六十 ギロの魔術師・魔術師長シャロン(一)
サムともう一人の兵士チャスは魔術師の遺体を乗せた馬車を急がせ、その日の深夜にギロの港待ちへ着いた。 ダルコの町やコルガ村と違い、ギロの港町の入口には深夜でも歩哨が立って警備をしていた。
兵士姿のサムと荷馬車を見た歩哨の兵士が馬車を止めさせた。
「どこの者だ」
「私達はガエフの警備兵です。魔術師様の遺体をギロの魔術師の館へ運ぶ様、命令されました。」
チャスが答えた
歩哨兵は馬車の荷台にある遺体を見て顔をしかめた。
「魔術師の館がどこにあるのか知っているのか?」
「いえ、ギロは初めてなので。」
サムとチャスはダルコの町から北へ来た事はなかった。ギロまでは街道に大きな分かれ道も無く、迷わずにきたが、ギロの町は、ガエフの街の様に入り組んで見えた。
歩哨は館の場所を丁寧に教えた。
二人は教えられた道へ馬車を進めた。
「サム、カテナ街道はずいぶん寂れていたけれど、この町は家がたくさん建っているな。まるでガエフの街みたいだ。」
「うん、そうだね。ここまで来たら急ぐ事もないし、迷惑にならない様に静かに行こう。」
サム達は両側に二階建て三階建ての家が建つ通りを、静かに馬車を進めた。これまでの街道とちがい、家が密集している所で、しかも深夜に馬車を走らせる事は騒音がひどく、迷惑になると思ったからだ。やがて歩哨が説明したとおりの石造りと立派な建物が近づいてきた。その門はおおきな灯りに照らされていた。
「チャス、ガエフにある魔術師の館ほどの大きさはないけれど立派だね。」
「ああ、そうだな。こんな田舎にはふさわしくない造りだ。」
門の横にはガエフの館と同様、警備兵が立っていた。
「こんな夜更けにどうした?用なら明日にしてくれ。」
警備兵は面倒そうに言った。
「魔術師様の遺体を運ぶ様、命じられました。」
「なに!」
ここでも町の入り口の歩哨兵への説明とおなじ話をチャスがする。
警備兵は荷台のシートにくるまれた遺体を確認した。
「待っていてくれ」
その兵士は建物へ駆け込んだ。内部にざわめきがおこっている。入口からでも内部が騒然としているのが判る。
数人の魔術師が出て来て荷台の遺体を覗いている。
「どこへおろしますか?」
サムはだれへともなく聞いた。
「建物の裏へ回ってそこへ馬車を置いてくれ」
「他の荷物をガサの魔術師様へ届ける様、命じられているので、遺体だけ置いて行きます。」
「いや、待て。裏に馬車をつけたらそこにいてくれ。」
そう言うと、魔術師は再び建物へ入っていった。
港町ギロの魔術師長シャロンは魔術師の館の三階にある居室で女に体を揉ませていた。これから秋を迎えるこの季節ではあるが、暖炉には沢山の薪がくべられ夏のような暑さになっていた。
女は秋の季節に相応しくない薄着で、うつぶせに寝そべっているシャロンの背中を揉んでいた。女の目的は勿論、テーブルの上に無造作に置かれている銅貨や銀貨にあった。いつもは銅貨だが、シャロンの気が向けば銀貨をくれる事もあったからだ。
「ギロ様のお体はいつもおかたいですね。」
「ああ、だからお前にマッサージをさせているんだ。」
骨張っているだけの、肉の無い痩せた体を女はそう表現した。前にシャロンのマッサージをしていた女が、シャロンの陰口を町で言いふらしてから消えたらしいという噂が流れて、シャロンの相手をする女が見つからなかった。
しかし、金払いが良いらしいと言うのでこの女はシャロンのマッサージをする事にしたのだ。
扉がノックされた。
「どうした?」
体の上の女をどかすとシャロンは裸上から魔術師のマントを羽織り、扉を開けた。他の男に薄着を見られたくないのだろう。女も上着をはおった。
廊下に立っていたのは、サムの応対をした魔術師だった。緊張している若い魔術師マドックを見てシャロンは再び質問した。
「どうしたのだマドック?こんな夜更けに。急用か?」
「シャロン殿、ジェドが殺されました。」
「ジェドはガエフへ用があると言ってでかけた筈だぞ。何かあったのか?」
「判りません。ガエフの兵士が引く馬車に乗せられてきました。」
「病気か?」
「殺されたようです。血だらけでしたので。」
「なんだと?」
「剣で胸を一突きされたようです。」
「あいつは剣など使えなかったな?」
「はい。事務仕事は得意でしたが、魔術もさほどではありませんでした」
