23_08_幕間:救済は誰がために
これは、ベイルが秘蹟殿へと入る少し前。
ヴィリンテル滞在4日目の、夕刻を回った頃の一幕である。
***
「気が重い、むっちゃ重い……」
副教皇派の妨害工作を受けた俺たちは、状況を覆す一手を打つべく、夜更けを待って秘蹟電に侵入することが決まった。
ぶっちゃけ、バレたら重罪である。
それまで休んでいるようにって言われたけど、どんよりと不安がのしかかってきて、それどころじゃなかった。
「なにか、飲むものをもらおうかな」
やけに喉が乾いた俺は、水でも飲もうとキッチンに向かう。
そこには先客の姿があった。
「……ふん、どうせ儂はボンクラじゃい」
アイアトン司教である。
彼は、シルヴィを筆頭に色んな人からくさされて、やさぐれながら紅茶を淹れていた。
「……なんじゃ、笑いにでもきよったか」
完全に卑屈になっている司教。
ただ、気持ちはよくわかる。
「アイシャさんも、けっこう無茶苦茶言いますよね。秘蹟殿に入れだなんて」
「……お前さんも、一緒に飲むか?」
彼は一転、俺にもティーカップを差し出してきた。
こちらを同族と見做したらしい。
実際、似たような心持ちだった俺も、ご相伴に与ることに。
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「だいだいじゃ。秘蹟殿に踏み入ることがどれだけのことか、アイシャはわかっておらんのじゃ」
そして始まった愚痴大会。
まるでお酒でも飲んでいるように、彼は心の鬱屈を吐き出していく。
(この調子だと、アイアトン司教には秘密にしてなきゃだめそうだな……)
夜更けを待って秘蹟殿に潜入することを、俺たちは彼に説明していなかった。
「子どものころからああなんじゃ。アイシャは街の問題児でなあ……」
注いだ紅茶をガブガブと飲み、俺にも飲むよう勧めながら、司教は自分のカップにまた紅茶を注いでいく。
本当に自棄酒みたいだ。
「確か、テラロ地区のご出身だと」
一応お礼を言っておきつつ、紅茶をひと口。
絡み方はともかく、うん、おいしい紅茶だ。
「そうじゃ。儂がまだ神父だったころは、テラロのとある教区でレーデンという教会を担当しとったんじゃがな」
「じゃあ、その教区にアイシャさんも?」
「いんや。アイシャが暮らしとったのは違う場所じゃ。レーデン教会があった教区ではなく、その隣の教区の教会孤児院におったんじゃよ」
「孤児院……」
置いたカップがソーサーに当たり、カチャリと鳴った。
「アイシャの両親はトリア地区の出じゃった。が、訳あって、トリアに住めなくなってしまった。まだ赤子のアイシャを連れてテラロ地区に移住してきたんじゃが、暮らし向きは良くはならんかった。そうして、色んな無理が祟ったんじゃろうのう。アイシャが物心つく前に、ふたりとも空に召されてしもうた」
残されたアイシャさんは孤児として、教会が管理する施設に預けられたそうだ。
「迫害、ですか?」
「それに近いものじゃな。聞いとるかもしれんが、あの子はセーア人の血を引いとる」
連邦国家の建国時、聖教への宗旨替えに最後まで反対していた民族、セーア人。
当時、民族紛争にまで発展した禍根は、長い年月を経た今でさえ尾を引いている。
そんな話を、俺はじいちゃんに連れられていった先で、よく聞いた。
「じゃがな、あの子はそんな迫害に負けなかった。自分の足場さえおぼつかぬのに、身を挺して他者を救おうとする子に育っておった」
司教は遠い目になって、アイシャさんの子どもの頃を語り始めた。
***
「あらー、お出かけですか、アイアトン神父」
「なんじゃ、アイシャか。またこっちの教区をうろうろしとったのか?」
アイシャは活発な子じゃった。
行動範囲が広かったんじゃろう、街の中でよく遭遇したわい。
「はい。迷子の猫ちゃんがいたので、送り届けてあげたんですっ」
よく笑う明るい子じゃった。
が、この時、実はアイシャは後手にナイフを隠し持っておった。
隠し持たねば入れないような場所に行っていたことの証であり、ただの猫ではないことの証じゃった。
