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ジーナ  作者: 伊藤 克
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六十四 ギロの魔術師・偽りの契約書(三)

 早朝、アランは犬の吠え声で目覚めた。通路へ出ると、少女のシンディが部屋の戸を開けていた。黒い犬がその部屋へ入っていく。吠え声が大きくなり、少年達の声が聞こえてくる。

 アランはシンディに声をかけた。

「どうしたのだ?」

「お早う、アラン、フーゴとハンスが山へ散歩にいくのよ。」

「その犬はケルバライト様の犬か?」

「そうよ。お仕事へいく前にケルバライト様の犬とお散歩をするの。」

 ハンスが顔を出した。

「お早うございます。アランさん」

「その散歩、私がついていってもいいかな?」

「いいですけど、大丈夫ですか?」

「ハンス、俺はこのままでいいぞ。」

 黒犬が走り出すとハンスとフーゴが後を追った。アランもその後ろを走る。犬は竹林を抜けて裏山を駆け上っていく。

 道を外れ、がれきを上る。小川を飛ぶ。少年達は息を切らしながら必死であとをついて駆ける。アランはついて行くのがやっとというありさまだった。

 山頂の広場に出た。若者二人はダガーを抜いて鍛錬を始めた。

 アランは切り株に座り、その様子を眺める。

 フーゴは小ぶりな両刃のダガーを、ハンスは肉厚な片刃のダガーを持っている。互いに向き合って、ダガーを振り回している。誰から習ったのか判らないが、軍で教えている型とはちがう。しかし理にはかなっているようだ。 


 兵卒長ゲオルギーは見知らぬ部屋で目覚めた。高い天井、石造りの壁。なにも無い部屋の床に稲わらが敷いてあり、その上に寝かされている。痛む手足には包帯が巻かれていた。

 深夜の出来事が次第に思い出されてくる。

 ゲオルギーは兵士宿舎の騒音に起こされた。時々起こる爆発音、異様な臭気、黒い煙、そして炎。

 ようやく気づいた。火事だ。仲間の部屋を覗くがみな寝ている。

「火事だぞ!」

 大声で叫んだが起きてこない。蹴飛ばしたが、それでも起きなかった。しかし関わってはいられない。入口へ向かったが、すでに炎に包まれ、建物全体が崩れ始めている。油をまかれたのだろうか、黒煙が充満してきた。服にも飛び火し、体が炎に包まれる。ゲオルギーは必死で衣類を脱いだ。はげしい炎。熱と煙に食堂へと追いやられる。

