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ジーナ  作者: 伊藤 克
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五十八 ギロの魔術師・輸送馬車護衛(六)

 ジーナはコルガの村の外れにある廃屋で目を覚ました。

 昨夜、カテナ街道沿いにあったこの廃屋を見つけると、庭先にあった藁を集め、その中に潜り込んで寝たのだ。バウとラディッシュが寄り添ってくれたおかげで寒くは無かった。小鳥のピーはジーナの懐に潜り込んでいた。数ヶ月前、カテナ街道をバウと人目を避けながら北上していたときには毎日が野宿だった。その頃を思い出に浸りながら寝てしまったようだ。

 遠くのざわめきを感じたジーナは目覚めた。耳を澄まし、林の向こうにいる、兵士姿だった魔族達の気配をさぐる。普通の人では判らないかすかな物音やざわめきも、左腕につけている魔石の腕輪が持つ力により感じる事ができた。


 外はまだ薄暗いが、どうやら魔族兵士達が食事の準備をを始めたらしい。不器用な彼らは静かに行動するのが苦手なのだ。

 まだ時間がありそうだと思い、ポシェットから表面を削った金貨を出し、守りを意味する古代語の文様を掘り始めた。二匹の犬へ付けようというのだ。簡単な文様なので剣や槍を防ぐ事は出来ないが、簡単な魔力からは守ってくれるだろう。

 落ちていた鉄の輪をこじ開けて強引に挟み込んだ。石で叩く音が大きかったのか、犬が二匹とも起きてしまった。

『ジーナ、敵に聞こえはしないか?』

 心配になった、指輪のアルゲニブが聞いた。

『彼らは林の向こうだから大丈夫よ。それに彼らの方が騒がしいわ。』

 なにを思ったか、ジーナは、彫った文様の上に魔石の粉末をかけ、炎の古代語を唱える。

 表面がくすんだ灰色になり、金貨には見えなくなった。

『何をしたんだ?』

『魔石の粉末の力をかりるのよ。それにアルゲニブが仕えていた魔法貴族さんの血も混じっていたから効果大だと思うわ。』

 輪に革ひもを通すと、犬の首にぶら下げた。安物の飾りにしか見えないその金貨の出来にジーナは満足した。


 陽が昇りかけているのか、周囲は明るさを増していた。再び遠くにいる魔族兵士の気配を探った。どうやら移動の準備をしているようだ。

 ガサの町を出るときにレグルスから見せられた手紙によれば、警備兵のアランが守る金塊馬車は、今日、この街道の南にあるダルコの村を出発するはずだった。順調にいけば、昼頃に警備兵の一団と、魔族兵士が出会う事になる。


 魔族兵士達の狙いが金塊馬車である事に間違いはないだろう。街道を堂々とゆかずに林の中の獣道をゆく彼らが、金塊馬車を警護するとは思えないのだ。

 ジーナの懐の中にいるコマドリのピーを取り出すと、その愛くるしい瞳を見つめて話しかけた。この鳥は、数ヶ月前ジーナがカテナ街道をやって来た時に出会ったはぐれ鳥で、ガサの魔術師の塔で飼っている小鳥だ。

