表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ジーナ  作者: 伊藤 克
78/79

七十八 北の村人・風の刃(一) 改題

 ジーナが未明に祠へお参りに行く前日、港町ギロの商人であるフレッドの倉庫で荷役の仕事をしていたフーゴとハンスは人足頭のホルガーに呼ばれた。

 二人はここ、ギロの町にある魔術師の館で見習い魔術師をしていたのだが、ガエフ公国での魔術師試験をきっかけに、ガサの町にある魔術師の塔へ移籍となった。

 その後、魔術の師であるケルバライトから、修行のためにフレッドの所で、魔術師である事を隠して働くよう命じられていたのだ。港町ギロの倉庫で働き始めて間もないが、倉庫での力仕事のおかげで随分と力も付き、体も一回り大きくなっていた。それは、毎朝二人で行っている山での鍛錬によるところも大きかったに違いない。また、つい最近まで偽りの契約書によって強制的に働かされていたハリー達三人も、魔術師の塔で暮らしながらフレッドの所で仕事をさせて貰っていた。

 ガエフ公国の警備隊にいるアランがハリーの姉に頼まれて、ギロで監禁されていたハリーを救いに来ていた。アランとケルバライトは無事子供達の救出に成功した。アランは、一緒に監禁されていた他の子供達を連れてカテナ街道を南へ向かったのだが、ハリーは、心配してくれた姉に申し訳ないと思いながらも他の監禁仲間と一緒にはガサの町に残って働く事を選択した。三年の期限付とはいえ、家族が食べる事ができずに売られた三人だ。古里に帰っても働く場所が無かったのだ。三人は全くお金が無く、着る物も満足に持っていなかったので、ジーナは銀貨を一枚ずつ渡した。

「ジーナさん、こんなに貰って良いんですか?」

 初めて手にした銀貨を握り締めたハリーが聞いた。

「あげるのではないのよ。貸してあげるの。あなた達はこれから魔術師の塔で暮らすのだから、今着ている様な穴の開いた服ではなくて、きちんとした服を買って着るのよ。」

「そんな贅沢をして良いんですか?」

 半信半疑のハリーはジーナに聞いた。

「高級な服はダメよ、働く時に着るんだからね。フーゴ達と一緒に行って、見てもらうといいわ。それと、日当を毎日払ってあげるから、少しずつ返すのよ。」


 ギロの監禁所では村を出る時に着ていた服を着続けていた。身体が大きくなって着られなくなってからは、誰が着ていたのか分からない、綻びだらけの服を与えられていたのだ。自分の服を買って貰える。それだけの事なのに、胸がこみ上げてきた。

「あんた達、泣くのは早いわよ。明日から倉庫での重労働が待っているからね。」

「ジーナさん、それなら俺たち慣れているから大丈夫です。ただ、服を買うなんてした事がないから。」

 ハリーがそう言うと、他の二人も頷いた。可哀想に思ったジーナは、銀貨をもう一枚渡して言った。

「これは着替えを買う分よ。こまめに洗濯をしていつも清潔でいるのよ。そうしないと、きれい好きのエレナに全部洗濯されて、裸で仕事へ行く事になるわよ。」

 それを聞いたハリーが笑顔になった。

 しかし、それは冗談ではなかった。ジーナが油断して洗濯をサボっていると、エレナが一度に洗濯してしまうのだ。女性用の外出着が乾かないおかげで、魔術師ケルバライトとして一日を過ごした事は一度や二度ではなかった。

 エレナはガサの町の入り口近くで祖父のニコラと農業をしていた若い女性だが、ジーナが頼み込んで、魔術師の塔で住み込みで働いてもらっているのだ。

 毎日、塔を隅々まで掃除して回る二人には誰も頭が上がらなかった。今では皆、率先して塔の掃除をする様になっていた。

 それは魔術師長レグルスとて例外ではなかった。魔術師長が自ら箒を持つなど、他の町にある魔術師の館では信じられない事だった。皆が協力してくれるので、手すきとなったエレナは、今度は皆の汚れた衣類を洗濯する様になったのだ。