 ゲオルギーは一縷の望みをかけて大きな水槽に飛び込んだ。しかし息ができない。やがて気を失った。


 その後の事は全く記憶が無かった。気がついたらこの部屋で寝ていたのだ。

 窓についてる鎧戸の隙間から朝日が部屋に差し込む。石造りの古い建物だが、きれいに片付けられていた。薬草を巻いてあるらしい包帯にさわる。やけどをしていたようだ。

 扉の向こうで人の声がする。数人の男のようだ。そして犬の吠える声。走るような靴音はすぐに消え、また静かになった。

 ここはどこなのか。外の様子が知りたくて立とうとしたが、体を動かす事が出来なかった。

 だれかがノックした。身構えるが、武器も防具もない。

 戸が開いて、小柄な女性が部屋へ入ってきた。手には竹かごを持っている。

「おはよう、兵隊さん。体中やけどをしたみたいだから、まだ動かない方がいいわよ。」

 そういうとゲオルギーを座らせて包帯を取替え始めた。

「女、ここはどこだ?」

「ガサの魔術師の塔よ。私の事はジーナって呼んでね。あなた、お名前は?」

「俺はガサの兵卒長ゲオルギーだ。」

「警備兵宿舎が放火されたのだ。ギロへ報告しないと。」

「ゲオルギー、それはやめた方がいいわよ。放火したのはギロの魔術師様だって、レグルス様がおっしゃっていたわ。」

「嘘だろう。ギロの魔術師様がなぜ俺たちの宿舎に放火するのだ?」

「私には判らないわ。あとでレグルス様にお聞きして。」

 ジーナは丁寧に薬草を貼り直し、包帯を交換した。

「静かに寝ていてね。」

 小柄な女は部屋を出ていった。

 昨日の早朝、ゲオルギーは、ギロの魔術師長シャロンへ金塊馬車強奪命令について報告にいった。

 その強奪は魔術師ジェドの命令であり、ゲオルギーらの魔族兵士には落ち度がない。シャロンはゲオルギーのいう事をじっと聞いたあと、兵士全員が宿舎で待機する様、命じたのだ。

 シャロン魔術師長様が俺たちを殺すわけがない。薬草が効いてきたのか、ゲオルギーは眠りに落ちた。


 少年二人と犬の散歩に付き合ったアランは、塔へかえってからも剣の鍛錬を続けた。

 薄雲が南へ流れる空に陽が昇り、塔の少年二人はギロの町へ荷役仕事に出かけた。

 助けた魔族兵士が眠りについている事を確認してからジーナは魔術師姿となり、塔の外で剣の鍛錬を行っているアランに声をかけた。

「出かけよう。契約書を持っていこう。」

 アランは軽装に両刃の大剣を背負って出てきた。ジーナは文様の杖を手にしている。この杖は古代の武器らしく、槍先の様な武器が仕込んであった。魔術師の塔にある、ジーナしか知らない隠し武器庫で見つけたものだ。


