22_02_夢語り「アフター・ダーク」
夢を見た。
まだ、じいちゃんが生きていた頃の夢。
俺が従軍予備学校に入学する、少し前。
*
「じいちゃん、窓辺は冷えるよ」
だんだんと冬が近づいてきた、ある日の夕暮れ。
俺とじいちゃんの暮らす湖畔の家も、寒さに包まれつつあった。
「葉っぱも散ってきちゃったねえ、じいちゃん」
林の木々は葉が落ちて、家の周りは冬枯れの様相を見せ始める。
そんな寂しいばかりの景色を、じいちゃんはただぼうっと眺めていた。
じいちゃんは、昔みたいに外に出かけられなくなっていた。
口数も減って、こんなふうにぼけっとしながら、外を見つめることが多くなった。
加齢で体力も衰えてきていたけど、それ以上に、心がだんだんと弱っていた。
認知機能が低下して、自分を保てなくなっていた。
移り変わっていく季節を見送るじいちゃんの目には、静かな哀愁が映っていた。
「あれは、いつのことじゃったかのう……」
ふと、じいちゃんの口が動いた。
こういう時のじいちゃんは、思い出したように突然何かを語り出す。
実際、思い出しているのだ。
「みんな、気のいい連中だったのう」
古い友人の記憶だったり。
古い出来事の記憶だったり。
あとは。
「あんな島に、地獄の中に、置き去りにしてしまってなあ……」
……遠い昔の、戦場の記憶だったり。
*
星のきれいな夜だった。
この夜のじいちゃんも、ぼんやりと空を眺めていた。
食卓に並んだ食事に手を付けようとせず、寂しげな、もの悲しげな目をつくって、何も無い虚空の中のただ一点を見つめていた。
「じいちゃーん、晩ごはんできてるよー」
俺の声に反応し、じいちゃんは料理に一度は目を落とした。
けど、再び空を見上げてしまう。
「月が……昇るのう」
「じいちゃん、月はもう西の空だよ」
「昇るのう。もう、ひとつ……」
じいちゃんの目に、俺は映っていない。
ただ一方的に、何かを話しているだけだ。
「昇って……しまうのう」
「……ほら、食べないと冷めちゃううよ」
スプーンを使って口元に運び、食べられるだけを食べさせた。
お皿の中のスープは、半分も減らなかった。
*
食器を洗っていると、じいちゃんの声が聞こえてきた。
「空がなあ、降るんじゃ」
たぶんまた、戦場の記憶を辿っているんだろう。
辛い思い出も多いだろうに、じいちゃんは、綺麗な宝石だけを選り分けるようにして、若かりし日を拾い上げる。
「降るって、何がー?」
食器を洗いながら聞いてみる。
答えを期待したわけじゃなかった。
けれど、思いがけず、返答があった。
「星が……光らぬ星がのう。音もなく、涙みたいに、ぽつりぽつりと降ってくるんじゃ」
「星?」
なんだろう。
メレアリアス神話の〝星降り〟のことかな?
でも、光らない星ってどういうことだろ?
洗った食器を拭きながら、首を傾げる。
「じいちゃん。星ってなんのことー?」
「まるで、空が泣いてるみたいでなあ。そうするとな、大地のほうがな、パァーっと光るんじゃ」
俺を無視して話は続く。
……やっぱり、俺に向かって話しているんじゃないんだね、じいちゃんは。
濡れた食器を拭う手が、少しだけ止まった。
「光って、それで?」
それでも、俺はじいちゃんに問いかけた。
一方的に話しかけることだけが、今のじいちゃんに対してできる、唯一のコミュニケーションだから。
「ん? おお、ベイルか。今日の晩飯は何かのう?」
続いていたはずの話が、唐突に途切れた。
「……さっき食べたよ、じいちゃん」
「おや、そうじゃったかのう。まったく、まだ物忘れなんぞするような歳じゃないんじゃがなあ」
こんなふうにじいちゃんは、ふとした拍子に自分を取り戻す。
長いときなら数時間くらい、昔の元気だったじいちゃんそのままの性格と記憶が持続する。
代わりに、その直前の会話なんて、何にも覚えていないのだけれど。
だから、あれが何の話だったのか、俺は今でもわからない。
じいちゃんがあんな話をしたのは、後にも先にもこの時だけ。
この日から2ヶ月くらいが過ぎた冬の日。
じいちゃんは、静かにその一生に幕を降ろした。
思い出を掘り起こしていたのは、荷造りと同じだったのかもしれない。
空へと旅立ったじいちゃんの胸中を、俺はついに、何も知ることができなかった。
*
じいちゃんの遺品の整理を終えた俺は、近くの町の神父さんに家のことを託して、従軍予備学校への入学を決めた。
別に、このときの答えを知りたかったわけじゃない。
だけど、じいちゃんの目に映っていたものが、なにかひとつでも見えるのかもしれない……なんて、そんなことを考えていたんだと思う。
ただ、そんな漠然とした考えは、入学翌日から始まった厳しい訓練によって、思い出すことも無くなっていった。
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