23_01_4日目① 赦(ゆる)す者、許さざる者
<4日目、朝>
「ふむ、この者かね。昨夜侵入した賊は」
朝になって、ジューダスは拘束した暗殺者を自分の前に連れてこさせた。
護衛の私兵に両腕を抱えられた暗殺者は、特に暴れる素振りも見せず、表情の一切を消していた。
「昨夜は口布で見れなんだが、かような面構えであるのだな」
無表情のままの男をテーブルの椅子に掛けさせて、その対面にジューダスも座る。
「名はなんという?」
尋ねるも、回答はない。
服毒という証拠隠滅の手段を潰された彼は、固く口を閉ざして黙秘を貫こうとしている。
「いや、みなまで言わなくていいとも」
俺は、これを利用することにした。
「ここは聖教の心臓、ヴィリンテル。犯罪行為を犯したならば、罪状以上の重い神罰が下る神の国だ。にもかかわらず、君は物盗りに入らなければならなかった。何か、深い事情があったのだろう?」
「物……盗り……?」
暗殺者の固い口が、思わず動いた。
その反応を見た俺は、手を二回叩き、後ろに控える従者を呼び寄せる。
前に進んだセラサリスは、運んできた箱の中から、純金彫刻の騎馬像を取り出し、卓上に乗せた。
金色の輝きを放つ彫像の登場に、暗殺者は目を見開いてそれを見つめた。
「この像は純金製だ。すぐに換金できる物ではないが、もしも君の悩みがお金に関するものであれば、こいつで片を付けることができるだろう。国内での売却が難しいようなら、こちらの現金で他国に渡るといい」
パチンと指を鳴らし、今度はアンリエッタが革袋をテーブルの上に。
中には銀貨が、ぎっしりと詰まっている。
理解できない光景に、しばし呆然となっていた暗殺者は、思い出したように口を動かした。
「……ゆ、許して、くれるのか?」
ジューダスは彼に、にっこりと笑いかけた。
「私は幸運だ。ヴィリンテル聖教国を巡礼中に、赦す機会と施す機会を与えられた。これは宿命、いや、試練だったのに違いない。神がお導きになられたのだ。私のことも、君のことも」
暗殺者は、ぽかんと口を開けたまま、震える手で像と銀貨を受け取って、何も言えずにそれに視線を落とし続けた。
「ああ、それと」
ビクリと身構える暗殺者。
そんな彼に、ジューダスは優しい声でこう囁いた。
「朝食を君の分も用意した。お腹が空いているだろう? 満足するまで食べていくといい」
***
「それで、その刺客はおめおめと戻ってきたと言うのか?」
震える声で報告者に尋ねる副教皇リルバーン。
そして、険しい顔で耳を傾ける副教皇派のメンバーたち。
「う、嘘偽りなく、すべて報告の通りなのです、副教皇様」
ここは、ラゴレメリ聖堂の地下に設けられた隠し部屋。
歴代教皇の遺骨が眠る地下納骨堂へと続く通路の途上に作られた、有事の際の秘密の避難場所のひとつ。
彼らは普段の定例会に用いるレミールザ宮殿の会議室ではなく、何らかの重大事案を極秘裏に話し合うときにだけ使われるここで秘密会合を開いていた。
円卓に座る重鎮たちの目に晒された報告者は、断頭台に載せられたような絶望感を味わいながら、身を縮こまらせて弁明する。
*
刺客は、彼ら副教皇派の仕込みだった。
正確に言えば、彼らよりも下。
迫る教皇選挙を見据え、副教皇派に取り入ることを策謀した者たちが、副教皇に忖度する形で準備した愚劣な計略だった。
もともとの狙いは、リーンベル教会が匿うとされる避難民。
副教皇がこれに頭を悩ませていると聞きつけ、長期入国が決まっていた教会補修工事の職人団の中に、潜入工作に特化した傭兵1名を紛れさせた。
殺害ではなく、証拠を押さえるためである。
リーンベルに潜らせるべく機をうかがっていたところ、事態がにわかに動き出した。
帝国貴族の来訪、そしてリーンベル教会への宿泊。
裏があるのは明々白々。彼らは傭兵に与える仕事を、潜入捜査から潜入脅迫に切り替えることを思いつく。
そして、実行前の段階で、副教皇にこれから起こることを仄めかし、成功の暁には……と暗に擦り寄った。
この愚劣極まる悪策を、しかし、副教皇は黙認することした。
使われるのは、死ぬことはない適度な毒。
ベッドの上でもがき苦しむジューダスに、医者を遣わせ解毒剤を飲ませ、次も助かるとは限らないと忠告を与える……そんなわかりやすい筋書きだった。
彼はそこが気に入った。
(まあ、やらせてみてもよいだろう。失敗しようと脅しになるうえ、副教皇派の関与はない。もし成功し、ジューダスの従者が騒ぎ立てるなら、手を回すくらいはしてやろう。台詞はチープで構わない)
