24_02_5日目②/聖教会の最高位、聖教国の最高権威
メレアリア聖教には、教皇様直轄の調査部門が存在する。
部門員はそう多くなく、しかし、調べるものは多岐に渡る。
その対象のひとつが、聖遺物。
発掘と解明、そして、〝動いた事実〟の調査確認
すなわちは、〝奇跡〟の真偽を明らかにすること。
……という話を、げっそりした顔のアイアトン司教が教えてくれた。
「……そりゃあ、教皇様は調査部門のトップということになってはおるさ。しかしな、それはあくまで書類上。いわば組織の都合というものじゃ。当然ながら実務は他の者が取り仕切っておるし、ましてや、教皇様ご自身が現地に足を運ばれるなど、国内においてでさえも稀なこと……」
通常の場合は、本調査のための事前調査がまず行われる。
下っ端の調査官が2名くらいで現地に先行し、奇蹟に該当しそうかどうかを簡易的に確認するのだ。
その結果が本国に伝えられ、それをみて大規模な調査を実施するかが決まるそうである。
「一次調査で教皇様が出張ってくるなど、断じてありえんことなんじゃ。これはもはや、何者かの思惑が裏で働いとるとしか……そうとしか考えられんわい……」
暗然とうつむきながらも、司教は断定的な口調で言い切った。
異例の事態……ただ、理由の部分、『何者かの思惑』ってところは、ちょっと陰謀論じみてないかなあ?
「他にも可能性はあるんじゃないの?」
「いいや、間違いない。此度の奇蹟の調査にかこつけて、水面下で何らかの動きがあったんじゃ。問題はそれが、教皇様への忖度なのか、それとも、次期教皇選挙を見据えた策謀なのか……」
頑なにこちらの声に耳を貸さない司教は、ぶつぶつと負の思考の泥沼に沈んでいく。
『すっかり疑心暗鬼ね』
「まあ、気持ちはわかるけどさ」
聖教会というのがそういう世界だってことは、この5日間でうんざりするほど俺も見てきた。
けど、もっと単純な理由だってありそうなものだ。
例えば、この教会は、教皇府や教皇邸から距離的にそんなに遠くない。
だから……
「単純にさ、教皇様が暇なんじゃない? 庁内の仕事に飽き飽きしてて、たまには外に出たがってるとか」
「そいつはあるかもな。いくら聖職者の長っつっても、宮殿の中に閉じ込められっぱなしじゃ息が詰まっちまうだろ」
教皇様の仕事場は、教皇邸であるコロルゼア小宮殿。
名前に小と付いているけど、決して手狭な建物ではなく、むしろ一般的な家屋より遥かに大きい。
それでも、ひとつところに押し込められて仕事、仕事じゃ、嫌気が差しそうなものである。
「いーや、それはない。ありえんわい。現教皇であられるクリストフ=デュレンダール様は、歴代トップと言ってもいいほどに誠実にして高邁な精神を持たれるお方。まかり間違っても、自分の公務をほっぽり出せる性格では断じてないのじゃ」
そういえば、初日に遠目で見た時も、マルカが似た感じにベタ褒めしてたっけ。
アイシャさんも口を挟んでこないところを見ると、あの教皇様は確かにそういうお人柄なのだろう。
「だいたいお前さんら、デュレンダール様のお歳を考えておらんじゃろ? 近年は体調を崩されることも多くなり、めっきり外に出られなくなった。それでも仕事の手を抜かんから、教皇府の職員たちがなんとか説得して、一部の公務を枢機卿が代理で行うことの承認をどうにかこうにか取り付けたくらいなんじゃぞ」
その公務代理の頻度というのも、お歳のために年々多くなっているそうである。
副教皇派やその他の派閥が勢力拡大を図っているのも、この状況につけこんでのことであるとかなんとか、アイアトン司教は自身の陰謀論の根拠に挙げていた。
無論、無視した。
「で、あるならば、教皇自身が強い興味を示されたということは考えられませんか?」
『この国の最高権者は教皇様なんでしょ? なら、誰かの指図じゃなくて自分の意志でここに来たがってるって解釈したほうが、実直な性格って話とも整合するじゃない』
この指摘には、アイアトン司教も「むむう……」と唸った。
「そりゃあのう、可能性としてみたら、無くは無いのかもしれんが、しかし……」
「アイシャさんは、どう思う?」
アイシャさんは顎に手を当て小考し、その後でこう答えた。
