21_06_2日目⑥/「難民」という言葉
<2日目、夜>
さて、ヴィリンテルに潜入してから2度目の夜、2度目の暗躍タイムが始まった。
今日は地下には潜らずに、別塔の地上階、アイシャさんの使う作業部屋で、昨日に引き続いて作戦会議を行うことに。
(昨日も来たけど、この部屋って……)
改めてよくよく室内を見てみると、何やらやたらと物が多い。
各国の地図や資料のほか、測量道具や製図台、果ては軍隊用の戦術指南書などまで置いてある。
「色んな備品が揃ってるけど、この塔って、どういう用途の建物なの?」
上の階には伝書鳩の養育部屋とかまであるし、教会建築という感じがまるでしない。
「届け出上は倉庫ということにしておきましたわ。実はこの塔、私とアイアトン司教が赴任してから増築しましたのよ。こんなこともあろうかと思って」
とんでもないアグレッシブさに、思わず苦笑が漏れてしまう。
「いやいや、あろうかって――」
「ふん」
が、後ろでケヴィンさんが鼻を鳴らした。
「要するにだ。この亡命は何年も前から描かれてた絵ってことなんだろ?」
「具体的な計画があったわけではありませんわ。筆も絵の具も足りていませんでしたもの」
完全な否定はしなかったアイシャさん。
水面下では何らかの情報を得ていて、かなり前から準備を進めていたってことみたいだ。
「ただ、我が国が敬虔な神の僕を標榜する国家であるならば、このくらいの慈善事業はやっていてしかるべきと、わたくしは常々思っておりましたの」
ですからきっと、神のご意思が私を突き動かしたのでしょうね、とか言いながら、彼女はクスリと笑顔をつくる。
白々しい言葉を白々しい態度で放つシスターの姿は、さしものケヴィンさんをも閉口させた。
「さて、本題に移りましょうか。昨晩は皆様に、現状を目に見える形で確認していただきました」
この塔から続く地下壕と、そこに匿われた大勢の人間たち。
彼らと対面させることで俺たちの心情に訴えたり、手を引きにくくする意図もあったんだろうけど、まあ、それはそれ。
「ですので今宵は、目に見えない部分について、少し補強させていただきますわ」
朝にネオンも言っていた通り、今の俺たちは現状の認識ってやつがあまりに足りていない。
そこを埋めておかない限り、満足に動き出すことは絶対にできない。
「見えない部分っていうと?」
「まずは言葉ですわね。地下の彼らを〝難民〟ではなく、〝避難民〟と呼ぶ理由について」
ここは、俺も気になっていた部分だ。
「それでは、大前提からお話ししましょうか。そも、はるか昔に〝難民〟という言葉を定義したのは、メレアリア聖教会なのですわ」
その定義付けは、天黎会議という聖教会最大の会議の中で行われた。
教会は、メレアリアス神話を根拠に、〝難民〟を「政治的理由や民族的理由によって迫害された人たち」のことをだと定め、救済の必要性を各国に訴えた。
積極的に彼らを助け、永住を保証するよう強く求めたのだ。
これはつまり、事実上の国際的義務を課したということ。
が、この時に定義された〝難民〟には、実は「戦火から逃れる人たち」が含まれていないとアイシャさんは言う。
「その論法はおかしくない? 戦争で国を追われた人たちは、難民には該当しないって?」
そんなこと、神話のどこにも書かれてないはずだ。
「もちろん、該当しないと明確に謳われているわけではありませんわ。ですけれど、該当するとも明確には記されておりませんの。そのことが落とし所として重要視された、ということですわね」
落とし所?