 ポシェットから乾燥した小麦をひとつまみだすとピーに与えた。


「ピー、街道を南へ向かってちょうだい。荷馬車や兵士を見かけたら教えるのよ。」

 ジーナは兵士姿や荷馬車のイメージをピーへ送った。

 魔石の腕輪が持つ能力なのか、ジーナは動物達と会話をしたり、心を通じ合ったりする事ができた。

 ジーナが立ち上がると、二匹の犬も起き上がった。

 廃屋の外に出て街道沿いに南へ飛んでいくピーを見送った。

 澄んだ秋空に薄いまだら雲が南へ移動していく。


 ジーナに連れ添う二匹の犬、バウとバニッシュにも話しかける。

「さて、でかけるとしよう。今日は大変な一日になるかも知れないわ。」

 バウに、寝る前に脱がしていた黒い鎖帷子を着せる。白毛のバウが見事な黒毛の軍用犬に変身する。最初の頃、驚いていたバニッシュも最近では慣れてしまっていた。

 身繕いを終えたあと、今日は厳しい戦いになるかも知れないと思ったジーナは武器の確認をした。ベルト代わりに胴に巻いている、細い鎖の武器2本。マントの裏に隠してある投げ矢。ジャンビーヤを模したダガー。そして魔術師の塔で見つけた文様の杖。その杖の先には短い刃先が隠してあり、大きく振り回すと刃先が飛び出るしかけがあった。石突きを強く押すとその刃は杖の中に隠れる。この仕掛けはジーナが作った物ではない。遙かな過去、魔術師の塔が建築された頃の古代武器なのだ。ジーナは何度かその動きを確かめた。


 ジーナは心で、異界の指輪であるアルゲニブへ話しかけた。

『アルゲニブ、私を魔術師ケルバライトに変えてちょうだい』

『ジーナ、もう変わっているぞ。最近は瞳の色と共に髪も深緑にかわるようだ』

『私が頼む前にかえちゃったの?アルゲニブ、私の心を読まないでっていっているでしょう』

 ジーナが不機嫌になった。最近では、アルゲニブの能力を使わずに瞳の色、髪の色や声色を無意識に変えている事に気付いていないようだった。


 魔術師のマントを羽織ると、ジーナは二匹の犬を従えて、獣道を北へ歩き始めた。

 この夏の終わり、数年暮らしたケリーランスを出た時には、まだこれほど寒くは無かった。夏の鳥であるピーに北風の中を飛ばした事に心苦しさを感じていた。


 先をいく魔族兵士達と一定の距離を置いて南へ向かう。

 枯れ草や枯葉が敷き詰められた獣道を一時間ほど歩いた時、心の隅に何かを感じた。

 立ち止まり、意識を集中させる。空から見た馬車のイメージ。ピーの視線だった。

 こればかりはなかなか慣れる事ができず、めまいをしてしまう。

 上から見た二台の馬車の近くには十数人の兵士がついていた。間違いない、レグルスが受け取った手紙にあった金塊馬車に違いない。

 心を澄ませて集中すると、魔術師の姿が見えた。ガエフ公国で知り合いとなったヴァルだった。かれなら都合が良い。ジーナがいくら魔術師の姿をしているとはいえ、顔見知りではない者が突然現れても信用してくれるとは限らないからだ。


 さらにその先を偵察する様、ピーにイメージを送った。


 ピーが何に気を引かれたのか、商人とも、旅人とも思える数人の集団、そして、その先には馬に乗ったダンの姿があった。ジーナが問いかける間もなく、ピーは知り合いである。ダンの肩に止まった。

『アルゲニブ、声も聞ければ良いのにね.』

『ジーナ、お前だったら、やがて声も聞こえる様になるかもしれないぞ。鳥使いの荒さにピーが逃げなければな』

『私、そんなに意地悪していないわよ』

 またジーナが不機嫌になったとアルゲニブは思った。異界の指輪で、果てしなく長い時を過ごしてきたアルゲニブであったが、若い娘であるジーナの機嫌を直すのはなかなかに骨が折れる仕事だった。

