19_17_ラクドレリス帝国群雄譚Ⅳ/変化の兆し
舞台は、城塞都市アケドアから南の方角。
ラスカー山地にほど近い、帝国の軍事拠点。
夕陽が落ちて、夜闇が漂い始めた頃合いにもかかわらず、中では帝国軍の兵士たちが、慌ただしく動いていた。
「その梁材はこっちじゃねえ! あそこの支柱の2段目に嵌め込め!」
「接合金具が足りねえぞ! 倉庫の中にまだあんだろ!」
彼らは、やけにピリピリした顔で、簡易防塞の設置作業に追われている。
それは作業者だけではなく、バリケードの完成まで立哨を仰せつかった兵士まで、表情を固く強張らせていた。
度を越した緊張感は、自然、現場の空気を悪くさせる。
「おい! 誰か拠点長を見てねえか!? サインもらわねえといけねえ書類がいくつかあんだよ」
「あ? さっきまでその辺にいたろ。てかもう、代決権者にもらってこいよ」
「いや、代理決裁じゃまずいだろ。さすがにこれは……」
同僚に突っ慳貪に対応され、老け顔の兵士は、数枚の書類を手にして頭を抱えた。
すると、後ろから若い兵士に声をかけられた。
「先輩、なんの騒ぎなんすか? こんな時間に、やけに大勢で」
「……臨時の任務だ。とある物品を警備すんだよ。夜通しでな」
だから話しかけんな、と、老け顔の兵士は後輩を邪険に追い払おうとした。
若い兵士はムッとした顔になりかけたが、ふと、あることに気がついた。
この老け顔の先輩も含めて、作業に当たっている人間全員が、もう何年も軍属に身を置く、いわば〝中堅〟の兵士だったのだ。
「さっさと組み立てろ! 終わったら哨戒の順番を確認! 時間とルートは絶対に間違えるな!」
激を飛ばしている監督役も、本来ならば現場仕事を卒業したはずの、それなりに上位の階級者。
ただの設営にしては、雰囲気がやけに物々しい。
このことに、若い兵士には思い当たることがあった。
「ああ、ひょっとして例の連中絡みすか。ついさっき来た4人がそうなんでしょ? 上の人らがやけにヘコヘコしてるのを見ましたよ」
「ボケ! 公然と上官を批判すんのは勝手だが、先輩たる俺まで巻き込むな」
ぞんざいに言い捨てられ、今度こそ若い兵士は不機嫌な顔を隠さなくなった。
老け顔の兵士も、少し言い過ぎたかと、忙しさを圧してフォローに入った。
「まあ、お前さんの言いてえことがわからねえでもねえよ。調査隊とはいえ、新入りだけで構成された部隊ってのは、常識からズレ過ぎてる」
「俺ら下っ端とは扱いが天地ですねえ。さすがは妾腹皇女様の肝入り兵団」
老け顔の兵士は、怒鳴りそうになる衝動をどうにか抑えた。
「第三皇子様の、だ。滅多なことは言わんほうが身のためだぞ」
(コイツ、勘弁してくれよ。上官どころか皇族の批判なんぞ、首が物理的に飛ぶぞ)
幸いに、この騒がしさ。
こちらの会話に周囲の誰も気づいていない。
が、こんな雰囲気の現場で今の失言を聞かれたら、自分にまで累が及びかねない。
しかし、そんな先輩兵士の焦慮をつゆ知らず、後輩兵士は、いよいよ口を滑らかに動かした。
「だいたい、ラスカー山地の管轄はうちの拠点じゃないすか。いくら調査に遅れが出てるからって――」
「だから俺に言うな。目的はもちろん調査だが、同時に実証実験を兼ねてるって話だ」
泥沼に引き込まれてはかなわんと、老け顔の兵士は若い兵士の言葉を遮断して、彼の興味を引きそうな別の話題を提供した。
本当ならば守秘義務違反かもしれないが、背に腹は代えられない。
「実験、って、何のです?」
「お前もよ、さっきの言い草からして、従軍予備学校のカリキュラムが改定になった話は知ってんだろ。新カリキュラムを修了した卒業生がどれだけの成果を挙げられるか、軍内部に知らしめる腹のようだ」
「要するに、箔付けってやつですか」
再び不機嫌顔を見せる若い兵士。
軍のトップが主導……と言えば聞こえはいいが、兵たちの目には、一部を特別扱いしているようにも映っている。
