21_02_2日目②/敵襲はティータイムの後で
食後の紅茶も飲み終わり、アイシャさんとアイアトン司教は食器類を片付け始めた。
俺たちも、そろそろ出かける準備にかかろうか、などと話し始めたときだった。
ガランガランと、呼び鈴の音が響き渡る。
教会の門扉にかかったベルが鳴らされたのだ
「誰か来たみたいだよ?」
「みたいですねー。朝も早くにこんなところまで、酔狂な方ですねー」
ちょっと出てきますねー、とアイシャさん。
自分の教会をこんなところ呼ばわりするのはどうなのか。
「あ、ひょっとして、ジューダスを見に来た人かな?」
もちろん興味本位という意味で。
こちらを探りに来たのなら、呼び鈴は鳴らさず、昨日みたいにこっそり様子を窺うだろう。
ということで、俺もアイシャさんの後に続いて行ってみた。
出発前に変に時間を取られてもアレだし、それなら手早く姿を見せてあげたほうが、さっさと帰ってくれそうだよね。
……そんな考えを抱かなければよかったと、俺はすぐに後悔した。
「はーい、どちら様ですかー……おや?」
アイシャさんが開けた扉の先にいたのは、薄紅色の法衣を纏った白銀の髪の聖職者。
昨日も会った、そして、ついさっき敵だと確認したばかりの副教皇派の重鎮、パトリック=ジーラン枢機卿だった。
(な、なんで、この人がここに!?)
驚いて隠れるタイミングが遅れた俺は、枢機卿と目が合ってしまう。
「ここを滞在先に選ぶとはな」
内心焦りまくりの俺に、ギロリと鋭い眼光が刺さった。
「あらあらー、ジーラン枢機卿じゃないですかー。ご無沙汰ですねえ」
何食わぬ顔で話しかけているアイシャさん。
ひと呼吸遅れてしまったけど、俺も挨拶しなくては。
「これはこれは、ジーラン枢機卿様。昨日は――」
「その話し方は、貴様の性分を知らぬ者向きのものであろう」
ドクンと、心臓が大きく跳びはねた。
「あら、失礼いたしましたわ、パトリックさん」
「ふん、女狐め。相も変わらず、面の皮を何枚用意しておることか」
びっくりした。
俺じゃなくってアイシャさんのことだったらしい。
ふたりは知り合いだったのか。
ジーラン枢機卿は、長居はしないと前置きしてから、単刀直入に要件に入った。
「この貴族とリーンベル、どう繋がっている?」
「万事を疑ってかかるのは、あなたの悪癖ですわよ。パトリックさん」
自分のことを棚に上げ、アイシャさんが反論する。
「当教会には巡礼宿がございますもの。つい先日に巡礼省の特別監査も行われましたけれど、監査官は何の問題も無いとご判断くださりましたわよ」
そこからアイシャさんは、こちらのご貴族様は巡礼者の心構えとして云々かんぬんと、リーンベルを宿泊先に選んだ理由に話を繋げた。
が、ジーランの反応は芳しくなく、ずっと眉間に皺を寄せていた。
「見え透いた建前を言ってくれる」
冷厳な眼光と語調が、彼の性格のみならず、俺に抱いている印象までありありと物語っている。
と、そこにアイアトン司教がやってきた。
「おお、久しいのう、パトリック。客人はお前さんじゃったか」
笑顔で親しげに話しかけるアイアトン司教。
すると、ジーラン枢機卿の纏う雰囲気が、ほんの少しだけど軟化した。
「……息災のようだな、ダニエル」
眉間の皺はそのままに、けれど、語調が少し穏やかに。
「教会運営は順調なようだな。本国まで私の影を踏みに来たときは、どうなるものかと危ぶみもしたが」
「別に、お前さんを追ってきたわけではないんだがなあ」
……いや、語調は穏やかになったけど、言ってることは結構な嫌味だ。
「箔付けならば充分であろう。今の立場は後任に譲り、地方の教会に落ち着いてはどうだ? お前には、そのほうが似合っていよう」
「んなこと儂に言わんでくれ。こっちだってな、余生は田舎でのんびりゆったりってのを、子どもの頃から心に決めとったんじゃぞ。よく知っとるじゃろ?」
