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ジーナ  作者: 伊藤 克
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六十六 ギロの魔術師・偽りの契約書(五)

 まだトッシュが死んだ事を信じられなかったドーラは居酒屋チョップへ顔を出した。

「あんたたち、トッシュにあえなかったよ。本当に死んだのかい?」

「ドーラ、諦めな。魔術師様に逆らったら何があっても仕方ないことなんだ。」

「そうだ。魔術師様にだけはさからってはいけねぇ。」

「そんな事いっても、うちのだんなは殺されたかも知れないんだよ。」

「どこの誰か知らんが、けんかを売って、足を切られた上に仲間も殺されて。トッシュは運が無かったんだよ。」

 居酒屋にたむろしている皆が口をそろえて言った。それを聞いてもドーラの悔しさは収まらなかった。

「だれか、私と一緒に魔術師の塔へいっとくれ」

「ドーラ、なんでそんな所へいくんだ?」

「そうだぜ。あそこの兵隊達は魔術師のレグルスに皆殺しにされてしまったというじゃないか。何の用があるんだ?」

「みんな、これをみておくれ」

 ドーラは逃げた子供達が暮らしていた倉庫に貼ってあった紙を見せた。

「あたしの子供らが魔術師の塔に奪われたんだよ。だから取り返しにいくんだ。」

「ドーラ、やめておけ。魔術師様に逆らったら命がいくらあっても足りないぞ。」

 居酒屋の皆がそう言って止めた。

「いいよ。あんたら腰抜けの力は借りないよ。」

 ドーラは居酒屋の戸を思い切り閉め、外にでた。

「ドーラ、ドーラ」 

 呼び止める声にドーラは振り向いた。

「あら、メリー、来てくれるのかい?」

「ドーラ、こっちへ」

 メリーと呼ばれた女はドーラを建物の陰に誘った。秋から冬に変ろうとしているこの時期、メリーは寒そうに両手を組んでドーラの前に立っていった。

「ドーラ、魔術師は魔物だよ。相手にしてもしょうがないよ。諦めた方がいいよ。」

「メリー、なんだい、追いかけて来たからてっきりあたしと一緒にいってくれると思ったよ。」

「違うのよドーラ、私は見たの。魔術師様が館の窓から出入りしていたのよ。」

「そういえばあんた、魔術師の館で仕事をしていたね。お金になる良い仕事だっていってたじゃないか」

「魔術師長のシャロン様は気前よかったのよ。銀貨や銅貨をたんまりくれるんだからね。でもドーラ、私見ちゃったの。」

「何をだい?」

「シャロン様が空を飛んできて、カラスと一緒に魔術師の館にある出窓から入ったの。」

「メリー、何をいってるんだい。人が空を飛べるわけないだろ?それにあの建物には出窓なんかなかったよ。普通の窓はたくさんついているけどね。」

「本当だってば。北側の路地があるでしょ。そこの壁の上の方にあったんだから。本当よ。」

「じゃあ見にいこうじゃないか。」

 しつこく食い下がるメリーに負けたドーラは、すぐ近くにある魔術師の館へ見にいく事にした。

 館の北側の路地へ入った二人はその建物を見上げた。そこは石造りの壁があるばかりで、窓も戸も無かった。

「ほら、出窓なんかないじゃないか。あんた。酒で頭をやられちゃったんじゃないのかい?」

「そんな筈はないわ。あの上の方に確かに出窓があったのよ。本当よ。」

「メリー、この壁には窓なんかないよ。ほら、見てごらん。」

 ドーラは冷たい石造りの壁を指さした。

「本当だってば、ドーラあそこに本当に窓があったのよ。」

 メリーは次第に大きくなる声と身振り手振りで説明する。

「ああ、わかったよ、さあ戻ろう。」

 ドーラはメリーの手を引いてその場を離れた。

 壁に背中を向けた二人の後ろで、壁の一部が音もなく上下に開いて窓が現れ、その窓から二羽のカラスが飛び立ち二人の後を追ったのだが、その事に二人が気づく事はなかった。

 

 ギロの魔術師長シャロンは館の三階にある隠し部屋にいた。隠し部屋の暖炉では多くの薪が焚かれ、隠し部屋は蒸し暑さが増していた。その部屋の一角には人一人が入れそうなほど大きな水瓶が置いてあった。シャロンはその水を張った大きな壺の蓋をあけ、中をのぞき込んでいた。

