20_06_1日目⑥/聖教会という世界 下
「教皇府に何用か」
背後から声をかけられた。
振り向くと、聖職者の姿があった。
長い白銀の髪の初老の男性が、こちらの様子をじっと見ていた。
(この服、ブラックウッド枢機卿と同じだ)
着ている法衣は薄紅色。
ということは、この男性も枢機卿。
かなり偉い人である。
「答えよ、神殿騎士」
威厳に満ちた鋭い目つきで、マルカに詰問する枢機卿。
……いや、これはどうやら、威厳だけではなさそうだ。
敵視というのか蔑視というのか、何にせよ、よく思っていなそうな感じが視線に乗っている。
(しかも、それを隠そうともしてないな)
さっきまでハイテンションだったマルカも、一転して表情を消し、事務的な口調に切り替わった。
「これは、ジーラン枢機卿。ご機嫌麗しゅう。ただ今、職務として、我が国に到着されたばかりのお客人に街を案内しております」
「ふん」
あれ?
ジーラン枢機卿って?
どこかで名前を聞いたような……?
『テレーゼの記憶にあった人物です。過去に神兵組織の在り方について、一悶着あったようですね』
イヤリングの通信機から、ネオンが教えてくれた。
そうか、テレーゼさんの苦労の種の1人か。
そんなことを考えながら顔を見ていたら、逆に、こちらもじろりと一瞥された。
「この者たちか? 此度の特例来訪者というのは?」
眼光鋭く射竦めてくるジーラン枢機卿。
が、ここで怯んでいたら無礼にあたる。
「これはこれは枢機卿様。はじめまして、私はラクドレリス帝国はイーゴル地方より参りましたジューダス=イスカリオットと申します。この度は歴史あるヴィリンテル聖教国への入国をお認めいただき幸甚の至り、厚く御礼申し上げます」
深々と頭を下げる俺。
過剰なまでの恭しさは、『貴族として礼儀を弁えていますとも』という新興貴族っぽさアピールである。
「聖教国の政務の中枢たる教皇府を一目拝見いたしたく、彼女に案内をお願いしたのです。いやはや、流石は各国のメレアリア聖教会を束ねる――」
「そのまま言行をわきまえておくのだな。この国の中では、貴族の地位や権力など、毛ほどの意味も成しておらぬ」
俺のお世辞は、にべもない言葉で断ち切られた。
いい印象は、出会う以前から持たれていなかったようである。
「もちろんですとも。権威ありきでは決して得られない稀有な体験を積ませていただき、今後の人生の糧とするべく――」
「心得ているならばよい。せいぜい精進することだ」
小蝿には構うまでもないとばかり、ジーランは俺に背を向けて、庁舎へと歩いていってしまう。
(最後まで言わせろよコノヤロウ)
あまりの扱いの雑さに、心のなかで相手を罵倒。
が、その途端、ジーラン枢機卿の足が止まった。
思わずビクリ。
枢機卿は振り向くことなく、低めの声色でこんなことを囁いた。
「神殿騎士よ。あの策謀家のシスターに伝えておけ。貴様の独善で何千何万の命が危機に瀕そうとしている以上、私はそれを、断固として抑止する……とな」
「……何のことかは寡聞にして存じ上げませんが、しかとお伝えいたします」
今度こそ、ジーラン枢機卿は教皇府の中に去っていった。
「マルカ、あの人って?」
「パトリック=ジーラン枢機卿。副教皇様を筆頭とする派閥に属する、非常に力のある枢機卿です」
「大派閥の重鎮、ってこと?」
「と言いますより、副教皇派のナンバー2と呼んで差し支えないお方です」
枢機卿の中でも、かなり偉い人であるようだ。
そして、それ以上の意味も、マルカにとってはあるらしい。
「副教皇派というのは、その……神兵に対し、あまり良くない見方をされる方々が多く在籍する派閥でして」
「なんなら、アイツが神兵を嫌ってるから副教皇派が反神兵を掲げてるんじゃねえか」
「……鋭いご意見です」
もともとからして副教皇派は、聖教会が武力を持つことに反対する人間たちの多い集まりではあったらしい。
けど、表立ってそれを言うようなことは少なかったという。
神兵へのネガティブ・キャンペーンが顕著になったのは、ジーランが派閥入りしたのと時を同じくして……という経緯があるそうだ。
「ローテアドの議会にもいるからな。軍隊を毛嫌いする議員派閥のジジイどもは」
武力組織に嫌悪を抱く人間は、どんな国にも一定数は存在する。
これはもう、仕方のないことだ。
