五十六 ギロの魔術師・輸送馬車護衛(四)
ジーナが、村の牛を襲った胡乱な集団の後を着けていた頃、アランは魔術師ヴァルと共に、兵士十数人と荷馬車二台を引き連れてダルコの村へ向かっていた。兵士達の体力を温存するために、カテナ街道をゆっくりと北へ進んでいた。
乗馬したアランとヴァルが先頭を行き、その後ろを、隊旗をロングスピアの先にくくり付けた兵士数人、馬車二台、歩行の兵士数人続き、アランの片腕であるポールが最後尾へついていた。
どの兵士も肩にラウンドシールドを下げている。丸い木製の計装用盾だ。何人かが持つラウンドシールドの中央の金属板には隊旗と同じ文様が彫られていた。若い兵士が持つ無印の盾は入隊時に片刃の剣と共に支給される安物だった。酷い盾になると、熟練兵が振り回す両刃の大剣の一撃で壊れたりもしたが、それでも矢や接近戦での打ち合いの効果はあった。それに、平和なこの時期、そのような強者が多く存在する訳ではなかった。
出発が遅かった事もあり、やがて日が傾きはじめ、伸びた隊列の影が兵士達に付き添って移動している。風のない長閑な夕暮れの中、兵士達の行軍が続いた。半日歩いてさすがに疲れたのか、当初賑やかだった兵士達も今は無駄口少なく静かに歩いている。
後方にいた兵士二人が世間話をしていた。一人はまだ新しい鎧を付けた兵士で、一目で新米と分かる。隣を歩く上背のある兵士は、所々に修理したあとがある、着古した鎧をつけ、あごひげをたくわえていた。
新米の兵士サムと古参兵士のテッドだった。
テッドは数年前に入隊したのであるが、自前の鎧を持っていた事と、過去に軍隊経験があるという事で、古参兵として迎えられた。従って、ある程度の自由は与えられており、新米に科せられている初歩的な鍛錬や教練は免除されていた。
「テッドさん、そろそろ休憩にならないですかね?」
「サム、まだ初日なのに、もう疲れたのか?」
「戦があった頃と違って、今は楽な仕事だと聞いて志願したのに、鎧を着て行軍させられるとは思わなかったですよ」
サムはガエフの町のやや南に位置する集落の農家の三男だった。その集落では昔から小麦を栽培していたが、今年は冷夏でさほどの収穫は望めなかった。他の畑へ手伝いに行こうとしても、周囲の農家も同様に不作で、人手を借りる様な作業はあまりなく、また、生活に窮している家ばかりで、お金を払って手伝いをやとう余裕のある家も無かった。家族相談の結果、ガエフの守備兵に志願したのだ。
「お前の家は農家だろう?だったら分かっている筈だ。今時、楽な仕事なんざ、ありはしないのさ。そういえばお前、鍛錬も時々サボっているだろう?」
「だって、一日、歩哨に立っているだけで疲れてしまいますよ。それに警備隊の詰め所に押し入る強盗もいないだろうし。俺たちみたいな下級兵士じゃあ、腕を上げたからって給料が上がる訳でもありませんしね。」
「サム、立っているだけで食い物が支給されて寝床だって与えられているのは何故だと思ったのだ?それに、もし事が起こったら、己の命を守るのは己自身なんだぞ」
「俺が入隊してから事件が起こっただなんて、一度も聞いた事がありませんよ。今回だって何も起こりませんよ」
「襲われる事が無い、とは言えないのだぞ。賊に襲われても俺はお前を守ってやったりしないからな」
「テッドさんだって鍛錬所には殆ど顔を出さないじゃないですか」
「俺はお前等若造と違って既に鍛えられているのさ。元ダンク王軍隊の兵士だったのだからな。免除されて当然だ。」
確かにダンク王の軍隊がこの一帯に進軍した十数年前には小さいながらも各所で戦いがあった事は事実であり、その中を生き延びているからにはそれなりの腕があったに違いなかった。
