23_07_4日目⑦/ラゴセドの匣(はこ)
「ラゴセドの匣……? 聞いたことがないな」
『このラベルだけ翻訳が書かれてないわね。〝ラゴセド〟って、何を意味する単語なのかしら?』
シルヴィがドローンで、周囲をぐるぐる観察する。
「箱っていうかさ、ごつごつしてて岩石みたいじゃない?」
黒くくすんだその塊は、岩山に置いてあっても違和感がない見た目と質感をしていた。
形も奇妙で、まるで、拳を握りしめた形状というか、花の蕾が開く前の状態というか……何かがぎゅっと縮こまっているような印象を受けるのだ。
『前衛的な芸術作品……じゃあないわよね? どっかのオブジェであったわよ、こういうの』
「ネオン、内部の構造とかって、どうなってるの?」
「わかりません。この聖遺物だけは、解析できません」
わからない、だって?
「ホルス・アイのレーダーに何も返ってくるものがありません。この聖遺物も、BF波を弾いてしまっているのです」
「こいつも、秘蹟殿と同じ……」
ただ、シルヴィは解析を諦めていなかった。
『視覚情報から、何か掴めそうではあるのよ』
ドローンをラゴセドの匣のギリギリまで近づけて、一点を辛抱強く眺めている。
『全体的に劣化してるけど、内部の回路がかろうじて保護されてるみたい』
「内部に、回路?」
『ほら、すっごい所々で、すっごい小さな隙間が空いてるでしょ?」
「いや、俺には見えないけど」
『中をエネルギーの伝達経路らしきものが走ってて――』
俺のツッコミは無視された。
『でも、アタシが知る限り……ううん、第17セカンダリ・ベースに蓄積されたデータと照らし合わせた限り、こんな構造の回路は、どの時代にも存在していなかったのよ』
つまり、この巨大な聖遺物は、ネオンやシルヴィでさえ知り得ない、正体不明の装置ということになる。
『でも不思議よね。外装はこんなにボロボロなのに、レーダーで解析できないんだから』
シルヴィはドローンを遠ざけて、再び周囲をぐるぐる飛ばし出した。
『死んでいるのにBF波を阻害するなんて、どういう素材でできてるのかしら』
「死亡、否定」
ふと、セラサリスが声を発した。
彼女は、背負っていたホルス・アイを、おもむろに床に置くと、ラゴセドの匣へと近づいていく。
「サーバー、生存」
『サーバーですって!?』
「セラサリス、あなたはこれが何か、ご存知なのですか?」
しかしセラサリスは、ふたりの声が聞こえないのか、言葉を返さず歩を進める。
静かに匣の前へと立つと、表面にそっと手を触れた。
そして――
「……起動」
突如、ラゴセドの匣から、翡翠色の光が溢れた。
「接続、開始。ID、送信。コマンド、入力……」
亀裂のような隙間から、光が奔流となって漏れ出てくる。
その光にあてられたかのように、セラサリスは何かの言葉を紡いでいく。
「コマンド、承認。データ、復旧……エラー、リトライ、エラー、リトライ、エラー……」
「な、なんだこれ? ネオン?」
「わかり、ません……セラサリスの演算領域で、未知のプログラムが走っているようです。しかし――」
ネオンでさえも困惑する事態が、眼の前で起きている。
光に顔を緑色に照らされながら、セラサリスは一心不乱に、聞き慣れない言葉を呪文が如くに唱え続ける。
そして、次の瞬間、事態は危機的状況へと変貌した。
「っ!? セラサリスの演算領域に何者かがアクセス! 人格データとコンタクトを図っています!」
『何よこれ……!? 発信元はこの聖遺物だわ! ラゴセドの匣とデータ通信してる……いえ、させられてる!』
取り乱したふたりの様子が、ただ事ではないと示している。
「リトライ、エラー、リトライ……」
「いけませんセラサリス! 回線を遮断し――」
「リトライ……成功」
セラサリスの言葉が止まる。
彼女を照らす翡翠色の光も、白い閃光に変化した。
同時に、光を放っていた亀裂が開いていく。
「こ、れは……」
握り拳にも、花の蕾のようにも見えていたそれは、本当に自らの筐体を締めつけ、捻りつけ、本来の姿を封じていたのだ。
その封印が解かれた匣は、輝きながら、花弁のように開かれていく。
そして――
「■■■、■■■■、■■」
……なんだ? 今の声は?
