20_05_1日目⑤/聖教会という世界 上
この後、マルカの案内のもとに、さっそくいくつかの教会を訪問した。
やることはどこでも同じ。
儀礼めいた挨拶を偉い人と交わしてから、風変わりな貴族を演じるために高笑いしたり、反対に相手を持ち上げるために愛想笑いしたり。
とにかく笑顔をつくる作業を、寄付金や寄贈品を渡すまで続けるのである。
そろそろ表情筋がつりそうになってきたころ、次に向かった教会で、ちょっとした再会があった。
「おや、あなた様は」
「まあ、ご貴族様」
午前中、大通りで話しかけてきたシスターさんたちだった。
「ごきげんよう。またお会いできましたね、ご貴族様」
「こちらにもいらしてくださったのですね、とても嬉しい限りです」
ここでも気安く話しかけてきたのを、マルカがやんわりと制して、管理者の枢機卿を呼ぶよう依頼する。
「かしこまりました神殿騎士様。今、お伝えしてまいります。コーデリア、ご貴族様を応接間へ。オティーリエは従者の皆さまを」
「はい、マーガレット」
「では皆様、こちらへどうぞ」
案内を受け、教会内を歩いていく。
目についたのは、中で働くたくさんのシスターさんたち。
「なんかここ、若いシスターさんが多いね」
こっそりマルカに尋ねてみる。
女性向けの教会なんだろうか?
しかしマルカは、特段そういう訳ではないと言い切った。
『どうせ、管理してる聖職者の趣味なんでしょ?』
「……お答えは、差し控えさせていただく」
そんな話をしているうちに、管理者の枢機卿がやってくる。
ここでも挨拶と高笑いなんかをやっていると、さっき枢機卿を呼んでくれたシスターさんが、紅茶を淹れに来てくれた。
本日何杯目かわからない紅茶を、それでもありがたくいただこうとすると、彼女は自分が紅茶を注いだカップをじっと見つめて、
「紅茶はどうして、赤い色をしているのでしょう?」
なにやら疑問を呟いていた。
「これ、マーガレットや。お客人の前ですよ。茶葉の色が滲んでいるだけではないですか」
「では、何故に茶葉は赤いのでしょう? 茶の葉は本来、緑色のはずだというのに」
……うん?
「わたくしは思うのです。これは正体の発露ではないかと。秋の野山と同じなのです。木の葉は冬枯れの直前に、赤や黄色に色づきます。それは、冬という生の枯渇を前にして、緑の仮面を維持することができなくなったと捉えられましょう」
えっと、真理の探求が始まった?
「では、どうして神は数多の草木に、そのような仮面をお与えになられたのか。わたくしは思うのです。神は――」
「こ、これ! マーガレット!」
慌ててシスターさんを止める枢機卿さん。
「たはは、これは参りましたな。ジューダス様、少々お待ちくだされ」
まだまだなにか言おうとする彼女の腕を引き、応接間の外へと連れ出していった。
「……哲学問答、とかだった?」
『神秘性たっぷりのお悩みってやつでしょ。熱心な信者さん特有の』
「目に映るものすべてが、神の与えた命題のように思えてしまうのでしょう」
まあ、教会にいる人だし……いや、こういう偏見はよくないな、うん。
……さっきもこんなこと考えてなかったっけ?
『部屋の外でも、似たようなことになってるわよ』
「外?」
『外っていうか、セラサリスたちのとこ。通信機で聞いてみたら?』
シルヴィの言う通り、イヤリングで向こうの音を拾ってみる。
『おかわいそうに。こんなに若くてお美しい方に、どうしてこのような悲劇が』
『神がお与えになった試練とはいえ、ああ、なんてお気の毒に』
「この声、さっき外にいた別のシスターさんのだね」
「はい、セラサリスと会話しています。彼女の話し方を、失語症の一種と看做したようですね」
あちらの会話は、こんな感じに続いた。
『意思疎通、支障無い』
『まあ、なんて健気なのでしょう。このお若さで、こんなにもお強くならねばならなかったからには、とてもたくさんの困難を乗り越えてこられたに違いありません』
『きっと、わたしたちの想像など遥かに絶するお辛い日々をお過ごしになられていたのですね』
今にも泣き出しそうな声で悲嘆に暮れるシスターたち。
当の本人、セラサリスはニコニコとそれを否定しているけれど、彼女らはそれを「強さ」「気高さ」「謙虚さ」などと次々に解釈しては、勝手に感動に包まれていく。
ちょっとしたカオス空間である。
『このシスターども、何を言っても人を不幸にしちまうぞ』
『とにかく誰かを救いたいのね。完全に〝神の教え〟に取り憑かれちゃってるわ』
ケヴィンさんも呆れ声だ。
熱心という言葉でいいのかはともかく、教会の関係者の中には、自分の都合で救われるべき弱者ってやつを創りだしてしまう人が、なかなかに多かったりする。
『こ、これ! コーデリア、オティーリエも! お前たち、こちらへ来なさい!』
こちらも枢機卿さんが気づいたようで、さっきのマーガレットさんと一緒に、別の所へ連れていった。
「……楽しいところだね、教会って」
『自分で選んだメンバーなんでしょ? 喜んで面倒みてたらいいのよ』
まあでも、セラサリスが保護対象として成立することの証明にはなった……のかな?
