五十九 ギロの魔術師・輸送馬車護衛(七)
ラルフは数人の賊達と、遠くから戦いの様子を眺めていた。
「ありゃなんだ?ラルフさん、兵隊同士が戦っているぜ。」
「訳は分からんが、チャンスかも知れないぞ。」
「お前達、静かにしていろよ。今見つかったら両方を相手にしなきゃならないからな。」
林の中へ体を隠すように指示した。
「昨日、俺たちの仲間を殺したのもあの兵隊達の中にいるに違いない。」
賊のだれかがそう呟いた。
夕べ、目立つ事を嫌った賊達は、互いに離れて街道を北へ歩いていたが、途中で村人が街道に集まっている所へ出くわした。
金塊馬車を奪い損ねて逃げ遅れた仲間達が街道脇で倒れていたのだ。足止めされた彼ら達は再び合流する事になった。
「どうしたのだ?」
一見旅人にも見える賊達の質問に、村人が答えた。
「兵隊さんが旅の人たちと争いになったのでしょう。可愛そうに、旅の人は殺されてしまったようです。」
そう言ってその男は倒れている一人の賊を指した。その背中には兵隊が持つナイフが突き刺さったままになっていた。
「ガエフの兵隊さんへ連絡をしたので、来てくれるとおもいますがね。来るのは明日になるか、明後日になるか、辺鄙な村の事には関心がないでしょうからね。」
その村人は苦い顔でそう言った。
村人たちは金塊馬車が襲われた事までは知らないらしい。しかし、ここへくるであろう兵隊達は、馬車が襲われた事の連絡を受けているに違いない。
ここでガエフの兵隊とかち合ってはたまらないと思った賊達は急いでダルコの町を離れ、街道脇で野宿をしたのだ。
そして今朝、彼らは街道でラルフと合流し、昨晩村人が噂していた事、目撃した事をラルフに報告した。彼らは、逃げ遅れた仲間を殺したのが、目の前にいるラルフである事を知らなかった。
ガエフから応援の兵隊がくるかも知れないと思っていた賊の一人がラルフに言った。
「ラルフさん、この人数では足りないぜ。」
「判ってる。コルガ村で使えそうなのを物色するつもりだ。だが、コルガ村はダルコの町よりも田舎だからな。あまり期待はできないぞ。」
「そうは言っても、半分になっちまったこの人数で兵隊達を襲うのは難しい。」
「それもそうだな。今夜、宿で騒ぎを起こそう。その間に馬車を奪うんだ。それならこの人数でも大丈夫だろう。」
街道の北から、けたたましい音をたてて馬車が走ってくる。
「おい、馬車が走ってきたぞ、隠れろ。」
目の前を見覚えのある馬車が走りすぎた。昨日、街道で襲撃に失敗した金塊馬車だ。その馬車に乗っているのは男一人だけだったが、ラルフはその男に見覚えがあった。ギロの港町の巣くうダミアンだ。
ダミアンが自分を知らないであろう事に自信はあったが、危険は避けた方が良い。手下達に先に行かせる事にした。
手下達は馬車を見送ったあと、互いの顔を見合わせていた。
ラルフが小声で言った。
「あれは金塊馬車だ。後をつけるぞ。横取りするんだ。」
「どうしてあれだと解るんです?」
「あの木箱はコリアード軍のものだ。そのくらい調べなくても解るさ。のっている男は一人だ。おまえ達は大勢いる。やっちまえ。」
「そうだ、一人だけなら俺たちの人数でも十分だろう。」
馬車の後を追って一匹の犬が走っていたがラルフは気にも留めなかった。
数人の賊達は馬車の轍を目標に走り出した。
その馬車に乗っていたのは、兄ジェドと共に馬車強奪を計画していたダミアンだった。ダミアンは、『馬車は二台あり、木箱の中に金塊が入っている』という情報を得ていた。それはガエフの警備隊詰め所へ出入りしている農民に金を握らせて掴んだ情報だった。
その情報のとおり、二台の馬車のうち、木箱を積んだ馬車に警備兵達がついて歩いていた。そして、ジェドの兵士による急襲。ジェドの兵士達は警備兵を圧倒していた。どこから連れてきたのか判らないが、あの兵士達があれほど働くとは思っていなかった。あの分なら、警備兵達を全滅させて自分達の証拠も残らないだろうとダミアンは思った。
ジェドは、魔族兵士である事をダミアンには伏せていたのだ。
ダミアンは、その混乱の隙を狙って、馬ごと奪って逃げてきたのだ。あらかじめ調べておいた農民の廃屋を目指して馬を急がせた。馬車を街道沿いの山道へ分け入らせ、街道から見えない廃屋の裏で馬車を止めた。
