22_03_3日目①/閑話「司教の説法」
<3日目、朝>
「ん……あれ……? もう朝……か?」
なんだか、懐かしい声を聞いていたような……
「あ、お父様、今日はお早いですね……どうかされたのですか?」
「……あんまり覚えてないけど、じいちゃんと何か話してたような」
「お話し……? えっと、夢を見られていたのですか?」
「……うん、たぶん。おはようファフリーヤ。ファフリーヤは今日も早いな」
挨拶して頭を撫でると、ファフリーヤはくしゃっと可愛い笑顔を浮かべた。
じいちゃんの夢……最近はあんまり見てなかったなぁ。
元気なお年寄りがいっぱいのところにきたから、記憶が触発されたのかな?
……じいちゃんとは方向性が違う元気さだけどさ。
さて、今日もそんな元気な聖職者たちへと会いに行く時間、教会への寄付金ばら撒きタイムが始まる。
***
<3日目、昼>
「やばい、疲れた……やばい」
「大丈夫ですか、お父様?」
疲れすぎてて語彙も崩壊。
今日は午前中から、かなりのハード・スケジュールだった。
「ここの聖職者、本当に元気すぎるだろ……」
肉体よりも精神的な疲労感が半端ない。
「司令官、そろそろ貴族の演技の準備を。もうすぐリーンベル教会に着きますので」
「え? ああ、今日もやってたのか」
たどり着いたリーンベル教会は、今日も礼拝堂に人だかり。
昨日に続いてセラサリスのオルガン演奏に、多くの人々が吸い寄せられていた。
せっかくホームに戻ってきたのに、演技をしないといけない苦痛よ。
「あ、でも、このメロディは心が洗われる感じがする」
きれいな音色が疲れた心に染み渡る。
人がたくさん聞きに来るのも納得の名演奏である。
*
「今帰りました。今日も演奏会は大盛況ですね」
中に入ると、アイアトン司教に驚かれた。
司教は、礼拝堂の壁際で、会の様子を見守っていた。
「なんじゃ、もう戻りなのか? まだ正午前じゃぞ」
「時間合わせの小休止なんです。この後、ブラックウッド枢機卿のところで昼食をご一緒する約束になっていて」
司教は、「ああ」と得心がいったというふうに頷いてから、同情するように苦笑した。
「お勤めごくろうさんじゃのう。そうなると、午前中は弾丸ツアーじゃったろう」
「ええ、さっきまでバジアンロ礼拝堂とかを、足早に回ってきましたよ」
「もったいないのう。せっかくの巡礼者なんじゃ、もっとじっくり見学させるべきじゃろうに」
俺も、どうせだったら、もっとゆっくり回りたい。
けど、スケジュール的にそんな余裕は欠片もないし、呼び寄せている側だって、巡礼の作法に乗っ取らせるより、来訪させることだけに意味がある状態。
寄付金を納めさえすれば、互いに用がなくなるのである。
「まあでも、バジアンロは圧巻でしたよ。天井を大きな竜が飛んでいて」
こんななかでも、見るべきものは一応見てきた。
もちろん本物の竜ではない。
天井装飾のフレスコ画、つまり、描かれた翼竜である。
祭壇部の天井、礼拝者を見下ろす位置に配された巨大な竜が、長く大きな翼をぐるぐると渦巻くようにはためかせ、強大な風を巻き起こす。
風は、絵の中だけでは収まりきらず、天井、そして壁に施された漆喰彫刻の螺旋の模様とリンクして、凄まじい竜巻となって礼拝する者を包み込む……そんな趣向が施されていた。
「俺もお祈りさせてもらいましたけど、竜巻のど真ん中にいるみたいで、不思議な感覚でした」
正直、あれで落ち着いて祈りを捧げられるのか、甚だ疑問である。
礼拝堂の管理者さんからは、信心深い芸術家が製作したという説明を受けた。
「カミッロ=グラニャーニ作の大翼竜装飾じゃな。120年前に作られたあれは、確かにバジアンロ礼拝堂最大の目玉じゃ。二枚羽根を螺旋させ、雄々しく羽ばたく翼竜画。その羽根に連なる壁の渦状迅風文様。祭壇全体を囲繞する荒々しくも神々しい雰囲気は、まさに荘厳の一言じゃわい」
俺が「お詳しいですね」と尋ねると、彼は「本国の司教の数少ない特権じゃよ」と笑った。
ここに赴任してきた最初の年は、時間が空けば他所の教会や礼拝堂を見て回っていたそうである。