「褒められた言い方ではありませんけれど、戦災や天災による避難者は、その数があまりに大きくなり過ぎるという性質がありますの。このことは、受け入れる国にとっても、また、出ていかれる国にとっても、途轍もない大打撃となってしまうのですわ」
「むむ……」
これはまあ、一理ある。
まずは、難民を受け入れる国側の事情。
大量の難民が流入してくれば、その国は、あらゆる面で痛手を負う。
食料の受給バランスが崩れるし、経済的な支出が必要になるし、雇用も奪いあいになる。
そうならないよう国が支援を行うにしても、多額の公的資金が必要になるし、とすれば当然、国民の税負担が増すことにもなりかねない。
また、これらの問題が解決できなければ、治安の悪化も避けられない。
そして、出ていかれる国側の事情。
こちらの国は、戦争や天災によって甚大な災禍に見舞われたうえ、人口の多くが流出してしまうことになる。
労働力はいなくなり、経済活動はできなくなり、食料自給率だって下がる。
これが続けば、復興が滞るどころか、そのまま国が消滅してしまう可能性だってある。
「聖教会の役割のひとつが〝国家と国家のバランサー〟であることは、皆様もご存知の通りですわ。ですから、安易に難民認定できてしまう制度設計ではいけない……と、偉い方々は主張されますわね」
祖国から簡単に逃げ出させないことが、国も人も守るということに、理屈としてはなってしまう。
だから、第三国に亡命受入を要請しなければならない〝難民〟ではなく、義務の生じない〝避難民〟なんてあやふやな言い方を使い分けて、各国に配慮している……ということなんだろう。
まったく、慈善の精神はどこいったんだか。
「また、誰かを難民に認定するという行為は、換言すれば、『その人たちを迫害する悪い国がある』と公然に批判するのと同義ですもの。政治や外交のお話が深く深く絡みますから、お偉方も二の足を踏んでしまいがちですわ」
「国際情勢が味方してくれないと、動かないってことか」
弱者救済のために定義されながら、国際緊張を生みかねない危うい言葉。
だから今回みたいな件について、聖教会の上層部は、〝難民〟というワードの使用を避けているという。
「そしてそれは、遺憾ながら私たちも同じですのよ。ただでさえ避難民を不法入国させていると疑われているのですから、政治的にタブーな言葉を使うのは控えなければなりませんの」
「……やっぱり、疑われてるんだ?」
「はい。今朝はジーラン枢機卿が、念入りに釘を刺しに来られましたわね」
でも、地下の人たちは難民と呼ばれていないだけで、亡命行為が非合法ってわけじゃない。
単に、受入の義務を負う国がないってだけだ。
ただし、義務という大義名分が存在しない以上、自国への打撃と他国間紛争への介入という、とんでもないリスクを進んで背負おうなんて国は現れない。
国家の最大の目的は、国の繁栄と国民の生存。
自国のそれが脅かされかねない以上、他国に対する慈善の精神は二の次にされてしまう。
そんななかで受け入れ先を見つけるとなれば、非合法なやり口を取るしかない。
「それで、俺たちの街に?」
「もしくは、ゾグバルグ連邦に、ですわね。そちらの可能性も、まだ完全には捨てていませんわよ」
亡命の密約は、すでに結んであるんだっけね。
……30人分だけ。
「避難民の数、だいぶ跳ね上がってるけど?」
「避難民が先遣の30名以外にもいる旨は、きちんと仄めかしてありましたわ。もっとも、色よいお返事はいただけていなかったので、もっと偉い人を介する必要があるかもしれませんけれど」
ジューダスに教会訪問のたびにお金をばら撒かせているのは、こちらの交渉も睨んでいるからだそう。
教会の『偉い人』たちが協力者になってくれれば、ゾグバルグ政府に対して、これ以上無いプレッシャーになる。
「とは言いましても、まずは段階を踏まねばなりませんわ。ゾグバルグに渡りをつけていただくにしても、避難民についてご理解いただかないことには――」
「楽観だとは言わねえが、そいつは少し悠長じゃねえか?」
さて、こういう時に切り口を変えてくるのは、やっぱりケヴィンさん。
「ヴィリンテルとゾグバルグの内々の話は、なるようにはなるかもしれねえ。だがよ、ジラトームと、それにナギフェタの2国についちゃあ、ありとあらゆる最悪が有り得るぜ。すでに起きてる最悪も含めて、これをどう見る?」
彼の言葉は正鵠を射ている。
一国の最悪は、別の国にも飛び火するのだ。