 壺の水面が揺れてくぐもった声が聞こえてくる。

『その男、ケルバライトは大柄な男ではなかったか?』

「ゴラン様、小柄な男でした。」

『おまえはケルバライトという名を聞いた事は無かったのか?』

『はい。彼と会うのは初めてでした。でもゴラン様、彼はまだ子供でたいした術も持たない様ですから、お気にする程の事はないとおもうのですが。』

『お前はそのケルバライトと名乗る男と戦ったのか?』

「いえ、でもガエフにいるサイラスがその様にいっておりましたし、ケルバライトに直接会った私も彼から強い魔力はかんじませんでした。」

『そのサイラスは死んだとの報告がきているぞ。それにおまえのところの魔術師ジェドも殺されたというではないか?』

「彼の死は金塊強奪を企てた賊との仲間割れによるものです。若僧のケルバライトとは関係がありません。」

『まあよい。ケルバライトと名乗る男から目を離すなよ』

 人が一人入れる程の大きさがある壺の水面の波が消え、静かになった。澄んだ水面下には複雑な魔方陣が見えている。怪我をしている左腕の痛みを我慢して、シャロンは壺の重たい蓋を閉めた。

 なぜゴラン様はあんな青二才の事を気にかけるのだろうか。また、なぜケルバライトという名を知っていたのだろうか。

 大柄な男といえば左手の羽代わりの膜を切り裂いた、白馬に乗った魔術師はいったい誰だったのだろうか。たまたま通りかかった流れの魔術師にちがいない、と自分を納得させた。しかしその事をゴランに報告する気は無かった。自分が役に立たないやつ、とゴランに思われては今の地位を失ってしまうからだ。

 こちらの世界に呼ばれた者は自分以外にもいるらしい事も知っている。次第に増えてゆく異界の者達。そしてこちらの世界で生み出される魔族兵士。ゴラン様は自分たちをこちらの世界に呼んで何をしようとしているのだろうか。遠く離れた首都ハダルにいる、ダンク王の専属魔術師であり魔術師会の統領でもあるゴランについて思いを巡らせ、自分達がいた異界に思いをはせる。暖かな暖炉の前でシャロンは物思いにふけっていた。

 外の大きな声に我に返ったシャロンは隠し部屋の窓を開けた。壁の一部が上下に開き、冷たい夜風が部屋に吹き込んだ。下で二人の女が大きな声で自分の事を話している声が聞こえる。秘密を知られてはならない。二羽のカラスを放つと窓を閉め、隠し部屋から執務室に移って兵士を呼んだ。


 空に雲はなく、冷たい風が吹く中、月がのぼり始めた薄暗い道をドーラとメリーは居酒屋チョップへ向かって歩いた。興奮しているメリーの話しは止まらない。居酒屋チョップへつくと、メリーは店の裏路地へドーラを引き込み、さらに話しを続けた。ドーラは同じ事を繰り返し語るメリーにあきれていた。