「■■、■■■、■■■」
不明瞭な、しかし、何らかの意味を持つのであろう言語らしき声が、この通路に響き渡っている。
「まさか、ラゴセドの匣が、しゃべったのか?」
「その通りです司令官。音声は、あの筐体から出力されています」
その声は、自らを解放した少女に向けて発された。
「■■■■、■■■」
「一部復旧、セーフモード起動。久しぶり」
あまりにも気安く、あまりにもにこやかに、セラサリスはその声に返答する。
まるで、長らく会っていなかった友人との、久闊の挨拶であるかのように。
「ネ、ネオン。あれは何語を話してるんだ?」
「わかりません。前文明に存在したどの言語でもありません。無論、現文明の言語でも……ですが――」
驚きを隠せないまま、俺たちは、ふたりのことを見続けた。
「■■■、■■■■■?」
「肯定。必然的帰結」
「■■■■、■■■■?」
「否定、断片的」
「■■■■。■■、■■■■■■?」
「一部否定。耐用年数経過。予備役」
これって、間違いなく、
「……話が、できてる、よな?」
ネオンでさえも把握していない未知の言語。
だというのにセラサリスは、しっかり会話を成立させている。
『データ通信は途切れてるわ。純粋に、音声認識機能によって会話してる。問題は――』
「その音声認識によって得られているはずの情報が、セラサリスの記憶領域に保存されていません。厳密には、修復不能な破損データが置かれているはずの領域のみが更新されています」
……どういうことだ?
「■■、■■。■■■■■■■■?」
「肯定。任務継続、了解」
俺がその意味を理解する前に、彼女たちの会話は終わった。
ラゴセドの匣は発光を止めて、元々の拳を握りしめたような、岩塊がごとく姿に戻ってしまった。
「お、終わった?」
「肯定、接続終了」
セラサリスは、何事もなかったかのように、いつもの調子で俺に答えた。
「セラサリス。当時のあなたは、この匣の存在を知っていたのですか?」
そのセラサリスに、ネオンが今の現象の仔細を求める。
「回答不可。国連最重要機密。守秘義務」
が、セラサリスは答えることを拒否。
理由は守秘義務。
軍人には、任務を解かれたり、軍を退役した後でも、重要な秘密を明かしてはならない義務がある。
それと同様の守秘義務を、自身も負っていると主張したのだ。
『全部破損データだと思ってたけど、いくつかは偽装プロテクトだったのね』
気づかなかったわ、と悔しがるシルヴィ。
メモリどころかOSに至るまで破損とバグでエラー出っぱなしだったから……と、今にも地団駄を踏みそうな声だ。
「あなたは『任務継続』とも言いましたね。その任務内容とは?」
「回答不可。違反強要、パワハラ」
「答えられないでは済まされません。場合によっては、あなたの人格データを隅々まで解析してでも、プロテクトを取り除くことになります」
「非推奨。プライバシー、侵害」
「そのような屁理屈が通用するとお思いですか。どうあっても答えないというならば、本当に――」
口酸っぱくお説教するネオンと、拗ねたような顔のセラサリス。
なんかもう、姉妹喧嘩みたいになっている。
……まあ、なんだ。
よくわからないけど、たぶん、こういう聞き方をしたらいいんだよな。
「じゃあ、答えられる範囲でいいから。司令官に対して」
言い合っていたふたりが、途端に俺の顔を見た。
「ネオンの所属する軍事機関って、その〝国連〟って組織の軍隊が前身だって話なんだろ。だったら、当時の軍事責任者が持ってたはずの〝機密を知る権限〟とかだって、次の組織が承継してるんじゃないか?」
ネオンが回答するよりも早く、セラサリスがコクンと頷いた。
「施設警備、二の次、付帯任務」
施設の警備に付帯する別の任務?