儂は気づいておらんフリをした。
「……その猫ちゃんとやらは?」
「だいじょうぶですっ。もう手は回してもらいましたからっ」
いつも後から知るんじゃが、アイシャはやはり人を助けておった。
この時は、儂の教区からほど遠い貧民街で、虐待を受けている子どもを見つけたそうじゃ。
街にありふれた不幸じゃったし、アイシャ自身もまだ子ども。
その教区の教会関係者やらを引っ張り込むべく、相当な無理をしたようでな、アイシャ自身が悪い連中に追われておったんじゃ。
「なら、あとはお前さんじゃな」
「はい?」
「孤児院の門限まで、レーデンで大人しくしとれ」
儂はアイシャの手を引いて、レーデン教会に引き返した。
この時、アイシャにしてはやけにポカンと間の抜けた顔になったのを、どうしてかよく覚えておる。
「はあ、でも神父様はお出かけなのでは?」
「そうじゃ。儂は神父じゃ。自分の安全を度外視しとる野良猫を、ほっとけんわい」
***
「本当に、子どもの頃からだったんですね」
生まれついての救済者、とでもいうんだろうか。
善悪の観念が、ちょっと振り切れすぎてる気がする。
「あの行動力には舌を巻くわい。毎日門限ギリギリまで街を駆け回っては、色んなところで色んな人助けをしとったようじゃ。ずいぶんと危ういやり方でのう」
***
アイシャをレーデンに置いてから、儂は用事を済ませにまた外出した。
数時間して戻ってきたとき、アイシャはまだレーデンの中におった。
「神父様もお戻りですし、私もそろそろお暇しますねー」
どうやら儂に礼を言うため、律儀に帰りを待っとったらしい。
「なにかあったら教会を頼っていいんじゃぞ。避難場所としても最適じゃ。ここでなくとも、自分のとこの教会になら、逃げ込みやすいじゃろう?」
アイシャのおった孤児院は、ヒルデ教会というところが管轄しておった。
「でもですねー、あの教会、建物はとても広いはずなのに、どうしてか、とても狭くるしいもので」
笑っておるはずのアイシャの顔に、やるせない無機質さのようなものを感じてのう。
「まあ、ヒルデ教会はキント人の連中が幅を効かせておるからのう。結束力が高い民族じゃから、寄付金集めには重宝するんじゃが、いかんせん、我が強すぎてなあ。すぐに排他的な活動に走りがちなアホタレばかりで、まったくもって困ったもんじゃわい」
おどけつつ悪く言ってみせると、アイシャも「そうですねあははー」などと笑ってみせた。
いい扱いは受けておらんかったのじゃろう。
とはいえ、こちらに寄りつくことは勧められんかった。
儂のいた教区は、治安の悪いことで有名じゃった。
裏手には貧民街が立ち並び、刃傷沙汰も日常茶飯事。
子どもがうろつくには、適切とは言えん場所じゃ。
「こういう時は儂のトコより、パトリックの教区に行ったほうがよいぞ。あ奴とも顔見知りじゃろう?」
この時、パトリックはすでに司教に昇格しとってな。
大きな教区を受け持っておったほか、他の複数の教区も監督する立場じゃった。
だもんで、儂なんかより、よっぽど色んなところに顔が効いたんじゃ。
ところがな、アイシャはこんなことを言いよった。
「いえいえー。あちらは少々、治安が良すぎるものですから」
この言葉に、あの子の歪みが濃縮されておるように思えたよ。
神に感化された少女の火遊びと考えるには、いささかに度を過ぎておった。
「……ほどほどにしとくんじゃぞ。神父の身でこんなことを言うのもアレじゃが、世の中には神を信じぬ者、改心できぬ者というのがゴマンとおる。個人の力ではどうにもできんのが、くやしいがこの世の理じゃ」
「そうですねー、神様も苦労が絶えないでしょうねー」
ほどなくアイシャは帰っていき、入れ違いに、パトリックが儂の教会を訪れた。
「ダニエル、またあの子どもが来ていたのか?」
「ん、おお、パトリック。早かったのう」
立場に差こそできておったが、儂らの担当教区はそう離れておらんでな。
互いの仕事の合間を縫っては、月に1、2回くらいの頻度で、どちらかの教区の中で会っておった。
「あの少女、ほうぼうの教区から報告があがっている」
