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ジーナ  作者: 伊藤 克
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七十六 北の村人・探る者(三) 改題

 フランツの話しに出てきた、薄着で歩く少女に興味を持ったハロルドは、すぐにでも確認したくなり、フランツが説明してくれた場所へ向かった。

 この周囲で若い娘に出会うのは稀な事だった。北の村には女性が数えるほどしか居なかったのだ。村人の妻、或いは村の住民の為に家を食堂代わりにしている女性数人だ。勿論、彼女達も年老いている。

 ヒルダが村にやってきた時には、ようやく若い娘が仲間入りしたとハロルドは思った。しかし、ヒルダはいつも自分の部下であるフランツと一緒だった。そしてすぐにソフィーの監視役を命じられて北サッタ村へ行ってしまった。 フランツは頻繁に北サッタへ行き、人目もはばからずヒルダと手を繋いで歩いている。ハロルドは不満だった。その不満に嫉妬が混じっている事に本人は気づいていない。


 ある日、見張り番集会の席で村長に進言した事があった。同じ役目についている見張り番達であっても互いの正体を隠す為に、顔を覆えるほど細長い三角頭巾を顎下まで被り、体には黒いマントを巻いていた。

 銀のメタルを胸に下げているのが上席幹事で、金のメタルを胸に下げているのが村長だった。ハロルドは村長に言った。

「家事をするのに女の召使いが必要だと思います。」

「何故だね。」

「我々は皆、由緒ある家柄の者達です。召使いの一人ぐらいいてもおかしくはありません。」

「それでは、君はこの村を出て行くというのかな?」

 召使いを置くという事が何故村を出る事になるのか、ハロルドには理解出来なかった。無言でいるハロルドに村長は言葉を続けた。

「近郊に住む人々はその殆どが貧しい農民だ。召使いを雇っている者はいるかね?どこにもいるまい。

 十年前、我々は廃村となっていたサッタ村へ住み着き、周囲に溶け込む様に暮らしてきた。そして十年かけてようやくここまでになったのだ。だが、目的を達成するまでの我々の道のりはまだまだ遠い。十年かけてまだ入り口にも達してはいないのだよ。

 また、我々幹事は他の村人の手本でなくてはならない。村人幹事の一人である君も、目的を一つにして共に苦労を分かち合ってもらいたい。」

 大人しく村長の話しを聞いていたハロルドだったが、村長を含めた上席幹事達へも不満を持っていた。

 自分達一般幹事は、幹事になっていない村人と一緒になって、見張り番をしたり、連絡係を命じられたり、時には荷運びをする事さえある。しかも、何処の誰かも分からない、村の住民と呼ばれている浮浪者と共に仕事をする事さえある。

 しかし、銀や金のメタルを胸に付けた上席幹事達がその様な労働に参加している様には見えなかった。勿論、自分を含めた全員が顔を隠しているので、必ずそうだ、とは言い切れないのだが,声や体型から、彼らが、自分の行っている見張り番の仕事に加わっていないのは間違いなさそうだった。

 ハロルドは、今日もギロの港町近くまで荷車を引き取りに行かなければならなかった。


 ハロルドは鬱積してくると用事を作りだして、人に言えない遊びをしに、深夜ギロの港町へ出向くのだった。良く無い事と分かってはいるが、一度思いがつのると止める事が出来なかった。しかも頻繁に行ける訳も無い。

 ギロにあったその秘密の部屋も近所で噂が立ち始めた為、先日苦労して近くの山小屋へ移動したところだった。もし、フランツが言っていたその少女を北の村の住民にして、自分の部下にしてしまえば、自分の言う事を自由に聞かせられるに違い無い。場合によっては、自分専用の召使いにしても構わない。

 もう少し早くその事を知っていれば、荷車を盗んでまで秘密の遊び場所を山小屋へ移動させなくて済んだ筈だ。ハロルドはそんな考えにとらわれていた。


 やがてフランツから教えられたその場所へついた。ジーナとフランツがすれ違ってからかなり時間が経っている。人の姿は無かった。念のため小川へも降りてみた。人気は全く無く、ジーナが踏みしだいた草も起き上がって風に揺れていて、ジーナが歩いた痕跡を消していた。

