20_09_1日目⑨/始まる暗躍、根の深い闇
<1日目、夜>
中庭に出ると、夜空には月が昇っていた。
月光が柔らかく注ぐ庭は、狭いながらも花壇や植込みが綺麗に整い、ちょっとした庭園のようになっている。
その整った庭の先に、小さな塔が建っていた。
そこに何かがある、らしいんだけど……
「誠に恐縮なのですけれど、あまり大勢は好ましくありませんの」
アイシャさんからの要望に応え、ケヴィンさんが護衛役の部隊員たちに待機を指示。
もともと連れて行く気はなかったらしい。
ただ、アンリエッタだけはファフリーヤの身を案じて着いてきた。
「では、皆様、塔の中へ」
庭を横切り、塔の鍵をアイシャさんが開け、1階の物置部屋らしきところに案内された。
そこには、大小様々な木箱や樽が、一面雑多に置かれていた。
「こちらの木箱、動かしていただけますこと?」
彼女が俺に示したのは、人の背丈ほどもある大きな箱。
材質はかなり丈夫そうで、かなり重そう。
ケヴィンさんにも手を貸してもらおうとしたところ、
「お一人で大丈夫ですわよ」
とのこと。
言われた通り、一人で箱を触ってみると、
「あれ? 軽い?」
「この箱、実は空っぽでして、板材もとっても薄く作ってありますの。塗装で偽の質感をつけていますのよ」
ということは、大事なのは中身ではなく、箱の下。
ここの床板だけ、踏んだときの音がほんの僅かに違っていた。
アイシャさんは、慣れた手つきでその床板を持ち上げた。
「隠し扉? それも床に?」
現れたのは狭い階段。
奥は闇。
アイシャさんの持つランタンの灯りを頼りに、暗がりの中を足元に気をつけ降りていく。
降りきった先には、全面石造りの長い通路が伸びていた。
上下左右を、レンガのような長方形の石で敷き詰められたその通路は、幅が広く、天井も高く、複数人で歩いても全然窮屈に感じない。
「こんな大きな地下通路、どこに通じて?」
「司令官、おそらくこれは通路ではなく地下水路です。かなり以前に廃棄されているようですが」
まだ暗さに順応しきっていない目を凝らすと、確かに昔は水が流れていたらしく、壁の色が膝の高さくらいを境に違っていた。
それに、よくよく耳を澄ましてみたら、どこからか水流の音も聞こえてくる。
「御名答ですわ、ネオンさん。このヴィリンテルの地面の下には、多くの水路が伸びていますの。今は使われていない古いものも、いくつもございますわ」
聖教国はかなり前から地下水道が整備され、国土全体に広範に敷かれている。
古くは400年以上も昔に造られた水道もあるそうで、老朽化により使用に耐えなくなった部分が出る度、新しく整備しなおされてきた。
その過程で、完全に使用できなくなった水路というのも多数あって、これらは厳重に閉鎖されているという。
「その閉鎖区画の一角を改修して、有意義に使わせて貰っておりますのよ」
「ひょっとして、無許可で?」
アイシャさんは、にっこりと笑って言う。
「つい先日、巡礼省の臨時監査が行われましたけれど、ここは発見されませんでしたわ」
つまり、聖教会の人間も知らない秘密の空間。
「何かを探られてんのか? この教会は」
単刀直入。
ケヴィンさんが舌鋒鋭く追求した。
「さっき外から教会を覗いてる奴がいた。俺の部下が話しかけたら逃げ出した。ありゃなんだ?」
「誰かしら来るとは思っていましたの。それでアイアトン司教に説法をお願いしたのですわ。ジューダス=イスカリオットの熱心な巡礼ぶりを目撃してもらうために」
来るのがわかって、利用したらしい。
でも、『誰かしら』ってことは、相手の正体をアイシャさんも知らないのか?
「機を見てマルカに追い払ってもらうつもりでしたけれど、その前にご対応くださったようですわね。助かりましたわ」
小さく頷くマルカ。
彼女も予期していたことだという。
「監査も結構ですけれど、時期が妥当ではありませんでしたわね。宵瘴の驟雨の直前に実施するだなんて」
空にばかり目が向くということは、地上が疎かになるということ。
とすれば、地下なんて更に意識が希薄になる。
信心深い人間であれば、なおのこと。
「つまり、秘密はこの地下にあるんですね?」
アイシャさんはクスリとほほえみ、マルカも神妙な顔をつくって、俺の言葉を肯定した。
「私やテレーゼも夢想だにしていなかったのだ。まさかアイシャが、本国に呼び寄せていようとは」
何を? とは、聞きにくい雰囲気である。
「そう身構えなさらず。これから実際にご覧いただくのですから」
この地下通路の先には、果たして、何が――
「……い……糧を……から……」
ん?
