20_11_1日目⑪/外側の敵、内側の敵 下
地下から上がった俺たちは、別塔内の2階にある、アイシャさんの作業部屋へとやってきた。
この塔は、アイシャさんが全面的に使用していて、伝書用途の鳩や鷹を飼育している部屋などもあるという。
テクトータの寝床も、ここの中にあるそうだ。
さて、作業部屋の中には、木製の広いテーブルと、その上に、大きな地図が広げられていた。
そのテーブルの周りを囲んで椅子に座り、俺たちは、アイシャさんに改めて説明を求めた。
「じゃあ、まずは聞いておきたいんだけど」
さっきは状況整理のために、周辺諸国や国際情勢について確認した。
ここからは、当事国の話だ。
敵は外と内、両方にいる。
「まずは外の敵、ラクドレリス帝国のほうから教えてもらえるかな」
外側の敵、そして俺たちの敵でもあるラクドレリス帝国。
こちらの協力を取り付ける都合上、アイシャさんも、帝国の詳しい情報を渡すことは既定路線だ。
「そうですわね。それでは、こちらをご覧いただけますかしら」
彼女は、テーブル上の大きな地図を指し示した。
ヴィリンテルの周辺地理が描かれた地形図だ。
地図上には、インクで矢印や文字が色々と書き込まれていた。
「この矢印が、帝国軍部隊のおおまかな哨戒ルートですわ。昼と夜で異なりますけど、ルートはほぼ定線ですわね」
矢印は、赤と黒に色分けされている。
「これ以外に、一定の場所に留まり監視と検問を行う部隊、直ちに動員可能な待機部隊がいるようですわ。多くは歩兵と騎馬兵ですわね」
地図を覗き込んでいたケヴィンさんが、真っ先に質問した。
「宿営地はどこにある? こんだけの大部隊、かなりでけえのを築いてるはずだ」
「ヴァーチ・ステップの中に数カ所ほど。こちらと、こちら。あとは……」
赤い丸石を地図上に置いていくアイシャさん。
南の海岸線近くから、カルリタの樹海の真西のエリアまで、かなり広範に設置されている。
うちひとつに至っては、ヴィリンテルからほど近い距離、ほとんど目と鼻の先と呼べる場所だった。
「宿営地には、常に大勢の兵士が詰めているようですわ。昼と夜の哨戒部隊が、交代交代に眠っておりますの」
「やっぱり多いの? 夜間も巡回してる兵士って」
「はい、かなり。巡回だけでは飽き足らず、方々に散ってせっせと焚き火を起こしていますわ」
ヴェストファールで空から見た時、篝火の光がかなり多かった。
ただ、あれでは配置が乱雑だって、シルヴィは分析していた。
示威行動と認識させられないのではないかと。
「それが適切かつ効果的だと考えているのですわ。帝国軍は」
この言葉で、最初にネオンが気がついた。
「では、帝国軍は、避難民たちが聖教国の中に匿われていることを?」
「薄々感づいているようですわね。もっとも、確信までには至られていませんわ。あの焚き火を見れば、瞭然ですもの」
……どういうこと?
「なるほどな、対象を限定化した示威行動か」
ケヴィンさんも、すぐにピンと来たらしい。
理解しかねている俺に、ネオンが解説を入れてくれた。
「当事者だけに圧力を感じさせるピンポイントな策略です。あの乱雑な配置では、無関係の人間には〝大量の焚き火〟以外の意味を与えません。ですが、追われる者とそれを匿う者の目には、『逃げ場は封じた』という言外の脅迫として映ります」
夜間も途切れず燃やされ続ける、赤い赤い焚き火の光。
広大なヴァーチステップを埋め尽くし、深遠なカルリタの樹海にまで広がる焔の光は、匿われている避難民と、それを匿った人間たちへのプレッシャー。
「この圧力に耐え切れず、仲間割れや大きなトラブルに発展すれば、標的が外に現れる結果が生まれるかもしれない。そう考えての行動なのです」
「文字通り、火で炙り出そうってことか」
帝国軍も、〝聖教国内に必ず避難民がいる〟という確信までは持っていない。
持っていたなら、こんな迂遠な手じゃなくて、もっとあからさまな嫌がらせをヴィリンテルに仕掛けているはずだ。
〝いるかもしれない標的〟を誘い出すためならば、確かにこれは適切で効果的な作戦なのだろう。
「それでか? 地下のスペースに押し込めたのは。外の情報を遮断するために」
「理由のひとつ、ではありますわね」
ひとつってことは……いや、まずは外の敵のことから考えよう。
どういう対策が取れるかがわからなければ、もうひとつへの対処だって決められない。