「みたいじゃなあ。あちこちに顔を出しては、色んなことに首を突っ込んでおるようじゃ」
「他人事のように言うものだ。先日の救貧院での一幕、忘れたとは言わさんぞ」
「いやあ、ありゃあ炊き出しのスープに牛糞を投げ込んだやつが悪いじゃろ。目撃者がしゃべれんのをいいことに、罪をなすりつけようとまでしておった。アイシャの大立ち回りがなかったら、冤罪でボコボコに袋叩きだったはずじゃぞ。食い物の恨みは怖いからのう」
***
「ひょっとして、一昨日ジーラン枢機卿が言ってた件ですか?」
「そうじゃ。あの時は、たまたま儂とパトリックが現場に居合わせておってな。食うものも食えん連中への食事が台無しになったせいで、暴動の一歩手前だったんじゃ。あやうく無実の人間が殺されるところだったのを、あの子だけが潔白を信じ、儂らに助力を願い出てきた」
「それで、真犯人を捕まえて?」
「特定は、すぐにできたんじゃがな……」
「え? 何か問題でも?」
司教は苦い顔をつくった。
「蓋を開ければ犯人は、旧テラロ国時代の元貴族の子というオチじゃった。下手に手を出すのはまずいが、暴動が起きれば最悪殺される。止むなく、聖教会として正式に抗議する形ですぐさまに親を呼びつけ、金の力で解決を図らせた次第じゃ。いやあ、そうとうに揉めたわい」
「うわあ……」
「まあ、大部分の泥をかぶったのは、主にパトリックだったんじゃがな。ともあれ、儂とあ奴の関係は、この頃は好ましいものじゃった」
***
パトリックとは、たいてい世間話をしとったな。
儂の淹れる紅茶を飲みながら、時事について語らい合う。
一種の情報交換じゃ。
「時にダニエル、教皇選挙の話は聞いているか?」
「来月あたりが濃厚、というんじゃろ? 教皇様が床に臥せって、早ふた月。すでに会話もできん状態だと、噂が教会を駆け巡っとるのう」
「民に混乱が伝播する事態は避けねばならん。だというのに、教会側の口が軽すぎる」
「まあ、憲章に反しない程度に準備を進めておくのは、儂は良いことじゃと思うぞ。水面下は酷いもんじゃろうがのう」
もっとも、この世間話はすぐに、討議に変わってしまうんじゃが。
***
「討議、ですか?」
「まあ、若く熱意ある聖職者によくあるやつじゃ。人を愛し、生への希望にあふれるがゆえの、いわば未来への問答じゃよ。昔の儂らも例に漏れず、話しとるうちに互いに熱を帯びてきてな。ケンカのようになってしまうこともしばしばじゃったわい」
***
この頃の儂らは、すでに若いという歳でもなかったが、もはや慣習となっておった。
……そうじゃな、おおむねはパトリックのほうから問題定義がなされておったかのう。
「世には格差が蔓延している。金を得ること、富を蓄えることばかりが第一義となり、共助がなおざりとなって久しい。神によって規範が示されているというのに、だ」
「必要なのは再配分の仕組みではないかのう。金がなければ生きられんのは事実じゃし、富の格差は貨幣が生まれる以前からあった話じゃろ? 高貴なる義務だけでは、もとより限度があったのじゃ」
「制度は既に存在していよう。租税しかり、教会への寄進しかり。だが、これらは強者を傲らせ、弱者を堕落させる結果を生むばかり。神の名のもとの権力に溺れる統治者と、その統治者に生を保証せよと叫ぶだけの不精者の、なんと多いことか」
苛烈な言葉を使うこともあるが、しかして口論とは違うんじゃ。
気心知れた者同士だからできる、考え方のぶつけ合い。
もっとも、若気をなくしつつあったためか、未来よりも現在に目を向けることのほうが多くなっておった。
「じゃがのう、傲りも欲も、人の情ではあるじゃろう。人情なくして人間は生を謳歌できんというのは、ここ数年で嫌と言うほど思い知ったわい」
「俗欲では社会は創れん。ゆえに神の規範を教会が説き、強固な共同体を形成した。だが、昨今の素封家どもはこれを理解しておらぬ。人の営みが、神のもたらす安寧の上に成り立っていることを忘却させようとさえしている」
