23_02_4日目②/高値の喧嘩
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『会いに行く。この私が、直々にな』
「今のって、パトリック=ジーラン枢機卿の声だよな?」
「間違いありませんわ。この顔ぶれで、あれほどに驕り高ぶった口調で話せる人物なんて、ジーラン枢機卿以外にありませんもの」
密室の中で行われていた副教皇派の会合を、ちゃっかり聞いている俺たち。
『大物が動いてくれたわね。餌を持たせた甲斐があったわ』
そう、解放した暗殺者に渡した金彫刻は、撒き餌のひとつ。
実はあの中に、盗聴器なる機械が仕込んであったのだ。
小型で集音性がよく、色々なものに忍ばせることができるというそれは、副教皇派が会談する音声を、明瞭に俺たちに届けてくれた。
「でも、どうしてジーランが、わざわざ自分で?」
「これ以上、外部から刺客を送り込んでも無駄だと判断したのでしょう。同時に、内部の者も頼るに及ばずと見切りをつけたということかと」
てことは、再び襲われる心配は、無くなったとみていいのだろうか。
「消去法ですわね。あなた方を武力で制圧できないとわかった以上、残る手段は交渉、脅迫、恫喝といった言葉と権力任せの駆け引き以外にありませんわ。だというのに、味方は浮き足立っていて、まったく当てにならないご様子」
「となれば、自分で動くのが一番確かで手っ取り早い、か」
理屈の上ではそうかもだけど、でも、決断も、味方を見切るのも、あまりに早い。
「そういう性格ですわね。あの人は昔から」
これは拙速ではなく、豪胆無比だと評するべきだろう。
「加えて、ジーラン枢機卿はアイアトン司教と旧知の仲。リーンベルを突然訪ねても、全く不自然ではありません」
「そっか、それを加味しての選択でもあるのか」
やはり油断ならない相手。
なんでこう、俺はこういう切れ者ばかりと交渉に臨まなければならないのか。
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4日目の教会巡り。
出発直前に、アイアトン司教が俺に声をかけてきた。
「これからご出立かのう」
「ええ、また弾丸ツアーをやるみたいです」
「今日はどこの辺りを廻るんじゃ?」
「1軒目は、たしかモーカ聖堂というところと聞いています。やっぱり有名どころなんですか?」
「……そうじゃな。あの教会の鐘撞塔は、一見の価値があるわい」
「どうか、しました?」
昨日はあんなに饒舌に教えてくれたのに、今日はどうにもテンションが低い。
「……来客じゃよ。お前さんあてに」
「来たんですね、ジーラン枢機卿が」
表情をかげらせながら、アイアトン司教はコクリとうなずいた。
思ったよりも早かった。
でも、早いほうが都合がいい。
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2日目の朝のときのように、ジーランを応接室に招き入れた。
ただし今日はアイアトン司教ではなく、俺が奴の差し向かいに座る。
アイアトン司教がティーセットを持ってきて、俺と、薄紅色の法衣を来た男の前に、カップをそれぞれ差し出した。
「茶はもらおう。だが、くだらん駆け引きは今日は不要だ」
「と、おっしゃいますと?」
ジーランは、淹れられた紅茶をひと口すすった。
味わうような間があってから、カップがソーサーへと置かれ、カチャリと小さく音を鳴らした。
「どうやら――」
彼は、紅茶のカップに向けていた視線を、鋭く俺に向け直した。
「どうやら我々は、君に対する喧嘩の売り方を誤ったようだ」
一手目から、およそ聖職者には似つかわしくない言葉が出てきた。
相手のペースに呑まれちゃいけない。
まずは、流れを崩しにいってみようか。
「ふうむ、どういうお話しなのか、いまいちのところ掴めません。わたくしは生まれてこの方、誰かとケンカなどしたことも――」
「しかし君は、喧嘩を買う相手を間違えたな」
白々しい台詞回しは、即、遮られる。
彼は確かに、駆け引きをしに来たのではなさそうだ。
「……と、おっしゃいますと?」
なら、何をしに?