 ハロルドは周囲を見まわした。煙りが二本昇っている。何気ない風を装い、煙りの方へゆっくり近づいて行った。 一方は、ヒルダに監視させていたソフィーの家の煙突から立ち上っていた。もう一方は、ソフィーの家の隣にある物置小屋の煙突だった。壁も戸も壊されていた小屋はとても人が住める様なものでは無かった筈だ。その小屋に誰かが居るらしい。

 もしかしたらあの少女かも知れない。興味を惹かれたハロルドはその小屋へさらに近づいた。

 壊れていた壁の穴は塞がれ、外れていた戸もしっかりしまっている。やはり男がいるに違いない。一度は引き返そうと思ったのだが、少女への興味には勝てず、周囲に気を配りながらゆっくり近づいた。


 レフに裁縫を任せて眠っていたジーナだったが、裁縫はいつの間にか終わり、両手の指に絡まっていた黒い影は姿を消していた。縫っていたマントは膝に乗ったままだったが、針は裁縫箱に戻されていた。

 熟睡しているジーナの意識の一部は近くを通りかかる人の気配を追っていた。それは目を閉じて周囲の音に耳を澄ます行為に似ていた。

 遠くを移動していたその気配が次第に近づいてくる。その気配を感じ続けているジーナの意識のかけらは、近づく気配から害意を感じとらなかったので、ジーナ本体を起こす事はしなかった。

 その気配が小屋のすぐそばまで来た。ジーナでなくても耳を澄ませば足音が聞こえる距離だ。

 ジーナの心の空間で黒い蕾をゆっくり揺らしながら眠っていたレフが蕾を持ち上げて、気配がする方へ首を回した。どうやらレフは気づいたようだ。

 レフがこの空間へやってきた時にはすでに咲いていた、隣のとても小さな白い花が茎を伸ばし、黒い蕾を撫でた。

『静かにしているのよ。』

 そう言われた様に思ったレフは、開きかけていた蕾を再び閉じた。

 現実には存在しない、ジーナの心の中にあるイメージ。

 眠る事を知らないアルゲニブはその光景を微笑ましく見ていた。

 アルゲニブもまた、外の気配を追っていた。その人物が一人である事や、武器や強力な魔力を持っていない事を感じ取り、じっとしていた。

 ジーナと共に活動している中で、ジーナを超える魔力の持ち主にはなかなか会えていなかった。戦いになればジーナは相応の力を発揮するに違い無い。

 だがアルゲニブはバリアを生み出す準備だけはしていた。それは敵からジーナを守るばかりでなく、ジーナの強力な魔力からジーナ自身を含めた周囲を守る為でもあった。

 以前カテナ街道でジーナが賊に襲われた時、彼女が放った強力な炎の矢によって、彼女自身が燃え尽きてしまいかねない事態を引き起こしていた。それだけは避けなければならない。その時ジーナに意識は無かった。そして今、ジーナの意識の本体はまだ眠りの中にあった。 

 ハロルドは小屋の板壁に耳を付けて中の様子を探った。物音はしなかった。人目に付きそうだったので小屋の裏へ回った。ようやく見つけた隙間から中を覗くと、男物の服を着た、黒い髪の女が背を向けて座っている。他に人は居ない。

 ハロルドは、北の村でも秘密にしていた技を使う事にした。目をつぶり、背を向けている少女に意識を集中した。

 引き取りを命じられていた荷車は、街道で少し待たせて置いても構わないだろうと思った。


 自分の意識に触手が伸びてきた事を感じたジーナは、少しだけ目覚めた。勿論、立ち上がったりはしない。また、完全に目覚めたりもせず、心の入り口である仮想の空間に変化が起きない様、気をつけていた。