「人間は、あって当たり前のものを見ようとせんからのう。神の教えが世界に充満しておるがため、とも言えようか。感謝の心を忘れて良いとは言わんがなあ」
この頃のパトリックは、言葉の棘が少々度を越しておるように感じられた。
無論、親しい儂じゃから見せていたもので、余所ではしっかりと弁えておったのじゃが。
「そうだ、心こそが問題なのだ。社会の発達に伴い、人は心を希薄にしていく。人を助ける心、敬う心、慈しむ心。金を得る側も得られぬ側も、心を軽んじ、人を軽んじ、神を軽んじる」
「まあ、割合としては増えたかもしれんのう。自分の教区を見ていて思い知るわい」
「もはや人は、神だけでは抑制の効かぬ〝理知なる獣〟に成り果てた。規範は人が示さねばならない。規律は人が定めねばならない。それも、連中の理知を上回る方法でだ」
「パトリックよ、お前さん、今日は言葉が過ぎるのではないか? 見えぬものを信じよ、というのは難しいことじゃろう。ゆえに我々がおるんじゃからな」
「本質は、いるかどうかではないのだ、ダニエル。神がご不在だとするなら、どのみち誰かがやらねばならない。存在するならば、私に試練をお与えになったということだ。何としてでも、何をしてでも――」
儂は、パトリックも最近疲れておるんじゃろうと、そのくらいの認識しか持っておらなんだ。
世の情勢も暗澹としたものじゃったから、それに引きずられておるのじゃろうと。
「ところでダニエル。先程の選挙の話だが、次期教皇、誰になると考える?」
「デュレンダール卿で決まりじゃろう。今の聖教会に、あの方以上の聖人君子はおらんからのう。どうせ満場一致じゃ」
「異論はない。むしろ遅すぎたとする声さえある。もっぱらの視点は、副教皇に選任される者が誰になるかだ」
「人脈の広さからしたら、ロレンス卿かオーティス卿あたりなんじゃろうか?」
「私はリルバーン卿だとみている。毒気の強い人物だが、デュレンダール卿に足りぬものがあるとすればそこだ」
「清廉潔白ゆえの不備……かのう。まあ、教会を取りまとめるのに適度な〝毒〟は必要じゃな」
「瑕疵なき成果が、デュレンダール卿のイメージを固定し過ぎたのだ。決して清濁併せ呑めぬお方ではないが、世間がそれを許してくれまい」
「そうなると、確かにリルバーン卿が向いとるか。余人がやっても、下手すりゃ貧乏籤じゃしなあ」
思えば、すでにパトリックは、ヴィリンテルの中枢に入り込むことを決めておったのじゃろうな。
教皇選挙からしばらくして、あ奴はテラロ地区を去っていった。
***
「ひとりテラロに残された儂は、日々を漫然と過ごすことになったが、少しだけ別の変化もあったんじゃ」
「変化、ですか?」
「うむ。アイシャを教区で見かける頻度があがってな」
***
「アイシャ、こんな夜更けに何しとるんじゃ?」
見つけたのははたまたまじゃった。
アイシャは路地裏に、隠れるようにうずくまっておった。
暗くてよく見えなんだが、右足の側部全体に、血が滲んでおった。
「ど、どうしたんじゃアイシャ、その怪我は!?」
「いえいえー、ちょっと大げさに見えますけれど、擦り傷だけですよー」
嘘ではなさそうじゃった。
水で洗って確認してみたが、怪我は擦傷と打撲のみ。
骨に異常はなさそうじゃったが、見るからに痛々しかった。
「お前さん、また妙な輩にちょっかいかけとったのか?」
たぶん、誰かから逃げるか何かして、その時に打ち付けたのじゃろう。
が、それを言う子ではなかった。
「大丈夫ですよー。少し休んだら――」
「馬鹿言うでない。折れておらんでも、痛くて歩けんじゃろう」
有無を言わせず、おぶって孤児院まで運んだ。
門の前に来た時に、「ここで結構ですよー」と言って、アイシャは儂の背から降りた。
門限を過ぎとる理由の説明だけでもしておこうと思ったんじゃが、「逆に怒られちゃいますからー」と言って、断じて中に入れようとせなんだ。
「あまり過激なことはせんようにな」
「ご心配、ありがとうございます、アイアトン神父」
丁寧に礼を述べたアイシャは、いつになく屈託のない笑顔で笑っておった。
その笑顔に安心し、儂は門のところで引き返した。
