六 魔術師の塔・ガサの町(二)
宿に帰ったジーナは厨房のエマに会いに行った。エマが料理の下ごしらえをしている。
「エマ、この野菜を使ってちょうだい。」
エマは手を拭きながら振り返った。
「この野菜、どうしたの?」
「ニコラさんに貰ったの。エレナは元気になりそうよ。」
野菜は袋ごとエマに預けた。
部屋に戻って早速扉に留め金を付ける。一つはノブの近くに、もう一つは下にした。
足下の留め具に気づく者はあまりいない。一つを壊しても扉が開かなければ普通の泥棒だったら諦めて別の部屋を荒らしにいくだろう。
日暮れ近くなっていた。
洗濯物を取り込んでいると、窓の下にバウが寝そべっていた。体中に枯葉や草を付けている。
「いけない、待たせてしまったかしら。」
荷物の中からバウ用のブラシを取り出すとあわてて一階へおりた。
「ごめんね。」
バウをなでてやる。久しぶりに一匹で山歩きをしてきたに違いない。
持ってきたブラシで毛繕いをしてやる。バウは子犬の頃からこのブラシが大好きだった。『たかが犬にそんなブラシは贅沢だ。』とローゼンはいっていたがジーナは聞こえないふりをして使い続けた。十年も使ってきたブラシも毛先がすり減り、毛も抜けている。交換時かも知れない。
体についたゴミが落ちたところで部屋へ戻った。
体が冷えているバウを抱いてやり、そのまま床へ横になった。疲れていたのか、いつの間にか寝てしまった。
居酒屋の騒がしさで目が覚めた。バウが顔をなめる。
シーツをベッドにセットしてから下に降りた。
昨日の端の席が空いている。座ってエマに合図をすると食事を持ってやってきた。勿論、バウの分もある。昨日よりも一品多いのは野菜の礼のつもりなのかも知れない。
店内を見たが昨日暴れたジョンはいない。昨日の件で懲りたのだろう。
男が二人入ってきて反対隅のテーブルに座り、手に持っていた剣を空いている椅子に立てかけてから話し出した。警備兵だ。よく見ると人の輪郭がぼやけている。魔族だ。二体でひそひそと話をしている。ジーナはそちらを見ないようにし、腕輪の力を借りて耳をそばだてる。
「噂だが、レグルス様の弟子であるルロワ様の生み出した魔族が数日前から二体戻ってないそうだ。」
「この町には魔族を生み出す事のできる階級の魔術師はいないぞ。」
「ルロワ様が中央に内緒で魔族を生み出して盗賊をさせているらしい。」
「昨日、俺も見かけた。俺の姿を見てよたよたと林へ逃げていったぜ。しかし、俺たちと違ってあれは酷いできだな。」
「ルロワ様が魔法陣を作れるとも思えないが、あの出来損ないのせいで俺たちの存在が知られては困るぞ。」
「ガサの魔術師の塔には昔作られた魔法陣がまだ残っているらしい。」
「どうする、レグルス魔術師長様にお伝えするか?」
「放っておけ、俺たちは言われた事だけやっていればいいのさ。それにレグルス魔術師長様はガエフ公国へいったままお戻りではない。あまり目立つようだったら俺たちが片付けてやる。」
「そうだな。レグルス魔術師長様はなぜガエフ公国へ行ったのだ?」
「ガエフの東にあるケリーランス公国では最近、逆賊が暴れているそうだがその対策ではないか。ルロワ様がそうおっしゃっていた。」
「しかし、あのお年寄りのレグルス様が逆賊の討伐などという荒事ができるのか?魔術師の塔にある階段を上り下りするのさえ一苦労との事だぞ。それにこの町はどうするのだ?」
「こんな町では王家に逆らうようなやからもいないだろうさ、俺たちがこんなに暇なぐらいだからな。どれ、またいかさまで稼ぐか。」
「ああ、このあたりの奴らはすぐ引っかかるからな。だがあまり派手にやるなよ。見つかると俺たち、ケリーランス公国にいらっしゃる大魔術師長様に消されてしまうからな。」
昨日の昼間街道で消した魔族の事らしい。あの様子だと二体の魔族が消えた事が問題になる事はまずないだろう。魔法陣はぜひ見ておきたいがその機会は来るだろうか。
やがて客が入り、居酒屋のテーブルは満席状態となった。空いていた魔族の前の席は町の人が相席となった。昨日の噂が広まっているのか、ジーナの前の席に座ろうとするものはいなかった。