コリア-ド軍の金塊を盗んでもそのままでは処分する事ができない。金塊に彫り込まれている紋章によって、軍の所有物だとわかってしまうからだ。軍を相手にけんかを売るようなおろか者はいない。この廃屋に金塊を隠し、ほとぼりが冷めてから取り出して溶かし、売り飛ばすつもりだった。
犬が馬車の周囲をうろついていた。剣を振り回して追い払った。野良犬がうろつているようだと、掘り返されないように工夫をする必要がある。ダミアンはそう思った。
ナイフで綱を切り、荷にかけられていた布を外す。
木箱を下ろし、打ち付けられている木の蓋に手をかけた時、枯れ草をふみしめながら近づく、複数の足音に気付いた。両刃の大剣を手にして向き直る。皆粗末な服装をしている。どの男もダミアンの知らない者たちだった。
男の一人が剣を抜きながらダミアンに声をかけた。
「おい、俺たちにも分け前をくれないか?」
「なんだ、お前達は!」
ダミアンは男達をにらみつけた。
賊達が言った。
「その荷物はコリアード軍宛の金塊だろう。知っているんだぜ。」
「そうだ。ここはおとなしく去ったらどうだ?これだけの人数をおまえ一人で相手できないだろう。」
ダミアンを取り囲むように近づいてきた男の一人が片刃の剣で切りつけた。ダミアンはその剣を簡単にかわすと、手にしていた大剣をその胸に突き刺した。
再び両刃の大剣を構え、男達を見回す。
「そいつは強いぞ。皆で一斉にかかるんだ。」
賊のだれかが言った。
いくらダミアンが強くても数人に取り囲まれては分が悪い。すこしずつ荷馬車の方へ押されてゆく。それでもダミアンは賊の半分を倒していた。最も倒された彼らの剣は素人並の下手さだった。
残ってダミアンを取り囲んでいる者達は多少は剣が使えそうだった。しかし、木陰で様子を見ていたラルフには、ダミアンが余裕の態度で賊達を相手にしているように見えた。援軍があとから来るのかも知れない。急ぐ必要がありそうだ。ラルフは隠し技である魔術を使うつもりになった。魔力の指輪を持たないラルフが使う炎の矢である。魔術師が使う技ほどではないが、ごろつき達には通用してきた。致命的な一撃を与える事は出来なくても驚かせて、隙を作る事はできる。そこを剣で襲うのだ。そうやってラルフは生き延びてきた。
ラルフがまだ幼く、違う名前であった頃、魔力を持っている事を知った父親は、魔術師会にラルフを預け、その給金で生活していた。二年程の間魔術師見習いとして基礎的な魔術を習得したが、父親の死を迎えた時、その魔術師の館を無断で抜け、ラルフという名でその日暮らしを始めた。
上下関係が厳しく、一日中束縛される魔術師会での生活にラルフはなじむ事ができなかったのだ。また、二年間の修行で魔力の事を理解したつもりであり、魔力の指輪さえあれば、自分も上級魔術師と同じように術をつかう事ができるとも思っていた。
魔術師会の使い走りをしながら、魔力の指輪だけを頼りにする魔術師達を見下していたのだ。
幼いながらも魔術を利用しつつ、数年は首都ハダルの裏側で生活をしていた。
商人を隠れ蓑にしている盗賊の首領エドモンドはラルフの特技を見て、自分の手下に加えたのだ。エドモンドは、ラルフの魔力を誰にも悟られない様に強く命じていた。そして、今でもそのことを知るのは、エドモンドとラルフの二人だけだったのだ。
ラルフに魔力の指輪があれば強力な武器になると思ったエドモンドは首都ハダルで魔力の指輪の窃盗をたくらんだ。しかしその計画は失敗し、執拗な魔術師会の追撃に負け、ガエフへ身を潜める事となったのだ。
エドモンドはラルフを自分の手元におき、他の仲間達と一緒にはしなかった。エドモンドの盗賊仲間はラルフの事をエドモンドの付き人と思うようになっていった。
コリア-ド軍の金塊を目の前したラルフはその魔術で一気にカタを付ける気持ちになった。しかし、魔力の秘密をここにいる者達に知られても困る。一瞬の躊躇があった。
賊達に囲まれているダミアンが構えていた剣を落とした。賊達が剣を振り上げてダミアンとの距離を縮めていく。ダミアンが剣を手放した右手の指を、賊の一人に向けた。木陰からのぞき見ていたラルフは気づいた。あれは魔力を使おうとしているにちがいない。