最後まで付き添ってやるべきじゃったと、翌日に後悔した。
次の日、アイシャは歩けるようになっておったが、代わりに、頬に青いあざができていた。
「あー、アイアトン神父じゃないですかー。今日もお外に行ってらしたんですねー」
「アイシャ、その顔は……」
「いえいえー、こんなのへっちゃらです」
アイシャは、昨日と全く変わらん笑顔を浮かべておった。
「……ヒルデの連中に、ひとこと言っておかねばならんな」
「いえいえー、ご心配なく。そういうお話があると、お外に出られなくなっちゃいますからー」
「じゃがな――」
「やめてください」
儂はどうやら、ずいぶんと怖い顔をしてしまっておったようじゃ。
アイシャは、笑顔の仮面を取り外しておった。
「救われべき方々がたくさんいらっしゃるのに、手をこまねいているのは好きませんわ」
初めて聞く声じゃった。
歳不相応な、やけに大人びた口調じゃった。
「それが、お前さんの本物の声……なのかのう」
おそらくこれも仮面じゃろう。
いびつに歪んだ暗い仮面。
見ているこちらの心まで、闇の奥へと引きずられるような……
けれど、後でアイシャに聞かされたんじゃが、儂はこの時、ずいぶん優しく微笑んでおったそうじゃ。
「猫を被って笑っとるより、こっちのほうが好みじゃな」
「あら嬉しい。ダニエルさん、もしかして私を口説いていらして?」
子どもの癖して、アイシャは明らかに儂をからかっておったな。
「うむ、口説いておる」
「はい?」
じゃが、儂は本気じゃった。
「レーデンに来んか、アイシャ? 今いる孤児院は、ちと門限が早かろう。わしに迷惑をかけんのなら、自由に外を歩いて構わんぞ」
他所では歪みやもしれん。
じゃが、アイシャは正道を歩もうとしておる。
なれば、歪んでおるのは、敷かれている道の方ではあるまいか。
「ま、歩くついでに寄付金を稼いでくれたりすると、そこそこ嬉しいんじゃがなあ」
今度のは冗談めかして行ったんじゃが、
「わかりましたわ、アイアトン神父。あなたがお金を得られるように動けばよいのですわね」
「むう?」
アイシャの目は、やけに楽しげに笑っておった。
言わんほうがいいことを言ってしまった気もしたんじゃが、まあ、その通りじゃったと、今なら思うわい。
手を差し出すと、アイシャは儂の手を握り、しかして、
「あ、思い出しましたー。私、足も痛かったんです。ひとりじゃちょっと歩けません」
こんなことを言い出して、儂の背中に負ぶさりよった。
「さあ、帰りましょうダニエルさんっ。私たちの教会に!」
「まったく、もうこれじゃ。ほどほどにしとくれよ」
***
「この一時のセンチメンタルな心境による決定を、何度も何度も後悔することになったわい」
悪ガキに手を焼く……なんていう生易しいものではなかったと、司教は鬱々とした顔で振り返った。
「事あるごとに責任を取っては頭を下げ……じゃというのに、気づいた時には本国の教会管理者に昇格させられとったんじゃぞ」
降格処分を受けるどころか大出世。
しかも、聖教国内の教会への赴任ときた。
きっと、数奇な運命なんて言葉じゃ言い尽くせない苦労が雪崩のように押し寄せていたのだろう。
……でも。
「それでも、アイシャさんの居場所であり続けたんですね」
「……あの子は、人を救うためなら全てを投げ打つ性分じゃった。才覚と呼んでもよいな。高貴にして、高邁にして、とても危なっかしい才覚じゃ」
そのアイシャさんは言っていた。
自分の活動を、アイアトン司教は『全て把握している』と。
『何にも秘密にしてない』のだと。
生まれついての救済者にとって、彼は、どれだけ得難い理解者であったことだろう。
……この人には、きちんと言っておかないといけない。
「アイアトン司教。俺たちはこの後、夜更けを待って、秘蹟殿に――」
司教はおもむろに紅茶を注ぎ直し、俺の言葉を遮った。
「儂は知らん。儂はなーんにも聞いとらん。行くならば勝手に行っとくれ」
ティーカップから湯気が立ち、紅茶の匂いが香り立つ。
アイアトン司教流の、了承の言葉だった。