「我々に打てる現実的な手立てとしては、宵瘴の驟雨が終わるまで待つことです。3週間の忌み日の期間、つまりは、人々が空を見上げる期間さえ過ぎてしまえば、航空輸送機で空から安全にバートランドシティに連れていくことが可能となります」
「でも、彼らがそこまで保つとは思えない」
ネオンは深く頷いて、俺にこの後の発言を委ねた。
「神兵でさえ、精神への負荷を主張してたんだ。軍隊に追われる境遇の人たちが、それも、あんな閉鎖された空間の中で乗り切ることなんて」
『できないでしょうね』
「困難と言わざるを得ません」
ネオン、それにシルヴィも俺の意見に同調し、そしてマルカも、信徒の視点で共感を示した。
「信仰心の深さから、彼らは神殿騎士やシスターの言葉に従ってくれています。しかし、その信仰心ゆえに、宵瘴の驟雨に対する恐怖も、並々ならぬものがあるはずです」
すでに健康状態も精神状態も良くない彼らが、これ以上、この環境に耐えることなんて不可能だ。
「それに、懸念は彼らの体調のみではありません。お察しかとは思いますが、政治的にも少々、厄介なことになっています」
マルカはアイシャの顔を見る。
ここからは、内側の敵についての情報だ。
アイシャさんは、リーンベル教会の置かれた状況について、仔細を語った。
「聖教会の五大派閥――特に、副教皇派の方々から探りを入れられておりますの。ジラトーム国の避難民が、よもや、国内に匿われてはいないか、などと」
「じゃあ、さっきの」
「覗き見野郎の正体か」
「副教皇派とは決めつけられませんけれど、味方でないことは確かですわね」
この話に、ファフリーヤが疑問を呈した。
「同じ宗教組織の人間でも、危難を前に一致団結はできないのですか?」
「聖教会は巨大すぎる組織ですもの。残念なことに、一枚岩ではありませんわ。事態が大きくなればなるほど、それぞれの利害が衝突したり、我関せずと事無かれ主義を貫いたり、あるいは、少数を切り捨てたり」
「では、もしも匿っていることが、その副教皇派に露見してしまったら……」
アイシャさんは、寒気のするような笑顔で答えた。
「避難民は大きな紛争の火種。神兵部隊が直接介入したという事実もろとも、もみ消されることになりますわ」
人目の付かない地下に匿う、もうひとつの理由。
彼らの存在は、このヴィリンテル聖教国内においてさえ、危険な火薬樽なのだ。
難民ではなく避難民という、あやふやな名称を用いる意味も、そこに……
「その副教皇派っつうのは、帝国寄りの派閥なのか?」
ケヴィンさんが、聖教国の内幕について踏み込んだ。
「そこは幸い、真逆ですわね。今代の副教皇であらせられるリルバーン様は、ラクドレリス帝国があまりお好きではありませんの。ですが、その感情は帝国のやり方に異を唱えることには向かず、むしろ、帝国の軍勢に追われる避難民などいようものなら、さっさと追い出してしまえとおっしゃられるお方です」
……この恨み節、ひょっとして、もう言われたのか?
「ただ、この副教皇様も、面倒なお人柄ではあるのですけれど」
アイシャさんは、少しもったいぶった言い回しで、話を次のように展開した。
「実のところ、副教皇様のことは、さほど脅威だとは思っておりませんの」
「どういうこと?」
「確かに地位も権力も、横の繋がりもあるお方ではありますけれど……印象として、どうにも小物な感じが拭えないおじいちゃんでして」
この言い方、脅威は別にいそうな感じだ。
「あの派閥の実質的な頭株は、ジーラン枢機卿だと言っても、差し支えありませんの」
「ジーラン枢機卿って、あの?」
昼間、教皇府のところで会った、あの気難しそうな枢機卿。
あれは確かに、一筋縄ではいかなそうな雰囲気だった。
「……ネオン、どう思う?」
「よくない状況です。我々が来訪したことで、ヴィリンテルの警備警戒態勢は通常時よりも強化されています。警備する神兵たちは味方としても、その緊張感は住民にも伝播しているはず。加えて、副教皇派のみならず、他の有力派閥や各省庁による監視の目も、この教会に向いているかもしれません」
警戒と監視、すべての目を逸らしておかなければ、避難民たちを動かせない。
「まずは国外脱出に難あり、か」
「はい。まずはヴィリンテル国内で何らかの手を打たないことには――」
帝国軍を躱すどころか、出国すらもままならない。
問題は、思っていた以上に山積みだ。