『かつて私のご主人様だった異界の貴族ケルバライト様は判りやすいお方だった。ジーナがなりすましている、新しいご主人のケルバライト様はどうも気むずかしくて困る』

 アルゲニブは、ジーナが感じないような小声でそっとつぶやいた。


 距離を隔てて魔族兵士のあとをつけながら、ジーナはピーに戻ってくる様に命じた。

 大きめの、まだ枯れていない木のはをもぎ取った。

 ジーナは、ピーが葉を落としたり、敵に奪われたりした時の事を考えて、本文をあぶり出しの隠し文字とする事にした。

 マントの裏から投げ矢を取りだし、ポシェットに隠し持っていた魔石の粉末をその先に付ける。

 仮のペンで、木の葉の文字を書き、葉の墨にナイフの先で炎を示す古代語を1文字書いた。

『アルゲニブ、これであぶり出しだと判って貰えるかしら』

『相手がヴァルなら大丈夫だろう。ガエフ公国にいるランダル魔術師長のお弟子だそうだからな。恋文と間違える事はあるまい。』

 そういう意味ではないのだけれど、と思いながらも、木の葉の手紙をもう一度確認する。そのままでは、隅に書かれた炎の古代文字しか見えず、その古代文字さえ、魔術を知らない人には意味が分からないだろう。


 やがてピーが戻ってきた。ジーナはピーの口に、手にしていた葉を咥えさせ、ヴァルのイメージを伝えて再度空へ放した。


 二台の馬車は朝、北へ向かってダルコの村を出発したのだった。

 アランは他の兵士と共に徒歩で向かう事にした。

 先頭を馬に乗ったヴァル、その後ろにレグルス宛の荷馬車、さらに後ろを金塊馬車とそれを取り巻く警備兵が続いた。

 新米兵士のサムは、古参兵テッドのそばにいた。

「サム、俺のそばをうろつくんじゃない」

 テッドは、歩きながら話しかけてくるサムにそう言った。

「テッドさん、昨日はありがとうございました。おかげて命拾いしました。」

「お前の面倒をみるほど、おれは親切じゃないんだ」

「でも驚きましたよ。昨日、突然馬車が襲われて、俺も必死でたたかいましたよ。」

「怖くて寝そべっていた奴が何を言っているんだ。満足に戦ってなんかいないだろう。」

「そんな事ないでしょ。それでも少しは敵を傷つけたんですから。」

 そういって、サムは腰の剣を叩いて見せた。

「ところでテッドさん。あの魔術師様はどうしてがらくたを乗せた荷馬車から離れないんですかね。あいつは俺より臆病で盗賊が怖いんですかね。」

「サム、その事は言うな。魔術師様に聞こえると何をされるか判らないぞ。」

「盗賊を怖がる魔術師なら、俺だって倒せるかもしれないですよ。」

「お前、昨日の戦いで魔術師が使った術を見ていなかったのか?」

「そんな余裕、俺にはありませんよ。テッドさん、昨日、馬を入れ替えていましたね。」

「それがどうした?」

「なぜ、そんな面倒な事するんですか?」

「さあな。いつ賊が来るか判らないからな。気を引き締めておれよ。」

 昨日の事が頭をよぎったのか、サムは静かになった。


 馬車を引く馬について、テッドが気付いた事がある。それは馬の疲れ具合だ。

 ガサの町にいるレグルス宛の荷をつんだ馬車を引く馬が疲れていた。

 かつては名をはせた魔術師だとはいえ、今はガサの町で隠遁生活を送っているレグルスへの日用品を積んだ馬車だ。それ程の重さがあるとは思えない。それにしては馬が疲れすぎていた。重たい武具を積んでいるのかも知れないと思っていた。


 ダルコの村を出発して3時間ほど過ぎていた。陽は昇っていたが、頬に吹く風は冷たかった。

 先頭を馬でゆくヴァルは、小鳥が自分の上空を旋回している事に気付いた。それはコマドリだった。秋も深まるこの季節にコマドリが北のこの地を飛んでいる事はあり得ない事だった。

 数週間前、ガエフ公国の魔術師の館で知り合った、ガサの魔術師ケルバライトの事が頭をよぎった。彼はいつも肩に小鳥を乗せていた。

 右手に手綱を持っていたヴァルは、左手をその鳥に向けて掲げてみた。上空を旋回していたその小鳥は、差し出されたヴァルの左手にとまった。口に木の葉をくわえてヴァルをじっと見つめている。