 意識を探りにきた相手への最善の対応が、気づいた事を悟られない事だ、と経験で知っているからだ。


 自分に背を向けている少女に変化は起きていない。どうやら自分が作り出した触手に気づいていない様だ、とハロルドは思った。

 この業はハロルドがまだ幼かった頃、数年かけて父親から伝授されたものだった。

「人の心を探る業を持つ者は数えるほどしかいない。だが、この業を持っている事を人に知られてはならない。」

 その通りだった。そのために、仲良しだった遊び友達を殺さざるを得ない事となったのだ。思い出したくない過去だった。

この業を教えくれた父親から、触手を伸ばした相手の反応が、いくつかに分かれ事を聞いていた。

北の村の上席幹事達の様に一瞬で跳ね返してしまう人達、ヒルダやフランツの様に触手に気づくが跳ね返す技を持たない者達、ギロの少女達の様に全く気付かずにされるままになっている者達だ。ハロルドは、北の村人幹事になってから、もう一つある事に気づいた。ごく希にハロルドの触手が全く効かない者がいたのだ。

 北の村の住民の中にいるその人物は、まるで石を相手にしている様な、人としての意識を全く感じ取る事が出来ないのだ。その人物が魔力や魔術を持っている訳ではなく、生まれつきそういう頭の構造なのだとハロルドは思った。それは病気で意識の無い人の反応に似てもいた。

 ハロルドが上席幹事へその技を使う時は、触手を伸ばしているのが自分である事を知られない様に大勢の中に紛れる等、気を遣っていた。だからこの技をハロルドが持っている事はまだ誰にも知られずにいた。 

 ハロルドは黒い髪の少女への触手を強化した。草原に花が咲いているイメージ。少女にありがちな景色を感じた。さらに触手を動かし続けた。男がいる筈なのに、その影が少女の意識に無かった。

 この小屋の修理をした男の影が無ければならない。フランツの話しからも、少女の世話をする男が必ず近くにいる筈だ。その男はどんな人物なのか、さらに少女の意識を探り続けた。



 ジーナは執拗に探って来る触手にすっかり目覚めてしまったが、寝たふりを続けた。次第にその触手をもてあまし始めた。いまさらはねのける訳にもいかず、ひたすら去っていくのを待っていた。

 しかしその触手はいつまでもジーナの意識を探り続けている。散歩をしてるバウを呼び出して追い払ってもらおうと思ったが、それでは自分がすでに目覚めている事を悟られてしまう。

 そんな時、ジーナのイメージ空間に黒い靄が現われ、心の空間を満たしていった。その時、意識を探る触手が一度引いた。ジーナはその一瞬を逃さずにバウを呼んだ。 


 ハロルドが意識を探っていた少女の心が急に闇に包まれ始めた。自分の触手の存在を気付かれたのかも知れないと思ったハロルドは一瞬だけ触手を引き上げた。

 しかし、壁の隙間から見えている少女の後ろ姿に変化は無い。諦め切れなかったハロルドは再び少女の意識に潜り込み、探索を始めた。


 触手が再び伸びて来たので、バウを呼ぶ行為が探索者には知られずに済んだ様だ、とジーナは思った。

 再び始まった探索はさらに執拗さを増していた。

 ジーナが生み出していた心の草原に咲く花達はその触手を避ける様にしおれ、倒れていく。ただ、レフの黒い蕾だけは黒い靄を吐き続けていた。やがてジーナの空間は闇で満たされた。


 ハロルドは少女の心が真っ暗になった事を感じた。どうやら熟睡してしまった様だと思った。ここまで探索していると、普通ならば心の違和感に起き上がるものだが、この少女はよほど鈍いに違いない。普通では無いらしいと思った。


 随分と時間をかけてしまった。ギロの街道に待たせている荷車は引き上げてしまっただろうか。ハロルドが帰ろうと思ったその時、足下で犬が吠えた。

 驚いたハロルドは一足飛び退いた弾みに転んでしまった。起き上がろうとするハロルドに白い大型犬がのしかかろうとしている。

 後ずさりながら起き上がり、その場を離れた。

 裏山へ向かって走りながら何度も後ろを振り返った。坂道の途中で耳を澄ませたが、犬がついて来る様子は無かった。ハロルドは動物の心を読む技を持っていなかった。


 小屋の外で犬の吠え声がした。ジーナには、それがバウである事がすぐに判った。バウが現われてまもなく執拗に心の探索を行っていた人物が離れてゆくのを感じた。

『バウ、ありがとう』

 ジーナの心の声が聞こえたらしい。小屋の外でバウが鼻を鳴らした。

『バウ、その人の後をつけてくれる?でも、見つかってはだめよ』

 ジーナの頼みに、バウは小屋を離れた様だ。


『レフ君、助けてくれてありがとう。』

 黒い蕾の筋が大きく裂けると、空間を満たしていた靄が吸い込まれていき、そこに明るさが戻った。隣りのとても小さな白い花が、茎をめいいっばい伸ばしてレフの蕾を撫でると、レフの裂け目から赤い花びらが覗いた。レフ君はわかりやすい性格だとジーナは思った。