「仮に訪問が教皇様のご意思であったとして、観光気分で聖女を観に来るようなお方ではありませんわ。今回の件を、通常公務よりも優先するべき重大案件だと認識されていることになりますわね」
「てことは、まずい?」
「どう転ぶのか、全くわかりませんわね。現状を打破する福音となるか、それとも、完全な詰みの宣告となるか」
まさに、すべては神のみぞ知る、だ。
***
<5日目、午後>
「な、なぜじゃ?」
もうすぐ午後という刻限。
リーンベル教会の礼拝堂に、再びアイアトン司教の叫び声が木霊した。
「なぜ、このリーンベル教会に、こんなにも高位の聖職者たちが集まってきとるんじゃー!?」
とんでもない大混雑と、とんでもない顔ぶれだった。
人数も、職位の高さも、午前中の来訪者たちとは比べ物にならないのだ。
「法衣の色がみんなバラバラだね。黄色も多いけど、薄い赤色もそこそこ……いや、結構な数……?」
『薄赤の法衣は17人ね。天井にひそませたアレイウォスプのカメラ映像からカウントしたわ。比率的に凄くない?』
ヴィリンテルの中には24人しかいない枢機卿、その過半数が一堂に会している。
「見覚えがある顔もいるね。昨日までに回った教会の枢機卿さんたちだ」
『他にも面白いのが来てるわよ。顔認証が一致したわ』
「枢機卿のうち数名は、副教皇派に所属している人間ですね」
副教皇派の重鎮も来ている?
敵情視察のつもりだろうか。
しかし、そちらに構っている場合ではなかった。
「貧乏教会と蔑んでおったじゃろうが! 毛ほどの興味も持っとらんかったろうに! なぜ! 今更! こんなにも大挙しよったんじゃー!?」
「……とりあえず、アイアトン司教を宥めよっか」
慟哭が止まらなくなった貧乏教会の管理者を、俺とネオンで適当に落ち着かせる。
そこに、アイシャさんが教会の外から現れた。
「ただいま戻りましたっ、ダニエルさん」
「あれ? アイシャさん、どこか行ってたの?」
「はい。知人たちのところを、ちょっとですねー」
彼女は満面の笑顔をつくって、こんなことを。
「すっごい騒ぎですねえ。どうやら教皇様ご来訪の噂が、あっと言う間にヴィリンテル中を駆け巡ったみたいですよー」
この発言に、ピンと来たのがアイアトン司教。
「も、もしやアイシャ、わざと情報を流してきよったなー!?」
喚き散らすアイアトン司教に、アイシャさんは、クスリと不敵に微笑んだ。
「まあ、なにをおっしゃっているのかわかりませんわ、アイアトン司教」
「今のが証拠じゃ! お前が儂を苗字で呼ぶときは、いっつもろくなことをしとらんではないかー!」
言われてみれば、普段の猫かぶりシスターのときは『ダニエルさん』ってフランクに呼んでるけど、謀略家アイシャさんのときには『アイアトン司教』って畏まった呼び方をしている。
俺たちに対してとは真逆だ。
ドタバタやっているうちに、約束の刻限が近づいてきた。
アイアトン司教は「ああ、来てしまう、来てしまうぞい」と、そわそわと精神をすり減らしている。
「ま、神経使うわな。軍隊で言うなら、最高指揮官が突然巡察に来たようなもんだ。上位幹部の巡察でさえ、相当に厄介なものを」
「あ、俺も従軍学校で覚えがある」
在学中、帝国軍のお偉いさんやらその上の人やらが視察に来た時があったけど、教官たちが妙にピリピリしてて、空気が無茶苦茶重かったのを覚えている。
『隊長、見えられましたぜ、馬車が1台、裏手の専用道からご登場でさあ』
「お、ついにお出ましか」
「き、来てしまったのか!?」
「アイアトン司教、ご挨拶をしっかり頼みますよ」
「わ、わかっとるわい。そうプレッシャーをかけんでくれ」
数分と待たず、その人物は教会の中に入ってきた。
数日前に遠目で見た、空色の法衣のご老人。
教皇府の職員と、護衛の神兵たちとを引き連れているあの人が、クリストフ=デュレンダール教皇様、その人だ。
かなりのお歳を召されているという話の通り、顔全体に深い皺が刻まれていて、その中に、深い青色の瞳を覗かせている。
「体調は、悪くないみたいだね」
足取りはしっかりしているし、姿勢も高齢を感じさせない。