 ヴァルはその葉を受け取り、その小さな頭を優しく撫でると小鳥は北へ飛び去った。

 受け取ったその葉はなんの変哲もない物に見えたが、ヴァルはその葉に魔術の臭いを感じた。馬上でその葉をもてあそびながらゆっくりと進む。

 昨日の戦いで傷を負った兵士もいたため、歩調をゆるめているのだ。それにしても、ケルバライトという魔術師は仲間に送る手紙にも謎をかけてくるとはよほど慎重な人物なのだと思った。盗賊が使いそうな手だ、とも思った。軍隊ではその様な煩わしい事はしない。また、魔術師達の間でその様な手段をとると、魔術師会に隠し事をしているのか、と疑われてしまう。

 魔術師会は、猜疑心の強い魔術師が多いのだ。

 ケルバライトを名乗っているジーナが、ケリーランス公国で活動していた義賊団の一味である事をヴァルが知っていれば、納得した事だろう。

 名の有る義賊団ほど慎重で臆病な振る舞いを好む事を知っていたからだ。


 ヴァルは葉の隅に付けられた文様に気付いた。火を表す古代文字だ。

 その古代文字を無意識に呟いてしまった。その小さな葉からいきなり1メートル程の炎が立ち上がった。魔術が発動したのだ。驚いて葉を落としたが、炎の中に浮かぶ文字は見逃さなかった。魔石の粉末を使用して書かれた文字である事を知らないヴァルは、火力の強さに驚いていた。

 手紙なら、葉を焦がす程度の力でよさそうなものだが、ケルバライト殿は何を考えているのか。

 自分の魔力が大きくなりつつある事に気付いていないジーナが作った古代文字の文様だったのだが、そのような事情をヴァルは知らなかった。

 炎に包まれたメッセージは、『魔族兵士に気をつけろ』だった。

 魔族兵士の事は魔術師会でも秘密事項で、上級魔術師で無ければ一般兵と見分ける事が難しかったが、ヴァルにはその区別がついた。いくら親しいとはいえ、秘密事項である魔族兵士の事を警備隊班長のアランに話す事はできない。しかし、秘密はいつか噂となって流れるもので、コリアード軍の一部の兵士の間では、『突撃兵』という名で伝わっていた。

 ヴァルは馬を下りてアランを呼んだ。

「これから突撃兵が現れる。この馬車を襲うようであれば、兵士を一時退避させてほしい」

「ヴァル様、噂にあるダンク王の私兵ですか?噂では、死んでも戦う兵士という事でしたが、そんな人間がいるはずはありません。」

「死んでまで戦うというのは嘘だろうが、死ぬまで戦うと言うのは本当らしい。もし襲われたらこの警備兵では太刀打ちできないだろう」

「兵士が軍用の金塊を襲うでしょうか?」

「判らない。でも、この情報は確かだと思うので、気をつけていて欲しい。」

「わかりました。しかし、我々は金塊を守るよう、命じられたのです。逃げる訳にはいきません。」

「無駄死にだけは出さないようにしてほしい。」

「わかりました。」


 やがてダルコの村とコルガの村の中程まできた。

 アランは、休憩を命じた。

 警備兵達が気ままに休息しているとき、後方の草むらから十人近い兵士が剣を抜いて現れた。全員コリアード軍のヨロイを着けている。

 休息していた警備兵達は慌てて立ち上がった。 

 アランやポールは剣を構えて彼らの方を向いた。

 魔術師のヴァルは馬をおりて、昨日のように日用品を乗せた馬車の上に立ってかまえている。


「テッドさん、みんなどうしたんですか?」

「サム、気をつけろ。なんか変だぞ。」

「でも、兵士ですよ。班長たちはなんで剣を抜いたんですかね?」

「さあな。だが、気をつけろよ。何が起こるか判らないからな。」

 サム達にとって予想外の事が起こった。後方から現れたコリアード兵達が突然警備兵に襲いかかってきたのだ。

「敵だ。気を付けろ。」

 アランの叫び声が聞こえる。

 サムは何故自分達が襲われるのか判らないまま、現れた兵士達へ剣を向けた。そのサムの目の前で土埃が上がった。ヴァルが馬車の上で術を使っているのが見える。効果があったのか、コリアード兵が一時下がった。