ジェドが小心者で力技が苦手であった事はシャロンも知っていた。そんなジェドを使い走りに利用していたのだ。町の情勢に明るかったのでそれなりに利用できたのだ。
「ジェド殿の遺体を運んできた兵士を待たせてますが、どうしますか?」
「私が尋問するから待たせておけ。」
去ろうとするその魔術師にシャロンはさらに声をかけた。
「マドック、首都ハダルから金塊が届く事になっているがいつの予定だったか知っているか?」
「はい、明日か明後日には届くと思います。」
「女、ここで有った事は口外するなよ。お前の命と引き替えになるぞ。」
シャロンはそういって女に銀貨二枚を握らせた。女が静かに扉を閉めた後、一人になったシャロンはしばし考えに耽った。
サムとチャスは、魔術師の館裏にある馬小屋のそばでしばし待たされた。北風が冷たく、馬車を走らせて汗をかいていた体が冷えてゆく。
「ギロでの兵士への扱いは酷いと聞いていたが、本当だな。建物の中にも入れてくれない。」
サムは正直にそういった。
「そうだな。サム見てみろ。立派な白馬がいるぞ。」
「本当だ。誰かが世話をしているんだろう。いい毛並みをしている。」
建物の裏口が開き、人が出てきた。魔術師長シャロンとギロの兵士数人だ。
「ジェドを運んできたのはお前達か?」
「はい。そうです。」
チャスが小さく礼をしていった。
「ジェドの遺体を見つけたのはどこなんだ?」
サムが説明をした。
「カテナ街道沿いの、コルガ村の先にある廃屋で、盗賊達の死体の中で発見しました。」
「賊に殺されたのか?」
シャロンは眉をひそめた。
「仲間割れだと思います。」
「どういう事だ?」
詰め寄る魔術師長に、サムは街道で魔術師と屈強な兵士の一団に金塊馬車が襲われた事。撃退したあとで、魔術師と盗賊たちの死体を発見した事を説明した。
「これは、魔術師様が、盗賊と仲間割れして同士討ちになったのだと思います。」
「それは誰の意見だ。」
チャスは、サムの説明に当時の状況を細かく付け加えて説明した。
「ですので、そうとしか思えません」
その言葉で説明をしめくくった。
「お前達二人でその屈強な盗賊たちを撃退したというのか?」
さほど強そうには見えない二人を見てシャロンが聞いた。
「いえ、他に十人ほどいましたし、なんと言ってもアラン班長と、ヴァル様の活躍で撃退できました。」
二度の襲撃を強力な魔力で撃退したヴァルの事は二人の脳裏に強く刻まれていた。
「ガエフのヴァル殿は私と同じくらい若いと聞いているが、それほど強いのか?」
ヴァルに興味を持ったマドックが聞いた。
「何十人もいた盗賊達の半分はヴァル様が撃退されたのです。」
実際には二十人に満たなかったのだが、二回も襲われた二人には大勢に襲われた様に感じていたのだ。
「ところで金塊はどうした?荷台の木箱は金塊ではないのか?」
シャロンはチャスに聞いた。
「いいえ。これはガサ宛の荷物です。」
「おい、木箱を確認しろ」
近くにいたガサの警備兵が木箱の蓋を開け、中を確認した。若い魔術師マドックは他の魔術師と共に荷物に近寄って確認してシャロンに報告した。
「シャロン様、金塊はどこにもありません。がらくたばかりです。」
「金塊はどこへいった?」
シャロンはサム達へ向き直り質問した。
「判りません。ヴァル様に説明していただけませんでした。」
「ヴァルとは、ガエフの魔術師か?」
「はい、そうです。」
シャロンはしばらく考えこんだあと、だれにともなくいった。
「これは魔術師ジェドではない。ジェドを騙った偽物だ。こちらで調べるので、その馬車を置いて引き上げてくれ」
サムは驚いた。今まで本物の魔術師だと思っていたのだ。しかし、馬車の荷はガサにある魔術師の塔へ届けねばならない。
「あの、魔術師様、他の荷物はガサへ届ける様、命令されているのですが。」
サムは、ヴァルから渡されていた、ガサ宛の送り状をシャロンに見せた。
「判った。ではその死体をそこに下ろして、他の荷は持っていけ。」
サムは命令に従い、地にジェドの遺体を下ろすと、その上にシーツを被せた。ジーナが葬礼の儀式を行った布だ。二人はその遺体へ黙礼する。儀式の記号が薄く浮かび上がっている事に気付いたマドックは同様に遺体へ黙礼する。他の魔術師もそれにならって黙礼したが、シャロンだけは無視していた。
