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ジーナ  作者: 伊藤 克
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七十九 北の村人・風の刃(二) 

 人足頭がフーゴとハンスを連れて客間を出た後、使い終わった茶器を片付けていたナンシーに父親のフレッドが話しかけてきた。

「ナンシー、二人に渡した黒茶はどこで手にいれたのだ?」

「お父さん、ごめんなさい。魔術師のケルバライト様にお飲み頂こうと思って、シモンに無理を言って分けて貰ったの。」

「しょうがないな、若いシモンを悩ませてはだめだよ。これからは、私に相談しなさい。」

 子供の頃から数年間にわたり屋敷に奉公しているシモンはフレッドの二人の娘には頭が上がらなかった。最近、商売の事が解る様になってきたシモンは、商売物の高価な黒茶に手を付ける事に悩んだに違いない。困った事だ、と思いながらも幼い時に母親を亡くしているナンシーを強く怒れなかった。

 また、黒茶の葉だけをハンスに渡しても、それをいれる茶器も無いだろうし、若い魔術師のケルバライト様が黒茶の入れ方を知っているとは思えない、とフレッドは思った。娘を救ってくれたケルバライトへの深い感謝の念を抱くフレッドは、数日したらシモンに茶器を持たせて、ガサの町にある魔術師の塔にいるケルバライトへ届けさせようと思った。

 ナンシーは二階にある自分の部屋へ戻り、西側の窓を開け、窓の側に置かれた椅子に腰掛けた。小高い土地に建っている屋敷の窓から海を眺める事ができた。近づく冬を感じさせる冷たい風が海の香りを部屋へ運んでくる。

 遠くに水平線が見え、真夏の陽の下では煌めいていた波が、今は穏やかに海岸へ寄せては返しており、その波の上をカモメが飛んでいる。

 つい最近までは、ほのかに漂う潮の香りが田舎くさくて嫌いだったナンシーだが、ガエフ公国への短い旅が終わってからはよくこうして海を眺める様になった。

 父親のフレッドに無理を言ってガエフ公国へつれて行って貰ってから一ヶ月も経っていなかった。また、ガエフには僅か数日しか滞在しなかった。

 ギロの港町はバリアン大陸の西の外れにあり、この地域では賑やかな方ではあっても、元々は小さな漁師の村だった所だ。都会に憧れていたナンシーは、父のフレッドがガエフ公国へ行く、という話を聞いて本当の都会を見たいと思ったのだ。

 今思えば、遠い過去の様でもあり、つい昨日の出来事の様でもあった。

 あれほど楽しみにしていた都会の町並みも、ギロの港町とは比較にならないであろう都会の賑わいも、たまたま行われていたお祭りも、ナンシーの思い出には無かった。

 また、何度も危険な目にあったはずなのだが、それも遠い記憶の片隅にあるだけだった。思い出すのは、いつも顔の下半分を黒い布で覆っていた魔術師ケルバライトの姿だった。優しそうな瞳は翡翠にも似た薄緑色をしていて、いつも物静かに荷馬車に揺られていた。ケルバライトの横顔に気を取られていたナンシーは、ケルバライトが連れていた犬や、帰り道に同行してくれたジーナにまでは思いが向いていなかった。

 カテナ街道を共に旅をした正直者のハンス達の事だ。きっとケルバライト様に黒茶を届けてくれるだろう。

 滅多に手に入らない高価な黒茶を飲めば、街道を共に荷馬車に揺られた自分の事を思い出してくれるに違いないと思っていた。


 ギロのならず者カスパルは通りを歩くフーゴとハンスを見て連れのチャドに声をかけた。

「おい、あの小僧に見覚えはないか?」

「あの小僧はフレッドの倉庫にいる人足だろう。よく見かけるぜ。」

「だいぶ前にガエフ公国の南にある村からガキ共を運んで来た事があったろう?」

「おおカスパル、お前が小娘によからぬ企みを持って襲おうとした時の事か?」


「あの時は魔術師姿のあいつらが俺を馬鹿にしやがるからちょっとからかってやろうと思っただけだ。」

 そう言ったカスパルは、ギロの町を歩いている二人から目を離さずに話を続けた。

「あそこを歩いているのは、あの時の二人だ。」

「嘘だろう。あの時の小僧二人は魔術師姿だったぞ。そいつらがギロの倉庫で人足をしている訳があるまい。」

 魔術師は一般人とは違う階級にあり、場合によっては貴族等よりも上位に見られる事もある。コリアード王家の魔術師会がその背後に控えているのだ。たとえ子供の見習い魔術師だとしてもおろそかな扱いは出来なかった。一度魔術師会に入った者は余程の事情が無い限り、その地位を手放す事は無い。たとえ見習いといえども、魔術師が人足をしているなど、チャドには信じられない事だった。