いや、施設の警備が付帯任務で、本筋は別にあったという意味か。
つまり、国連という重要な組織の重要な施設を警備する彼女の任務は、あくまで本来の任務に付随した〝おまけ〟だったということ。
「なら、最も優先するべき任務は?」
「最重要任務、オーパーツ警護」
「オーパーツ……?」
その言葉は、いつぞやに聞き覚えがあった。
「オーパーツって、どこかで……」
「サテライト・ベースの探索時です。ブラックボックスにULaKSが残した音声データ。あの中に」
――過去からの遺物は、進化を促す異物であってはならない――
「セラサリス、オーパーツっていうのは、このラゴセドの匣のこと?」
彼女はコクンと頷いてから、その後、首を横にふるふる。
「……えっと、どっち?」
「オーパーツ、たくさん」
「あー、つまり……」
ラゴセドの匣はオーパーツ。この認識は間違ってない。
だけど、セラサリスが護っていたオーパーツというのは、このラゴセドの匣ひとつじゃなかった。
もっとたくさん、オーパーツと呼ばれるものが存在した、そういうことか。
「じゃあさ、そもそも、オーパーツっていうのは?」
「有史以前、高度科学文明、遺留品」
俺が理解するより先に、ネオンがそれを問いただした。
「それは、我々の科学文明よりも以前に、高度な科学文明が栄えていたということですか?」
「そうなの? セラサリス」
今度も彼女は、首をコクンと縦に動かした。
その後で、横に振られることはなかった。
「てことはつまりだ。ネオン、この『ラゴセドの匣』ってのは」
「前文明の時代に発見されていた、それ以前の……いわば、前々文明の遺産、ということになるのでしょうか」
「前文明より、更に前の文明……」
何らかの理由で滅んだ、前文明より以前の文明……便宜上、ネオンは前々文明と呼んだ。
その前々文明の科学技術の痕跡が、前文明で発見されて、過去からの遺物と呼ばれていた。
で、それが現文明でも発掘されて、聖遺物と呼ばれるようになって……ややこしいな、おい。
『聖遺物全般がオーパーツだとは限らないわよ。出土したのが仮にアタシたちの文明の残滓だったとしても、現文明の人に明確な区別ができるはずがないもの』
それもそうだ。
現に、さっき見た別の聖遺物は、前文明の発明品だった。
いや、本っ当にややこしいぞ、コレ。
「聖遺物のカテゴライズは後にしましょう。ここで最も注目すべきは、『ラゴセドの匣』が、前文明のAIと対話可能な人工知能を有する記録媒体だということです。これは、前々文明も、科学が高度に発展していた、先進文明であったことを示しています」
前々文明でつくられたものが、前文明のアンドロイドと最低でも同等の次元にある。
ここだけは、俺にも理解できる。
「お聞きしますセラサリス。あなたが国連ジュネーヴ事務局に配備されていた時代に起きた、複数のテロリスト・グループによる欧州本部の襲撃事件。あの大規模テロは、これを狙ったものだったのですか?」
「回答不可。守秘ぎ――」
「ネオンの質問は、全部俺からの質問ってことにしてくれ」
コクコク頷いたセラサリス。
こっちもこっちで、ややこしい。
「否定。テロリスト、目的、国際情勢」
「テロとは無関係。とすれば、このオーパーツの存在は外部に一切露見していなかった。つまり……」
1秒程度の短い時間を思考にあててから、ネオンは以下の質問をセラサリスに。
「あなたのAIプログラムに残った修復不可能なエラー。あれは破損データやノイズではなく、アクセスキー・プログラムだったのですね? 我々の文明には存在しない、異質のプログラム」
「肯定。一部改竄」
「任務は継続していると言っていましたね。詳細な内容を司令官に説明できますか?」