 同じ姿勢を長時間続けていたジーナはこわばってしまった体をほぐす為に杖術の鍛錬をする事にした。途中で邪魔をされたくなかったので、腕輪の力を使って丹念に周囲を調べた。遠ざかってゆく例の男意外にうろんな者は居ない。

 ジーナはゆっくりと杖を動かし、呼吸を整える事から始めた。


 走っていたハロルドは、小屋が見えないところまできてようやく立ち止まった。

 上がっていた息が整うのを待ってから再び歩き出したハロルドは、大きな白い犬を連れた少女、呪われた少女の噂を思い出した。

 ギロの港町へその少女が現れて数ヶ月の間に、何人ものごろつきが姿を消した、という噂だ。本当の事を知る者は誰も居なかったが、何も無いところに噂は立たない。中には、強い魔術師の兄がいるという噂もあったが、該当する魔術師は見あたらなかった。

 噂を聞いた者は、気味悪いく思うのか、やがてその少女に近づこうとする者はいなくなった。


 登り坂の曲がり角にボケ爺が立っていた。

 上席幹事達はその老人の事をアル爺さんと呼んでいたが、他の多くの連中はボケ爺と呼んでいた。

 その老人は山を徘徊する事が多く、行方不明になる度に、連れ合いの老女マリーがその行き先を周囲に尋ねて歩いていた。

 その老人は全く会話をできなかったし、いつも徘徊していたので、ボケ爺と呼ばれる様になったのだ。

 ハロルドはその老人に話しかけた。

「何をしているのだ?」

 ボケ爺は何の反応も示さず、ただ一点を見つめていた。ボケ爺の視線を追うと、木々の隙間から例の小屋が見え、小屋の反対側で棒を振り回している少女が見え隠れしていた。

 ハロルドは、草を刈っているのか、虫を払っているのだろうと思った。


 ジーナは遠くに視線を感じた。

『誰かが見て居るぞ、いいのか?』

 アルゲニブが話しかけてきた。鍛錬中は無言でいる事が多いアルゲニブにしては珍しい事だった。

『さっきのぞき見をしていた人だわ。構わないわ。戻ってきたら説教してあげる!』

『説教ではなくてお仕置きではないのか?』

 無言になったジーナの杖術に力がこもった。自分の質問が気にいらなかった様だ、とアルゲニブは思った。


 ジーナが行っている杖術は、ケリーランス公国にいたチャンから教わった剣舞に、ガサの町にいるダンの槍術を組み合わせた独自のものだった。

 鍛錬を繰返し、技の速度が増すにつれ、雑念が消えていく。ジーナの心の中にいついたレフは、この無の境地を邪魔してはいけないとおもったのか、背筋に代わる茎を伸ばしてじっとしていた。

 遠くからジーナに送られていた視線はいつの間にか消えていた。


 棒振りを見る事に飽きたハロルドは、少女を見続けているボケ爺をそこに置いて北の村へ戻る事にした。何に興味を持ったのか、ボケ老人はいつまでもそこにいた。


 ジーナが何気なく視線の消えた方を見ると、男が一人立っていた。ジーナはその男に向かって会釈をした。

『どうしたのだ?』

 アルゲニブがジーナに聞いた。

『目があったの。だから挨拶をしたわ。』

『あんな遠いのに見えるのか?』

 確かにその男とは、顔の判別が付かないほど距離が離れていた。

『さっき触手を伸ばして男に挨拶して良いのか?』

『違うわよ、アルゲニブ。あの変な人ではないわ。』


 自分を探ろうとして触手を伸ばした男は彼ではない。静かに立っている男からは気配を感じ取る事が出来なかったが、先ほど自分を悩ました男では無い事にジーナは確信を持っていた。 

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