『でも、こっちに来るのは別の意味で一苦労だわ。集まった枢機卿が次々に挨拶して、ことごとく道を塞いじゃってるもの』
枢機卿たちは我先にとばかり教皇様のもとに馳せ参じ、結果、薄紅色の塊が通路上に生まれていた。
そんな彼らに穏やかに言葉を掛けながら、教皇様はゆっくりゆっくり、しかして歩みを止めることなく、こちらに向かって進んでくる。
そう、歩みは止まらない。
教皇様が一歩御足を踏み出す度に、枢機卿たちは示し合わせるでもなく一様に数歩後じさり、進路を阻まないよう脇に逸れるのだ。
「あれが、聖教会の最高位者……」
高い職位者の集団が自然と割れて、ただひとりのために道をつくる。
ある種の異様な、軍隊の行進とは一種違った威圧感が、そこにはあった。
「えっと、じゃあ、俺も邪魔にならないよう、奥に――」
「司令官、もちろんあなたも同席していただきます」
「あなたは聖女様をこの国にお連れになった張本人ですのよ。挨拶せずに済むとお思いですの?」
「……マジか」
当事者扱いである俺は、この場から逃げ隠れさせてもらえない。
逆に、わかりやすい武力である護衛の私兵は、本来は目の届かない位置に……なんだけど。
「副教皇派の人間も来てるんだろ? 2日前の暗殺もどきのこともある。俺らもすぐ動ける場所に立って、威嚇になっておかねえとな」
ケヴィンさんとアンリエッタは、礼拝堂内のすぐ駆けつけられる場所に堂々と控え、他の部隊員も午前同様、混雑緩和の誘導員という形で、各所に配置させる。
「ふいごの出番があれば、すぐ飛んでいきやすぜ」
「アホ、今回は大人しくしとけ」
意気揚々と参戦表明したガストンさんとブリュノさんを、他の隊員たちが止めている。
(気楽だなあ、あの人たちは……)
おかげで俺も、肩の力が少し抜けた。
そのためか、ふと、あることに気づいた。
(あれ? 教皇様の目が……?)
枢機卿たちに挨拶を返す教皇様。
彼らに顔を向けながら、しかし視線は微妙にそれてこちらのほうに向かっている。
いや、こちらではなく、俺のことを見ているのだ。
(あの目……何か……?)
青黒い湖の底を思わせる、深く、そして優しげな瞳。
俺のことをじっと見つめるあの瞳に、何か、懐かしいような……いや、それとは微妙に違う、でも、郷愁のような感覚があるというか……
(……ダメだ、上手く言語化できない)
目が合っていたのは短い時間で、教皇様は、すぐに枢機卿たちへと顔を向け直した。
そうして、数分の時間をかけて、ついに俺たちのもとへとやってきた。
「これはこれは教皇様、ようこそお出でくださりました」
アイアトン司教が一歩前に出て、恭しく挨拶する。
俺も、威厳に気圧されそうになりながら、司教の後ろで教皇様へと会釈した。
教皇様も、慎まやかに挨拶を返した。
その雰囲気の中に、ふと、威厳以外のものを感じた。
優しげに見えたはずの目の中に、わずかに哀愁の気配が漂っている。
だから、思い出した。
(……じいちゃんだ)
顔が似ているわけじゃない。
むしろ、じいちゃんとは似ても似つかない。
少なくとも、こんな理知的で落ち着いた感じの人間じゃなかった。俺のじいちゃんは。
でも、なぜか目だけは、この目だけは、印象がすごく似通っているように思えた。
この賑々しいリーンベル教会の雰囲気とは場違いに、寂しげで、もの悲しげで……ああ、そうか。
往年のじいちゃんの目に似ているんだ。
死期を間近に控えた、あの頃の……
「教皇様、お初にお目にかかります。私の名はジューダス=イスカリオット。ラクドレリス帝国はイーゴル地方、ヴィックスヒルの――」
貴族の演技をしながらも、心は別のことを考える。
(ひょっとして、この人も〝荷造り〟をしてるんだろうか……?)
近年は体調を崩されることが多くなったと、誰もが言う。
もしかしたら教皇様自身、あとどれくらい生きられそうか、明晰に悟っているのかもしれない。
(だから、最後に自分にできることをって、そんな考えがあるのかな?)
身近に湧いた奇跡の調査、自ら名乗りを上げた意味は、案外と、そんなところにあるんじゃなかろうか。
そんな事を思いながら、挨拶を丁寧に完遂しきった。
俺の仕事は、これで終わり。
あとはアイアトン司教におまかせだ。
が。
(……あれ?)