思った通り、いきなり赤い炎があがり、一人が倒れた、残りのもの達は驚きで硬直しているのか、動きが止まってしまった。
ダミアンは、残り数人にも炎を浴びせ、倒していった。
全員が倒れてしまった。大剣を拾ったダミアンはつぶやいた。
「おまえ達、命はもらうぞ。」
手にした両刃の大剣で、倒れている者達を次々と刺し貫いていった。
ダミアンは周囲の気配を探るように何回も周囲を見まわした。ラルフは木の根元にしゃがみ込み息を潜めた。どうやらラルフの存在に気づかなかったようだ。
ダミアンは地面においた木箱に、両刃の大剣を突き刺した。しかし、箱は壊れなかったようだ。ナイフで木箱を開けようとしているのか、ラルフからは、かがんでいるダミアンの後ろ姿しか見えなかった。
ラルフはそのダミアンの首筋にナイフを投げた。
急所を外したようだ。ダミアンは振り向いて叫んだ。
「誰だ!」
ダミアンは魔術を使う態勢で立ち上がった。その瞬間、ダミアンの眼前を赤い何かが襲った。ラルフが放った炎の矢だった。
ダミアンほど激しくはなかったが、目を狙ったその攻撃に思わす顔を手で覆ったダミアンの腹に、駆け寄ってきたラルフのナイフが深々とささっていた。
腹から血を流しながらその場に崩れ落ちたダミアンをラルフは見下ろしていた。
思ったとおり右手には魔力の指輪がはめられていた。ラルフはそれを外して自分の指にはめた。体の奥から力がみなぎり、指先へと集まって来るのを感じる。
あれほど手に入れる事が出来なかった指輪を思いがけないところで手にいれる事ができた。
ラルフは投げた2本のナイフを回収してから木箱へ向かった。開きかけている隙間から中をのぞいた。
そこには使い古した鍋や釜などのがらくたが入っているだけだった。他の木箱も見たが、石ころが入っているものもあった。どうやらガエフの警備隊にだまされていたらしい。
「ダミアン。金塊は手に入ったか?」
ラルフは声のする方を見た。魔術師が一人立っていた。
「だれだ、おまえは?」
今回は躊躇しなかった。ラルフは指輪をはめた右手をその魔術師に向け力いっぱいの魔力をその男に向けた。大きな炎の矢が出現した。魔術師はかろうじてその炎を避けたが、攻撃する余裕はなさそうだった。剣で魔術師の体を貫いた。
ラルフは動かなくなった魔術師から魔力の指輪を抜き取り、代わりにダミアンの指から外した魔力の指輪をはめた。二つの指輪を奪いたいところではあるが、魔術師会の、指輪に対する執拗な捜索を思うと、魔術師には魔力の指輪を残した方がいいと思ったのだ。上級魔術師がもつ指輪の方が強力であるというのは、ちまたでも言われている事だったので、指輪を交換したのだ。
ラルフは近くの立木に炎の矢をぶつけた。ダミアンの指輪以上の効果があった。幹に黒い焦げ跡がついた。
つぎに魔術師とダミアンの死体を近づけ、戦って相打ちになったようにみせかけた。こうしておけば、他に犯人がいるとは思うまい。金貨のない馬車に用はない。ラルフはその場を去った。
魔術師ケルバライト姿のジーナはガエフの魔術師ヴァルと共に、奪われた荷馬車のあとを追っていた。馬上の二人の前を兵士二人が歩き、二匹の犬が道案内している。ダミアンが追い払ったのはジーナの犬、バニッシュだったのだ。
魔族兵士を追い払ったあと、ヴァルとジーナ、そしてここにいる兵士二人以外の全員をその場に残してきた。
表向きの理由は、怪我をしている兵士や馬の世話をする事だ。しかし本当の理由は兵士達にも明かしていない、偽装した金塊馬車の護衛をさせるためだった。兵士達は残されている馬車に金塊が積まれている事を知らないのだ。残された荷馬車に積んでいるのはガサ宛ての日用品だと思い込んでいた。
「ケルバライト殿、金塊馬車の荷を入れ替えた作戦は成功したようだ。残った本当の金塊を盗まれては困るので兵士全員を残してきたが、今日はこれ以上の攻撃は無いと思う。昨日、今日と賊達の攻撃に耐えた。特に今日の攻撃を撃退できたのはケルバライト殿のおかげだ。ありがとう。」
ヴァルは素直な気持ちで頭を下げた。
盗まれた馬車が偽物である事は、道すがらケルバライト姿のジーナに打ち明けていた。それで二人ともあせる事もなくバウとバディッシュ二匹の後をついて歩いていた。
