22_01_帝国問答Ⅴ/鉄火の海
『お空の上から火が落ちる。
雨待つ大地にぽつぽつ注ぎ、赤く気高く燃え盛る。
猛火、灼熱、炎風の世界。
命あるもの紅蓮に焼かれ、燎原の火は止まらない』
「また例の詩か。愚物なる皇族詩人が200年前につくったとかいう」
ラクドレリス帝国の帝都クリスタルパレス。
その中枢たる皇城ヴァーミリオンの離宮の庭で、青い皇子と赤い皇女が、今日も言葉を交わしていた。
「んーん。先ほどお姉ちゃんが吟じましたのは、詩じゃなくてメレアリアス神話の一節ですとも」
「神話だと? そのような記述があったとは記憶していないな」
「ふっふっふ。不勉強だぞ弟くん。今のはだね、降神史書の第1巻2章6節、それをお姉ちゃんが意訳したものなのだ」
得意満面に語るアメリア。
弟は真面目に記憶を辿り、やはりそんな記述は無いと結論する。
「2章は天地創世の下りであろう。神の降らせた恵みの慈雨が大海をつくり、数多の生命を育んだ……などという、古今東西の宗教神話に存在する与太話だ」
「ちっちっち。甘いねえ、弟くん。そーれーとーもー、常識に囚われてるぞって言ってあげるべきかなー」
「なんだと?」
「あの節には『恵みをもたらした』っていう曖昧な記述があるだけじゃん。雨だなんてどこにも書いてないし、大地が潤ったとも言ってない。ならさ、神の火で世界が焼き尽くされたって解釈しても問題なくない?」
「……ほう」
姉の奇天烈な発想は、意外にも、アーノルドの歓心を強く買っていた。
「その解釈が正しいとして、なれば、後の話との矛盾をどう説明する? 火は破壊の力の象徴であろう」
聖教会が雨と読み解いたその理由。
以降の章では、この『恵み』によって大地に大きな川ができ、命の母たる海が生まれたと記されているのだ。
「まさにそこだよ。『大地を割く大河』って記述は、兵隊の大行軍のこと。それが『流れ集まって海に』云々ってのは、色んな国の兵隊がぶつかりあう大戦争が起きたってことの比喩ですとも」
大河は火の河、兵士の行軍。
海は火の海、兵団まみえる鉄火の戦場。
なかなかに面白いことを言うものだと、アーノルドは素直に姉の発想に感心する。
「神の恵みを戦火と捉えるとは、業の深いことだ……む? それはつまり、貴様が解釈する『神』とは――」
「当然、世界で最も力の強かった者のこと。つまりは、世界を征服した者ってことになるよね」
神とは最強の征服者。
で、あるならば――
「であれば、神が庇護する人の子らは、何と解く?」
「大戦争で勇ましく戦った、神様側の兵隊の子孫……とかにしない?」
解釈は急にあやふやに。
まだ細部を詰め切れていないらしい。
というより、今の解釈は、すべてこの場での思いつきだったのだろう。
アーノルドは途端に冷めた顔になって、まじめに聞きいってしまった自分を内心で恥じた。
「我ながら、くだらん妄言に耳を貸してしまったものだ。皇族詩人のことを笑えんな」
「やっぱりさー、世界って真っ赤に染まってるほうが楽しいでしょ?」
「聖教会の連中が聞けば、真っ赤に嚇怒しかねんな」
お気楽な姉の台詞を、アーノルドは呆れながら流し、アメリア自身も「そうだねあははー」と適当に笑い流した。
「あ、ところでさー。ラスカー山地の調査の話があったじゃない? 崩落したトンネルの件」
「ふん、そのことか」
「送った1期生の選抜組から、そろそろ第一報とかあったかなーって?」
「いや、その調査は中止することに決定した」
「うにゃ?」
呆けるアメリア。
アーノルドは、すでに伝令を発し、調査地から彼らを引き上げさせている旨を、無情に告げた。
何も知らされていなかった姉は、大いにむくれた。
「えー!? なんでー! どうしてよー!?」
「ヴィリンテルに動きがあった。明確な尻尾は見せんが、聖骸部隊が暗躍している可能性があるとのことだ。帝国軍も部隊を追加で動員することとした」
ゆえに、調査部隊への支援物資の輸送は取り止めとなり、必然、調査そのものも延期となったと、アーノルドはなおも淡々と説明。
アメリアの顔は、みるみるうちに不機嫌に。
「聖骸部隊ー? 存在秘匿の特別な神兵のことだっけー? そんな虎の子、聖教国は何に使うのよー? あ、ひょっとして、例のジラトーム絡みとかー?」
子どものように不貞腐れるアメリア。
だが、アーノルド皇子の用意していた答えが、彼女の表情を一変させることになる。
「貴様の虎の子の1期生も、この任務のために動員する」
ぴくりと、皇女の細い眉が反応した。
「初の実戦投入だ。成果を示せるだろうな?」
阿るでもなく試すでもなく、ただ冷淡に問うた青い瞳の弟に、赤いドレスの姉は、口唇を歪に曲げて笑った。
鮮やかな真紅のドレスに似つかわしい、情熱を孕んだ邪な微笑。
「――いいよ。こういうの、悪くない」
軍鳩はすでに放たれた。
暗号の令書を携え、各地の砦に到着している。
若く俊英なる戦力を、彼の地へ集わせんがために。