なんだ今の音?
「……い我らに……を……与え……」
……人の声?
それも、ひとりふたりじゃない。
かなりの大人数の声がする。
けれど、会話とはちょっと違う?
「もうお聞こえでしょうけれど、あちらの扉の奥ですわ。お見せしたいのは」
通路の先に現れた、木製の扉。
開けた瞬間、中から光が溢れ出し、そこには――
「神よ、地の下に顔を隠した卑しい我らに、大いなる空よりご恩寵を垂れ給え」
「無力なる我らに、苦難を越える心の強さを与え給え」
「あなたがお示しになる道を歩む我らに、安寧を齎し給え」
ひらけた明るい空間で、多くの人が一心に祈りの言葉を唱えている。
老若男女が跪き、一様に悲壮な顔をして、神に救いを求めている。
目についたのは、彼らの服装。
少し見窄らしい……といったら失礼だけど、昼間見てきたヴィリンテルの住人たちの身なりと違って、どちらかというと農作業などに向いたような、地方の村人を思わせる感じの衣服で身を包んでいる。
そんな人が数十人……いや、百人を超えているか?
(なんだ、ここ? 古い地下礼拝堂? ……いや)
たぶん違う。
礼拝堂というには飾り気がまるでない。
広さはあるし、灯された多くの火によってかなり明るくなってはいるけど、壁や天井はさっきの通路と同じ石造り。
通路をそのまま広げてスペースを開けただけの大きな部屋、いや、地下壕。
質素というより無骨な見栄えの、ほんとうに〝ただの空間〟なのである。
「少々お待ち下さいませ。あちらの長たちに話を通してまいりますわ」
「長たち……?」
「マルカ、お願いしますわね」
「ええ」
俺の疑問に答えることなく、アイシャさんは、マルカを連れて彼らの元へ。
「おお、神殿騎士様。それに、シスター」
彼らの一部がふたりのことに気がつき、数人が近寄ってきた。
そして、口々に問いただす。
「シスター、あちらの方々は?」
「少し前にお伝えしていた協力者ですわ。本日、ヴィリンテルに到着されましたの。まずは皆さんのお顔を見ておきたいと」
「貴族のお召し物のようですが、どちらから?」
「いえ、あれは変装ですの。怪しまれずにこの国に入るための偽装ですわ」
「そんなことをしなければならないほど、外は危険なのでしょうか?」
「あくまでも、念には念を、の対応ですわ。楽観だけはできませんもの、あらゆるところで万難を排すべく行動する必要がありますわ」
「……うむ、そこはアイシャさんの言う通りじゃろう。ラスティオ村のこともある。せっかくご助力を買って出てくださる方々までもが、危険にさらされてはならん」
「ご理解感謝いたしますわ、村長様方」
ラスティオ村が襲われたことを知っている?
しかも、それが、危険に繋がるって?
アイシャさんから合図があり、俺たちも村長と呼ばれた人たちのもとへ。
とりあえず、まずは挨拶を。
「こんばんは――」
その瞬間、ちょうどお祈りが終わったらしい。
言葉が止んで、100人余りの人の目が、一斉に俺へと集まった。
数多の視線に晒されて、一瞬にして気圧された。
「ベ、ベイル=アロウナイトと申します。は、はじめまして。その――」
……名前以外、他に話せること無くない?