魔族の会話が気になったジーナは、今日はゆっくりと食事をする事にした。
魔族のテーブルではカードゲームが始まっている。ため息、歓声が沸くたびに小銭がテーブルの上で音を立てる。大きな金は動いていないようだ。幾人かの人がテーブルの回りで囃し立てている。
ジーナは横目で魔族の男が持っているカードを見続けた。時々カードがきらめく。魔力が使われていそうだが、賭に加わっている町の人には見分ける事ができないだろう。しかし、大した害はなさそうだ。
扉が開き、ビルが入ってきた。
「ジーナ、親方が今夜はだめだって。なにか約束があったの?」
「今夜、ナイフの手入れをしようとおもったの。」
「俺がしてやってもいいよ。」
「ありがとう、でも他にもあるから。ビル、食事していきなさい。」
「いいのかい?」
ジーナはエマを呼び、ビルの食事を頼んだ。
ビルは前の席につく。食事が来て、子供らしくカチャカチャ食器の音を立てながら食べる。
「静かに食べるのよ、スプーンとナイフはこう持つのよ。」
ジーナは食器の正しい持ち方、使い方を教えるがビルは上手にできない。
「そのうち出来るようになるわ。」
ビルは魔族のテーブルを振り返って食べながら小声で言った。
「ジーナ、あの警備兵とカードゲームをやっちゃだめだよ。いかさまだから。」
「話をするか食べるか、どちらかにしなさい。何故知っているの?」
「あのカード、時々入れ替わるんだ。それのあの兵士、まがい物だぜ。」
「それどういう意味?」
「だって鎧の下に隠れているのは人間じゃないもの。なぜ他の人は気づかないんだろ。お母さんに言ったら、絶対その事は他の人に言うなって怒られた。お母さん、もう死んじゃったけど。」
「まがい物の兵士の事は誰にも言っちゃだめよ、ダンにもね。」
「ジーナにも分かるの?」
「ううん、分からないわ。ただ、雰囲気でね。」
ビルは魔族を見破る能力を持っているのだとジーナは思った。しかしその意味を知らないらしい。母親を思い出したのか、ビルはさびしそうにバウの頭に触った。
二人は無言で食事を続ける。ビルは皿の上の物を時々バウの皿に分けている。
ビルの食事が終わった。
「ダンに明日、顔を出すと言ってくれる?」
ビルは頷き、手を振って店を出ていった。
彼らの目を引きつけるのも好ましくない。ジーナも引き上げる事にした。
翌朝も天気が良かった。
二体の魔族を倒した後が気になる。ジーナはバウをつれて部屋を出た。宿を出た所でエマが露店から歩いてくる。この町の露店は朝早くから開いているようだ。
「おはよう、どこへ行くの?」
「近くを散歩してくるわ。」
「昨日は野菜をありがとうってタリナがいっていたわよ。」
「あれはエレナがくれたものだから。気にしないで。」
道沿いに小間物屋があった。
一階の出窓にはスプーン、ナイフ、皿等の食器の他に竹篭や笊、燭台、掃除用具などが並べられている。奥で男が作業をしている。店の中にはブラシ類も並べられているので、バウ用のブラシが見つかるかも知れないと思い中に入った。
店の女が声をかけてきた。
「タリナの宿のジーナね。なにをお探し?」
やはり居酒屋での一件は町に広まっているらしい。
「犬の毛繕いをするブラシを探しているの。」
「犬用のブラシを買うなんてお金持ちなのね。」
言いながら楕円型のブラシを持ってきてジーナに渡す。
「ちょっと硬いけど、あなたの犬、大きいからこの位でよいと思うわ。使っているうちに柔らかくなるし。」
ジーナは自分の手のひらで硬さを確認し、お金を払った。どこかで毛先を丸めた方が良さそうだ。
ジーナは南へ歩いていく。石の標識をすぎてエレナの家を見たが、ニコラは畑仕事に出かけているのだろう、家の近くにはいなかった。
エマが襲われた林へきた。周囲に誰も居ないのを確認してから腰の鎖を二本外し、鎖鎌の刃を出して木の枝に引っかけて上る。近くに巣があるのだろう、上の枝にリスの親子がいた。ジーナは警戒心の錠をはずして二匹に話しかける。
「ごめんね、驚かしてしまって、すぐ去るからね。」