 本当は商人の馬車に乗っていた娘に興味があったカスパルだが、連れのチャドに本心を正直に言う必要も無い。あの時、娘連れの商人の近くにいたのは、魔術師の格好をした子供二人だけだった。ガエフの兵士さえ通りかからなければ、簡単に事が済む筈だった。その時の魔術師見習いに違い無い、とカスパルは思った。

 ただ、チャドのいう通り、魔術師が人足仕事をしているのが不思議ではあった。しかし、あの時はすぐ近くで二人の顔を見たのだ。カスパルが見間違えるはずは無かった。

「いや、間違いない。」

「カスパル、それがどうしたというのだ?チョップへいくぞ。」

チョップというのは、ギロの魔術師の館近くにある居酒屋の事だ。

 普通の居酒屋は、夜は食事と共に酒を出していたが、昼間は働く者達や独り者の男達の為に食堂となっている事が多かった。勿論頼まれれば昼間でも酒を出していたが、昼に来る客の殆どは、手早く食事を済ませてまた仕事に戻るのだった。

 急速に賑やかな町となったギロでは、仕事を求めて、独り者の男が集まってきた為、食事だけをする客は多かったのだ。

 居酒屋チョップは他の店と違って、昼間から酒を飲んで店でごろごろしている様な連中がたむろしている酒場で、一般の客が入れる様な店では無かった。

「待ってくれ。チャド、あいつの腰を見ろ。」

 カスパルはそう言って、ハンスの腰にぶら下げられている小袋を指した。それは上等な布で作れらた巾着袋だった。清潔ではあっても、くたびれた服を着た人足が持つには相応しい物ではない。

「上等そうな物だな。何が入っているのだ?」

「だろう?あいつらが持つ様な物ではないぞ。きっとどこかで拾ったか、かっぱらったかした物にちがいない。」

 確かに、商人フレッドの屋敷で娘のナンシーがハンス達に渡した小袋は人足が持つ様な物では無かった。

「あいつらには勿体ない。俺様が奪ってやろう。」

「カスパル、やめておけ。それより、チョップへ行ってうまい話にでもありつこうぜ。」

「チャド、最近ダミアンも顔を見せないし、今チョップにいっても、たむろしているのは小物ばかりだ。仕事の話と言っても、小銭稼ぎにしかならないぜ。」

 確かにそうだった。カテナ街道で一仕事してくる、といって出かけたダミアンはまだ帰ってきてはいなかった。既に死んでいたのだが、その事は一部の者にしか知られていなかった。

 また、ガサにある魔術師の塔から仕事を貰っていたジョンも居なくなり、人買いのトッシュも魔術師の館に行ったきり生きては帰ってこなかった。

「俺たちに南の村からここまでガキ共のおもりをさせたドーラも行方不明だ。ドーラは金払いが良かったからな。」

「ドーラなら、魔術師の館に追われて逃げただろう。メリーは捕まったがな。それはチャドも見ていたろう?」

 ドーラとメリーが、居酒屋チョップの前で魔術師の館で警備をしている兵隊に捕まり、ドーラだけその場から逃げた事は居酒屋チョップの客の皆が見ていた事だった。ドーラがその後どうなったか、噂は流れてこなかった。

 ガサの町にある魔術師の塔まで逃れ、ジーナ扮する魔術師、ケルバライトに救われて南へ逃げおおせた事を知る者はいない。

 魔術師会に追われたのだ。もう命はあるまい、と居酒屋チョップのならず者達は思っていた。

 目の前を歩いていたハンスとフーゴは先の四つ角を曲がっていった。

「チャド、俺の小技を見せてやる。いくぞ。」

 そう言って、カスパルは細身のスモールソードをチャドに預けるとナイフを抜き、太った体に似合わない早足で二人の後を追った。

 スモールソードとは、刃渡り五十センチ程度の小ぶりな剣だった。町中で鎧を着て歩くのは兵士くらいのものだったので、戦闘用のロングソードと呼ばれる両刃の大剣を持ち歩く者は少なかった。町中では重たくて大きな剣は邪魔でしかなく、また扱うには腕力と技を必要とした。ならず者達の殆どは刃渡り六十センチ程度のショートソードか、さらに小ぶりなスモールソードを腰にぶら下げていた。勿論旅に出る時には、ロングソードやショートソードの太めの剣を持つ。派手な装飾が付いた、立派なスモールソードは貴族や商人が買う高価な剣だったが、装飾がついていないスモールソードは大量に出回っている事もあって、比較的安く手に入れる事ができた。


 そのスモールソードが、走るには邪魔だと思ったカスパルはチャドに預けて身軽になったのだ。

 カスパルは言い出すと聞かない性格なのを知っているチャドは、苦笑いをしつつもカスパルの剣を左手に持ってその後を追った。


「フーゴ、ナンシーは美人だったんだね。」

「ハンス、今頃どうしたんだい。カテナ街道で一緒にいた時から可愛いっていっていたじゃないか。」

「うん、そうだけど、あの素敵な服を着たナンシーを見ると、とても素敵に見えたんだ。」

「なんだ、ハンスは高そうな服に目を奪われたという訳か。」

 フーゴは笑ってそう言った。

 カテナ街道をガサの町に向かって旅をした時には、ナンシーは質素な服を着ていたのだが、布地や仕立ての違いを区別出来ない若い二人には安物の服に見えていたのかもしれない。