「暗殺者を解放などせず、神兵に突き出せばよかったのだ。さすれば、副教皇派は事態のもみ消しに奔走し、自己保身から意見を違え、君へのちょっかいを易々とはかけられなくなっていただろう」
(……嘘だろ)
度肝を抜かれた。
想定してもいなかった。
駆け引きどころか、身内の悪事を敵前で認めてしまうだなんて。
「枢機卿、それは――」
「ジラトームの難民の件から、手を引け」
またしても言葉を止められた。
しかも、隠すべきはずの極秘の事実を、堂々と投げつけ続けてくる。
これはまずい。
下手に駆け引きを打たれるよりまずい。
こっちは正体を隠している以上、腹を割っては話せない。
これではジーランの独壇場だ。
交渉におけるペースの奪い方が、尋常じゃないぞ、この男。
「これはこれは、ジーラン枢機卿ともあろうお方が、異なことをおっしゃいます」
だからって、やられっぱなしでいてたまるか。
「ジラトーム国は、難民や避難民に相当する国外脱出者などいないと公式に宣言したと聞いています。国王による正式発表だったのでは? また、聖教会も、本当に苦難にあえぐ民草がいるならば、『神の名のもとに』庇護しているはずでしょう?」
ジーランはあっさり認めたけど、ジラトーム国の避難民たちは、ヴィリンテルにとって議論すら憚られるはずの存在だ。
このことは、天地が返ろうとも揺るぎない事実。
そっちが事実をぶつけてくるなら、こっちだって、お前たちに不都合な事実をもって攻勢に回ってやる。
「それに、もし仮にですが、枢機卿のおっしゃられる難民とやらがいたとして、紛争の当事国に引き渡すのは、果たして人道的と言えましょうか?」
「足のつかぬ方法は、存在しよう」
俺の反転攻勢にも、ジーランは怯む気配を見せなかった。
「ゾグバルグ連邦政府は、此度の〝避難民〟を一切受け入れぬことで意見をまとめたそうだ。ここに匿われている100人余りの難民は、連邦に入国すれば直ちにジラトームに強制送還される。非公式のルートでな」
……本当なのか?
思わずアイシャさんの顔を見そうになって、どうにか留まった。
動揺を見せるな。
ジーランが真実を語っているとは限らない。
一言目に事実を突きつけてから嘘を混ぜ込んでいく話法は、交渉や詐欺における常套手段だ。
「また、先遣隊の30名を即時受け入れるという、ここのシスターとの密約も破棄するそうだ」
30名……ラスティオ村の民たちのことか。
これは、知っていなければ出てこない情報だ。
迷いが生じる。
ここはもう、俺も腹を割って話すべきか。
いや、それはまだ尚早なはず――
「ま、待てパトリック! それは――」
「口を挟むなダニエル!」
俺より先に、アイアトン司教が叫んだ。
しかし、旧友の声をも遮って、ジーランはなおも言葉を紡ぐ。
「難民を見つけだすまで、ラクドレリス帝国は兵を動かし続けるだろう。あの派兵は捜索のためだけではない。匿う国への警告と威嚇の意味も包含している。奴らがただの脅迫で済まさぬことは、貴様らとて理解できていよう」
知っている。
あの帝国が、侵略を是とする戦争国家が、脅しだけですませるはずがない。
そんなことは、俺こそが一番良く知っている。
「ヴィリンテルを戦争の火種とすることは断じて赦さん。神の名のもとにではなく、我々の名のもとにだ」
静かな、しかし、怒りの篭もった低い声。
『我々』というのは、副教皇派という意味か、それとも……
「もう一度だけ命じる。難民どもを聖教国の外へと放て。全員をだ。発見場所がコルンテセラの囲壁の外ならば、帝国も――」
「素晴らしい!」
場違いな抑揚の声と、次いで拍手が部屋に響いた。
ジューダスが発したものだった。
「おっしゃる意味は皆目わかりませんでした。が、枢機卿は聖教の教義にもとづいて、とてもとても崇高な判断を下されたのでしょう。わたくしはそれを〝尊重〟いたします」
腹は割らない。絶対に割らない。道化の役を貫き通す。
俺はにこやかな笑顔をつくり、絶えない拍手を送り続けた。
「わたくしも、この国でとても多くの方々と出会い、とても多くを学ばせていただいてきました。聖教の教義も、それを信じる方のお考えも、そうではない方のお考えも」
〝尊重〟なんて言葉の意味は、〝敵対しない不賛同〟だ。
『あなたの意見とは相容れませんが、理解するフリはしてあげますよ』
それを俺は、道化の喋る嘘として使う。
「わたくしも、自分の信念を確固たるものに鍛え上げ、貴族としての本懐を果たしていく所存です。上に立つ者の責務。多くの者に、正しき導きを」
だからこれは、俺からジーランへの意思の表明。
〝俺とお前は、断じて敵だ〟。
「……やはり貴様は、喧嘩を買う相手を間違えている」
ジーランは、冷めきった目で俺を見る。
静かに紅茶を飲み干してから、おもむろに席を立った。
「高く付くぞ」
「なあに、資金は潤沢にありますから」
去っていく友の背中に、アイアトンも語りかけた。
「お前さんは、本当にこれで良いのか、パトリック?」
「……邪魔をしたな、ダニエル」
彼らの目線は合わさらず、ジーランは教会から出ていった。