やがて脇道へそれると廃屋が見えてきた。廃屋の周囲には大勢の人が倒れている。皆死んでいるようだ。刺し傷のあるものばかりだ。魔術が使われたのだろうか、中には衣類が焼けている者もいる。
馬車のそばには賊と魔術師が倒れていた。ジーナがギロの港町で見かけた事のある、ごろつきのダミアンと魔術師のジェドだった。二人は互いの剣を差し違える様にして死んでいる。
「ジェドは北へ逃げたのではなかったのか」
ヴァルが独り言のようにつぶやいた。
『ジーナ、これは相打ちではないな』
異界の指輪であるアルゲニブが心の中に話しかけてきた。この意志を持つ指輪は、魔術師の塔で魔術師長レグルスを救出した時に手にいれたものだった。
『なぜなの?』
『魔術師の近くを見ろ。引きずった跡がある。』
確かにこすれた血のあとが少し離れたところからついていた。
『それにこの男が付けている魔力の指輪が不自然だ』
『どうして?』
『薬指に指輪の跡があるだろう?なのに中指に指輪がはまっている』
『他の指輪が抜け落ちただけではないの?』
ジーナは近づき、中指からその指輪を外して薬指にはめた。中指に指輪の跡は無かった。
『アルゲニブ、どういうことなの?』
『わからん。』
ジーナがする事をヴァルが見ていたが何も言わなかった。
ヴァルは兵士の一人に声をかけた。
「サム、すまないが馬車の荷を整理して魔術師の遺体をのせてくれ。シートでくるんでな。それから軍の木箱もつんでおいてくれ。石ころは捨ててくれ。」
「ヴァル様、金塊はどこへいったのですか?」
「それはギロに戻ったら説明しよう。」
「わかりました。」
サムは、もう一人の兵士と作業を始めた。
ヴァルとジーナは周囲を点検したが賊の死体以外に不振なものは見つからなかった。
サムが近寄って言った。
「ヴァル様、終わりました。」
「すまないが、魔術師の遺体を至急ギロの魔術師の館へ届けてくれ。」
「報告はどうしましょうか?」
「君が見たまま伝えれば良い。」
「わかりました。他の荷物も魔術師の館へ下ろしますか?」
「いや、遺体以外はガサにある魔術師の塔へ届けてくれたまえ。」
ヴァルはガサ宛の、荷物の送り状をサムに持たせた。
「ちょっと待て」
魔術師姿のジーナはサムをとめてシーツにくるまれた魔術師の遺体に近づくと、腰からダガーを抜き、シーツ上に魔除けの文様を書く仕草をした。
これは、今は失われた祠祭師が埋葬の儀式で行うものだったが、今では村や町の長老が代ってそのまねごとをしていた。
首都ダハルで仲間が殺された時、密かに埋葬する必要があったが、そのときに料理番であり、異国の湾刀ジャンビーヤの名手でもあるチャンが司祭師の代わりを務めていた。初老のチャンから孫娘の様に可愛がられていたジーナは、その儀式についても教えられていた。
敵ではあっても、味方の馬車でギロの町まで運ばれいく魔術師の遺体だ。黙祷を捧げた後、チャンの教えを思い出しながら埋葬の文様をダガーの先で描いたのだ。
『ジーナ、そんなに心を込めると、シーツに文様が彫り込まれるぞ』
確かにそうだ。空中で描いたつもりでも強い魔力を持つジーナが行う事だ。無意識であってもシーツ上に薄い跡を付ける事になった。
『仕方ないでしょ、アルゲニブ。仲間の馬車で運ばれていくのだから、せめて魔除けの儀式くらいしてあげないとね。』
ジーナは心の中で異界の指輪であるアルゲニブに答えた。
サムともう一人の兵士は荷台馭者席にのり、馬車を出発させた。
「あの馬車は我々より先に着くだろう。ケルバライト殿はどうする?」
「ガサの町までは同行しましょう。帰り道なので。」
二人は大勢の兵士達がいる、馬車が待機しているところへ向かった。ジーナは背後に潜む、魔術師特有の気配を感じていたが、かすかなそれは攻撃的なものでは無かったので無視する事にした。
先を行くジーナと荷馬車の一行を遠くから見つめていたのは魔力指輪を得たばかりのラルフだった。遠く離れた後ろを歩いている自分の気配が読み取られている事にラルフは気付いていなかった。ただ、魔術師達に近づこうとすると、指輪が微かに脈打つ事に気付いたので、敵の魔術師にも自分の気配が気付かれると思い、離れて尾行する事にしたのだ。ジーナが持つ腕輪の能力を、ラルフが知るはずも無かった。