五十五 ギロの魔術師・輸送馬車護衛(三)
バリアン大陸を南北に通っているカテナ街道は北のサッタ村からガサの町、コルガ村、ダルコ村を経由してガエフ公国を通りさらに南で東へ向きを変え、名前もラマド街道と変わり、更に二つの村を通ってケリーランス公国へ向かう街道だった。
港町ギロはガサの町から西へ少し行った所にあった漁村だった。
ガエフ公国からケリーランス公国へ向かう街道は昔から軍隊や荷馬車が行き来する大きな街道だったが、ガエフ公国からサッタ村へ向かう道は寂しく、近郊の村人が行き交うだけの農道だった。まれに商人の荷馬車が通う事もあったが、すれ違う事が出来ない程細い道だった。
しかしダンク王が何故かギロの漁村に目をつけ、カテナ街道を北上したのは今から十数年前の事だった。軍隊が進軍したおかげでカテナ街道は整備され、大きな荷馬車が行き来する事ができる立派な街道となった。
目的を達したのか、空振りに終わったのかは判らなかったが、ダンク王の軍隊は一部を残して数年で去ってしまった。
カテナ街道沿いで残ったものは点在する宿場村と街道から外れた所にある港町ギロだった。小さな漁村だったギロの村はダンク王の軍船が停泊する様になってからは大きな港町へと発展した。
そのカテナ街道を、金塊を積んだ荷馬車がギロの町へ向かおうとしていたのだ。
ジーナが、犬二匹を連れて金塊輸送の警護を手伝おうとカテナ街道を南下している時、ガエフ公国警備隊のアラン班長はガエフにある魔術師の館前で、警護に当たる十数人の兵士に仕事の内容について説明していた。
「我々の任務は、ケリーランス公国を経由して首都ハダルから運ばれて来た金塊を、カテナ街道を北へ向かい港町ギロまで運ぶ事だ。しかし、最近のカテナ街道は平穏であり、大きな事件も起こらないだろう。良い機会なので、野営の訓練を兼ねてギロの町まで運ぶ事にした。往復五日の旅なので、そう苦しい行軍にはならないだろう。食料や野営用道具を乗せた馬車を連れてゆくので承知して貰いたい」
途中の宿で息抜きが出来ると思っていた兵士達は落胆の声を出したがアランは無視した。
秋も終わりに近いこの季節は雨が降る日が少なく、数日は晴天が続きそうだし、野営といっても楽な道のりだろう。
「アラン班長、金塊は何に使用するのですか?」
兵士の一人が質問した。
「ケリーランスの兵士によれば、銅や鉄の金属は港町ギロで軍船の修理に使うらしい。金塊の用途は聞かされていなかったようだ」
「寝具はどうやって運ぶのですか?」
若い兵士の質問に皆が笑った。
「荷物は毛布一枚と食料だけだ。ポール教えてやってくれ、一時間後に出発する」
アランが信頼してる部下のポールに指示した。
フード付きの上着を着、その上からチェーンメイルを付けた兵士達は武具を持って広場へ集まると、それらを身につけ始めた。中着用のチェーンメイルは細めの鎖で作られた長袖で、肩や肘の所に鎧を止める為の革紐や金具が取り付けられていて、丈は股下まであった。彼らは二人組になって鎧を着け合った。
細身の黒いズボンの上からスネ当てをあてがい、付いている革紐をうしろへまわして止める。膝当てが付いている腿当てもスネ当てと同じように革紐で止め、ずり落ちないように腰の金具へ繋いだ。
鎧の背当て、胸当てを付け、腰の所をベルトで固定する。両腕へ当て具をつけた後で鉄兜を被った。
ガエフの町で歩哨に立つ時には鎧で正装する事が義務付けられており、新米兵士でも戸惑う事なく鎧を着ることが出来たが、今回の様に泊まりがけで遠征した事のある兵士は半分にも満たなかった。年上の兵士が鎧の緩みやよじれを直してやっている。歩哨に立つだけなら問題無いが、鎧を着けて一日中歩くとなると、僅かな緩みが大きな疲れを生じさせるのだ。
一時間後に馬車二台と二頭の騎馬、十数人の兵士は出発した。班長のアランと魔術師のヴァルが乗馬して先頭を行き、その後ろにはロングスピアを掲げた兵士数人が続いた。次に金塊を積んだと思われる馬車、両刃の剣を腰に差した兵士数人、その後ろに雑多な荷物を積んだ馬車が続いた。残りの兵士は最後尾を歩いている。
