五十七 ギロの魔術師・輸送馬車護衛(五)
時間は少し遡り、盗賊達が金塊の荷馬車へ殺到し、戦いが始まろうとしていた時、ガエフの魔術師ヴァルは、乗っていた馬を逃がして、ガサの魔術師の塔への荷物を積んだ荷馬車の上に素早く登った。
「おい、ヴァル様は随分身軽だな。」
「うん、魔術師様はみんな体を動かすことを嫌うからな。あんなに身軽な方を初めてみたよ」
その軽快な身のこなしを近くの兵士達が感心している。
ヴァルが荷馬車の上へ登ったのは、高いところからは敵味方の様子が良く分かるからだし、魔術を使用するにも都合が良いからだ。
「ヴァル様、馬を逃がして良いんですか?」
兵士の一人がヴァルを見上げていった。
「大丈夫だ。あいつは利口だから騒ぎが収まれば戻ってくる。そんな事より、積み荷を守ってくれ」
逃がした馬は戦いが終われば自ら隊へ戻ってくるだろうとヴァルは思っていた。
「この馬車は私が守る。君達は金塊の馬車を守ってくれ」
「ヴァル様、一人で大丈夫ですか?」
盗賊の一人が話している若い兵士に斬りかかってきた。兵士はかろうじてラウンドシールドで守った。
「うわ!」目の前の賊が突然倒れた。着ている服から煙が立ち上っている。
呆然とした兵士が頭上のヴァルを見上げる。
「早くあちらへ」
ヴァルは隣の荷馬車を指さした。
「ありがとうございます」
そう言って兵士は戦いの中へ入っていく。
盗賊の集団と、護衛の兵士の人数はほぼ同じであったが、兵士には若い、戦いになれていない者が数人いた。一方、盗賊達は戦い慣れしてはいるのだろうが、特筆する程腕がたつ者がいないらしい。剣技をこなさないヴァルであったが、魔術師の目でみれば、それぞれの人が持っているオーラを感じる事はできる。また、それぞれの対捌きをみれば、剣技の鍛錬度は推し量る事ができた。
戦いは小さな集団に別れ、いつの間にか周囲へ広がっていく。
何処へいったのか、隊長であるアランの姿はその中にはなかった。
ガエフの町を出る前に、アランとヴァルは盗賊が襲ってきた時の対策を練っていた。それは、護衛兵は全員で金塊の馬車を護衛し、ヴァルは一人でガサ行きの荷馬車を護衛する事だった。その理由は他にもあるのだが、今回の戦いでは兵士達は全員一台の馬車の警護に専念するはずだった。しかし、このままでは荷馬車の周囲から兵士が離れつつあった。
『金塊の馬車を狙え。』
盗賊のだれかが叫んでいる声が聞こえた。金塊の馬車を間違えたのか、何人かはヴァルが乗っている荷馬車へ向かってきた。戦いの後、馬車の運送に困るからなのだろう、どの盗賊も馬車を引く馬だけは攻撃していない。
盗賊の一人が、剣で積み荷を支えている綱を切ろうと近寄った時、ヴァルは魔力の指輪を嵌めている左手の人差し指をその賊にむけて古代語を唱えた。賊に向かって炎の矢が放たれた。その賊は炎に包まれたあと倒れ、動かなくなった。しかし、その様な魔術なのか、燃えてはいなかった。炎の矢にに気付いた数人の賊が恐ろしげにヴァルを見上げている。
強力な炎の矢であるはずなのに、衣服が燻っているだけで、倒された者は燃えていない。炎の矢はありふれた魔術であり、殆どの魔術師が仕様できるが、この様に、敵を気絶させて燃え上がらせないというのは極めて珍しいかった。彼らの中に魔術を使える者がいたらその高度な技に驚いた事だろう。
少しでも敵の戦力を減らす必要がある。ヴァルは更に二人を炎の矢で倒した。ヴァルを見上げていた賊はその荷馬車を諦めて金塊の馬車の戦いへ参加していった。ヴァルの立つ荷馬車の周囲には敵がいなくなった。警備隊班長のアランが林へ馬を走らせる姿が見えた。剣技の長けた兵士がポール一人では戦局は危うくなりそうだ。ヴァルの顔が曇った。それでもヴァルはそこを動こうとはしなかった。
暫くすると、林の中から顔を黒い布で覆った人物が走り出て、南へ去った。ヴァルは遠目ながらも、その姿に弱い魔術の臭いを感じた。魔術を使った後には、少しの時間ではあるが、その痕跡を感じる事があった。幼かった頃、ヴァルの師であるランダル大魔術師長に魔術の痕跡について聞いた事があったが、全ての魔術師がその能力を身につけている訳ではないらしかった。
逃げた男の後からアランが林から出てきた。どうやら戦いはアランが勝ったらしい。
安心したヴァルは、ポールが戦っている場所とは反対側の敵に対して荷馬車の上から魔術攻撃を行う事にした。早く戦いをお割らせたいと思ったヴァルは必要以上に魔術の力を強めた。炎の矢に打たれた賊の体が跳ね上がり、大きな土埃がまった。埃は巨大な炎にも見えた。近くにいた賊の顔が恐怖に引きつっている。
アランが戦いに参加しようと馬を進めた時、馬車の裏側から数人の盗賊達が走り出て南へ逃げていった。すると、残っていた賊たちもつられるように逃げだした。