 一度に洗濯をされてしまい、着る物に困る様になった皆は、自からよく洗濯をする様になった。今では、塔もそこに住む人もすっかり清潔になっていた。

 ジーナから貰った銀貨で買い物をしてから数日が過ぎている。

 ギロの監禁所でも僅かながら給金は出ていたのだが、その全てを宿泊費や食費の名目で没収されていたので、いくら働いても手元にお金が残る事はなかった。

 魔術師の塔でも小遣い程度しか貰えないと思っていた。しかし、ギロの監禁所と違い、少しの食事代が引かれるだけで給金の殆どを渡してくれた。宿泊費も暖炉の薪代も取られなかった。ギロではあれほど大切に使っていた蝋燭も、いつも補充されていて不自由を感じる事はなかった。

 親に仕送りが出来るほどのお金が手元に残りそうだった。それはジーナ扮する魔術師ケルバライトがフレッドと交渉したので、人並みの給金をもらえていたからでもあった。

 フレッドが商用で娘ナンシーをつれてガエフ公国へ旅をした時、襲われそうになったナンシーをケルバライトが何度も救ったのだ。

 馬や武具を買ってあげる程度の事では済ませられない、とフレッドは思っていたのだが,魔術師ケルバライトは一銭も受け取ろうとしなかった。

 そんな思いを持っているフレッドにとって、使用人数人の給金を上乗せする程度の事は何ほどの事でもなかった。


 フーゴとハンスはホルガーの後についてフレッドの屋敷へ向かった。ハンスが歩きながらフーゴに話しかける。

「フーゴ、最近カラスが減ったと思わない?」

「うん、随分静かになった様な気がするね」

 ホルガーが二人を振り向いて言った。

「お前達、知らなかったのか?」

「ホルガーさん、何をです?」

「ついこの前、ガザの町で火事があったろう。」

「その事なら知っています。ガサの検問所が火事になったのですよね。」

「フーゴ、その焼け跡からは誰も発見されなかったんだろう?人足仲間は、兵士が放火して、全員逃げ出した、と噂していたよ。」

「ハンス、なんで兵士が全員逃げたりするんだよ。だいぶ前に起こった魔術師の塔事件ではひと騒ぎあったけれど、最近のガサの町は平和だったろう?兵士が逃げるならあの時の筈だよ。」

「でもフーゴ、何人もいた兵士を一人も見かけなくなったんだよ。」

「そりゃそうさ。寝泊まりするところが無くなったんだからね。他の場所へ移動しただけだよ。」

「そうかな?でも、街道を歩く兵士を見たという人は誰もいないんだよ。」

 ハンスはフーゴの説明では納得出来ない様だった。

 魔石の指輪が灰となったために魔族兵士がこの世界に存在する事が出来ずに消滅した事情は一般の人達が知らない事だった。

「兵士が居なくなったのはフーゴの言う通り、住む場所を失ったからだろう。そんな事より、あの焼け跡から死んだカラスが何十羽も見つかったそうだ。それでカラスが減ったのさ。」

 ホルガーがそう言った。

「ガサの検問所でそんな沢山のカラスを飼っていたんですか?」

 ハンスが聞いた。

「ああ、巨人が白馬に乗っていたとか、巨大なコウモリが空を飛んでいたとかのデマもあるが、沢山のカラスが死んだのは間違いないらしい。飼っていたかどうかは知らないがな。」

 ホルガーはそう言った。実際に発見されたのは十羽程度だったのだが、噂におひれがついて話が大きくなったのだ。


 やがて商人フレッドの屋敷についた。

 人足頭のホルガーと共に通されたのは二人が初めてケルバライトに連れられてこの屋敷へ来た時に入った客間だった。

 二つのナイフを手にしたフレッドが客間に現われた。後ろには茶器を持ったナンシーがついていた。

 フーゴとハンスがナンシーに会うのは久しぶりだった。

 ナンシーは、旅の時と違って、濃紺のビロードでできたカートルを着ていた。頭には白い大きなリボンかついた、カートルと同じ生地で作られたボンネットを被っていて、それが薄化粧をしたナンシーの顔を輝かせていた。