しかし新米兵士サムの言う事にも一理あった。数年前までは首都ハダルを中心に、かつてコリアード王に粛清された元小国の残党や義賊を名乗る一団が、軍隊や貴族を襲う事件が度々起こっていたが、それらも討伐された最近では、まれに小競り合い程度の小さな諍いが起こるのみとなった。辺境であるカテナ街道沿いの、何もない地区では、商人を盗賊が襲う事はあってもコリアードの軍隊が賊に襲われる事はほとんど無くかっていた。
金塊を積んだ馬車が襲われる事件がまれに起こるのだが、軍がその事を公表していない為、民間人に知れ渡る事は無かった。
最後尾をゆくポールは新米兵士の言葉が聞こえていたが、二人の会話に立ち入る事はしなかった。誰しも若いときには何かしらの不満を持つのは当然の事であったし、また、生活が厳しくなっているこの頃では、職のない若者が何の考えもなく軍隊へ入る風潮にあった。
最後尾を歩きながら、前を歩く二人の会話を聞いていたポールは、テッドがどの程度剣技に長けているのか、興味を持った。
ポールの親ほどの年齢であるテッドが入隊したのは数年前であるが、今までテッドが剣を抜いた姿を見た事は無い。夜更けや明け方に、先頭をゆくアランと隊長が剣技の鍛錬を行っている所は何度も目にしていて、またポールもその仲間に加えてもらった事が度々あった。だから隊長とアランがすばらしい剣技の持ち主である事は知っていた。
ポールはそのアランが入隊した7,8年前の事を思い出していた。
当時まだ14,15歳の子供だったアランを、ガエフの警備隊長になって間もなかったルイスが連れて来たのだ。仕立ての良い服を着ていたアランを見て、貴族の子息に違いないとポールは思った。
貴族が自分の息子を一時だけ軍隊にいれる事は慣習として行われていた事だった。貴族の子息は、成人してから軍隊の上級武官として入隊するのが常識となっていたのだが、軍隊経験がなくてはその後の上級武官としての軍隊生活に支障が起きる。そこで、その時のために子供のうちに軍隊生活を体験させておくのだ。子供で体験入隊した彼らは概ね一、二年でやめていった。
その様な貴族の子息達は剣の持ち方も知らない素人が殆どであったが、彼らが入隊する時には、軍の装備品や金貨を寄付する等、その部隊になにがしかの恩恵があった。中には高価な馬を寄付する親もいたので、その部隊にいる間は丁重に扱われた。
しかしアランは入隊した時には既に剣を使えていた様にポールは記憶している。
腰掛け程度の体験入隊かと思ったのだが、アランは剣の鍛錬を自ら進んで行い、いまでは隊長のルイスに次ぐ剣の使い手となっていた。一般徴募した兵士は勿論、古参の兵士の中にもアランに戦いを挑もうとする者はいなくなった様である。
入隊して以来、無口で人付き合いを避けるように軍隊生活を送っていたアランに、あるときポールが聞いた事があった。
『どちらの貴族出身ですか?』
『私には身よりがいないんだ』
ポールは、答えるアランの暗い顔を見てからはその話題に踏み込む事は無かったが、いつも品のある仕立ての服を着ている姿から、貴族であることに間違いはないと思っていた。また、アランが背にしている鋼製の両刃の大剣は、柄に彫刻が施されたもので、その重さは大剣でありながら、ポールが腰に差す、一回り小さい剣と大して変わらない、軽い剣だった。とても兵士の給料では変えない高級品だ。
その大剣を手にしてからのアランは瞬く間に剣技の腕を上げ、ポールの腕を追い越してしまった。若さのせいばかりでなく、天性の素質も有ったのだろうとポールは思っていた。
アランが周囲の人達と普通の付き合い方をする様になったのはその頃からだった。
街道に夕闇が迫る頃、農民の一団が、荷馬車を守り進む兵士の一団の後ろから近づいて来た。彼らは農作物をくるむムシロや粗末の布を羽織り、体全体をつつんでいた。
秋が深まり、冷たい北風が吹くこの時期、そのような格好をした物貰いの貧しい人達が街道をうろつく事は珍しく無かったが、集団でいる事はまれだった。