……でも。
「でも、それだけじゃなかったよね?」
「お察しの通りです。ですが、詳しいお話は、今は」
ここでは周囲の目があると、マルカは詳解を渋った。
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<1日目、夕方>
歩いているうち、空が夕焼け色に染まり始めた。
赤い夕陽は空だけでなく、ヴィリンテルの町並みすべてを焦がしていく。
幾重にも並ぶ教会建築が順々に赤焼けていく様子は、なかなかに荘厳で、神秘的な光景だ。
「いかがでしたか、司令官。今日1日、貴族として振る舞ってみて?」
「肩は凝ったけど、そこそこ慣れてはきた……かな」
事実、緊張はほどよく解けてきた。
貴族の演技は教会訪問時とかの要所要所だけで済みそうだし、常に肩肘張っていなくて大丈夫そう。
明日からは、もう少し余裕を持ってやれそうだ。
「ファフリーヤもどうだった? 長いこと待機してもらったり、畏まった挨拶ばっかりさせちゃったけど」
「お父様、王族であるわたくしに、そのお気遣いは無用ですよ」
それはそう。
俺なんかより、よっぽどこういう対応が上手いのがこの子だ。
「それに、テクトータもずっと一緒でしたから」
にっこりと笑うファフリーヤは、ここまで腕に収まって大人しくしていた、お利口な鷹の頭を優しくなでた。
入国してから、ずっとファフリーヤが抱いていたけれど、街の人も、教会の人たちも、テクトータに特段の反応を示さなかった。
そっきも教皇様が伝書鳩を飛ばしていたとおり、この国では伝書用途の鳥というが珍しくないようだ。
「護衛役……は、聞くまでもないか」
「けっ。こちとら正規の軍人だからな。もともと堅っ苦しい応対にゃ慣れっこだ」
ケヴィンさんたちは歴としたローテアド王国海軍所属の職業軍人。
普段の言動はガサツだけど、本当は、規律ある礼式動作が完璧な人たちなのである。
「よろしく働いてくれたまえ、私兵長」
「こんな動きにくそうな服でよろしければ、可能な限りに立ち回って見せますぜ、ジューダス様」
主従の演技で軽口をたたきあう。
と、この軽口に、シルヴィが反応した。
『聞き捨てならないわね。アンタたちに支給した軍服は、第17セカンダリ・ベースで縫裁し直した特別品なのよ』
構造上、身体各部の可動域を一切阻害していないはずだと、彼女は無い口を尖らせる。
「確かに不自由は感じねえが、こんなキンキラな服、戦闘に使えんのか?」
それ、俺もこっそり思ってた。
俺のも含め、今着てる服には金やら銀やらの宝飾が万遍ないほど散りばめられていて、もはや、体全体で夕陽をキラキラ乱反射。
おバカ貴族の散財主義的権威主義をデザイン・コンセプトにしたとはいえ、いくらなんでも戦いに不向きすぎやしないだろうか。
「外見上は装飾過多ですが、宝飾が装備品と干渉しない設計になっています」
『造りも素材もしっかりしてるから、たとえ鬱蒼とした森を全力疾走で駆け抜けても、飾りが落っこちることはないわよ』
「へえ、そりゃすごいな」
キャラを忘れて思わず感心。
下手に飾りボタンとかが付いてると、枝とか草とかに引っかかって取れやすいんだよね。
「おい待て。野外戦闘も想定してんのか? この神の国の領域内でか?」
「ありとあらゆる戦闘を、です。市街地戦から隠密進入まで、ランソン隊には状況次第で、いかなる場面にも即応していただきます」
『そのために、アンタたちの武器と装備をこっそり持ち込んだんだから、やることはしっかりやってもらうわよ』
入国時、サザリの門で回収された銃は、実はあれ、フェイクだった。
本物の彼らの燧石銃、それに短剣といった装備品は、乗ってきた5台の馬車の床板の中に隠されている。
もちろん、床板には前文明の特殊な素材技術が使われていて、継ぎ目が完全に見えなくなるほか、どこを叩いても返ってくる音が同じという、中が空洞だとバレない仕掛け付き。
これによって帝国の哨戒兵の目も、門衛の神兵の入国時検査まで完璧に誤魔化しきってきたのである。
……神兵さんのほうは、ちょっとだけごめんなさい。
「……歯ごたえのある任務で何よりだよ」
ケヴィンさんがぼやいたのとほぼ同時に、マルカが目的地への到着を告げた。
「見えてきたぞ。あの建物が、アイシャのいるリーンベル教会だ」