兵士数人がその後を追おうとした。
「追うな。馬車の側を離れてはならん」
アランが彼らを呼び戻した。
戦いは終わった。
新米兵士のサムはようやく立ち上がったが、まだ体が震えていた。
「賊達を一箇所に集めろ。武器はとりあげろ。」
アランの指示に兵士達は気絶している賊、歩けずに座り込んでいる賊達を道の外れに集めると、逃げられないように荷造り用の綱で縛った。意識を取り戻さない者は近くまで引き摺ってきて並べて寝かされた。
「整列。点検しろ。」
兵士達が二代の馬車の前に整列した。腕や足に怪我をしている者が何人かいた。
アランは休息を宣言すると食事と、怪我の治療を命じた。短い戦いではあったが、相当疲れたのだろう。兵士達はその場に座り込んだ。治療といっても、止血のために布を巻いたり、薬草をはったりする程度のものだった。
ポールは金塊荷馬車の上部に積み上げてあった荷をあけ、肉の干物を兵士達に配った。
テッドは受け取った干し肉をナイフで切り取り、囓りながらサムに話しかけた。
「サム、大丈夫か?」
「ありがとう、テッドさん。命拾いしました。」
サムはまだ手が震えているのか、うまくナイフを使えずにいる。
「何をいっている。お前は俺の股の下で座り込んでいただけじゃないか。満足な戦いをしてないじゃないか。命拾いも何もあったものじゃない。ま、ナイフも満足に使えないのでは剣を持てないのは仕方の無いことだな」
会話を聞いていた周囲の兵士から笑いが漏れた。
「テッドさん、腕に怪我をしていますよ。薬草を付けましょうか?」
「こんな傷は傷のうちに入らない。放っておけば治る」
大きな町では医者がいて、傷を縫い合わせたり、薬草から抽出した特殊な薬を使用したりしたが、少人数の隊にその様な医者が同行する事はなく、彼らは余程深い傷をしたので無ければ放っておいた。深い傷は焼いたナイフを押し当てて傷口を塞ぐ等荒っぽい治療をして済ませた。
「だれか馬に乗れる者はいるか?」
兵士の一人が手を挙げた。
「私の乗ってきた馬を使ってガエフの警備隊長へこの事を知らせてくれ。」
「伝言はありますか?」
「特にない。ありのままを伝えれば良い。夜道になるから気を付けるのだぞ」
「判りました。ルイス隊長にこの事を伝えます。」
「盗賊達を引き取らなければならないから人数を寄越すように忘れず伝えろよ。途中で盗賊達に出くわしても相手をするな。」
「判りました」
その兵士は馬上からアランに一例すると南のガエフへと戻っていった。
夕闇がせまってきた。班長のアランは兵士達を再び整列させ、再度荷馬車を点検し、隊列を北へ向かった。幸いにも歩けない程重傷の兵士はいなかった。ダルコの村はもうすぐだった。
後には縛られた盗賊達が取り残された。
馬上の兵士は、夕暮れのカテナ街道を南へ馬を走らせたが、途中ですれ違ったみすぼらしい身なりの男が盗賊団の首領であるラルフである事には気付かなかった。
ラルフは、連絡兵士を見送ったあと、近くに隠れていた残党を呼び集めた。
「今日は失敗だった。お前達が弱すぎたのだ。」
「ラルフさん、あんな強力な魔術師がついていたのでは、こちらに勝ち目はないぜ。」
「黙れ、兵士など構わずに馬車を奪えば良かったのだ。俺たちの目的は金塊なんだからな。あの金塊を奪っておけばお前達は一生遊んで暮らせるんだぞ。」
「で、俺たちはこれからどうするんです?」
「今、警備兵に捕まるとまずい。夜中にダルコの町で一泊したあと、北へ向かえ。先にあるコルガの村で寝ている所を襲おう。」
「わかりました。」
「目立つなよ。明日の朝は、金貨馬車をつけながらコルガの村へ向かうんだ。俺はやつらの様子を見に戻るが、街道の途中で合流しよう。」
盗賊たちに、しばらくは森に隠れているように指示したラルフは戦いの場である北へ向かって歩き出した。
陽は傾き、辺りには夕闇が迫っていた。
戦いの場へ近づくと、男達のわめき声が聞こえてきた。夜目の利くラルフには、遠くで数珠繋ぎになって縛られている男達を見る事ができた。どの男達も怪我をしているようだった。そのために逃げ遅れたのだろう。
ラルフは彼らに近寄り、声をかけた。
「お前達、そんなに弱かったとは思わなかったぞ」
「おお、ラルフ、助かったぜ。早くこのロープを切ってくれ」
「待っていろ」
ラルフは周囲を見渡した。人影は全く見えない。
警備兵が持ち去ったのか、逃げ遅れた盗賊達の剣や盾などの武具が見あたらなかった。それでも注意深く探すと、警備兵のものらしいナイフを見つける事ができた。
新米兵士に支給される安物のナイフだ。
縛られている男たちの後ろに回り込んだラルフは、その心臓めがけて次々に刺しつらぬいた。
男達は声を上げる事もなく息絶えていき、最後の男はナイフが刺さったまま倒れた。
警備兵が守る馬車を追う為に、ラルフは北へ足を速めた。