「あの装飾は、カミッロが降神史書の第1巻5章26節、『竜吼の薙ぎ風』のくだりに着想を得たものと言われておる。が、竜の翼を螺旋状にしたことについて、カミッロが神話に独自の解釈を加えたのではと非難を受けることもある。そのせいで、当人の死後になってから物議を醸しもしたんじゃが、あまりの芸術性の高さがために、現在ではうやむやになっておるんじゃよ」
これは、現地で案内してくれた司教さんは教えてくれなかったことだ。
研究家というだけあって、かなりの博識ぶりである。
あの感覚が『荘厳』という言葉になるあたりからも、宗教知識と信仰心の高さが窺える。
(お金に目がないって割に、なんやかんや、ちゃんと司教をしてるんだよな)
当たり前のことなんだけど、なんか、ちょっとしみじみする。
「お父様、教会のお話ですか?」
俺たちのもとに、ファフリーヤもやってきた。
彼女も話に加わったことで、司教は、時間の許す限りで、初日にやってくれた説法の続きをしてくれることに。
「お嬢ちゃんも知っての通り、メレアリアス神話は〝空の神話〟と呼ばれておる。人の住まう大地でもなく、数多の生き物が棲まう大海でもなく、遥けき大空こそが世界に恵みをもたらすと説いておるんじゃ……まあ、もたらすものは恵みだけではないんじゃがのう」
「他には、どのようなものを?」
「おっかない人喰いの竜だったり、家々を吹き飛ばす暴風雨だったり……そういうモノも、空高くから人の世に降り掛かってくるんじゃよ……ふうむ、今時期じゃと、宵瘴の驟雨がそれにあたるのう」
「天恵と災厄。どちらも神のもたらす〝祟り〟ですね」
「左様じゃ。神様は遥か高みの天空より人の子らを見守り、時に慈愛を、時に試練をお与えになる。こうやって、人の子らが幾多もの試練を乗り越え成熟した暁の、遠い遠い未来には、人々を大いなる清浄の国へと導いてくださるんじゃよ」
「遠い遠い未来、というのは?」
「そうじゃなあ。人間があらゆる争いや諍いを捨て去れるようになる日が来たら……という説明になってしまうかのう」
と、俺たちの後ろの方から、こんな声。
『要するに、そんな日は永遠に来ないのよ』
「何千年と時を重ねようとも戦争が廃絶に至らないことは、遺憾ながら前文明の歴史が証明しています」
シルヴィとネオンから、現実的というにはあまりに冷徹なツッコミが加えられた。
これには、司教もキョトンと反応した。
「……なにやら、向こうでおっかないことを言っとらんか?」
「えーっとですね、あのふたりは気にしないでください」
「うん? ひとりしか見えんぞ? いや? それなのに声はふたり分……?」
「いやもう、全然何にも気にしなくって大丈夫ですからっ」
ボディを持たない戦術AIについての説明は、面倒なので省略しとこう。
「きっと、そうあろうと努力することを望まれているのですね」
とてもお利口さんなファフリーヤが、無理矢理ながら話題をさっきのとこまで戻してくれる。
アイアトン司教も、にっこりとした顔に戻った。
「お嬢ちゃんは賢いのう。人の世が発展していくためには、人と人とが共に生きるための考え方を、誰しもが持ち合わせねばならんのじゃ。ゆえに聖教会は、メレアリアス神話の寓話の中から倫理や道徳を抜き出して教義とし、大陸中の人々に説いておるんじゃよ」
ただ、彼は最後に、小声でボソッと呟いた。
「まあ、形骸化しておるのも否めんからのう……儂も含めてじゃが」
*
ほどよく時間も経ったので、俺たちはリーンベル教会を出発し、昼食会へと向かった。
ありがたいことに、さきほどのアイアトン司教に聞いた話は、お話し好きなブラックウッド枢機卿への合いの手として、大いに役立ってくれましたとさ。
【補足:祟りについて】
〝祟り〟というと、現代では呪いみたいなマイナスのイメージばかりが浮かびますが、
元来は、神様による自然界への作用の全般を指す言葉であり、
ネガティブな意味に限らずポジティブな意味も併せ持っていました。
今回の話の中でファフリーヤに言ってもらった〝祟り〟には、元来の意味を込めています。