「ケルバライト様、場所はご存じですか?」

 魔術師ケルバライト姿のジーナはアランに軽くうなずいた。深夜、一度行っているので道は判る。

 魔術師姿のジーナと、大剣を背負ったアランに話しかけてくる村人は居なかった。アランの顔を覚えているギロの歩哨だけはアランと挨拶を交わして検問所を通してくれた。

 ギロの町へ入り、魔術師の館前を通る。今日は、隠れる必要が無い。堂々と道を歩く。

 建物の前についた。ジーナがノックする。

「だれだ。」

 戸を開けてトッシュが出てきた。

「ここで奉公しているハリーを引き取りに来た。」

 目の前にいる魔術師が自分を傷つけたジーナと同一人物だとは気づいていない。

「だめだ、まだ九年残っている。」

 魔術師姿のジーナはアランが持ってきた契約書を出した。

「ここに三年とある。契約期間は過ぎているぞ。」

 男の声でトッシュにいう。

「なんだと、それは偽物だろう。待ってろ。」

 トッシュが建物に引っ込んだ。

「ケルバライト様、大丈夫ですか?ここの契約書は十三年になっているのでは?」

 アランは、昨夜ジーナが忍び込んで契約書に細工した事を知らない。ジーナの顔を見て不安そうにいった。

 トッシュが木箱を抱えて出てきた。

「ほら、見ろ!」

 箱の中から目的の契約書を探し出したトッシュは二人に広げて見せる。

 ジーナがその契約書を指してトッシュに言った。

「男、見ろ、三年になっているぞ。ハリーをここに呼んでもらおう。」 

「何をやった?これは十三年のはずだ。」

 トッシュが慌てて契約書に目を通したが確かに三年となっていた。

「契約書に書いてある三年はすでに過ぎている。ハリーを帰してもらおう」

「なんだと!」

 トッシュが同じ綴りの契約書を見るが、やはり三年になっていた。

「そんなばかな!ほら、他のはちゃんと十三年になってるぞ。」 

 トッシュが違う契約書の束をジーナに見せながら更に言葉を続けた。

「おまえ、魔法を使ったな。こい、魔術師様に化けの皮をはいでもらう。」

 トッシュは悪い足を引きずって魔術師の館へ向かう。

『あんな事言わせていいのか?ジーナも魔術師だろう。』

 ジーナの魔力を知っている、異界の指輪ケルバライトが心に話しかけてくる。

『私は魔術師の格好をしているだけよ。』

 その問いにジーナは答えた。

 ジーナとアランはトッシュの後ろをついていった。

 魔術師の館に着くとトッシュは無断で中に入り大声で言った。入口に立っていた歩哨が慌ててトッシュを追いかけて中に入る。

「ジェド様はおられますか?」

 中にいた魔術師達が一斉に立ち上がる。

「おまえはだれだ?」

「ジェド様と懇意にしていただいているトッシュといいます。」

 少し離れて立っているジーナは黙っていた。

「ジェド殿はいないぞ。何の用だ?」

トッシュはジーナ達を指して言った。

「こいつらが、ジェド様が作った契約書にケチをつけるんで、ジェド様から言ってもらおうと思っているんです。」

「何をいってもらうんだ?トッシュ」

 ジーナが男の声で言った。

 若い魔術師がジーナを見て質問した。

「あなたはどちらの魔術師ですか?」

「私はガサのケルバライトだ」

「ケルバライト殿がなぜこの契約書に関わりを持っているんだ?」

 アランが一歩前に出て説明した。

「私は、ガエフの警備兵アランです。ガエフの外れにある村で、契約書が正しく履行されないとの訴えがあったので、調査にきたのです。今ガサにある魔術師の塔にいるので、ご同行をお願いしました。」

「その訴えとは何だ?」

 アランはハリーの契約書を魔術師達に見せた。

「この契約書では、ハリーという少年は、三年の奉公となっています。その三年を過ぎてもハリーを帰してくれないのです。」

「うそだ、契約書では十三年になっていたはずだ。」

「ではそちらが持っている契約書を見せてみろ。」

 ギロの若い魔術師がトッシュに命令する。トッシュは自分の契約書を渡した。

「なんだ、三年になっているではないか。早く帰してやれ。」

「魔術師様、違うんです。そこには間違いなく十三年と書いてあったんです。それをこの魔術師が魔術を使って消してしまったんです。」

 木箱から他の契約書を出して説得しようとする。他の契約書には十三年、十四年など二桁の数字が並んでいる。

 奥から年配の魔術師が出てきた。

「マドック、どうしたのだ?」

「エミール殿、こちらの男が、魔術で契約書を書き換えられたといって騒いでいるんです。」

「その契約書をみせてみろ」

 マドックは、アランが持ってきた契約書をエミールに渡した。

「この契約書に魔術は感じられないぞ。」

「うそだ、そんなあり得ないぞ。俺はたしかにこの目で見たんだ。」

 そういって卓に残りの契約書を出して見せた。二桁の数字が書いてある契約書だ。

「マドック殿、その数字に水をかけてくれ」

 ジーナに言われた若い魔術師はグラスの水を垂らした。皆の目の前で数字が浮き上がり、流れで床に落ちる。紙には一桁の数字だけが残っている。昨晩レグルスが見せた現象が簡単に再現したのだ。文字が流れる現象を初めて見た物達は驚いている。

 ジーナは言った。

「術がかかっているのはジェドが持っている契約書の方だ。他のもやってみるがよい。」

 ジーナは低い男の声で促す。マドックは木箱から数枚の紙を出し、並べてから水をかける。全ての契約書から文字が流れ落ちた。

「おお!」

 ギロの魔術師達から驚きの声があがる。

「なんの騒ぎだ。静かにしてくれ。」

 階段を降りてきた魔術師が怒鳴った。その魔術師は左手を懐にいれている。

「シャロン魔術師長、契約書が魔術で書き換えられたといって騒いでいるのです。」

『ジーナ、おれを指から外してくれ』

 アルゲニブがジーナの心に訴えた。何があっても落ち着いているアルゲニブにしては珍しい事だった。ジーナは周囲に気取られない様に指輪を外してマントの隠し袋に入れた。

 アルゲニブの心が消えた。ジーナは再びその魔術師を見る。アルゲニブがいなくても、その男が魔族であることを感じた。これは魔石の腕輪が持つ力と、最近強力になっているジーナの魔力の力だった。