口を尖らせたアイアトン司教に、ジーランは、ふっ、と小さく笑みをこぼした。
「どうだかな。事無かれ主義を標榜する割に、大層な夢を抱いていた時期もあったであろう」
「わ、若気の至りくらい誰にでもあるじゃろう」
嫌な人……なのかと思いきや、アイアトン司教は親しげに話を続けている。
むしろ、あれは嫌味じゃなくって、友人同士が軽口をたたき合っているって感じに見えてきた。
「それで、年老いた今は貴族の泊まる宿の主人も始めたか?」
「まあ、それもあるし、後は、こちらの従者さんをじゃな」
「従者?」
アイアトン司教の後ろには、セラサリスもついて来ていた。
怪訝な顔をしたジーラン枢機卿に、彼女はにっこりと笑いかけた。
「ふっつか者、受け入れ、懇願」
「む……?」
ジーランの眉間の皺が、形と意味を大きく変えた。
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・
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「保護制度による受け入れだと?」
ジーランは長居はしないと言っていたけど、立ち話もなんだということで、アイアトン司教が応接室へと招き入れた。
で、話題の性質上、俺とセラサリスも同席することに。
木製の丸テーブルに、ふたりの聖職者が差し向かいに座り、その左右に俺とセラサリスがそれぞれ座る構図である。
心配してか、アイシャさんもついてきてくれたけど、椅子には掛けずに、部屋の壁際で様子を見るだけに留めている。
アイアトン司教自慢の紅茶を飲みながら、経緯の説明を受けたジーラン枢機卿は、やはり眉をひそめている。
「なぜリーンベル教会で受け入れる? 祖国の教会でも充分であろう」
「まあ、そうなんじゃがな。こういうことでもない限り、ウチは人手を入れてもらえんからなあ」
睨むような目のジーラン枢機卿。
それを快活に笑い飛ばすアイアトン司教。
隣では、当人であるセラサリスが、ニコニコと笑顔を見せ続けている。
……どうにも、口を挟みにくい雰囲気だ。
「それに、失語症への対処はアイシャが詳しいからのう。ほれ、お前さんも良く知っておるじゃろう。テラロの救貧院でのひと騒動を」
「古い話を持ち出すものだ」
過去の記憶を噛みしめるように、ジーランは目を閉じながら、再び紅茶に口をつけた。
「あの時は、ずいぶんな後始末をさせられた」
ぎくり、と顔を引きつらせるアイアトン司教。
「いやあ、そんなこともあったかのう」
痛いところを突かれたらしく、明後日の方角を向いてしまった。
しかし、ジーラン枢機卿が続けた言葉は、俺の思っていたものとは違った。
「保護受入に問題はあるまい。常々思ってはいたことだ。救済のための制度が本国で形骸化しているなど、聖教会の名折れに等しい。どこぞから物言いがつくようなら、私の名を出せ」
……え、味方してくれた?
副教皇派の人なのに?
「いやいや、この期に及んでお前さんに迷惑はかけんとも。やる以上は儂の名前、儂の責任においてどうにかしてみせるわい」
はっはっは、と高らかに笑ったアイアトン司教。
が、ジーランの方はニコリともしなかった。
「賢明だな。此度の〝後始末〟は、そう簡単に済みはすまい」
口調は変わらず、しかし、目には明確な威圧の光。
この視線の圧力を、アイアトン司教は苦笑ひとつで受け流した。
「パトリック。あまりそうアイシャを脅かしてやらんでくれ。逆に張り切りかねんわい」
アイシャさんは何も語らず、ジーランも何も言葉を続けなかった。
奇妙な沈黙が場を支配し、それがたっぷり十数秒ほども続いてから、ジーラン枢機卿が紅茶に口をつけた。
「まあいい。馳走になったな」
ソーサーにカップを静かに置いて、ジーラン枢機卿は立ち上がる。
彼らを囲繞していた妙な雰囲気も、その瞬間に緩和した。
(……これ、ひょっとして、すごい駆け引きが行われてた?)