そうならないよう近隣各国も、情報収集に努めているはず。
ローテアド王国陸軍も、ジラトーム国にスパイを潜入させていた。
しかし、そのスパイからの連絡が途絶える事態が、すでに起こっている。
アイシャさんは、ほんの数秒沈黙してから、整然と話し始めた。
「仮のお話ですけれど、自国民が虐殺されるようなことになれば、ジラトーム国は今すぐにでも決断を迫られることになりますわ」
いかに属国状態のジラトームといえど、これまでの従属姿勢は貫けない。
しかし、態度を翻した瞬間に、帝国が停止していた侵攻を再開するのは火を見るよりも明らかだ。
「その場合ってさ、ナギフェタ国も選択を突きつけらることになるよね?」
ナギフェタ国の領土は、ジラトーム国のすぐ東隣。
おまけに、更にその東側には、宗主国であるベルトン王国が鎮座している。
もしも帝国がジラトームを武力併合し、そのまま東に進軍してくることがあれば、ベルトン王国が反応しないはずがない。
ベルトンは自国の領地に入られる前に、つまりは帝国軍がナギフェタの国内を進んでいるうちに、軍を派遣し強襲をかけるはず。
つまりジラトーム国の陥落は、ナギフェタ国が2大国の戦場となってしまうことも意味しているのである。
「はい。このような事態は絶対に避けなければなりませんわ。何千人、何万人の血が流れることになりますもの」
「だから、避難民たちを聖教国の中に?」
「純粋な人命救助の措置でしたけれど、戦争を抑止する側面があったことも事実ですわね」
虐殺の事実さえ起こらなければ、ひとまず戦争という事態は回避できる、そういう考え方はできる。
「だが、侵攻の可能性が消えたわけじゃねえだろ? 帝国軍はラスティオ村に部隊を駐留し続けてると聞いてるぜ?」
「希望は、まだ帝国が近隣諸国に〝言い訳〟をしている点ですわね」
帝国軍の行動のうち、世間に出回っている情報は、ジラトーム国の辺境村落、ラスティオ村への進軍のみだ。
帝国はこれを〝黒骨旅団〟という盗賊団の殲滅作戦だと宣言し、属国であるジラトーム国の王様にも、難民の存在を否定する声明を出させている。
軍事侵攻だとは言わずに、しかも、今は本当に進軍がストップしている。
「小さな国の小さな村落。それも、すでに武力で従わせた国ですわ。問答無用で攻め込むという選択肢も、取れなくはなかったはずですわね?」
「だけど、帝国はそうしなかった」
「できなかった、と言うべきですわよ、ベイルさん」
版図拡大の大望を抱くあの国が、今の世界地図で満足していられるはずがない。
だから、どんなに上辺を取り繕っても、諸外国はあの件を、帝国の軍事侵攻再開の気配だと見るはずだ。
それだったら、乱暴な見方ではあるけど、本当にジラトーム国に戦争をふっかけるのも、手ではあった。
大部隊を編成し、再侵攻に着手して、ジラトームを強引に武力併合。
その過程としてラスティオ村や周辺村落を攻撃すれば、偽装作戦よりも村人捕縛の成功率は上がったはずだ。
だが、それはできなかった。
「理由は……やっぱり、聖遺物?」
「存在を他国に知られたくないとは、思っているはずですわ」
まあ、そこは俺も同じ見解だ。
侵攻再開はベルトンとの戦争を意味するし、聖遺物絡みとなれば、ヴィリンテルやゾグバルグだって沈黙はしていられなくなる。
だから、帝国が戦争をふっかけるって可能性自体、あくまで〝選択肢として除外されない〟ってレベルだろうと俺は思ってる。
楽観視してるんじゃなくて、前にケヴィンさんにも言った通り、帝国にとっても『最終手段』、あるいは、『最悪のシナリオのひとつ』なのだろうと。
……『今のところは』っていう前置きも入るけど。
「その聖遺物についてだけど、アイシャさんは、詳細をしっかり把握してるってことでいいんだよね?」
この件の核心、帝国が求める聖教の神秘、聖遺物。
聞かれ、アイシャさんは、困ったふうな顔になった。
「……ええ。お教え、しなければなりませんわね。地下の方々の亡命が完了してから……というのでは、あまりに悠長ですものね」
言葉を渋り、しかし、それでも意を決したアイシャさん。
そんな彼女に、俺は、
「うん、じゃあ、それで」
「――はい?」
間延びした声が、アイシャさんの口から溢れた。
彼女は一瞬放心しかけて、しかし、すぐに自分を取り戻した。
「あの、ベイルさん。『それ』、というのは?」
「避難民たちの安全確保が済んでからでいいよ。聖遺物の詳細は」
彼女は、ますます目を丸くして、今度こそポカンと放心してしまった。