『暗殺者だなどと馬鹿馬鹿しい、熱で幻覚でも見たのだろう』
『神の国に来て発病とは、神罰が下る悪事でも働いていたのではあるまいな?』
(察する者は察するだろうが、それでどうこうということにはならぬ。こちらにつくか静観するか……少なくとも、ジューダスの側につく馬鹿はおるまい)
そんな程度の、軽い認識のもとに出されたゴー・サイン。
しかし結果は、副教皇の理解を遥かに越えていた。
*
「う、嘘偽りなく、すべて報告のとおりなのです、副教皇様」
ジューダスは、ナイフで自分を襲った卑劣漢を、自らの手で撃退した。
このことだけなら、実は不自然はあまりない。
ジューダスの出身地、小貴族の群生地の貴族は元軍人の成り上がり。
子息に戦いの術を教育しておくのは、貴族としても元軍人としても、むしろ当然。
長い旅路の護衛にも、優秀な者を選ぶはず。
副教皇が失敗の可能性を念頭に置いていたのは、こうした懸念材料のためでもあった。
だがしかし、その後の展開は奇々怪々。
ジューダスはその卑劣漢を、ただの物盗りだと思い……いや、哀れな素性の物盗りだと思い込み、慈悲と情けをかけて更生を促したのだ。
そんな美談を信じるお人好しなど、無論、この場にいるはずがない。
「解放されるときに、本当に何も聞かれなかったのか?」
「一言として質問の類は無かったそうです。それどころか食事をご馳走になり、あげく、高価な品と路銀を授けられたとのことで……」
こちらがその品です、と報告者は、金色に光輝く騎馬兵の彫刻を机の上に置き示した。
細密かつ精緻な造形から、腕の良い職人の仕事であるのが一目瞭然。
本当に相手を憐れんでいたとしても、ただでくれてやるにはあまりに過ぎた逸品だ。
「おそらくですが、ブラックウッド枢機卿の手に渡ったという芸術品と、同種類のものかと……」
ヴィリンテルの枢機卿さえ動かせるほどの高級な品を、盗人にポンと手渡した。
おまけに、ジューダスはまるで友人を家に招いたかの気軽さで、朝食を一緒のテーブルでとったのだという。
「信じられん……相手は自分を殺そうとした人間だぞ」
「食事の席でも探りを入れてくることはなく、むしろ、自分のことばかりを自慢気に話していたと報告にはございました」
「……具体的には?」
「授けた純金の彫刻がどれほどの良品かを、長々と語り尽くしていたそうです。料理も、賊に振る舞うにしてはあまりに豪勢で、国から持参した高級食材がどうのと長広舌をふるったとのこと。真偽の確認はできていませんが、刺客によれば、旅行食とは思えないほど大変においしいものであったと――」
「そんな感想は聞いとらん!」
机をバンと叩きつけ、副教皇は激昂した。
「し、しかし、刺客の男は何も話しませんでした。すでに国外に逃しましたので、こちらとの繋がりは割れていません」
「バカモン! 奴らが何も聞き出さなかったことがどれだけ不可解か、その頭で考えられんのか!」
怒鳴り散らして息が切れ、ひとまず彼の恫喝は停まった。
が、場には重苦しい空気が漂い、誰もが発言を躊躇った。
静まり返る会議室。
沈黙に耐えきれなくなったひとりが、ぽつりと横の人間に尋ねた。
「ジューダスめは、どう動くと思われますか?」
「物証は持たれずとも、確信を掴まれたと考えておくべきでしょうな」
彼らの声はやけに響き、それは、怒りを発散し終えた副教皇リルバーンの心に、妙に深く突き刺さった。
「そ、それは、副教皇の関与を、ということか!?」
途端にうろたえだした副教皇。
その様子を、ジーランは内心、ひどく冷めた目で見ていた。
(正視に耐えんな。頭目らしく、堂々と鎮座しておればよいものを)
平静を欠く言動もそうだが、ここで副教皇派ではなく副教皇という言葉が出てくることが、この男の底の浅さを露呈している。
いや、副教皇だけではない。
円卓を囲む他の枢機卿も、自分の身を案じるばかり。
この後に及んで信じたくないと願う小心者か、最悪の事態を考え顔を曇らせる臆病者か、その二択。
後者のほうがまだマシかもしれない、が、結局は五十歩百歩の俗物共だと、ジーランは溜息を噛み殺し、不毛な議論を遮った。
「結果論だが、最初から小細工など無意味であったのだろう」
ただこれだけを発言すると、席を立ち、扉に向かって歩いて行く。
誰も彼もが困惑しながら、部屋を出ようとするジーランを目で追った。
「ジーラン枢機卿、どちらに?」
「いかがされるおつもりか?」
質問を矢継ぎ早に浴びせる俗物を、ちらりとも見返さず、ジーランは端的に答えた。
「会いに行く。この私が、直々にな」