扉へと歩き出したジーラン。
そのジーランの背中に、セラサリスが声をかけた。
「お体、お大事に」
「む?」
振り向いたジーランに、セラサリスはにこにこと笑いかける。
「……気遣い感謝しよう」
*
「ふへぇ……息が詰まったぁ……」
扉の閉まる音がして、ようやく場の空気が弛緩。
俺も緊張から解き放たれた。
「頭の堅そうなジジイだったな」
『絵に描いたような堅物ね。敵も味方もないわよ、アレ』
こっそり見ていたケヴィンさんとシルヴィが、ジーランのことをボロクソに言っている。
確かに敵味方とかって次元じゃない。
最後まで気圧されて、何にも話せなかった……
「まったくのう。あ奴の相手は疲れるじゃろう」
萎縮しっぱなしだった俺に苦笑を漏らしながら、アイアトン司教はこんなことを教えてくれた。
「パトリックとは幼なじみなんじゃよ。あの男は儂と同じ地区、同じ教区の出でな」
「〝教区〟ということは、ヴィリンテルではなくて――」
「うむ。ゾグバルグにおったころの話じゃ」
ふたりの昔話は、次のように続いた。
「儂もパトリックも、ゾグバルグ連邦国はテラロ地区にて生を受けた。育ちは教会だったんじゃがな。幼い頃からふたりで教会の世話になり、そのままふたりで地区の教会で働くようになり、で、そのままの流れでふたり揃って神父になった。ま、お定まりの人生と呼べたかもしれんのう」
教会で育ったということは……たぶん、保護制度だ。
「もっとも、パトリックは儂より先にどんどん出世して、気づいたらテラロを出ていきよったがな」
いくつもの国を渡り歩いては、問題を抱えた教会の是正、再建に携わってきた傑物なのだと、司教は旧友の来歴を語る。
「そういう経歴ゆえ、国の内外問わずに顔が利くんじゃよ、パトリック=ジーランという男は。おかげでいまや枢機卿。それも、本国の最大派閥、副教皇派の一派の中でも、いっぱしの地位におりよるわい」
「そういえば、マルカもそういう見方を示していました。あの人が、副教皇派の実質的なナンバー2だと」
司教は「うむ」と頷いた。
このあたりは、教会関係者の共通認識であるらしい。
「しかし、意外じゃったな。お前さんらが、もうパトリックと会っとったとは」
「ええ、昨日、教皇府を案内してもらったときに、たまたま……」
その時に、遠目だけど教皇様の姿も見たと話したら、
「む? 外に出られておったのか? 教皇様がか?」
やけに食いついてきたアイアトン司教。
そういえば、最近はめったに姿を表さないって、これもマルカが言ってたっけ。
「えっと、お住まいの……コロルゼア小宮殿って名前でしたっけ? あそこの――」
バルコニーに出て、伝書鳩を飛ばしていたようだったと説明したところ、アイアトン司教は難しい顔で何やら考え始め、
「ふうむ……ちょいと席を外して構わんかな」
「え? はい、どうぞ」
どういうわけか、足早に応接室を出ていった。
「えっと……よくわかんないけど、教皇様の外出って珍しいの?」
側にいたアイシャさんに聞いてみた。
外出って言っても、自宅のバルコニーだけどさ。
「正直私もびっくりですねー。最近は公務にも代役を立てるくらい、お調子を崩されていたんですよー」
お歳を召されておりますからねー、とアイシャさん。
俺たちが見たときは元気そうだったけど、近年は床に伏せることが多くあったという。
「大きな声では言えませんけど、教皇様の没後を見据えた動きは活発ですなんですよー」
「それって、次の教皇の椅子を狙った動きってこと?」
「思惑は人それぞれですねー。ただ、どの方も、やっぱり選挙のことは第一に意識されてるみたいです」
「不謹慎……とは言っちゃいけないか。混乱と空白を生んじゃいけないし」