ポールは金塊を積んだ馬車の脇を歩いていた。
ガエフの出入口となっている検問所を通過し、暫くゆくと近郊の村の女性が立っていた。子供を抱いたミラとその母親のイリヤだ。
アランはヴァルに話しかけた。
「ヴァル様、あの者らと話があるので、先に行って下さい」
「この辺りで賊が出る事は無いと思うよ。アラン殿」
アランはミラの前で馬を下りた。
「ミラ、手紙で呼び出して申し訳無かった」
「とんでもありません。弟のハリーを捜していただけると書いてありましたけれど、お仕事は大丈夫ですか?」
「ああ、一週間の休暇を貰ったので、その間にギロの町で探してみようと思う。ところでアレンは元気か?」
アランはミラが抱いているアレンに笑いかけた。アランに似た名前を付けたのはミラだった。
「はい、相変わらず元気です。あなたのお兄様の子ですもの」
「アラン様、これをご覧下さい。息子のハリーをギロの町へ仕事に出したときの契約書です」
ミラの隣にたっていた母親のイリヤが一枚の巻紙を差し出した。
「イリヤ、それはミラが言っていた契約書ですか?」
「そうです」
巻いてあるパピルス紙を広げるとそこにはハリーが十三年間働くとなっていた。常識的には考えられない長期の契約だ。母親のイリヤは話を続けた。
「四年前に息子を仕事に出した時の契約書です。私が金貨五枚とこの契約書を交換した時には三年と書いてありました。それがいつの間にか十三年に変わっていたのです」
「いつ偽物とすり替えられたのだ?」
「判りません。契約書はずっと家の戸棚にしまったままでした」
母親のイリヤが答えた。
アランはそのパピルス紙に書かれている内容を何度も確認した。書式はアランが見慣れている正規の契約書だった。サインが偽物なのだろうか。
「先週、お母さんがギロの町に行ってサインした人に会ったそうです。でもその契約書は本物だといって相手にしてくれなかったそうです」
幼子をあやしながらミラが言い添えた。
「一週間前に私もギロの町に行っていたのだ。イリヤさんを探したけれど見つけられませんでした」
「アラン様、申し訳ありません。ギロの町は怖い人達がうろついていたので隣のガサの町にある宿に泊まっていたのです」
「ミラもイリヤもこの契約書で騙されたと思っているのだね?」
「そうです。母が契約書を持って帰った時に私も内容を見ました。確かに三年と書いてあったのです。このままでは弟のハリーが可哀想です」
胸にだいたアレンをあやしながらミラが言った。
「判った。この契約書を預かってもいいかな。港町ギロにいって調べて見るよ」
「よろしくお願いします」
金塊を守る警備兵の隊列はかなり先へ行ってしまった。アランは急いで後を追った。
子を抱いたミラとその母親のイリヤは馬に乗ったアランの姿が小さくなるまで見送った。
カテナ街道と平行してカテナ山脈の麓をゆく獣道を南のコルガの村へ急ぐ一団があった。コルガの宿場村へはまだかなり距離があった。
牛革に鱗状の鉄片を縫いつけたラメールアーマーを着た男が先頭を歩いていた。寒さよけなのかさらにその上から厚手の黒いケープを羽織り、ケープの上から両刃の大剣を背負っていたが、長いこと使用しているのか、剣の当たる箇所の生地はすり切れていた。
その男の隣を小柄な男が歩いていた。その男は鉄錆の様な濃い茶色の丈長のローブを着、上に羽織った灰色のケープが冷たい風に煽られていた。頭巾の一種であるドミノを目深に被っているため、顔の半分は隠れていた。この男が羽織る上物の生地で作られたケープは汚れも少なく、金に困っていない者の様だった。
そんな二人の男の前後を十人の兵士達が歩いていた。どの兵士も胴鎧を着ていたが、短い足は剥き出しだった。鎧の胸にはコリアード軍を示す文様が彫られている。皆同じ両刃の剣を腰に差していた。左右の盛り上がった肩の筋肉の間に乗っかっている首を突き出し、前屈みになって歩いていた。
