七十五 北の村人・探る者(二) 改題
フランツはヒルダが持っていた古銭を手に、北の村へ戻った。一時廃墟となっていたサッタ村にひっそりと展開している北の村。その奥、断崖近くに建つ北の村人集会所へ行った。
普段は呼ばれてからゆくのだが、自分か来るのは初めてだった。北の村の村長に報告する時でも、自分の世話役幹事へ報告して、その幹事から村長へ伝えてもらうのだった。自分の代わりに街道の見張りをしてくれているマシューには、自分がいつでも村長に会っている様に言っていたが、実は一度も会った事が無かった。
フランツは正面の扉を開けて、さらに奥へと続く扉へ手をかけた。しかしその扉はびくともしなかった。
「どなたかな?」
どこからか、くぐもった男の声が聞こえてきた。
「街道の見張り番、フランツ・ケアードです。」
「用なら明日の朝、お前の世話役幹事へ報告しろ。」
「これを見つけました。古銭です。」
フランツはそう言ってヒルダが持っていた金貨を目の前にかざした。
「左側に棚がある。そこへ置きなさい。」
フランツは左の壁を見た。壁の腰の高さあたりに板が張り出していた。その上に金貨を置くとその板は金貨を載せたまま、壁の向こうに引き込まれた。
「暫くそこで待っていたまえ。」
その声と共に、人の気配が消えた。外扉と内扉の間にある、玄関とも言えるこの空間は、幅、奥行きが一メートル半程度しか無く、天井も低かった。金貨の説明をすればすぐ帰れるものと思っていたが、狭い玄関でしばらく待たされた。
フランツは狭い所が苦手だったので、正面の扉が開いた時にはほっとした。案内人はフランツを小部屋へ通した。
正面には、黒い三角頭巾を被り、黒いマントで体を包んだ男が座っていた。自分の世話役幹事以外の村人幹事は、人に会う時はいつもその正体を隠していた。
最初の頃は、司祭師の家系に繋がる自分に対してなんて失礼な奴だ、と思ったものだが、世話役幹事の家柄を聞いてからは、そのように反抗心を持つ事はなくなった。
村人幹事達は、この集会所にいる時だけ、文様が彫られた銅製のメタルを胸に下げていた。幹事の中で唯一顔を知っている自分の世話役幹事が、そのメタルが幹事の地位や役割を示している事をフランツに教えてくれた。しかしその文様や色、具体的な役割を教えてくれた訳ではない。
「今では、魔術師会の連中がメタルをぶら下げて喜んでいるが、我々の歴史はもっと古い。魔術師達は我々の真似をして喜んでいるだけなのだ。」
幹事はそう言って顔をしかめた。それはフランツが子供の頃に老人達から何度も聞かされていた話しだった。
フランツは銅製のメタルをかけた村人幹事にしか会った事はなかった。しかし、目の前に座っている幹事の胸にあるのは、初めて見る金のメタルだった。村長かも知れないと思ったフランツは緊張した。
目の前に座った幹事が口を開いた。
「この金貨をどこで手に入れたのだね?」
「世話役幹事以外の者には、仕事の内容を話してはならない、と命じられています。大丈夫でしょうか?」
フランツは急に心配になってそう言った。
「その金貨は、君の仕事に関係したものなのかね?」
「違います。偶然手にいれたものです。」
「それならば君の仕事に関係ないのだから話しても構わないのではないかね?」
確かにその通りだと思ったフランツは金貨の説明を始めた。
「私の仲間に近郊の村で監視をしている者がいます。その者がその金貨を見つけだのです。」
「ヒルダだね。」
「ご存知でしたか。」
「ああ、ソフィーの監視をヒルダに頼んだのは私だからね。それに、ヒルダと仲が良い君が彼女の面倒を見られる様に取りはからったのも私だ。だから安心して話したまえ。」
フランツは、自分が初めて面会した上席幹事がヒルダと面識のあった事に驚いた。
「ヒルダとお知り合いだったのですか?」
