派閥の重鎮である枢機卿たち。
薄紅の法衣を着用した彼らの内のうちの半数くらいは、匣が光り輝いた瞬間に、崩れるように跪くか、その場で恍惚とした表情を浮かべていた。
あの顔は、とても演技には見えない。
本格的に神を信仰している証だ。
「つまり、敬虔さだけで枢機卿の地位に上り詰めた人間ってのも、半数くらいはいるってことか」
欲深い人たちばっかり見てきたから、なんか新鮮だ。
「厳密には、打算よりも信仰心が上回ったということなのでしょうが」
ネオンは少し辛口だけど、俺同様に、彼らをこんなふうに分析した。
「いかに権威と贅沢を好み、それを維持する内部政治に余念がなくとも、本当に神に顔向けできない非道悪逆を実行できる不敬者は、そうはいないということです」
暗殺者を差し向けるような外道聖職者は、本当は少数派。
だとしたら、避難民の件が公になった場合、こちらに味方してくれる人間ってのは、実は結構いるのかもしれない。
「少しだけど、希望が見えたな」
「はい。データをもとにピックアップした有力者と接触を図るよう、シスター・アイシャに提案しましょう」




