24_01_5日目①/聖女様ご降臨
<5日目、朝>
「……なぜじゃ?」
朝、開門したばかりのリーンベル教会。
礼拝堂の中に、アイアトン司教の叫び声が木霊した
「なぜ、うちの教会が、こんなに人だかりになっておるんじゃー!?」
叫ぶ司教の眼前には、多くの人でごった返した礼拝堂。
その中心で、彼らひとりひとりと手を取り合っているのは、
「おお、聖女様……なんと神々しい」
「神様、ご加護、授与」
我らがメイド、今はリーンベル教会に所属の可憐な少女、セラサリス。
「ああ、聖女様、初めまして。私の話を聞いてくださいますか?」
昨晩の秘蹟殿での一幕によって、彼女は聖女と崇められていた。
聖遺物を光らせたのもさることながら、極めつけは、その後のアレだった。
『呼ばれた』
この一言が、神様を熱心に信じる人たちの心にクリティカル・ヒットした。
聖遺物を動かしたという事実と相まって、一夜のうちに話題騒然。
結果、門の解錠時刻前から人が集まり、開門された瞬間に、津波となって押し入ってきたのである。
「ああ、ありがとうございます、聖女様……」
来訪者たちは、ひとりずつセラサリスとひとことふたこと話をしては、握手をして、お辞儀をして、満たされながら帰っていく。
これをするため、礼拝堂の外まで続く長蛇の列が生まれていた。
「セラサリス、たった一晩で大人気だね」
『まるで聖母様みたいに崇めてる人たちばっかりね。感極まって泣いちゃってる』
「どこの誰とも知らねえ女を、よくぞまあ、あんな熱心に拝めるもんだ」
「逆じゃないかしら? 誰にも出自がわからないところが、神秘性を後押ししてるのよ」
謎が謎を呼び、噂がどんどん噂を呼ぶ。
結果、聖女降臨の報は、いまや聖教国内で知らない人はいないまでに周知されていた。
「セラサリスさんの独特の話し方も、ミステリアスな雰囲気を増長させているみたいですね」
「言語野のエラーが奏功していますね。あのカタコトの話し言葉は、受け手次第でいかようにも解釈できますから」
ネオンの言うとおり、みなさん、それはそれは都合よく、セラサリスの不思議な発言を受け止めている。
聖女様が信心深い自分にありがたいお言葉をくださったと、涙を流して喜んでくれるのである。
「まあ、実際のところ聖女ですわね。聖教会における聖者認定要件のひとつが、〝何らかの奇跡を起こすこと〟ですもの」
聖教会には、職位や階級などとは別に、【聖者】や【準聖者】という称号がある。
例えばテレーゼさんたち神殿騎士は、その職位に就いた時点で準聖者として扱われる。
けど、その上の聖者は、純然たる実績がなければ認定してもらえない。
ヴィリンテル聖教国の中枢、教皇府の調査部門による厳正な審査のもと、「これは奇跡だ!」と認める事象を起こした人物だけが、公式に聖者として扱われるのである。
「聖遺物を動かしたなんて、紛うことなき奇跡の所業に他なりませんわ」
正式に調査や認定審査が行われれば、認定機関が属する教皇府だって、副教皇派でさえ認めざるを得ないはずだとアイシャさんは言う。
「他に、神殿騎士であるマルカやテレーゼと懇意にしていたことも、セラサリスの聖女性に拍車をかけているようですね」
テレーゼさんやマルカに国内を案内してもらってたことかな……と思ってたら、そんな生易しい話ではなかったようだ。
『テレーゼたちの長期不在について、ヴィリンテルでは色んな憶測が流れてたみたいなのよ。それが今回の聖女降臨の報と合わさって、巡り巡って尾びれが付いて、「怪我を負った神殿騎士様をセラサリスが介抱した」っていう美談になって伝わってるみたい』
もともとは、神殿騎士の突然の不在を訝しんだ有力派閥の人間によるドロドロの内部政治の噂話だった。
それが、ヴィリンテルの周辺域に帝国兵が跋扈したことで諸説紛々とし始めて、国内に避難民の存在が疑われるに連れ、リーンベル教会に対する陰謀説へと着地する。
ぶっちゃけ事実である。
なのに、それがここに来て、感動の聖女秘話へと大化けしたらしい。
「〝話に尾びれ〟ではありますけれど、ちゃんと事実の一端も捉えているのが面白いところですわね」
ふふふ、と悪い顔で笑うアイシャさん。
これ以上ないくらいに楽しげだ。
「この状況で、計画に大幅な変更がかかりましたわ。もちろん、良い方向に」
「うん、図らずも光が見えたね」
高位役職者との手管をつくり、副教皇派の妨害に対抗する。
お金ではどうにもならなかったはずの作戦が、信仰心で解決できてしまいそうなのだから、神の国も捨てたもんじゃない。
ただ、このことで大忙しになったのが、アイアトン司教である。
彼は、膨大な来訪者たちへの対応を余儀なくされたうえ、その中には、他教会の聖職者の姿まで。
「普段は嫌味ばかり言いに来るくせしおって……」と小声で愚痴を吐き捨てながらも、アイアトン司教は、訪れた同業者らにペコペコしたり、走り回ったり、またペコペコしたり。
終いには、感極まって卒倒しかけた人を慌てて支えて横に寝かせたりと、とにかく目まぐるしく動き続けていた。
「八面六臂の大活躍ね」
「過労で倒れなきゃいいがな」
完全に他人事なアンリエッタとケヴィンさん。
ふたりは一応、俺の護衛として、両脇に待機している格好だ。
群衆に紛れて暗殺者を……なんてことにならないよう、誰からも見えるように身辺警備して、暴挙を抑止してくれている。