 術をかいくぐった数人の敵兵がアランやポールのところへ到達した。

 ヴァルはその兵士達へ、魔術による火炎を放った。兵士達の足が一時止まる。だが決定的な打撃を与えるには至っていない。

 突撃兵達は平気なのか襲いかかってきた。アランは突撃兵がふるう両刃の大剣を丸盾で受けた。馬上でも使える、木の周りを鉄で囲った小振りの盾だ。突撃兵の力に思わず後ずさる。その怪力のアランは驚いた。それでも押し返そうとしたが、敵の力の方が優っていたのか、びくともしない。

 再び土埃が舞った。ヴァルの魔術が敵兵に当たったらしい。その兵士はようやく一歩下がった。

 アランは剣を水平に構えて突きに出た。勿論、鎧の隙間を狙っての事だ。当たった感触は確かにあった。だが、その兵士は倒れなかった。再び襲いかかろうとしている。鎧の下にもう一つ鎧を着けているのかとアランは思った。

 周囲を見ると警備兵達は皆苦戦していた。

 まともに戦っているのは、自分とポールと、古参兵のテッドくらいだった。

 味方の兵士達は次第に金塊馬車から放されていく。このままでは馬車を守る所か全滅しそうである。敵兵の中には片腕から血を流したまま戦っている兵士もいた。死ぬまで戦いを続けるという噂は本当だったようだ。

 サムはもう一人の若い兵士チャスと戦っていた。

「サム、だめだ。全然刃がたたないよ。」

「チャス、俺もだ。」

 サムは昨日近くで守ってくれたデッドを見たが、彼も一人の敵兵でいっぱいの様だ。とてもサム達を救いにこれそうにない。

 力負けしたチャスは転んでしまった。敵兵は、そんなチャスへ両刃の剣を振りかざした。サムはあわててその兵の横腹へ剣を突き立てた。しかし、効き目は無かった。振り向いた敵はサムへ剣を向けて来た。


 ヴァルは馬車の上から敵兵へ魔術で作った炎の玉を飛ばしていた。普通の兵士ではない突撃兵達は、ひるみはするものの、その炎の玉に耐えて、警備兵へ向かってくる。これ以上の大きな魔術は見方を傷つけかねない。どうすべきか、ヴァルは考えあぐねていた。

 その時ヴァルは、南の方から街道を走ってくる人影を見つけた。敵か、味方か判らないが、魔術師のマントを着けている。


 ジーナは魔族兵士達から離れ過ぎていた事を後悔していた。

 魔族兵士と金貨馬車が、思ったよりも早く出会ったようだ。遠くから剣がぶつかり合う音が聞こえてくる。ジーナは足場のいい街道へ出て、戦いの場へ走った。

 倒れている兵士へ襲いかかっている魔族兵士が目に入った。警備隊達が突撃兵士と呼んでいる者達だ。

「バウ、あの兵士を助けて。」

 バウはジーナを追い越し、襲いかかっている兵士の手に噛みついた。その魔族兵士は立ち上がってバウを見た。人間とは違って、バウが噛みついたぐらいで倒れたりはしない。

「なんだ、この犬は。軍用犬か?」

 走り寄るジーナに気付かず、背中を見せていた。

 ジーナは、持っていた文様の杖を草むらに置き、ダガーを抜いて魔族兵士の背中に飛び乗った。左手を首に廻し、右手のダガーで首の急所を一突きする。崩れ落ちる魔族兵士から飛び降りた。魔族兵士は、致命傷を与えないと戦いを止めないが、さすがにその魔族兵士は起き上がって来なかった。