 ハンスはナンシーの顔をまともに見る事が出来なかった。

 いまは使用人と主人の娘。二人共気軽に声を掛ける事は控えた。

「座ってくれたまえ。」

 フレッドに言われて三人は高級そうな椅子に腰掛けた。娘のナンシーが茶器に黒茶を入れ、ミルクをたっぷり注いで回る。心地良い香りが部屋に広がった。黒茶とは東の大陸で飲まれているお茶で、普通の商人が飲んでいる紅茶を濃くした様な色をしていた。紅茶でも一般の人が手に入れ事が出来ないほど高価だったが、黒茶は貴族以外に飲む事が出来ないほど貴重な飲み物だった。

 フレッドがナイフをテーブルに置いて話し出した。

「昨日、私の客が訪問した時、たまたま君たちが持っていたナイフを見たのだよ。それで、その客が、そのナイフが売り物ならいくらでも出すから買いたい、と言って来たのだ。

 その客は武器の収集を趣味にしている人で、そのナイフは珍しものだ、と言っていた。このナイフは何処で入手したものなのかね。」

 フーゴが答える。

「それはケルバライト様からお預かりしたものです。勝手に売る事はできません。」

「そうか、残念だが仕方が無い。君たちにナイフを渡した時にケルバライト様はナイフについて何か言っていなかったか?」

 魔術師であるケルバライト様が持っていたナイフとはいえ、十六歳の若者に持たせているのだ。そんなに高価な物ではないだろう。ひょっとして売ってくれるのではないかとフレッドは思ったのだ。

 そのナイフは、ジーナが魔術師の塔にある、レグルス魔術師長さえ知らない隠し部屋にあった古代の武器だった。珍しく思うのも無理はない。

「そのナイフは自分達の命よりも大切な物だそうです。」

 フーゴは、そのナイフを渡された時の事を思い出していた。

『このナイフを君たちに預けるが、決して盗まれてはいけない。もし、戦いに負けそうになった時には、全てを捨ててそのナイフを持ち帰りなさい。それが約束できるなら、このナイフを預けよう。』

 二人が尊敬するケルバライト先生の言葉だった。

 それは、ジーナが、二人が無駄な戦いで命を落として欲しく無かった為に与えた言葉だったのだが、二人は別の意味でとらえていた様だ。

「判った。客には断ろう。」

 高価ではなくてもケルバライトにとって何か思い入れのあるナイフなのかも知れないとフレッドは思った。

「用事はそれだけでしょうか?」

 フーゴが聞いた。

 ナイフの事だったら、帰りがけに言うだけでよさそうだ。フーゴはわざわざ呼んだのには他にも用があるのではないかと思ったのだ。

 フレッドは話しを続けた。

「君たちが荷役仕事にがんばってくれている事はホルガーから聞いて知っているよ。本当は一年以上経たないと一人前とは認められないのだが、君たちは二人とも読み書きができ、計算に明るい事を知っている。」

 フレッドは二人がただの町人ではなく、魔術師である事を知っていた。

 ケルバライトとの約束があったので、その事は人足頭のホルガーにも話していなかった。知っているのは自分の付き人をやっている、フーゴと顔見知りの使用人シモンだけだった。

「まだ少し早いが、一人前とは言えないまでも、一人前見習いとしてそのナイフを持って仕事をする事を許可しようと思う。ホルガー、どうだろうか。」

「ギロの北側にある倉庫もうちの持ち物になりました。」

「ああ、ケルバライト様に紹介してもらった、子供達を監禁していた倉庫だったな。あれは格安だった。」

「はい。それもあって事務処理もできる人足を欲しいと思っていたところです。」

「ではちょうど良かった。フーゴ、ハンス頼むぞ。下働きには君たちと仲の良いハリー達三人を当てよう。」

「私達で良いのですか?」

 フーゴが聞いた。

「勿論、君たちだけに仕事を任せる訳ではない。ダニーにもそこの人足頭として働いてもらう。だが、気を抜くなよ。ホルガーが一日二回監視に行くからな。」

 ダニーというのは、フーゴ達に仕事を教えている、ホルガーの手下だった。しかし、ダニーは事務処理や計算が苦手な様で、フーゴの友達でもあるシモンが事務処理の手伝いをしていた。

