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22_02_夢語り「アフター・ダーク」

 夢を見た。

 まだ、じいちゃんが生きていた頃の夢。

 俺が従軍予備学校に入学する、少し前。



「じいちゃん、窓辺は冷えるよ」


 だんだんと冬が近づいてきた、ある日の夕暮れ。

 俺とじいちゃんの暮らす湖畔の家も、寒さに包まれつつあった。


「葉っぱも散ってきちゃったねえ、じいちゃん」


 林の木々は葉が落ちて、家の周りは冬枯れの様相を見せ始める。

 そんな寂しいばかりの景色を、じいちゃんはただぼうっと眺めていた。


 じいちゃんは、昔みたいに外に出かけられなくなっていた。

 口数も減って、こんなふうにぼけっとしながら、外を見つめることが多くなった。

 加齢で体力も衰えてきていたけど、それ以上に、心がだんだんと弱っていた。

 認知機能が低下して、自分を保てなくなっていた。


 移り変わっていく季節を見送るじいちゃんの目には、静かな哀愁が映っていた。


「あれは、いつのことじゃったかのう……」


 ふと、じいちゃんの口が動いた。

 こういう時のじいちゃんは、思い出したように突然何かを語り出す。

 実際、思い出しているのだ。


「みんな、気のいい連中だったのう」


 古い友人の記憶だったり。

 古い出来事の記憶だったり。

 あとは。


「あんな島に、地獄の中に、置き去りにしてしまってなあ……」


 ……遠い昔の、戦場の記憶だったり。



 星のきれいな夜だった。

 この夜のじいちゃんも、ぼんやりと空を眺めていた。

 食卓に並んだ食事に手を付けようとせず、寂しげな、もの悲しげな目をつくって、何も無い虚空の中のただ一点を見つめていた。


「じいちゃーん、晩ごはんできてるよー」


 俺の声に反応し、じいちゃんは料理に一度は目を落とした。

 けど、再び空を見上げてしまう。


「月が……昇るのう」

「じいちゃん、月はもう西の空だよ」

「昇るのう。もう、ひとつ……」


 じいちゃんの目に、俺は映っていない。

 ただ一方的に、何かを話しているだけだ。


「昇って……しまうのう」

「……ほら、食べないと冷めちゃううよ」


 スプーンを使って口元に運び、食べられるだけを食べさせた。

 お皿の中のスープは、半分も減らなかった。



 食器を洗っていると、じいちゃんの声が聞こえてきた。


「空がなあ、降るんじゃ」


 たぶんまた、戦場の記憶を辿っているんだろう。

 辛い思い出も多いだろうに、じいちゃんは、綺麗な宝石だけを選り分けるようにして、若かりし日を拾い上げる。


「降るって、何がー?」


 食器を洗いながら聞いてみる。

 答えを期待したわけじゃなかった。

 けれど、思いがけず、返答があった。


「星が……光らぬ星がのう。音もなく、涙みたいに、ぽつりぽつりと降ってくるんじゃ」

「星?」


 なんだろう。

 メレアリアス神話の〝星降(ほしくだ)り〟のことかな?

 でも、光らない星ってどういうことだろ?

 洗った食器を()きながら、首を傾げる。


「じいちゃん。星ってなんのことー?」

「まるで、空が泣いてるみたいでなあ。そうするとな、大地のほうがな、パァーっと光るんじゃ」


 俺を無視して話は続く。

 ……やっぱり、俺に向かって話しているんじゃないんだね、じいちゃんは。

 濡れた食器を(ぬぐ)う手が、少しだけ止まった。


「光って、それで?」


 それでも、俺はじいちゃんに問いかけた。

 一方的に話しかけることだけが、今のじいちゃんに対してできる、唯一のコミュニケーションだから。


「ん? おお、ベイルか。今日の晩飯は何かのう?」


 続いていたはずの話が、唐突に途切れた。


「……さっき食べたよ、じいちゃん」

「おや、そうじゃったかのう。まったく、まだ物忘れなんぞするような歳じゃないんじゃがなあ」


 こんなふうにじいちゃんは、ふとした拍子に自分を取り戻す。

 長いときなら数時間くらい、昔の元気だったじいちゃんそのままの性格と記憶が持続する。

 代わりに、その直前の会話なんて、何にも覚えていないのだけれど。



 だから、あれが何の話だったのか、俺は今でもわからない。

 じいちゃんがあんな話をしたのは、後にも先にもこの時だけ。


 この日から2ヶ月くらいが過ぎた冬の日。

 じいちゃんは、静かにその一生に幕を降ろした。


 思い出を掘り起こしていたのは、荷造りと同じだったのかもしれない。

 空へと旅立ったじいちゃんの胸中を、俺はついに、何も知ることができなかった。



 じいちゃんの遺品の整理を終えた俺は、近くの町の神父さんに家のことを託して、従軍予備学校への入学を決めた。

 別に、このときの答えを知りたかったわけじゃない。

 だけど、じいちゃんの目に映っていたものが、なにかひとつでも見えるのかもしれない……なんて、そんなことを考えていたんだと思う。


 ただ、そんな漠然とした考えは、入学翌日から始まった厳しい訓練によって、思い出すことも無くなっていった。


***




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