 馬車の上にいるヴァルが何か叫んでいるが、ジーナにはそれに答えている余裕は無かった。

 助けられた呆然としている若い警備兵をそのままにして、ダガーを納めてから杖を拾うと次の魔族兵士へ襲いかかった。

 倒れていたチャスを助け起こしたサムはその魔術師を目で追っていた。

「誰なんだ、あの魔術師様は。ガエフの町にはあんなに腕がたつ人はいないぞ。」

「サム、ギロの魔術師様じゃないのか?」

「いや、ギロにはまともな魔術師様はいないという噂だったぞ」

 その魔術師ジーナは次の魔族兵士と戦っていた。

 力技で押してくる両刃の大剣を、文様の杖で受け流しながら隙を窺った。バウが隣りで襲いかかるきっかけを待っている。闘犬だったとはいえ、兵士と戦った経験がないラディッシュはバウのそばで様子を見ている。

『ジーナ、魔術は使わないのか?』

 異界の指輪である、アルゲニブが心に話しかけてきた。

『ちょっとだまっていて。今、あなたの相手をしている暇はないのよ。』

 近頃強力になりつつあるジーナの魔力を使った方が早くカタがつくのに、とアルゲニブは思ったが、ジーナは剣技で戦おうとしていた。


 魔族兵士は二匹の犬を気にしている様子はなく、ジーナに向けてひたすら剣をぶつけて来る。

 バウが突然魔族兵士の顔へ飛びかかった。兵士はバウを剣で振り払おうとした。ジーナはその隙に文様の杖を大きく振ってから、飛び出した隠し刃先を兵士ののど元へ深く突き刺した。前に倒した魔族兵士と同じく、力が抜けて崩れ落ちる。

 魔族兵士の本質は、バリアン大陸の沼に潜むオオトカゲだった。全身硬い殻に覆われていて、ダガーを刺した位の事では相手に傷を与える事はできないのだ。唯一の急所といっても良いのが、首の下の柔らかい箇所だった。ジーナは、義賊として暮らしたケリーランスでの三年の間にその事を学んだのだ。

 しかし一般の人は、魔族兵士の存在を知らない。普通の人や兵士と区別が付かないのだ。だから、体中がかたい殻に覆われている事も知らず、闇雲に傷つけようとして失敗するのだった。ジーナの良き保護者であり、ケリーランスで名を馳せていた義賊の首領だったローゼンでさえ知らなかったのだ。