 ダニーに限らず、読み書きや計算が出来る人はごく僅かだったのだ。

 フレッドが話しを続ける。

「今日から君たちは下働きとは違う。これを返しておこう。」

 フレッドはそういってナイフを二人に返した。

「荷物を解いたり、ロープを切ったりするのに、ナイフは必須だからな。だが、そのナイフをあまり人に見せるなよ。欲しがる奴が現われないとも限らないからな。」

 フレッドは笑いながらそういった。

「ありがとうございます。」

 二人はナイフを受け取った。

「ところで、その倉庫にはまだ空きがある。ケルバライト様にお考えがあるならお貸ししても良いのだが。伺ってくれないか?」

「ケルバライト先生は今お出かけです。」

「どちらへお出かけなの?」

 久しぶりにケルバライトの名を聞いたナンシーは思わず会話に割り込んだ。

「ケルバライト先生は薬草を取りに、」

 そこまでハンスが言った時、フーゴがその声を消す様に言った。

「薬草を採りに行くといって出かけたのですが、何処へ行ったかは聞いていません。」

 フーゴが答えた。魔術師ケルバライトとその妹ジーナが北サッタ村へ行った事は魔術師長レグルスから聞いていたが、行き先を明かしてはいけないと思ったのだ。

 フーゴは、何の考えもなくケルバライトの行き先を言いそうになったハンスを睨んだが、彼は気付かなかった様だ。

「ケルバライトさんに、是非、ここにお茶を飲みに来るようにお伝えくださいね。」

 ナンシーがフーゴに言った。

「はい、戻ったらお伝えします。」

 ナンシーの顔を見ながらフーゴが答えた。

「これをケルバライト様にお渡しして下さい。」

 ナンシーはそう言ってきれいな布でできた巾着袋をフーゴに差し出した。

「これは何ですか?」

「それは今お飲み頂いている黒茶です。フーゴ、今日おいでにならなかったケルバライト様にお飲みいただいてね。あなた達だけで飲んでしまってはだめよ。」

 そう言ってナンシーは小さく笑った。

 フーゴとハンスは交互にその巾着袋を持ち香りを嗅いた。


 間を置いてフレッドが話しを始めた。

「明日の仕事の事なんだが、君たちがこれから仕事をする倉庫に荷馬車が一台置いてある。それをサッタ村まで運んで欲しい。」

「どうしたのですか?」

 フーゴが聞いた。

「実は今朝、うちの使用人がサッタ村へ古着や野菜を運んだのだが、誰も引き取りに来なかったので荷を積んだまま帰って来てしまったのだ。明日、その馬車を再びサッタ村へ届けて欲しい。」

「判りました。でも、サッタ村は廃村になっていたと思うのですが、暮らしている人がまだ居たんですね。」

「最近、あそこに人が増えているんだ。よく判らないのだが、どこからか農民が集まってきているらしい。馬の都合がついていないので、ギロの馬貸しから一頭借りてほしい。」

 ハンスが身を乗り出してフレッドに提案した。

「魔術師の塔に馬が一頭います。それを使ってはいけないでしょうか?」

「ああ構わないが、あそこの白馬は立派な軍馬だと聞いているが。荷車を引かせていいのかな?」

「大丈夫です。運動不足になるから、時々走らせろと言われているんです。」

「それなら良いが。」

 フレッドは魔術師の塔にいる立派な軍馬の事は噂で聞いていた。見た者の話しによると、ガサは勿論、ギロの港町でも滅多に見る事が出来ない程の名馬だそうで、以前はギロの魔術師の館で飼われていたのが、いつのまにかガサの魔術師の塔へ移っていたのだと言う。

 その後、ギロの魔術師の館が取り返しに行っていない事から、ガサにある魔術師の塔の物になったらしい。しかし、その経緯についての噂は流れて来なかった。

「もう一つ頼みがある。最近、荷車が盗まれたのだが、カテナ街道を北へ向かう所を目撃されている。無理はしなくても良いから、目についたら持ち帰って欲しい。」

「わかりました。」


 三人はフレッドの屋敷を出た。

「俺はいつもの倉庫に戻るが、君たちは町の北にある倉庫へいってダニーと打合せをしてくれないか。今日はそのまま帰って良いぞ。」


 フーゴとハンスは人足頭のホルガーと別れて北側の倉庫へ向かった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