「では、これで失礼します。」
魔術師達へ挨拶をした後、サムとチャスは荷馬車をガサの町へ向け出発した。
ギロの魔術師の館裏では、魔術師達がジェドの死体を囲んでいた。
「シャロン殿、これは間違いなくジェド殿だと思います。」
他の魔術師が言うのに対し、シャロンはきっぱりと言った。
「いや、これは偽物だ。明日、ジェドの偽物が現れて金塊を奪おうとした事を触れ回ってくれ」
「シャロン殿、金塊はどうしたのでしょう?」
「だれかが、襲われる前に入れ替えたのだろう。ガエフの連中がやりそうな事だ。」
「ところで、ジェド殿は何処にいる事にしますか?」
「ジェドはその盗賊に殺されたと思われるが行方不明、としておけ。」
そう言い置いて、シャロンは建物へ戻った。
三階の居室へ戻ったシャロンは暖炉脇の隠し扉を開けた。装飾の無い部屋にはテーブルと椅子、大きな水瓶が置いたあった。
水瓶の蓋をとり、のぞき込む。そして古代語を唱え始めた。少し間をおき、再び古代語を唱える。
肩をおとして呟いた。
「ゴラン様はお留守のようだ。」
シャロンは水瓶の蓋を戻してから壁の隠一部を押した。壁の一部が上下に開いて出窓となった。小さく口笛を吹くと、夜は飛ばない筈のカラスが数羽部屋に入ってきて、テーブルに止まった。シャロンは椅子に座り瞑想する。カラスたちはシャロンと向き合う位置で温和しくしていた。
しばらく後、シャロンの姿は、ガサの町外れにある警備兵の宿舎にあった。寒いこの季節なのに、上半身裸だった。音を忍ばせて中に入る。数羽のカラスは近くの木に留まっていた。建物内部に人影はない。シャロンは一部屋ずつ開けて確認した。どの部屋も隅に埃がたまり、汚れたシーツがのったベッドはどれも空だった。使われた事が無いのか、食堂は埃がつもり、足跡も無かった。武具庫を開けた。ここにいる筈の、人数分の武具が戻っていなかった。
一時間後、シャロンはギロの魔術師の館三階にある、暖炉が真っ赤に燃える居室に戻っていた。
サムは魔術師の塔への道を、ゆっくり馬車を向かわせた。
「チャス、魔術師の塔はこの時間、入れてくれるだろうか?」
「さあな。今日は夕食抜きだな。」
こんな夜更けでは宿もあいていないだろう、と二人は思っていた。
古ぼけた塔が見えてきた。入口の大きな木戸が閉まっていて、あたりは静まりかえっている。耳をすますと、僅かに水の音が聞こえる。滝でもあるのだろう、とサムは思った。
「サム、明日出直そう。」
チャスはそういったが、大扉の横に鐘を見つけたサムは鳴らしてみる事にした。
澄んだ秋の夜空に中に鐘が響いた。
しばらくすると、大扉についている覗き窓が開いた。だれかが起きていたようだ。
脇の通用扉が開き、女性が現れた。
「どちら様ですの?」
「ガエルの魔術師、ヴァル様からの荷物をお届けに来ました。」
サムはそう言って送り状をその女性に渡した。
「お待ち下さい。」
小扉が閉められ、再び静寂が戻った。
「チャス、ここに兵士は居ないんだろうか?」
「ああ、妙にしずかだな。これだけの建物だ。警備兵がいないって事はないだろう?」
二人は塔を見上げた。起きている人がいるらしい。石造りのコケに覆われた塔の数カ所の窓に僅かながら灯りが灯っていた。
大扉が開き、先ほどの女性が現れた。
「馬車をここにおいて下さい。馬小屋は建物の裏にあります。」
二人が馬車を大広間におき、馬を馬小屋へ引いていった。
数頭分の馬小屋だったが、一頭もいなかった。馬の汗を拭き、飼い葉と水を与えてから塔に戻った。大扉は閉じていたが、子扉は開いていた。中へ入ると、二人の若者が馬車の荷物を荷台から下ろしていた。
「こちらへどうぞ。」
燭台を持った女性が二人を階上へ案内した。
「今日はこちらの部屋でお休み下さい。食事も用意しましたのでどうぞ。ゆっくりお休みくださいね。」
テーブルに燭台を置き、シーツをベッド脇においた後、扉を閉めて出ていった。
「チャス、美味しそうな食事が用意してあるよ」
「本当だ。宿みたいだな」
「あとでお金とられるかな。チャスは幾ら持ってる?」
「サム、ここは魔術師の塔だよ。金なんかとられないさ。それより兵士の姿を見ないのが不思議だな。」
「たしかにあの若い二人は兵士ではなさそうだし。盗賊に狙われないのだろうか?」
その夜、二人は久しぶりのベッドで熟睡した。