「フランツ、余計な詮索は無用だ。報告を続けたまえ。」
フランツは、ヒルダがソフィーから毎朝岩壁に彫られた祠へお参りを命じられた事、そこで金貨を手にいれた事をかいつまんで話した。
「では、何故ヒルダが報告に来ないのかね?」
「ヒルダはこの古銭の金貨に気づいていない様です。それで私が報告に来ました。」
「君はヒルダに黙って持って来た様だね。」
「はい。でも、古銭とはいえ、金貨1枚、問題にはならないと思います。」
「まあ、よい。仲直りするのは私ではなくて君の役割だからね。それで、その祠には仕掛けは何も無かったのだね?」
「はい。調べましたが、岩に彫られているだけの様です。」
「分かった。調査してみよう。2、3日したら呼び出すので、その時は道案内を頼むぞ。」
フランツは、道の途中で出会った黒い髪の少女の姿を思いだした。ここで報告しようと思ったが、それこそ自分か任されている仕事だ。改めて世話役幹事へ報告しようと思い直した。
村人幹事は金貨を返してよこし、手を振って会談の終わりを告げた。フランツは、集会所を出た。
ヒルダに会うにはまだ時間が早い。あの少女以外にも、街道を出入りしている人物がいるかも知れない、と思ったフランツは街道の見張り番に戻る事にした。
フランツと同じ様な格好をした男が近づいて来た。世話役幹事のハロルドだ。
「フランツ、どうしたのだ。幹事の誰かに呼び出されたのか?」
「いえ、実はこれを手にいれたので報告してきたところです。」
フランツは古銭をハロルドに見せた。
ハロルドはその重たい金貨を撫でた。この手の古銭には偽物も多い。ハロルドも何度か偽物を掴まされた事があった。これは本物の様だ。
「どこで見つけたのだ?」
「ヒルダが岩壁の祠で見つけました。」
「この金貨を使っている者がまだいたのか?」
「そうではないようです。何者かが置き忘れたか、隠していたものではないかと思います。」
この様な貴重品が世にに流通する訳は無かった。何かの目的があって隠していたのか、ヒルダと同じ様に古銭と気付かずに持っていたのかは判らない。
しかし、山の中にある、その存在を知られていない祠へ金貨を持つ者が入り込み、その上置き忘れたとは考えられなかった。
普段から金貨を持ち歩く様な人物は、山登り等はしない。召使いにやらせる。その召使いが金貨を沢山持って歩くとは考えにくかった。
「そうか。ところで街道になにか変った事はあったか?」
金貨をフランツに戻しながらハロルドは聞いた。
「実はソフィーの家の近くで変った娘を見かけました。」
「どんな女だ?」
フランツは、金貨の報告に来る時にすれ違った少女について話した。
「この地区では見かけた事の無い少女で、薄着の上に男物の上着を着ていました。」
「フランツ、お前はどこの家を覗き見したのだ?」
「違うのです。その格好で歩いていたのです。」
「この寒い季節にか?」
「はい、病気なのかも知れません。」
フランツはそう言って自分の頭を指し、さらに続けて言った。
「しばらく様子を見ていましたが、連れの男は現われませんでした。」
「近くに誰かいたに違い無い。探る必要がありそうだ。」
「では、私が見張りましょうか?」
「いや、お前は街道を見張ってくれ。娘の方は私が調べてみよう」
フランツは少女と出会った場所を伝えてハロルドと別れた。その少女が大きな犬を連れていたなら、朝マシューが言っていた『呪われた娘』の話しを思い出していたかも知れない。
街道近くの畑では、マシューが野良仕事をしながら街道を見張っていた。
「フランツ、今日は遅かったな。何をしていたのだ?」
「村長に会っていた。」
フランツが会った金のメタルを付けていた人物が村長であるという保証はないが、マシューにはそう言った。