表立っての批判はないが、しかし、この若い兵士のように、内部で不満が募っているのも事実だった。
だからこその『知らしめ』なのだろうと老け顔の兵士は睨んでいるが、そういう視点に立てることと鬱憤が溜まることは、また違うものだ。
「で、あのでっかい荷物も、連中のですか?」
設営されているバリケードの中。
大きな……いや、巨大な布のシートで覆われた何かが、老け顔の兵士の言う〝とある物品〟である。
「あれも、肝入りの品ってことですか」
「らしいな」
「何に使うんすかね、あんな大荷物。連中、山越えだってするんでしょ」
今にも荷物に近づいていきそうな若い兵士に、老け顔の兵士は釘を刺す。
「間違っても触ってくれるなよ。ガチモンの重要機密だ。この通りの、な」
彼は、手に持っていた書類の1枚を、後輩の眼前に突きつけた。
とある軍事命令が記された、正式な公文書を。
若い兵士は、示されたそれを怪訝な顔で流し読んでいたが、ある箇所を見た途端、「うわあっ!」と驚きの声をあげた。
「こ、この印章、これ、皇帝陛下の……」
声が震え、言葉は途中で消えてしまう。
不機嫌さに占められていた顔からは、みるみる血の気が引いていった。
「ああ。おまけに、まさかの全文直筆って話だぜ」
そう、この命令書はあまりに異常。
総指揮官であるアーノルド皇子ならいざ知らず、皇帝陛下直々の軍事命令など、そう安々と発せられるものではない。
それこそ、他国との戦争などといった、本当の国の大事でもない限り。
しかもそれが、文官ではなく皇帝陛下が自ら認めた文書であるなどというのは、常軌を逸している。
「ひっ……」
「だからよぉ、散々忠告しただろうが。滅多なことは言うんじゃねえと」
たかが荷物を、なぜバリケードを構築してまで守るのか。
バリケードの構築作業に、なぜ、若手ではなく中堅以上の兵士ばかりが動員されたのか。
そして彼らは、なぜこんなにも緊迫の顔つきで作業しているのか。
理解した若い兵士は、底知れない怖気に包まれ、ガタガタと身体を震わせた。
「で、でも、なんで――」
「さあてな。水面下で……いや、天の上で、何事かが進行しているんだろうが――」
わかるのは、その何事かが、戦争に匹敵するレベルの重大事項だということ。
そして。
(そして、だ。この書類が意味するところは、他にもある)
老け顔の兵士の表情が険しくなる。
この謎の荷は、皇帝陛下の許可がなければ持ち出せない代物ということ。
つまりは、あの若手の調査団は、第三皇子だけではなく、皇帝陛下もお認めになられているということに他ならない。
(陛下に進言したのは、間違いなく第三皇子様だろう。だが、従軍予備学校の変革には、妾腹皇女様が裏で携わっていたって噂も、まことしやかに聞こえてくる)
降って湧いた妾腹の皇女を、色眼鏡で見る者は多い。
が、そうではない見方もできる。
(アメリア皇女の存在は、皇室にとっちゃ不祥事も同然。皇帝が下賤な町女との間に子を成したなど、民に知られていいはずがない)
その汚名でしかないはずの事実が、金や権力で揉み消されず、あまつさえ、妾腹の子女に皇族の地位を与える結果が生まれている。
果たしてここに、どれほどの深刻な事情があったというのか。
「あるいは、実証実験ってのは、そっちのことなのかもしれねえな」
言ってから、老け顔の兵士は渋い表情になって、指でこめかみをグリグリとなぞった。
(とうとう俺まで、『滅多なこと』を口走っちまったか)
このふたりの兵士だけではない。
誰も彼もが、何かに浮き足立っている。
(嫉妬や不満だけじゃねえ。ここにいる兵士の全員が、変化の兆しを感じ取っていやがるんだ)
国家に不変はありえない。万物が流転するように。
今、変わろうとしているのは、兵士か、軍か、それとも――
今回の帝国群雄譚は、いつものデリックたちではなく、名も無い一般兵たちのやりとりになりました。