子リスが丸い目をくるくる動かしてジーナを不思議そうに見つめている。ジーナは鎖鎌を使って林の奥へ移動する。バウも下を走って付いてくる。争った辺りで木の枝から降りる。バウと辺りを見回すが人が踏み込んだ様子はない。さらに魔族の鎧や衣類を隠した場所へもいくが、ここも大丈夫な様だ。
クコの木を見つけた。赤くて目立つ実を付けている。薬草用に実を拾う。他に野菊も生えている。薬草取りには都合がよさそうだ。
一昨日は気がつかなかったが近くで川の流れる音がする。その方向へいくと小川が流れていた。
川縁から覗くと緩やかな水が流れていて底が見える。水はきれいだ。旅の途中ではよく川で水浴びをした。ジーナは服を脱いで裸になり、後ろに束ねた髪もとく。若い女性らしく引き締まった体をしている。万が一のために鎌の刃先をたたんだ鎖を裸体の腰に巻く。
「バウ、荷物を見張っていてね。」
髪をほどき川に入った。
数枚の落ち葉が緩やかな流れにゆれている。肌が引き締まるほど冷たい水に全身つかり泳ぐ。上を向くと川縁に生えている木の枝にコマドリが二羽とまっていて、葉の隙間から漏れる光りと共に揺れている。秋も深まろうというこの時期にコマドリがいるなんて、南へ移動する群れからはぐれたのだろうか。
ジーナは腰の鎖を外して刃先を出し、川の両側から出ている枝に巻き付け、川の流れに体を浮かせた。髪が流れに洗われる。こうしておけば体が流される事はない。二羽のコマドリは何処かへ飛んでいった。
冷たい流れに身を任せていると魔族を殺した心の傷が洗い流される様だ。始めて人を殺した時の事を思い出す。
その時まだ十七歳だったジーナは、どんな敵でも殺す事だけは避けようと、投げ矢、ナイフが急所を外すように努めていた。
あれは初めて人の命を奪った時の事だ。どこで、何故その警備兵と戦う事になったのか、今では思い出せなくなっているが、その時に限ってローゼンがいなかった事だけは覚えている。
夢中だった。少女のナイフと兵士の両刃の大剣との接近戦ではとても勝負にならない。ジーナは警備兵の力に負けて倒れ込んだ。
その警備兵はジーナの胸に剣を突きつけて言った。
「なんだ、小娘か。俺がかわいがってやる。」
倒れながらも逃げようとするジーナの胸に剣をあて、着衣を上から下に裂く。
服がはだけ、胸が露わになる。浅く傷がついた肌から血がにじむ。
警備兵の血走った目にジーナは恐怖を覚えた。
下卑た笑いをしながら警備兵が覆い被さってくる。
ヘルメットには剣を交差させた紋章が彫り込んである。
部隊長か、貴族の兜だが、恐怖におののいているジーナには目に入っていない。
ジーナの顔をのぞき込んだその警備兵は酒臭い息をはいて言った。
「おとなしくしてろよ。」
「ローゼン! バウ! バウ!」
ジーナはここにいない者の名を叫んだが、助けにくる筈もない。それでも必死に抵抗する。
「ほら、がんばれ。」
警備兵は笑いながらじわじわと力を込めてくる。
その時、「ウォォォォ。」オオカミの様な遠吠えがかすかだが聞こえた。
警備兵は体を起こし、あたりに耳をすます。黒い影が道の向こうから走ってくるのがジーナの目に入った。警備兵が立ち上がろうとしたその時、ジーナは外套の内ポケットに潜ませていた投げ矢を取り出し、警備兵の目に深々と突き刺した。
「うわあぁ!」
あまりの痛さに警備兵は道ばたを転げ回り、闇の中にその叫び声が響く。
警備兵とジーナの間へ走り込んできた黒い影はバウだった。
ジーナを守るように身構えているのが分かる。
転げ回る警備兵の叫び声もやがて小さくなり、体を痙攣させると動かなくなった。
叫び声を聞きつけたのか、遠くから警備兵達が腰に吊した剣をガシャガシャいわせながら走ってくる。
「バウ、ありがとう。逃げるよ。」
ジーナとバウは音も立てずに夜の町を走った。走りながら体の震えが止まらなかった。どこをどう走ったのか分からないほど混乱したままバウと共にローゼンの鍛冶屋に駆け戻った。
それが始めて人を殺した瞬間だった。今でも投げ矢を突き刺した手の感触が残っている。
仲間は正当防衛だと言ってくれたが、数ヶ月たった今でもも立ち直る事が出来ずにいる。その時も何度も川で沐浴をしたものだ。