「だがまあ、大変なのはメイド嬢ちゃんのほうもだな。ひとりずつあんなことしてたら日が暮れちまうぞ」
「そうですわね。救貧院の配給食配りでも、あそこまでの列にはなりませんわ」
もうちょいどうにかならねえもんか、とケヴィンさん。
彼も一応、部下たちを教会の内外に配置して、混雑と混乱の緩和に協力してくれている。
けど、それにだって限界がある。
と、セラサリスがこちらを見て、ちょいちょいと手招き。
なんだろうと思って話を聞きに行ってみると、こんな提案が。
「オルガン、演奏」
「あ、それいいかも」
礼拝堂のパイプオルガンを聖女様が演奏する。
これ以上ないパフォーマンスなうえ、こんな長蛇の列をつくらなくても、聖女様の恩恵を全員いっぺんに耳で享受できる。
「よし、いくぞガストン」
「おうよ、ブリュノ」
いつものふたりが、出番だとばかりに裏のふいご室へ駆けていく。
「……あいつら、堂に入ってやがる」
「まあまあ、ありがたいことですわ。せっかくですし、地下の方々にも音を届けて差し上げませんと」
アイシャさんも、例の伝声管の蓋を開けに行った。
やがて、礼拝堂に荘厳な音色が響き渡り、訪問者たちから「おぉ……」と感嘆の声。
「やれやれ、これで少しは休めるわい……」
中の人たちが聞き入ったのを確認し、アイアトン司教は椅子に腰掛けて、背もたれに体重を預けた。
が、安寧はすぐに終わった。
『隊長、勘弁してください。外は大騒ぎです』
「あ? どうしたポール。表でトラブルか?」
「なぬぅ!?」
通信機越しの悪そうな知らせに、司教もすぐさま跳ね起きた。
『オルガンの音ですよ。表に集まってる奴ら、聖女様が弾いてるのなら意地でも中に入ると言って聞かず……』
『順番無視して、扉に向かっておしくらまんじゅうをやり始めました。死人が出かねませんぜ』
窓から外を見てみると、確かに、扉の前がえらいことに。
「おう、見えた。ありゃあ、やべぇな」
「群衆密度が事故発生レベルに達していますね。こういった場合の死因は、主に圧迫による外傷性窒息――」
「お、落ち着いとる場合かー!」
ネオンに脅かされた司教は、一目散に駆け出した。
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「……いかん。もーう、いかんぞ。こんなにも多忙を極めたのは、ヴィリンテルへの異動が決まった時以来じゃわい」
アイアトン司教が忙しさから解放されたのは、お昼の時刻になってからだった。
聖女も食事の時間だからと、参拝客たちを追い返し、やっとこさで門扉を施錠すると、礼拝堂の長椅子にぐでっと横たわった。
「お疲れ様ですダニエルさん。過去一番のお客さんでしたねえ」
アイシャさんが水を持ってきたけれど、司教は力尽きて動けなかった。
「セラサリスも、お疲れ様」
対照に、セラサリスは一切の疲労を見せず、ニコニコと笑っている。
「早めに昼食をとられることをお勧めいたします。食事が終わったら、また大仕事でしょうから」
「ぐぬぅ……やっぱり、午後も大勢来てしまうのか?」
『午後どころか、明日も明後日も大挙してくるでしょ。再来訪者だっていっぱいいそうじゃない?』
「もう勘弁しとくれえ……」
アイアトン司教が情けない声をあげたその時だった。
ガランガランと、ドアの呼び鈴が鳴らされた。
ついで、ドンドンとドアを叩く音も。
さっき司教が鍵をかけてたから、中に入ってこれないのだ。
「誰じゃ! 今は休憩中じゃぞ!」
ドアの向こうの人物に、大きな声で話しかける司教。
「お休みの……ろ失礼しま……この度……が、このリーンベ……を訪問したいと……」
厚いドア板のせいで、声がよく届いてこない。
誰かの使者みたいだけど、やけに口調が慇懃として礼儀正しい。
「つきまし……は、ご都合のよろ……い日時をご教示い……きたく――」
「ああ、わかったわかった! いつでも誰でも好きに来とくれ! どのタイミングで訪問してくれようと、この目の回る忙しさは変わりありゃせんわい!」
やけくそ気味に大声を返したアイアトン司教。
が、これでドアの向こうの使者も、声の届きにくさに気づいたようである。
彼は礼節をそのままに、声量を大きくした。
「かしこまりました! それでは! 本日の午後一番と! 急ぎ教皇様にお伝えいたします!」
「ああ、そうしてく……れ?」
ガバっと顔を上げるアイアトン司教。
俺たちも耳を疑った。
「ま、待ってくれ、君! 今、誰にお伝えすると言った!?」
慌てて起き上がり、入口めがけて駆け出す司教。
勢い良く扉を開けて、そして再びフリーズした。
「はい?」
立っていたのは、白色の法衣を身にまとった男性。
身なりがよくて、かなり位の高い人のように見える。
確か、あれを着るのは官庁に務める公職の人だとマルカが言ってたはずだ。
また、胸元には所属官庁を表すであろう、小さな徽章も付いている。
「あの徽章、教皇府の職員ですわね」
「教皇府……てことは」
驚き固まるアイアトン司教に、訪問者は、さも当たり前のように言い放った。
「誰って、もちろんクリストフ=デュレンダール教皇様です。国内で確認された奇跡について、教皇様直々に調査されたいとご希望なのです」
「きょ、教皇様じゃとぉ!?」
職員は、「ではまた午後に」と丁寧に挨拶してから去っていった。
彼の背を見送るアイアトン司教は、あごが外れそうなほどに、口をあんぐり開け続けた。