「お初にお目にかかりまする。アロウナイト様」
様付けはやめてほしいかなー、なんて悠長なことを思ってみる。
いや、状況を整理したくても、情報がなさ過ぎて――
「着いたばかりとのことですが、聞かせてくだされ。我々は、いつまでここに隠れ――いえ、あとどれくらいで、帝国の兵隊がおらん場所まで逃げ延びることができるのでしょうか?」
悠長な思考はすぐ消えた。
顔色を変えた俺の代わりに、アイシャさんとマルカが答えた。
「宵瘴の驟雨が終わるまでには、皆様を安全な土地にお送りする手筈ですわ。ラクドレリス帝国の兵隊も、この期間は空が気になっていますもの」
「どんなに強い軍隊でも、兵士はやはり人間です。連日の行軍で体力を失い、気疲れから集中力も失う。今年の宵瘴の驟雨は、あなた方の味方です」
シスターと神殿騎士の両名に諭された彼らは、互いに顔を見合わせて、
「う、うむ。そうだな。それがいいと、私どもも、そう思います」
お互いを、何より自分自身を納得させるように、深く深く頷いた。
「神は皆様を見守っていてくださいます。ご不安が募られていることは承知しています。ですが、どうかあと少し、ご辛抱を」
・
・
・
地下壕を後にして、地下水路を戻りながら、俺は先程の人たちについて尋ねた。
「アイシャさん、今の人たちは?」
彼女が見せたかったという光景は、あまりに衝撃的だった。
ネオンがカウントしたところによると、総勢102名があの地下壕にはいたという。
「ラスティオ村の人たち以外にも、難民が?」
「あの方々は、ジラトーム国の辺境地域の村々に生活基盤を築いていましたの。ラスティオ村と同様、ラクドレリス帝国の国境線にほど近いエリア。そこから逃れてきた避難民ですわ」
「避難民?」
……どうにも引っかかる言い方だ。
ラスティオ村の人たちは、実際に軍事侵攻から難を逃れた、文字通りの〝難民〟のはず。
彼らもそれと同じじゃないのか?
けれど、アイシャさんは〝避難民〟と、意図的に言葉を分けて使っている。
「その辺境地域の最西部、つまり、帝国との国境線に最も近かった村落がラスティオ村。この地理については、ご存知ですわね?」
俺の疑問は無視された。
これもおそらく、意図的に。
「『帝国軍は、ラスティオ村以東にも進軍する用意がある』。そんな情報を、確かな筋から得ていましたの。もっとも、計画の第一手目でつまづいたせいか、大掛かりな進軍はストップしていますけれど」
……この言い方も、少し気になるところではある。
けど、まずはひとつ、はっきりさせておきたいことがある。
「どうしてこんな地下に彼らを? ヴィリンテルなら、もっといい環境で保護することができるはずだ」
現に、セラサリスはリーンベル教会で保護制度の適用を受けることが決まっている。
宿泊用の施設だって備わってるし、リーンベル以外にだって、大きな教会や聖堂はたくさん聳え立っている。
収容が難しいはずはない。
「これじゃあ、まるで帝国兵だけじゃなく、ヴィリンテルの内部の人からも見えないようにしているみたいじゃないか」
少し、責めるような言い方に聞こえたのかも知れない。
俺とアイシャさんの間に、マルカが割って入った。
「事実、そうなのだ。彼らの存在を知る者は、アイシャとアイアトン司教の他は、我々一部の神兵のみに限られている」
「……不法入国、なのか?」
彼女は神妙に頷いた。
「正規の手続きによらずヴィリンテルに入国させました。これは我々神兵の独断です。知られれば、ただちに彼らに対し、国外退去の強制執行措置が取られるでしょう」
「サザリの門の外に放り出されて、帝国兵に身柄を拘束されてしまいますわね」
少しだけ、見えてきた。
セラサリスを保護制度の対象にできた理由、アイシャさんが事前にやっていたという『根回し』。
それはきっと、彼ら避難民をヴィリンテルで正式に受け入れてもらうためのものだったのだ。
(ただ、『当初の目的通りの活用』ができなかったとも言っていた……つまり、正規の入国も保護受入も、実現させられなかったということ)
その原因は、おそらくは聖教国の内部の事情、政治的な問題なのだろう。
俺たちという不確定要素に頼るしかない理由として筋が通るし、彼らを避難民と呼ぶ意味も、たぶん、外交絡みでありがちな話だとするなら、理解できる。
でも、今は内部に抱える問題より先に、彼女らに確認するべきことがある。
「さっき、『皆様を安全な土地にお送りする手筈』だって言ってたよね『宵瘴の驟雨が終わるまでには』って」
「誤解を恐れず申し上げれば、真っ赤な大嘘ですわ」
……だろうね。
「シスター・アイシャ、その言い方では本当に誤解を生んでしまいます。手筈が途絶えかけているのは事実ですが、今は――」
「そうですわね、マルカ。今は、彼らという協力者がいますものね」
「頼りは俺たち、か……」
訳有りというには、事態はあまりに複雑な様子。
まずは、状況を詳しく知っておく必要がある。
避難民、それに、ラクドレリス帝国の動きについて。
そのために、情報を外側から埋めていこう。