「そうではないけれど、でも顔が輝いて見えたよ。」

「ハンス、僕にはふさぎ込んで居るように見えたけれどね。綺麗さなら塔で仕事をしているエレナだって負けていないと思うし、ジーナだってとても可愛いと思うけれどな。」

「フーゴ、エレナはともかく、ジーナは可愛いと言うより、逞しいと言った方が似合うんじゃないか?」

「ハンス、声が大きいよ。もし、ジーナに聞かれてしまったらあの重たい杖で、二人揃ってのされてしまうよ。」

 フーゴが重たい杖といったのは、ジーナが鍛錬の為に使っている、鍛冶屋のダンが作ってくれた重さが三キロもある杖の事だった。

「ガエフ公国で初めて会った時には驚いたよね、フーゴ。」

「魔術師様を杖の一撃で倒してしまうのだからね。僕たちではとてもかなわないよ。」

 ガエフ公国の丘の上で、ジーナが魔術師のサイラスを倒した時の事を思い出していたのだ。

 ハンスは腰からナイフを抜いて眺めながら言った。

「僕たち、強くなれるかな。」

「ハンス、毎日二人で朝の鍛錬を欠かさず行っているじゃないか。大丈夫だよ。」

「でも、他の人と立ち会った事が無いから、良く解らないよ。」

 ハンスは、ナイフの先に付けられている風の魔方陣を指でなぞった。その魔方陣は、師匠であるケルバライト先生の指示で毎日書いているものだった。最初の頃はすぐに消えてしまった魔方陣は、今では薄く跡が残っていた。

 その魔方陣は、ケルバライトに扮したジーナが、炎の術しか知らなかった二人の魔術の勉強になると思ってやらせている事だった。刃に描かれた風の魔方陣は、風の刃を生み出す効果があったので、雑草刈りや竹の刈り取りにはとても役だっていた。

 そのナイフは、フーゴが持っている細身のナイフと共にジーナがハンスに貸し与えたもので、そのナイフは刃渡り二十センチ弱の、太めの身に両刃の刃が付いていた。剣のバゼラードを小さく、厚くした様な形をしていた。見慣れないナイフだったので、フレッドの客が欲しがったのであろうが、武具に詳しくない二人はそんな事情は知らなかった。

 ジーナは、太っていたハンスには重たい物が良いだろう、と選んだナイフだった。


 フーゴは後から走って来る足音に気づき振り返った。太った男がすぐ近くまで迫っていた。

「フーゴ、どうしたんだい?」

 ハンスがそうフーゴに声を掛けた時、腰のベルトが引っ張られた。慌ててそこを見ると、ぶら下げていた、ナンシーから預かっていた巾着袋が無くなっている。

「ハンス、あいつだ、あいつが盗ったんだ。」

 フーゴは走り去ろうとしている男の背中を指した。その男が、黒茶が入っている大切な巾着袋を手にしているのがハンスにも見えた。

 ケルバライト先生に渡さなくてはならないと思ったハンスは、手にしていたナイフを無心に振った。短いナイフが、離れて行く男の背に当たる訳は無かったが、ハンスはそんな事も考えてはいなかったのだ。

 走っていた男が突然倒れた。手にしていた巾着袋は放り出されている。ハンスは呆然と立っているだけだった。その時は、自分の技のせいで男が倒れた事に気づいていなかった。

 フーゴは男に駆け寄った。見ると、その男が着ていた服の背中が裂け、血が流れていた。

「大丈夫ですか?」

 フーゴがそう呼びかけると、男はいきなり立ち上がり、走り出した。落ちていた巾着袋をフーゴが拾っている間にその男はどこかへ走り去ってしまった。

 我に戻ったハンスがようやくフーゴの側に寄ってきた。

「フーゴ、あの人はどうしちゃったんだろう?」

「ハンス、あの男は君が持っていたこれを盗もうとしたんだよ。」

 紐が着られた巾着袋をハンスに見せた。ハンスのベルトには切り取られた紐の端切れが残っていた。

「倒れちゃったよ。躓いたのかな?」

「違うよハンス、そのナイフだよ。」

 まだ分からないでいるハンスにフーゴが説明した。

「その刃に風の魔方陣があるだろう。風の刃が生まれてあの男の背中を傷つけたんだよ。」

 ハンスは手にしたナイフを見つめるだけだった。初めて人を傷つけたのだ。ハンスは言葉を失っていた。

 フーゴは、ハンスが握りしめているナイフを取り上げて、ハンスの腰に戻してやった。

「ダニーに会いに行って仕事をしよう。」

 フーゴはハンスの背中を押しながらそう言った。二人は無言のままギロの北側にある倉庫へ向かった。

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