心を探る、見えない触手を感じたジーナは心を空白にした。触手はジーナの空白の中でしばらくうごめいていたが、やがて消えた。他の人間を探っているのかも知れない。

トッシュは、若い魔術師マドックにまだ訴えていた。

「そんな筈はないんだ。ジェド様を呼んでくれ。」

どうやらトッシュはジェドが死んだ事を知らないらしい。

「ジェドがどうしたというのだ?」

シャロンがジェドを睨みながらいった。

「魔術師長様、この契約書はジェド様がお書きになったのです。インチキだなんて言いがかりです。」


シャロンは左手を懐にいれたまま若いマドックとトッシュの顔を交互に見た。

「魔術師長殿、これを見てください。」

マドックが文字を水で流して見せた。シャロンは眉をつりあげたが、何も言わない。

「そんなはずは無い。ジェド様がその文字をお書きになったのだ。」

「我々魔術師はそのような書類を作ったりはしないのだ。」


魔術師達の仕事の一つに、金貨の受け渡しを約束する契約書を作る仕事があった。かつて、商人達は物の買い付けを行うために、大金を持って旅をしていた。しかし商人達が大金を持って旅をすることには危険があった。街道には盗賊がはびこっていたからだ。

そこで、魔術師の館へ金貨を提出し、手数料を払って金貨の授受に関する契約書を書いて貰うのだ。この契約書一枚はどこの魔術師の館へ持っていっても金貨に交換してくれた。この仕組みによって、実金貨を持って旅をする危険から救われているのだ。

 しかし、ジェドが商っている周旋屋の様な商売に魔術師が関わる事は無かった。


「俺は金貨5枚をジェド様に払ってこの契約書を書いて貰ったのだ。ジェド様はこの魔術は絶対に解けない、と言っていたのだ。なんでたかが水で簡単にばれてしまうのだ?詐欺か?」

 トッシュが魔術師長シャロンへ大声で訴えている。

「トッシュ、その契約書こそが魔術を使った詐欺だ。おまえの負けだ。」

 ジーナが男の低い声でトッシュに声をかける。

「絶対にばれないと言ったんだ。こんな簡単にばれるなんておかしいじゃないか!」

 トッシュがシャロンに掴みかかろうとしてその左腕に触った。

「おお!」

 シャロンが叫び声をあげ、トッシュから一歩離れると腰のナイフを抜き、トッシュを刺した。

 ジーナはシャロンが左手を怪我している事に気づいたが、他の者達は気づいていないのか、シャロンが大声を出した事に驚いている。

 トッシュはゆっくりと倒れた。胸にはナイフが深々と突き刺さっている。

「その者をかたづけておけ。歩哨、なんであんな奴を館へ入れたのだ?あとで処分するから覚悟しておくんだな。」

 場が凍りついた中、魔術師長シャロンは階段を駆け上がっていった。


ジーナとアランが帰ろうとすると、魔術師エミールが契約書の木箱を指しながらジーナに声をかけた

「ケルバライト殿、その箱はこの館では無用の物だ。持っていってくれ」

 箱を手にしたジーナは、ジェドがサインした布を持っている事を思い出した。

「エミール殿、ジェド殿が村の女に書いた覚え書きがある。白馬エニブを連れて行くが良いか?」

 そういってポシェットにあったハンカチを出して広げた。そこにはこう書いてあった。

『魔術師のジェド様から白馬を頂いた記念。ジーナ』

 その横には日付とジェドのサインが書かれている。

エミールは、村の女にたぶらかされてあんなサインをしたに違いないと思ったが、一騒ぎあって、機嫌を損ねた魔術師長シャロンが商人を殺したところだ。これ以上の騒ぎは起こしたく無かった。エミールは面倒そうにジーナにいった。

「判った。ジェドがサインしているなら、その通りなのだろう。馬は連れていくがよい。」


 ジーナは馬小屋へ向かった。

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