20_10_1日目⑩/外側の敵、内側の敵 上
「周辺諸国は、今回の件をどう見てるの?」
侵攻作戦が本当であれば、事は帝国とジラトーム国だけの話に留まらない。
ジラトームという国が侵略され、帝国の領地に置き換われば、間違いなく〝その次〟がある。
「ジラトームの国王は、公式にこう宣言したそうですわ。『我が国には難民に相当する者などおらず、民が国外に逃亡したという事実も存在しない』と」
帝国に言わされているのか。
それとも、帝国を欺いているのか。
「帝国軍の侵略についての言及は?」
「ありませんでしたわ。とはいえ、少なくとも帝国軍の表立っての軍事行動は、ラスティオ村での〝盗賊退治〟でストップしたのも事実ですわね」
「『表立って』、ね」
「はい。『表立って』ですわ」
だんだんと、事のあらましが掴めてきた。
「帝国軍は、すでに侵攻していたんだね、ラスティオ村より先の集落にも」
帝国兵が現れたのは、ラスティオ村だけじゃなかったのだ。
ラスティオ村への進軍と同時に、それ以東の集落に対しても、斥候兵を侵入させていた。
「目的は、情報封鎖だったようですわね」
すなわち、ラスティオ村を帝国軍が占拠したという事実の伝達を、可能な限り遅らせる策略。
「ですが、その時にはラスティオ村の民も、さきほどの避難民の方々も、遠方に避難を済ませておりましたので」
結果、帝国軍は盗賊退治を建前とした軍事侵攻を停止して、大規模演習という名目による村人捜索に舵を切り替えた。
しかし、標的を発見するには至っておらず、今も捜索部隊を動かし続けている。
……だとしたら、あの人たちを匿うアイシャさんの行動は、大局的には戦争を食い止めているってことになる。
と、ケヴィンさんがやけに険しい顔で、アイシャさんに問いを投げた。
「どうやって、これだけの人数を聖教国に収容したんだ? 外には帝国兵がうようよしてんだろ?」
「もちろん、帝国軍による包囲網が完成する前ですわ」
これを、今度はネオンが問いただした。
「それはつまり、ラスティオ村の民たちの逃避行と、完全に時を同じくして、なのではありませんか?」
ひとつの核心を突く問いが、ひとつの事実を浮き上がらせる。
「ご明察のとおりですわ。私が派兵をお願いした神兵の部隊は、テレーゼたち8人以外にもおりましたの」
もっとも、若干の時間差はあったとアイシャさんは言う。
別部隊が動員されたのは、テレーゼさんたちを発たせてから数日後のことだという。
「最も早くに危険が迫ったのはラスティオ村。まずは彼らの安全を、一刻も早く確保する必要がありましたの」
このため、アイシャさんは正式な手続きを踏まずに動いてくれるテレーゼさんをまず頼った。
ドライデン騎士長に働きかけ、『上官からの命令』という体裁だけは整え、テレーゼさんの部隊を早急に避難先へと派遣。
そのうえで、他の避難民たちのところにも、別の部隊を送ってもらった。
後者の派遣に時間がかかったのは、正式な派兵手続きを踏んだため。
この手続きに、テレーゼさん以下8名の部隊員の名もしれっと組み込み、彼女らの派兵もこっそり正当化。正確な出国日時等は誤魔化した。
ただし、その派遣内容は避難民の救助ではなく、国外での演習であると偽装している。
「それって、紛争介入だと見做されないための措置ってことだよね? 身内に対しての」
「その通りですわ。いかに人道支援であれ、他国に神兵を派遣だなんて、簡単にはできませんもの」
永世中立を自ら謳うヴィリンテル。
帝国との衝突が懸念される任務内容なんて、絶対に認められるはずがない。
ましてや、反神兵を標榜する権威者たちがいては、なおのこと。
言ってしまえば、これは神兵が組織ぐるみで独断専行していることになる。
「偉い人たちの目を欺いて武力派遣なんて……こんなのが明るみになったら――」
「それでも人命を救うためには、国内にも完全秘密で任務を遂行するしかありませんでしたわ」
「……敵は帝国だけじゃなく、内側にもいるのか」
ただ、この判断は確かに人命を救っていた。
この時、外側の敵に対して鍵となったのは、最も早くに派兵されたテレーゼさんたち部隊の動き方……いや、動かし方だった。
彼女たちは、アイシャさんの放った伝書鳩によって何度も進路を変更し、帝国兵の追撃を見事躱しきっていく。
「帝国軍はテレーゼたちを見失う度に、部隊を総当りで動かしていましたわ。虱潰しと言えば聞こえは良くとも、陣形には都度、綻びが生じますわね。その一瞬の隙を突いて、先ほどの避難民たちをヴィリンテル国内に迎え入れることができましたの」
帝国軍にとっても、時間との勝負であったろう。
おそらくは、いくつもの予想進路に部隊を強引に先回りさせ、抜けられる可能性を徹底的に潰そうとしていたはず。
だが、その動きを、逆にアイシャさんに読み切られた。
部隊の配置が崩れれば、そこが穴になる。
針穴ほどの小さな穴だが、アイシャさんは糸を通しきり、避難民たちにサザリの門をくぐらせることに成功した。
「たいしたシスターだぜ。帝国軍に読み勝つたぁ。なあ?」
楽しげなケヴィンさん。
自国の敵を翻弄しきったアイシャさんの手腕に、純粋に賛辞を送っているようだ。
けれど俺は、これに静かに頷くことしかできなかった。
(前にネオンも、可能性を挙げてはいたけど……)