「メリー、でもお金は貰っていたんだろう?」

「そうなのよ。気前がいいの。銀貨とか何枚もくれた事もあるわ。」

「だったらいいじゃないか。不満なんかないだろ?」

「違うのよ。行くと体をマッサージさせられるんだけどね。違うのよ。」

「なにがだい?メリー」

「骨さ。普通の人とどうも違うのよね。特に肩の辺りの骨とか肉とか。」

「そりゃぁいろんな人がいるもんだよ。太った人とか痩せた人とか。もういいだろう?あたしは行くよ。」

 魔術師の塔に早く行きたいドーラはいらついていた。

 遠くから兵士がたてる武具の音が近づいてくる。 二人は会話をやめ音がする方を振り返った。十人ほどの兵士が月明かりの中を走ってくる。

「何かあったのかしら?」

「さぁ、なんだろうね。」

 近づいてきた兵士の一人が声をかけてきた。

「メリーというのはどっちだ?」

「私だけど何か用なの?」

 兵士は巻いてあった、パピルス紙に書かれた文書を広げてメリーに見せた。そこには、メリーが魔術師の館から金貨を盗み出した罪が書かれたいた。

「あれはシャロン様からいただいた物よ。シャロン様に聞いてちょうだい。」

「これをお書きになったのはシャロン様だ。お前がくる度に金貨が無くなるとおっしゃっていた。盗みを働くのはお前しかいない。」

「なぜなの?私は盗みなんかした事ないわよ。」

「しかし、シャロン様はお前が金を盗む所を見たとおっしゃっているぞ。」

「私は言われたとおりの事をしてお金をいただいていただけよ。」

「言い訳ははシャロン様の前で言うんだな。こい!」

「やだよ。私は絶対に盗みなんかしてないわ。」

 二人の兵士がメリーの両側に立ち腕を押さえた。

 隊長らしい兵士がドーラの方を向いた。

「お前もだ。」

 兵士の一人がドーラの袖をつかむ。

「あたしはメリーじゃないよ。」

「シャロン様が、連れの女も連れてこいとのご命令だ。」

 騒ぎに気づいた居酒屋の客達が店から出てきた。

「おいドーラ、どうしたのだ?」

「こいつらがあたい達を泥棒呼ばわりするんだよ。」

「ドーラ、そんな事をしたのか?」

「違うよ、あたいはそんな事はしちゃいないよ。うちの旦那の事を聞きに行っただけだよ」

「ドーラ、魔術師様相手に一暴れしたんじゃないのか?」

 誰かが言った。騒ぎは次第に大きくなっていく。

 兵士がその騒ぎに気を取られた隙にドーラはその兵士の手を振り払ってかけだした。袖がちぎれたがかまっている暇はない。

「ドーラ見捨てないで、助けて。」

 泣き叫ぶメリーの声を背中で聞きながら路地を走った。追いかけてくる兵士達の足音が聞こえる。ギロの町中、細い路地を探して走り続ける。

 しかし、追ってくる兵士の足音はすぐ後ろに迫っている。このままでは追いつかれると思ったドーラは山へ向かった走った。

 枯れた雑草を踏みしめ、さらに奥へと向かう。走りにくい鎧姿の兵士達は遅れながらも確実に後をつけてくる。どこをどう走っているのか、ドーラ自身にも判らなくなった。一度遠ざかった兵士のたてる物音が再び近づいてくる。

 ふと空を見上げた。カラスがドーラの上で旋回している。カラスと魔術師が共にいた、というメリーの言葉を思い出したドーラは高さが2メートル以上ありそうな竹林へ分け入った。草木のの折れ枝や竹に引っかかり、服が裂け、裾も泥だらけになった。疲れていたドーラは竹林の中で座り込んだ。

 後を付いてきた兵士達がたてる物音が竹林の周辺から聞こえる。しかし、鎧や剣がじゃまをして、ドーラが潜む林の奥までは入ってこれない様だ。やがて周囲に静けさが戻った。汗をかいたドーラの体は夜の空気に冷やされ、震えがくる。

 立ち上がったドーラはさらに奥へと進んだ。急に視界が広がった。目の前には欠け始めた月を背にした、巨大な塔が立っていた。魔術師の塔だ。塔へ歩み寄り、壁にもたれながらしゃがみこんだ。空を見上げる。星がまたたいていて、カラスの姿は無かった。

 目の前に、犬を連れた黒いマントの魔術師が現れた。

「おや、もう見つかったのかい。」

 魔術師は無言でドーラを見つめている。

「まあ、いいさ。うちの旦那も死んじまった事だし、あたしの運命もつきちゃったのかも知れないね。」

 小柄な魔術師はドーラの隣に腰を下ろした。

「あたしの旦那はね、ガサの女に足を切られたんだよ。それがケチのつき始めさ。どのくらいまえだったかねぇ。足を引きずってあたしの家に転がり込んできたんだ。兵士にやられたと言っていたけどそれは嘘だね。だって夜中にうなされて寝言を言っていたからね。だからあたしは知っているのさ。」

 魔術師姿のジーナは黙って聞いていた。この女性はどうやらジーナが傷つけたトッシュという男の連れ合いらしい。男を傷つけたのが隣にいる魔術師とは気づいていない。この女性の生活にまで影響を与えていたとは知らなかった。トッシュを傷つけた事は良かったのだろうか。

『ジーナ、あの時戦っていなければエマがどうなっていたか判らなかったのだぞ。』

 異界の指輪であるアルゲニブが心に話しかけてくる。たしかにトッシュに誘拐されそうになったエマを救うために仕方のない事だったが、それでもジーナに悲しさが訪れた。ドーラが話しを続ける。