「ところでマシュー、見慣れない者がこの街道を行き来していなかったか?」
「今日は近所の住民が往来していただけだ。」
「そうか。実は見慣れない少女を北サッタ村で見かけたのだ。」
「それは今朝見かけたあの娘ではないのか?」
フランツはマシューが言っていた娘を遠くから見ただけだったが、ドミノのフードを目深に被っていたので顔までは確認できていなかった。しかし、道ですれ違った薄着の少女が同一人物であるとは思えなかった。
「村人幹事に報告した。自ら調べるそうだ。そのうちに正体が分かるだろう。」
「幹事というのはハロルドさんか?」
「ああ、そうだ。ここへ来る途中であったのだ。」
村人集会所で会った金のメタルを付けた上席幹事に言われた通り、自分の世話役幹事へ報告したのだ。マシューが意外な事を言い出した。
「あの人には悪い噂があるが大丈夫なのか?」
「悪い噂?」
フランツは聞き返した。この村は、ダンク王が専制君主として支配するコリアード王国を、自由と平等の国へ作り変える、という崇高な目的を持った人々が村人として集まったのだ。と説明されていた。
その考は素晴らしい、とフランツは思ったのだが、自分達が北の村の住民達を差別している事には思いが至っていなかった。
「今は力を蓄える時だ。目立った行いはするなよ。」
フランツは、ハロルドから何度も言い聞かされていた。そのハロルドに悪い噂があるとは信じがたい事だった。
「マシュー、それはどんな噂だ?」
「ギロの港町では少女が家出する事件が稀に起こる。」
ギロで家出した少女達の殆どは、深夜に一人で歩いているところを見られていた。親の目を盗んで男友達に会いに行くのだろう、と皆思っていた。しかし、そのまま戻って来ないのだ。家の者が手を尽くしても探し出す事が出来ずにいた。
男友達の家へ怒鳴り込みに行く親もいたが、見つける事は出来なかった。
「マシュー、子供の家出はよくある話しではないか。私だって子供の頃は何度も家出を考えたものさ。」
「しかしフランツ、賑やかになったとはいえ、ギロの港町は首都ハダルやガエフの様に広くは無い。世間知らずの少女が誰にも見つからずに暮らすのは難しい。」
旅に出たのではないか、と言う人もいたが、普段着のまま街道を歩いていたら余計目立ってしまう。マシューはそう考えていた。
「その事とハロルドの事はどう関係があるのだ?」
「ハロルドが北の村を不在にしていた夜に限って家出事件が起こるのさ。」
「まさか、偶然だろう。監視は私が続けるから休んでくれ。」
フランツは笑いながらマシューにそう言った。
小屋に帰ったジーナは部屋の天井近くにロープを渡し、外套とブラッカエを干した。外套が乾くまでとはいえ、いつまでもローゼンの上着を外套代わりに着ている事も出来ない。ジーナは荷物を解き、魔術師のマントを広げた。
『ジーナ、そのマントをどうするのだ?』
興味を持ったアルゲニブが聞いた。
『裏地を付けるのよ。』
『それならマントをギロの港町で買った時に細工したではないか。』
両面使える様に灰色の生地を裏側に縫い付けていたのだった。変装には重宝していた。
『でもアルゲニブ、このマントに魔法陣を刺繍し過ぎて、裏返して着ても裾が風に煽られた時、見えてしまうの。』
『見えなくする為に黒い糸で刺繍をしたのではなかったのか?』
よく見ると、広げられた黒地の上に大小さまざまな魔法陣模様が散らばっていた。
『ジーナ、大丈夫だろう。黒い布に黒い糸だ。よほど目を凝らさないと見えないし、見えたとしても、魔法陣だとは思うまい。』
裁縫が苦手なジーナが描いた魔法陣は真円ではないものも多かった。魔魔術師や司祭師に見られたとしてもこれでは本物の魔法陣とは思われないだろう、とアルゲニブは思ったがジーナにその事を伝える事は控えた。
異界の指輪であるアルゲニブでもその位の分別は持っていた。