今の話、本当にテレーゼさんたちは陽動の囮で、なおかつ、もっと大勢の難民を避難させるための予行演習だっということに……
「断っておきますが、私は決してテレーゼを捨て駒として利用したのではありませんわよ」
げ、顔に出てたか。
「いや、何もそんなことは――」
「そもそも、テレーゼたちに護送をお願いしたラスティオ村の30名に関しては、先んじてゾグバルグ連邦にて受け入れてもらうことが非公式ながら決まっていましたの」
一番最初に狙われてしまう村落に、まずは一番手厚い保護を。
そのための施策を、可能な限り打っていたのだとアイシャさん。
「急ぎナギフェタ国の教会支部にも協力を取り付け、神殿騎士と聖骸部隊を緊急的に動員し、逃走ルートを検証しましたの。私では手を回せないところはドライデン騎士長に協力いただき、国内の目も誤魔化しきって、政治的問題も可能な限り回避しましたわ」
もしもテレーゼさんたちがゾグバルグ連邦に到着できていれば、今頃ラスティオ村の人たちは、連邦政府によって秘密裏に保護されていたという。
「もっとも結果は、伝書鳩を使っての誘導では対処しきれないと証明されてしまったのですけれど」
悲しげな顔で言い添えたアイシャさん。
「その結果は、現状にも影を落としているのではありませんか?」
そんなアイシャさんに、ネオンが話の先を追求した。
「先程のあなたの言葉です。連邦国による避難民受入について『30名に関しては』『先んじて』とおっしゃっていましたね。そしてマルカは『手筈が途絶えかけている』とも」
「受け入れには条件がございましたの。『帝国軍に見つかることなく、ヴィリンテルが関与した証拠も掴まれることもなく、まったくの秘密裏のうちにゾグバルグへと送り届けること』。これが実現可能であると証明して、初めて残りの方々の受け入れの話になるはずでしたわ」
けれど、ラスティオ村の人たちをゾグバルグに送る計画は失敗した。
だから、残りの避難民たちの受入は、白紙に戻されたってことに――
「まだ白紙にはさせていませんわよ。とは言いましても、このままの状況が続くようですと、話が立ち消えてしまうのも事実ですわ」
「つまり、あの人たちのちゃんとした避難先の目処は、立ってないってこと?」
「働きかけは続けていますけれど、感触は良くありませんわね」
けれど、もし仮にゾグバルグ連邦政府が内密に受け入れを承諾してくれたとしても、その手筈を整え終わるまでは、現状を動かせない。
「じゃあ、それまでは、ずっとあそこに押し込めておくってこと?」
広いと言っても地下の密室。
人が長期間生活できる環境だとは思えない。
俺の懸念を、ネオンが明晰な言葉にしてくれた。
「閉鎖環境で感染症が発生すれば、短期間のうちに全体に蔓延してしまいます。暗闇の中で長い日数を過ごすことも、人体には悪影響です」
「これでも、衛生面はきちんと考慮していましてよ」
打てるだけの手は打っていると、アイシャさんも反駁した。
確かに、地下の割りには照明でかなり明るくなっていたし、そこそこの広さがあって、人が密集してはいたけど過密というほどにはなっていなかった。
何より、空気がちっとも淀んでいなくて、息苦しさはちっともなかった。
「使われなくなった古い水路を直して、新しい水路の水を少しおすそわけしてもらっていますの」
すぐあちらにも流れていますわ、と、彼女は横道の先を示した。
「水質は、悪くはないようですね」
分析したネオンがお墨付き。
綺麗な水が供給されるほか、水流が空気の流れを生んでくれるから、地下壕は常に新鮮な空気が循環しているのだそうだ。
「火を灯している都合上、換気が常時行われる構造にしてありますわ。温度と湿度も適切に管理していますから、悪環境ということはありませんわよ」
『でも、何人かは健康を害する一歩手前だわ』
しかし、それでも問題が発生していると、シルヴィが言葉を挟む。
『さっき、非接触のバイタル・チェックをやってみたの。ここに来てから結構な日数が経過してるんでしょうね。衰弱ってほどじゃないけど、ちょっとした体調不良を感じる人がちらほら出てきてるはずよ』
「携帯式の簡易医療キットを持ち込んでいますが、全員分には足りないうえ、根本的な解決にもなりません」
「おっしゃるとおりですわ。単に薬や医療器具があればよい、というわけには参りませんもの」
誰にも見つからないからと言って、安全が保証されることにはならない。
それはアイシャさんも理解している。
「それに、懸念は健康面だけではありませんの。皆さんの不安や不満も爆発寸前。今のところは神殿騎士という信仰の象徴で抑えこんでいますけれど、それもそろそろ限界ですわね」
なかには、故郷の村に帰りたいと、こっそり言ってくる人も出始めたそうだ。
「いつ殺されるとも知れない故郷か、日に日に衰弱していく現状か」
どちらを取っても袋小路。
選択肢にすらなっていない。
だから彼女は、俺たちをここに招いたのだ。
「ですので皆様には、あの方たちの逃走援助ならびに亡命を受け入れていただきたく」
「簡単に言ってくれるね。これだけの人数を……帝国にも聖教国にもバレないように逃せだなんて」
予想以上の難度の高さ。
これはもう少し、状況を詳しく掘り下げる必要がある。