ポールは腰にぶら下げた角笛を吹き、アランへ合図を送った。馬上のアランは振り向くと背中の体験を抜いて掲げ、道の脇にどける様、兵士達に合図を送った。
兵士達は金塊の木箱を積んだ荷馬車の脇に並んだ。テッドとサムもその中にいた。
農民達は皆一様にうつむいてはいるものの、その足取りはしっかりしていて、行進している様にも見える。集団でやってくる彼らを不思議に思ったポールが、急ぎ足ですれ違う彼らの足下を見ると、農民である筈の彼らが革靴や編み上げ靴を履いている。
殆どの貧しい人達は布を固めて作られた靴か、安く手に入る木靴を履いている筈だ。そんな彼らの身をくるんだ布の下から剣先が突き出ていて、武具がたてる金属音が聞こえた。
「気をつけろ、盗賊だ!」
ポールが叫んだ時、その一団は身を包んでいたものを一斉に脱ぎ捨て、それぞれ武器を片手に金塊の箱を積んだ馬車へ殺到した。
明らかに荷馬車の内容を知った上で襲って来ている。胴鎧を着た者、毛皮を着た者、チェーンメイルを着た者など、彼らの服装はまちまちだった。着ている防具の様子からにわか集めの盗賊団なのだろうと思えた。
「金塊を奪え!」
盗賊のだれかが叫んでいる。偶然にも金塊の馬車の前に立ってしまったサムやテッドの所に盗賊達は殺到する。
両刃の剣を手にする者、片刃の剣を手にする者、細身の剣を手にする者など、盗賊達の武器は様々だった。農民の扮装をするのに邪魔となったのか、盾を手にする者はいなかった。
迎え撃つべく馬車の前で剣を抜き、盾を構える兵士達。テッドの横にいた若い兵士が、慌てて逃げようとして北へ走り出したが、すぐに賊達に囲まれてしまった。恐怖のためか、剣が振るえているのが、サムの所からも見えた。散ろうとする兵士達もその光景を見て立ちすくんでいる。
そこで戦いが始まろうとした時、再び盗賊が叫んだ。
「馬車だ! 荷馬車を奪え。」
その声に、賊達は逃げようとしていた兵士から離れ、一台の馬車に向かった。彼らは金塊がどの馬車に乗せられているか知っているらしい。
その様子を見ていたアランも賊に負けじと叫ぶ。
「馬車から離れるな。馬車を背にしろ。二人組んで立ち向かえ!」
街道に飛び出して賊に囲まれそうになった兵士達は馬車の所へ戻り、敵に剣を向けた。
不運にも馬車の前にいたサムの所にも盗賊が来て細身の剣を振ってきた。サムは必死に左手に持つ盾で防いだが、右手の剣はただ突き出すだけでまともな攻撃にはなっていなかった。サムに限らず、若い兵士達はみな腰が引けていて、賊に押されている。
アランは馬上で成り行きを見ていたが、賊の中に飛び抜けた強者はいないと判断し、防戦一方となっている金塊荷馬車へ馬首を向けた。今時珍しいバルディッシュを持った賊の一人が馬目掛けて切りつけてきた。バルディッシュとは、斧を細長くした形状の重い刃を長い木の先にくくり付けた武器で、振り回す事で敵に一撃を加えるものだ。アランは手綱を引きその攻撃を躱すと馬上から両刃の大剣を打ち付けた。賊の武器の柄が折れ、細長い刃先が後方へ飛んだ。勢いの付いているアランの剣は賊の肩にめり込んだ。今日のアランは全く手加減をしていない。その賊は刃先を失った武器を手放しその場にうずくまる。アランはそのまま馬を進め、細身の剣でサムに斬りかかっている賊の背中を馬の前足で蹴り倒した。アランの周囲の敵はその勢いに驚き一斉に引いた。賊達が馬を取り囲むように立ち、馬上のアランを見上げている。
攻撃していた賊が急にいなくなったサムは何が起こったのか理解出来ずに呆然としている。
「ぼやぼやしていると賊に殺されるぞ」
アランの一言で我に返ったサムは再び盾を構えた。ほんの僅かな時間しか戦っていないのに、サムはもう息が上がっていた。
そんなサムの耳に風を切る鋭い音がして何かが頬をかすめた。背にした馬車の荷に矢が突き刺さり、矢羽が震えている。サムの頬から一筋血が流れる。
恐怖にすくんだサムはその場にしゃがみ込んでしまった。