「まあ、建前って大事ですよねー」
ということを話していたら、この辺の事情を把握していないファフリーヤから質問が。
「選挙ということは、次席の役職者の方が繰り上がるのではないのですね」
「うん。投票権は枢機卿限定だけどね。普段は各国に散っている枢機卿が全員集まって、一斉に投票するんだよ」
「〝教皇選挙〟といいまして、ヴィリンテルの法に従って厳正に行われるんですよー」
なお、選挙だけど、立候補権は存在しない。
投票者は、〝最も教皇に相応しい者〟を聖職者の中から投票することと制度上はなっている。
基本的には、その世代で最も人気がある枢機卿が選ばれるんだけど、ちょっとした慣例みたいなものもある。
「伝統的に、先代の教皇様より10歳以上若い人が選ばれる傾向がありますねー」
若いと言っても、枢機卿なんて高位の役職についてるような人は、みんな当然おじいちゃん。
だから、前回の教皇選挙で敗れた高齢の高位役職者たちには、もうチャンスがない。
そういう人たちは、次期教皇に見込まれる人物を自分たちの派閥に入れておき、後年の権力を確保しようとする。
また、〝若い〟枢機卿たちの間では、「自分を次期教皇に」っていう根回しが横行し、余所の有力派閥に擦り寄ったりする動きが水面下では活発なのだという。
「動いているのは枢機卿だけではないんですよー。司教のみなさんも、趨勢を見極めるために日々情報収集に励んでいましてー」
「え? 投票権がないのに?」
司教の立場では、選挙にいっさい関われないはずだけど、なぜ?
「今のうちから有力候補者に取り入るつもりなのでしょう」
『あわよくば派閥に加われないかって、虎視眈々と機を狙ってるんでしょ、どうせ』
「おっしゃる通りですねー」
さすがは大宗教の本拠地。
権力争いも熾烈を極めるご様子で。
「じゃあ、アイアトン司教も?」
「もちろんですよー。ダニエルさんも方々に聞き耳を立てて、次の教皇選挙で有力と思しき枢機卿に、手当たりしだいに媚びを売っていますねー」
ということは、今部屋を出ていったのも、そういう絡みだったりして?
「ちなみにですねー。今現在の最有力候補は、先程のパトリック=ジーラン枢機卿なんですよー」
「げ、そうなの?」
思わず『げ』とか言っちゃう俺。
だけど、ケヴィンさんとアンリエッタは、今のをプラスの情報として受け取っていた。
「なんだ、取り入るまでもねえじゃねえか」
「そうですねー。ダニエルさんの幼なじみですからねー」
「なら、この教会は安泰なのね」
「少なくとも、副教皇派から直接的な嫌がらせをされることまではありませんねー」
胸をなでおろすアンリエッタ。
滞在中にファフリーヤに危険が及ぶことがないか、ずっと気にかけていたのだろう。
「でも、安泰っていうのはどうでしょうねー。自分を置いてどんどん出世していくジーラン枢機卿に対して、ダニエルさんは良い印象を抱いていないようでして――」
「こらこらアイシャや。変な風聞を広めんでくれんか」
ちょうど戻ってきたアイアトン司教が、彼女の言に待ったをかけた。
「まったく、アイシャも人聞きの悪いことばかり言いよってからに。パトリックと距離が空いてしまったのは事実だが、しかしな、別に儂はあ奴に、悪感情を持っとるわけではないんじゃぞ」
鼻を鳴らしたアイアトン司教。
ただ、それを『良い感情』だとは言わなかったあたり、何かしら思うところはあるのかもしれない。
そうこうしているうちに、本日の教会巡りに出発する時間がやってきた。
初老の司教は「面倒事は起こさんで欲しいんじゃがのう」なんて呟いて、ティーカップを片付け始めた。