教皇様は、俺の前から動こうとしない。
挨拶が終わったにもかかわらず、俺のことをじっと見つめているのだ。
じいちゃんの目を彷彿とさせる哀愁の目が、濃青の深い瞳が、俺をまじまじと覗き込んでいる。
「あの――」
「えー、教皇様。こちらがこの度奇跡を起こされた、セラサリス嬢にございます」
アイアトン司教の声掛けで、視線はようやく外された。
(今のは……?)
なにか、違和感があった。
いや、違和感っていうのとも違う。
なにか意味があったのだ。
しかし、考えてもわかることはない。
そうするうち、セラサリスとの挨拶も終わった。
これで教皇様の仕事もお終いだ。
後は実務担当者、白い法衣の教皇府の職員が、セラサリスから奇跡の詳細を聴取しようとして、しかし、教皇様がそれを制した。
「教皇様……?」
「言葉よりも、もっと確実な方法がありましょう」
困惑する職員を尻目に、教皇様はにっこりと、セラサリスに語りかけた。
「もう一度、同じことをしてくださいますかな?」
周囲が声を失って、どうにか、アイアトン司教が言葉を絞り出した。
「き、教皇様。その……同じことと、申されますと?」
「今一度、秘蹟殿にご足労いただきたい」
礼拝堂が、一瞬にしてざわめいた。
「教皇様!」
慌てた白法衣から制止の声。
そして、観衆の、枢機卿たちの中からも、同様の声があがった。
「僭越ながら申し上げます。秘蹟殿は俗人禁制。それも、その禁を犯した者を――」
「彼女が咎人であるならば、よもや、神の残された聖遺物が応えることなぞ、万にひとつもなかったでしょう」
それらの声を教皇様は、やんわりと封殺していく。
優しい口調で、けれど確かな意思と威厳を込めた強い言葉が、礼拝堂の全体に響いた。
「それに――」
教皇様はゆっくりと、再び俺の方を見向いて言う。
「とても敬虔な若者がお連れになったと聞き及んでおりますゆえ、悪人のはずがありますまい」
黝い、包み込むように深い瞳が、強さも弱さもなく、ただまっすぐに俺のことを見据えている。
(この目、やっぱり……)
その目は俺から視線を外し、今度は、集まった人たちの顔を見渡した。
異を唱える者はない。
寄付金を受け取り俺の滞在を認めた連中はもちろんのこと、副教皇派の面々までもが言葉を飲み込み、何も言えなくなっている。
『すごいことになったわね。運が良いなんてものじゃないわよ』
『奇跡が正式に記録されれば、セラサリスの聖女性が公式に認められます。信心深い聖職者たちから、協力を取り付けられるかもしれません』
まさに願ったり叶ったりの展開。
しかし、俺は少し別のことを考えていた。
教皇様から向けられていた、幾度かの視線。
あれに……なぜだろう、心がざわつくような、引っかかるような、そんなよくわからない感傷を、どういうわけか覚えていたのだ。
(睨まれていたわけじゃない。不審を感じる要素はないし、不穏な気配があるでもない……でも……)
途中までは、じいちゃんの目と似ていると思っていた哀愁の目。
でも、違う。
目が合ったあの一時だけは、別の意味、別の感情が孕まれていた……そんなように思えるのだ。
「この若者が神殿騎士と出会ったこと、それにより彼がこの地を訪れる考えを固めたこと、教皇府が入国を特別に許可したこと、そして、セラサリス女史を同行させてきたこと。これらの総てが偶然であるとは、私には到底思えません。大いなるご意思が働いていると受けとめるのが、妥当だとは思いませんか?」
俺が戸惑っている間にも、話は教皇様を中心に進んでいく。
今はとにかく、困惑を顔に出さないようにしないと。
・
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・
教皇様のご意向に沿って、白い法衣の教皇府職員たちが話し合った。
結果、今日のうちにセラサリスを、秘蹟殿へと再入殿させることがこの場で決定。
どうやら、教皇様の体調が良いことも作用したらしい。
諸々の手続きを迅速に済ませてから、セラサリスを呼びに来てくれるとのことだ。
「では、秘蹟殿にて」
ゆっくりと、礼拝堂を後にしていく教皇様。
「御礼」
セラサリスがペコリと頭を下げて、俺も慌ててお辞儀をした。
穏やかな嵐が去っていった。