 馬に乗った乱入者が現れた。ガサの町で鍛冶屋をやっているダンだった。

「ありがとう。」

 ジーナはケルバライトの声で言った。以前、ガサの町にある魔術師の塔で魔族兵士と戦った経験があるダンなら大丈夫だろう。それにダンの剣技は本物だ。

 ジーナとダンの登場が警備兵達を元気づけたようだ。魔族兵士を押し返し始めている。

 突然、ジーナは全身に熱を感じた。

「おい、助けに入った魔術師が燃えているぞ」

 誰かの叫び声が聞こえた。

 その炎は数分続いた。

『アルゲニブ、防護壁を作るのが遅いわよ。髪が焼けたかも知れないわ』

『ジーナ、お前だって守備の古代語が遅かったじゃないか。』

『私、そんな魔力はないわよ』

 無意識にこれだけの防護壁を作る事が出来るとは。ジーナは自分の魔力に気付いてないらしいとアルゲニブは思った。

 ジーナを包む炎は大きかったが、ジーナとアルゲニブが作り出す防護壁の外で燃えているに過ぎなかった。しかし、他の兵士達はジーナが完全に炎に包まれて見えた。


 術を使った魔術師が林から現れた。

「ダミアン、今だ。金塊馬車を奪え」

 もう一人の男が現れ、金塊馬車を引く馬にまたがると南へ走らせた。皆がジーナの炎姿に気を取られていた、僅かな時間だった。馬車は南へ走っていった。

『ピー、ラディッシュ、あの馬車の後を追って!』

 ジーナは心で叫んだ。近くの木の枝に止まっていた小鳥のピーと犬のラディッシュが離れていくのを感じる。ラディッシュが後を着けていいた事に誰も気付いていないようだ。

「どこの魔術師か知らないが、コリアード軍の金塊を横取りしようとするから炎に焼かれるのだ」

 ジーナに術をかけた魔術師がそう言った。

「あなたはギロのジェド殿だな。突撃兵を使ってこの馬車を襲うとはどういう事だ」

 もう一台の荷馬車に乗っていたヴァルが言った。

「ガエフの若い魔術師よ。お前も盗賊の仲間なのだな。皆殺しにするぞ」

 二人の会話の間にジーナの体にまといついていた炎が消えた。ジーナの髪からは焦げ臭い嫌な臭いがしたが、マントも衣類も焦げてはいなかった。

 倒れずに立っているジーナを見て、馬車の上から見ていたヴァルはジーナ扮するケルバライトの守備の魔術に驚いていた。しかし、一番驚いたのは術をかけていたジェドだった。

「お前、俺の魔術が効かなかったのか?」

「ジェド殿、ギロの町では何度か見かけた事はあった。そなたがなぜ、この様な事をしたのだ。」

 ジーナはケルバライトの声でジェドに問いただした。

「お前達こそ金塊を奪うために馬車の警護をしたのだろう。こうしてやる。」

 ジェドはジーナへ炎の玉をぶつけてきた。ジーナは、再び防護壁を作り、ジェドへ近づいていった。周囲の戦いは一時休戦となったのか、全員がジーナとジェドに注目していた。

『アルゲニブ、どうする?』

『ジーナらしくないぞ。いつもなら迷わず戦うんじゃないのか?』

『でも、相手はコリアードの魔術師会だし。』

『今はジーナも魔術師会の魔術師様じゃなかったのか?』

『それはそうだけど。』

 ゆっくり近づくジーナに炎の玉が襲いかかるが、ジェドが疲れてきたのか、その間隔が次第に開いてきた。

「なぜ効かぬ。」

 肩で息をしながらも再び魔術を使おうとした。ジーナは構わず文様の杖を構えてジェドへ走り寄った。殺そうと思った訳では無かった。しかし何を恐れたのか、ジェドは更に強力な炎の玉をぶつけてきた。魔石の腕輪をつけているジーナの左腕が脈打っている事にジーナ自身は気付いていなかった。

 ジェドが力を入れすぎたのか、ジーナの防護壁が跳ね返した炎がジェドが着ている魔術師のマントに燃え移った。

「なんだ、こいつは」

 ジェドはそう叫ぶと、燃え上がっているマントの炎を手ではたき落とした。マントの裾には焼け焦げた跡が残っている。ダガーを手にしてはいるものの、剣技を満足に鍛えた事の無いその構えは隙だらけだった。魔術師は魔力で戦う。剣技や腕力を待ち合わせている魔術師はなかなかいなかった。

 ジーナは文様の杖でジェドの右腕を打った。確かな感触があった。ジェドは手にしていたダガーを落とした。

 言葉にならない叫びを上げたジェドは向きをかえると、街道を北へ逃げ去った。

 

 しばしの沈黙の後、魔族兵士の一人が叫んだ。

「撤退するぞ。倒れている仲間を連れて引き上げだ。」

 あれほど屈強な魔族兵士達は、ジェドが去ると一斉に出てきた林へと逃げ去った。

 警備兵達は声もなく見ているだけだった。


 金塊馬車が奪われてしまったのだが、アランもヴァルも慌ててはいなかった。


 この戦いを見ていた別の一団がいる事にだれも気付いていなかった。さすがのジーナも炎の玉を避けたばかりで、他の事には気が回らなかったのだ。

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