***
<1日目、夕方>
「今の教会で、初日に回るべき分は最後です」
気づけば太陽はだいぶ傾き、もう少しで夕暮れが始まる時刻になって、俺たちはようやく最後の教会を出てこれた。
とりあえず、今日のノルマはこれで達成。
俺の表情筋も耐えきった。
「ご主人様、お疲れさま」
「ああ、うん、お疲れさま。セラサリスも大変だったね」
「信徒さん、お話し好き」
話し好きっていうのかな? あれは。
「マルカ、この後は? もう宿泊先のリーンベル教会に向かう感じ?」
「ああ。だがその道すがら、一箇所だけ立ち寄る場所がある。寄ると言っても、外から眺めるだけになるのだが」
そうして案内されたのは、白い漆喰の壁の大きな建築物。
「この建物は教皇府。我が国の最高権威者であらせられる教皇様の職務全般を所管している行政機関だ」
「へえ、教会とはまた違った造りだね」
平屋根で聖堂に近い構造のようだけど、その高さが半端ない。
尖頭の屋根でもないのに、周辺の教会よりも高々と、頭一つ抜けてそびえ立っているのだ。
中は何階建てなんだろう?
「なんとも厳しい家構えだな、権威に溢れてやがるぜ」
「聖教国の行政中枢だからな。他国でいえば、王城や皇城がこれにあたる」
教会や礼拝堂とは区別をつけつつ、威光を示した結果がこの建築設計であるそうだ。
「この教皇府も含め、国内の官公庁の職員は、皆、白い法衣を着用している。街中で見かけた場合には、軽めでよいので挨拶を」
官公庁の職員ってことは、入国許可を出す側の人間ってこと。
この人たちにも、悪い印象は持たれないほうが良い。
「そして、この教皇府の奥にあるのがコロルゼア小宮殿。教皇邸、つまり現教皇様のお住まいであり、執務室でもある建物だ」
教皇府の向こうを眺めてみると、ちょっと遠めの場所に、宮殿にしてはこじんまりとした、けれど、住居としてはかなり大きい建物が建っていた。
マルカから詳しい紹介がされる前に、アンリエッタから疑問が挟まれた。
「教皇様って、さっきもちらっと言ってたけど、一番偉い人なのよね?」
「む、そうか。その辺りも説明しなければいけなかったな」
聖教会の聖職者には、ピラミッド構造的な階級が定められている。
一番偉い教皇様を頂点に、その下に次席の副教皇、更に下には枢機卿、司教、神父と続く。
また、聖職者と俗人も明確に区別されている。
官庁の職員、つまり行政の仕事に携わる役人たちは、白い法衣を着ているけれど聖職者ではない。
「信徒に身分差があるのですね。わたくしたちイダーファの信仰では、神々の間には格の違いがありますが、人間は皆平等です。民族や仕事の違いによる宗教的貴賤はなく、命は等しく命であると。もちろん、王という上に立つ者がいますから、完全な平等ではありませんが」
「……やはり、我々の聖教とは、かなり異なっているのだな」
ついでに言うと、マルカやテレーゼさんたちのような神殿騎士は〝準聖者〟という扱いになっているけれど、これは職位や階級ではないから、したがって、聖職者とは微妙に扱いが異なっている。
神兵も聖教会直轄の武力組織であるけれど、構成する兵士は聖職者には該当しない。
というより、武力組織であるがゆえに、聖職者とは認めてもらえない節がある。
「その教皇様に、お目にかかることはできるのでしょうか?」
「残念ながら難しいだろう。教皇様はお歳を召され、体力の衰えから、近年はめったに表に姿を現してくださらないのだ」
本当に残念そうな顔をしているマルカ。
まあ、気持ちはなんとなく推し量れる。
敬虔な聖教徒にとって、教皇様という存在はあまりにも大きいものであるはずだから。
「最高位であられる教皇様は、下位者には着用を許されない法衣を常に身に纏っておられる。曇りなき蒼穹がごとくに澄んだ青色の法衣は、まさにメレアリアス神話に描かれし悠久の空の具現であり、すべての聖教徒の憧れの――」
「じゃあ、アレじゃない? あそこにいるわよ。上から下まで空色尽くしのおじいちゃん」
「――え?」
目の良いアンリエッタが指差す先に、確かにそれらしい人がいた。
話題の的のコロルゼア小宮殿、その2階部のバルコニーに立っている、群青色の法衣を着ている老聖職者。
「ほんとだ。青い空の法衣……あ、鳥を飛ばした」