「否定。情報アクセス権、もっと上」
「しかし、オーパーツの警護任務を帯びていることは話せるのでしょう。報告すべきだったのでは?」
「不可能。記憶アクセス、完全遮断」
「……やはりそうでしたか」
ここまでのやり取りで、ネオンは状況を一定程度には理解したらしい。
「あのー。そろそろ、俺にもわかるように説明してもらえない?」
その点、俺は完全に置いてけぼりである。
『セラサリス本人も、あのおっきなゲンコツに近づくまで思い出せなかったってことよ。自分の本当の任務内容をね』
「思い出せなかった? ……いや、ラゴセドの匣が思い出させた?」
そういうことよ、とシルヴィ。
匣と接触したことで、破損ファイルだと思っていた偽装データがプログラムとして走り出したのだとか、なんとか。
「……てことは、あの匣をもう1回起動できたら、セラサリスはもっと色々思い出すかもしれないってこと?」
「了解、再接続」
「へ?」
光りだすラゴセドの匣。
焦り出すネオンとシルヴィ。
「待ちなさいセラサリス!」
『アンタ! なに不用意に許可してんのよ!』
「ちょ、そんな簡単にできたの!?」
騒いでいるうちにも、ラゴセドの匣は再び変形し、巨大な手を、あるいは花弁を、ゆっくりと広げていく。
「司令官、セラサリスに停止命令を!」
しかし、彼女は止まらない。
セラサリスの白い手が、発光する匣に触れようとして――
「何をしている!」
背後から突然の声。
そして複数の足音。
俺たち、そしてセラサリスも、動きを停めて振り返った。
現れたのは、薄紅色と黄色の法衣を着た人たちが、十数人。
その後ろには、申し訳無さそうな顔のドライデン騎士長。
この人たちは……?
『アレイウォスプの記録映像と合致しました。彼らはアイアトン司教が接触した、教皇府と結びつきの強い聖職者のひとり。賄賂の受け取りを拒否した枢機卿と、その派閥の司教たちです』
通信機越しにネオンの声。
信仰心が極めて高い枢機卿と、その取り巻き。
そんな人たちが、真夜中の秘蹟殿に現れた。
ドライデン騎士長を伴って。
(まさか、騎士長に嵌められた……!?)
……いや、それはない、流石にないはずだ
このタイミングで事を荒立てるメリットが、彼にあるとは思えない。
なら、今の状況を招いたのは……
『たぶん副教皇派……ジーラン枢機卿よ』
『あるいは、アイアトン司教が動いた際に、あたりを付けられていたのかもしれません』
確かに筋は通っている。
この人たちに探りを入れれば、俺たちの狙いが秘蹟殿なのは、ジーランも簡単に聞き出せたろう。
でも、だからって、神兵とグルになっての無断入殿なんて荒業を見抜けるか?
見抜けたとして、監視者をひとりも街に置かず、わざと入殿を許すだなんて大胆な罠を仕掛けられるか?
しかも、他派閥の枢機卿たち……金で動かない人間たちまで動かして、俺たちを現行犯で確保させようだなんて……
まずい、これは、もの凄くまずい展開だ。
「いやあの、これはですね――」
『司令官! 貴族の演技を』
ああ、そうか……いや、無理だって!
俺だって完全にパニックなんだ。
何を言ったらどうなるのか、もはや、冷静に考えられる頭じゃない。
「なぜ、秘蹟殿に侵入している?」
二の句を継げないでいる俺に代わって、後ろのセラサリスが言葉を発した。
「侵入、否定。呼ばれた」
(ちょ、こんな答えが、通るわけ――)
「おぉ……」
(――ん?)
枢機卿から、呻くような声。
他の司教たちも、衝撃の面持ちで言葉を失くしていた。
彼らは一斉に、通路の上でひざまずいて、
「聖女じゃ。聖女様が、降臨なされた……」
取り憑かれたように、セラサリスのことを崇め始めてしまった。