「あたしはケリーランスの南にある農家で生まれたんだ。でも、野良仕事がきらいでね。だって朝から晩まで土に汚れて力仕事をしてもわずかなお金にしかならないんだよ。だから18歳の時に家を飛び出して、ケリーランスで酌婦をして生活していたんだ。十何年か前にダンク王様の軍隊が大陸の西に進軍するって聞いてね。面白そうだし、お金にもなると思って兵隊達についていったんだ。兵隊といってもね、あたいらと同じ農家の人たちがたくさんいたよ。いやいや兵隊にされた人もいたね。もちろん、暴れるのが好きって奴らもいたけどね。そんな連中と一緒に旅をしたのさ。そうしたら、ギロの港町まで来ちまったってわけさ。あの頃の騒ぎは魔術師様だって知っているだろう?」

『ジーナ、この辺鄙な町がそんなに賑わっていたのか?』

 アルゲニブの問いにジーナは答えなかった。アルゲニブは黙っている事にした。

 十数年前といえば、まだ幼いジーナが北サッタ村でソフィーおばあさんに遊んでもらっていた頃だった。家からほとんど出た事の無いジーナにはその頃の世間の様子は知らなかった。

「あの頃は今よりもずっと賑やかだったよ。このガサの町もね。でも、軍隊が居なくなってからはすっかり萎びた町になっちまったよ。今でも賑やかなのはギロの港町だけさ。うちの旦那とはギロの町で出会ったんだ。人を殺すなんて平気な奴だったけど、あたしにはやさしかったよ。ま、少しは良い時もあったけど悪い事もたくさんしてきたからね。しょうがないさ。さぁどこへでも連れていっておくれ。」

 何かの近づく気配に気づいたジーナは、黒いマントを脱ぐとその女の頭からかぶせると男の声でささやいた。

「静かに、動かないで。」

「どうしたんだい?」

 なんの事が判らなかったが、優しげな魔術師の命令にドーラは従った。澄み切った夜空にカラスが一羽、魔術師の塔へ向かった飛んできた。黒いマントに覆われたドーラは塔の壁になじんで、遠目では判らない。ジーナは黒毛に変身しているバウに話しかける。

「バウ、白毛になってあのカラスを遠くへ引きつけてちょうだい。」

 ドーラが見えていない所で白毛となったバウは大きな動きでカラスを引きつけると、ガサの町に向かって走っていった。カラスがその後を追う。ドーラから魔術師のマントを外したジーナは塔の中へドーラを誘った。


「あたしはここへ来ようとしたんだよ。中に入れてもいいのかい?」

 その言葉を聞き流して扉をあけ、塔内に入った。ドーラは物珍しそうに塔内を見回す。広い壁の所々に野草が活けてあり、石畳の床は掃き清められていた。

「魔物が住んでいるっていう噂だったからどんな所だろうと思ってたんだ。でもきれいじゃないか。」

 ジーナはエレナを呼んだ。

「ケルバライト様、お客様ですか?」

 エレナは泥で汚れてぼろぼろになったドーラを見た。

「この人に旅用の服を。」

「判りました。」

 エレナは何も聞かずに奥の部屋へ入ると一抱えの衣類を持って出てきた。

「着替えさせてどうするのさ。」

 いいながらも、体が冷えていたドーラは渡された服を着る。エレナが着替えを手伝った。厚手の外套をはおった。

「暖かいよ。ありがとう。」

 再び黒毛に変ったバウが、犬用の潜り戸を通って塔内に戻ってきた。

 ジーナはポシェットから財布を取り出すと着替えの終わったドーラに手渡して言った。

「南へ逃げた方が良い。」

 財布を受け取ったドーラは言った。

「魔術師様、いいのかい?あとでシャロン様に怒られるんじゃぁないのかい?それにこの財布、重たいよ。」

「兵士が来る前に早く南へ。隣村までは山沿いの道を行くと良い。道はこの犬が知っている。」

「本当にあたいを逃がしてくれるのかい?この犬、途中で襲ったりしないだろうね。」

「大丈夫だ。」

 バウとドーラは塔の脇道を曲がって姿を消した。

「エレナ、ありがとう」

 塔内に戻ったジーナはエレナに礼をいった。

「魔術師様。あの人はなにか罪をおかしたのですか?」

「いや、今の事は忘れてほしい。誰にも言わないでくれ。」

 エレナが部屋に戻ったのを確認してからジーナは隠し部屋へ入った。

 遠くのざわめきに気づいたジーナが魔術師姿のまま外へでると、あの女性が座っていたのだ。彼女の話を聞いた限り、罪を犯している様には見えなかった。何があったのかは判らないジーナだったが、ギロの兵士に追われているらしい彼女を逃がす事にした。それは、トッシュを傷つけた後ろめたさがそうさせたのかも知れなかった。

 ジーナは着替えもせずにベッドへ横になった。

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