ただ、たとえ形が崩れていても、古代語を自由に使いこなせるジーナの刺繍は十分に力を発揮出来る事はアルゲニブが保障しても良い、と思った。見た目を気にしなければ完璧な魔法陣だった。
そんなアルゲニブの、”黒い魔術師のマントの表面を隠す必要は無い”という意見を無視したジーナは、小さなベッドの下から古いシーツを引っ張り出してナイフで半分に裂き始めた。
『これで黒い布を覆う事にするわ。』
ジーナは不器用な手つきで縫い始めた。ジーナは左腕の違和感に気づいた。見ると、黒い影が腕から指先へと伸びている。
『ジーナ、レフが手伝いたがっているぞ。縫い針を左手に持たしてみてくれ』
アルゲニブがそう言った。
『あら、そうなの?でも手伝ってもらうなんて悪いわ。それに針を左手で持った事なんか無いわよ。』
そういいながらジーナは縫い針を左手に持ち替えた。左手の黒い影は、布を伝い、右手指先にも巻きつくと、その黒い影が絡まった両手が動きだした。
『あら、手が勝ってに裁縫を始めたわ。』
レフは、ジーナの指先を器用に動かして縫い続ける。まっすぐで糸目の揃った、綺麗な縫い目が出来ていく。
『アルゲニブ、あなたの昔のご主人様は裁縫が得意だったの?』
『いや、異界に住むケルバライト様はあらゆる事を召使いにさせていた。ご自身では何もなさらないお方だった。ただ、魔術に関する事だけは誰にも手出しをさせなかったな。』
レフは、異界の指輪であるアルゲニブの、元のご主人、異界の魔法貴族ケルバライトの左腕の残滓である。この様なワザを持っていても不思議では無い。
『レフ君、ありがとう』
そうジーナが言うと、返事のつもりなのだろう、左手に巻きついている黒い影が柔らかくジーナの腕を絞めた。
日も昇らない早朝にガザのにある魔術師の塔からここへやってきたジーナは、自分の意思とは無関係に作られていく、規則正しい縫い目を見ているうちに眠くなってきた。
いつの間にかうたた寝をしてしまったジーナの夢、心の中にある空間に黒い霞が現われた。この空間は、ジーナの心を探りにくる別の意識が最初に訪れる場所で、草原の所々に小さな花が咲いているイメージだった。
この空間はジーナが物心ついいた時にはすでに持っていて、今までジーナの心を探ろうとする魔術師達の触手を回避してきた空間でもあった。
その心の空間は、ジーナが生まれた頃から持っていたものなので、その事をジーナが意識する事は無かった。その事には心の鍵がかかっている様で、ジーナはその事を、ローゼンを含めた他人に話す事は無かった。
ただ、いつもジーナの心と会話をしているアルゲニブだけは、その存在を知っていたし、また、見てもいた。最初にアルゲニブがその事に気付いたのは、初めてジーナが炎の矢を放ったカテナ街道での出来事だった。
ソフィーがアルゲニブをジーナの後見人に指名したのは、アルゲニブがジーナの心の中に持つ鍵の存在を知っている事に関係しているのか知れなかった。
その心の空間にアルゲニブではなく、ジーナの心を探る者でもないなにかが現われた。その黒い霞は少しずつまとまり、周囲にまばらに咲いている花に模した形になっていった。
ジーナの心の地面から直接伸びた茎、そしてその上に形作られた黒いつぼみ。 手に持つ縫い針の動きに合わせる様に規則的に揺れているそのつぼみのすじから、中にある赤い花がかすかに覗いている。
夢の中での心のイメージ。ジーナはその黒いつぼみに話しかけた。
『レフ君なの?』
その花は黒いつぼみを二回揺らした。
『縫い物を手伝ってくれてありがとう。』
ジーナが心の中のつぼみにそう話しかけると、そのつぼみが少し割れて赤い花がほころんで見えた。この子は喜んでいるんだ、とジーナは思った。
縫い物をレフに任せきったジーナはやがって本当の眠りに入った。