老聖職者の手から、鳥が放たれた。
距離が遠くて見えづらいけど、鳩のようだ。
足にキラリと光るものがついている。
「あれって、伝書鳩かな?」
目を凝らしながらマルカに尋ねる。
が、返事がなかった。
「あれ? マルカ……?」
彼女は、子どものように目をキラキラと輝かせて、老聖職者に熱い視線を送っていた。
「えっと、マルカ?」
「は、はいっ! 間違いありません! あの御方こそ、クリストフ=デュレンダール教皇様! 遍くすべての聖教徒が崇敬すべき、偉人にして大聖人ですっ!」
なんか、テンションぶっ飛んでるし。
「結構な歳って割に、姿勢がしっかりしてんな」
「体軸が実に綺麗に整っていますね。身体の中心を正確に理解した立ち方であるのが、ここからでも見て取れます」
他方では、ケヴィンさんとネオンが、教皇様の立位をやけに褒めていた。
確かに、お歳の割には腰も曲がってないし、しっかりした足取りで動いているようには見える。
「偉い人だし、仕事で立ち慣れてるとか?」
教皇様の職務がどんなものかは知らないけど、教会の偉い人って、どこかで式典とかがある度に呼ばれてそうなイメージがある。
あと、それとはズレるけど、『教皇は現実世界と神話世界の間で立ち続けるのが仕事』なんて話を、昔じいちゃんがしてたっけ。
……なんてぼんやりとした感想を言ってみたけど、ケヴィンさんは目を細めたり、手庇を作ったりしながら、ますます教皇様を凝視している。
「かもしれねえが、むしろ、ありゃあ……アンリエッタなら見えるか?」
「そうね、ケヴィン。ローテアド海軍でたまに呼んでる武術の先生と、立ち居振る舞いが似てるわ」
……むむ?
どういうこと?
「あのご老人の立位姿勢は、紛れもなく武芸者や熟練軍人のそれなのです、司令官」
いまいち理解できてない俺に、ネオンから解説が与えられる。
「体重を筋力で支えるのではなく、きれいに骨格に乗せきっています。『正しく立つ』ことは武術の基本にして奥義のひとつ。本人は自然に立って動いているだけのようですが、一朝一夕で身につくものではまずありません」
姿勢というのは、格闘や銃の射撃において、極めて重要な要素である。
パンチの威力、ガード時の身体の崩れやすさ、果ては射撃反動の抑制しやすさなど、攻守における力の伝わり方の全般を左右する。
が、この姿勢、『正しく立つ』ってだけの行為が、実は結構難しい。
自分ではまっすぐ立てているつもりでも、ほとんどの一般人は重心が前後左右にわずかに偏ってしまっている。
この〝わずか〟な偏りがあるだけで、体勢はちょっとの衝撃で崩れてしまい、それが近接戦闘においては致命となる。
そんな軍人ならではの視点から、ネオンとケヴィンさんは教皇様を見ていたようだ。
そしてこれを、まさかのマルカも肯定した。
「それもそのはず。デュレンダール教皇様は、もともと神兵部隊の……それも聖骸部隊のご出身なのだ」
「え、そうなの?」
「聞いたことはあるぜ。確か、戦前までは神兵だったんだろ? その後で、神父に鞍替えしたとか」
マルカは深く頷いた。
「ああ。先の大戦後、各地で起こった紛争を鎮めるために神父へとご転身されたのは有名なお話だが、それは語られる以上に危険で過酷な道のりだった」
当時、各国は混迷を極めていた。
終戦直後の情勢不安、経済の混乱、物流の麻痺。
都市部でさえも物資が不足し、地方では貧困層が増加、餓死者も多く出た。
各地で盗賊が跋扈し、また、飢えや流言飛語などによって、隣り合う村の人間同士で作物を奪い合う事態が度々起こった。
果ては、長年火種が燻っていた民族紛争が各地で勃発。
ようやく戦争が終わったというのに、多くの血が流され続けた。
「この混沌とした世を救うには、厳しい訓練を積まれた御身こそが相応しい……そうお考えになられた若き日の教皇様は、自ら危険な紛争地域へ赴くべく、神兵から一介の神父へと身の上を変えられたのだ。だが、困難は常につきまとった。現地の民の諍いは根深く、やがてその根は無差別な怨恨と化して教皇様にも向かっていく。赴任先の教会を襲撃されたことも、一度や二度ではなかったと――」
……この話、ひょっとして長い?
「教皇府に何用か」