アランは矢が飛んできた方向へ馬を回した。今の矢は自分を狙ったに違いないと思ったアランは林の木陰に人影を見ると、一直線に馬を走らせた。再び飛んできた矢を手にした大剣で振り払う。揺れる馬上で、飛んでくる矢を剣で振り払う等、普通の兵士には出来ない技だ。
林に入った所で馬を下りたアランは、弓を持ち逃げていく敵を追った。秋の枯れかかった草とはいえ、足が取られそうになる。
行き止まりになったのか、敵が立ち止まり振り返った。彼はくすんだ色に染められた毛皮のチュニックを着、黒い布が顔を覆っている。彼は右手で細身の剣を抜いた。確かにその剣ならば弓の邪魔にならない。腰の入ったその構えから、かなりの上級者であるらしい。アランは慎重に前進した。
間近になった敵に上段から大剣を振る。敵はアランの剣先を細身の剣でかわしながらアランの左に回り込み、剣先で脇腹を突いてくる。重たい大剣はすぐには切り返す事が出来ない。かろうじてその剣先を避けたアランだった。やはり侮れない相手だ。敵へ向き直り、中段の構えから再び切り込んだ。その速度に逃げ切れなかった敵は細身の剣と弓を交叉させてアランの剣を受けた。しかし、強度のない弓は折れ、アランの剣は敵の左腕をかすめた。血が流れてはいても浅傷だ。
左手の折れた弓を捨てた彼はその手の人差し指でアランの顔を指した。投げ矢が飛んでくると思い身構えたアランの目前に予想もしていなかった光りの玉が飛んで来た。思わず目をつぶり、大剣で顔を防御する。その隙にアランの脇をすり抜けて、草を踏みしめる足音が来た道を遠ざかる。盗賊の一団に魔術師が加わっているとは予想もしていなかった。
しかし、飛んで来た光の玉はアランを驚かす程度のもので、致命的な傷を負わす力は持っていなかった。魔術師だとしても、それほど強い力を持っていないのかもしれないとアランは思った。
今は荷馬車を守らなければならない。アランは、魔術を使う彼を追うことを諦めた。
荷馬車の周囲では戦いが続いていたが、矢が飛んでくる事はなくなっていた。
矢に驚いてしゃがみ込んでしまったサムの頭上で剣と剣が当たる固い音がした。街道を行進中に世間話をしていたテッドが、賊がサムに打ち込んできた剣を受けたのだ。立ち上がろうとするサムにテッドが声を掛けた。
「ばかやろう。鍛錬しろとあれほどいったのにサボってばかりいるからだ。じゃまだ。立つな、そこにいて敵の足を狙え」
サムは座り込んだまま剣を前に突き出し、振り回した。
「そんな事していたらすぐに疲れるぞ。足をよく見て近づいてきたら狙って切れ」
再びテッドの声が飛ぶ。
別の声が聞こえた。
「俺の足を切るなよ」
最後尾にいたポールがテッドと並んで賊に向かっていた。
まぐれではあるが、サムの剣が賊の一人のスネに当たり、血が飛び散った。初めて人を切った感触が剣の柄を通して体に感じた。思わず剣を落としそうになる。
「あたたた。こいつら変な技を使うぞ」
その賊は、ポールとテッドの影に隠れて剣を突き出しているサムに気がついていないらしい。切られた足を引きずりながらその場から下がる。次いで来た賊がテッドを刺そうとして片刃の剣を突き出した。テッドがその剣を避けると、剣は荷馬車の木箱に刺さり抜けなくなった。動きの止まった賊の足に向かってサムが再び剣を振り回した。その男は突き刺さって抜けない剣を離して倒れた。戦いの邪魔になるからか、男をテッドが蹴飛ばしてどかした。しかし他の荷馬車には目もくれず、賊達は金塊の箱が積まれた馬車にだけ群がってくる。傷ついた仲間へは全く感心を寄せてはいない。
兵士の中にも傷ついた者が何人かいる。この戦いは兵士達が不利になりつつある。
林から戻り再び乗馬したアランは戦いの中央へ馬を進めた。
『警備兵の中には怪我をして剣を使えなくなったものも多い。このままでは賊達に押し切られてしまう』
アランはあせり始めていた。