その兵士達のうち数人は大きな荷箱を背負っていた。
先頭を行く兵士が振り返って聞いた。
「魔術師様、こんな山道でどの様な訓練をするのですか?」
「私の指示に従って黙って進め」
「しかし、山道は陽の沈むのが早い。急いだ方が良くはありあませんか?行き先を指示していただければ先に行ってます」
「今夜はこの先にあるコルガ村で一泊するのだ。このままでよい」
「俺たちも同じ宿ですか?」
「そんな訳はなかろう。お前達は野宿だ」
兵士達は疲れ始めているケープを羽織った男の歩調に合わせてゆっくりと進んだが、統率のない集団がだらだらと歩いている様となった。
後ろを歩く一人の兵士が隣の兵士に話しかけた。
「兵卒長、今回の命令は訓練と聞いていましたが山道を歩くだけで訓練といえるんですか?」
「さあな、俺たちにとって魔術師様の命令は絶対だからな」
「生みの親が幹部魔術師様の兵卒長でもあの魔術師様の言う事を聞かなきゃならないのですか?」
その兵士は先を歩く灰色のケープを羽織った男を指していった。
「ああ、そうだ。正規の命令書を持っていたからな。それに魔術師会の命令には絶対服従するのが俺たちのつとめだ」
「兵卒長、そろそろ食事にしたいのですが」
「判った」
兵卒長と呼ばれていた兵士が灰色のケープを羽織った男に話しかけた。
「魔術師様、お疲れの様ですが休憩にしませんか?」
「お前達が休みたいというのなら仕方がないだろう」
灰色のケープを着た男は余程疲れていたのか、すぐに近くの木を背に座り込んだ。
「魔術師様、食事をしたいのですが、よろしいですか?」
「好きにしろ」
「では食事を支給して下さい」
「なんだ、お前達、食い物を持ってこなかったのか?」
「泊まりがけになるとは聞いてませんでした」
背に大剣を挿した男がその兵士にいった。
「お前達、そんな事は考えれば判る事だろう」
兵卒長はその男の言葉を無視して灰色のケープを羽織った男へ詰め寄った。
「我々は食い物がないなら帰るか、狩りをするしかありませんがこの辺りに食料になる動物がいそうにないですよ?」
「何処かに牛や馬を飼っている農家があるだろう。勝手に狩りをして来い」
「民家を襲うことは禁じられているんですが」
「緊急事態だ、行ってこい。だが人に見つかるなよ」
背中の荷物を置き、兵士全員が道ではない藪を街道へ向かって分け入っていく。
胴鎧や剣がぶつかり合ってたてる音が次第に遠ざかっていく。
「兄貴、あいつら俺を無視しやがった」
「そう怒るな。少し休憩しよう」
小柄な男は足を揉みながら返事をした。
「兄貴、のんびりしていて良いのか?コルガの村に着く前に陽が暮れるぞ」
「彼らには野宿をさせる。コルガの宿は夜中でも客を泊めるから大丈夫だ」
「あいつら何処の連中なんだ、兄貴」
「今は言えない。仕事が終わったら教えてやろう」
弟らしい男が空を見上げて言った。
「兄貴、秋なのにコマドリが飛んでいるぞ」
背がオレンジ色で白い腹をした小鳥が木々の間を飛んでいた。
「南へ帰りそびれたのだろう。さっきから俺たちの後を付いて飛んでいるところを見ると俺たちが食い物を落としていくと思っているのかも知れない」
兄貴と呼ばれてた男が答えた。
やがて兵士達が一頭の牛を担いで戻ってきた。その牛は既に死んでいたが、僅か十人で藪の中を担いできた事に休憩していた二人の男は驚いた。
兵士達は横たわっている牛を中心にダガーを抜いて集まった。それを見ていた大剣を背負った男がいった。
「お前達、牛を解体している時間は無いぞ」
「そう思うならお前も手伝え」
「おい兵士、誰に向かっていっているのだ」
「破落戸のお前も腹が減ったのだろう。俺たちと一緒に食っても良いぞ」
顔を真っ赤にして背中の大剣を抜こうとしている男の手を小柄な男の手が押さえた。
「止めておけ。お前は短気でいけない」
「けれど兄貴。あいつらにあんな事を言わせておいていいのか」
「我慢しろ。あいつらに反乱されたら俺とお前では押さえきれないからな」
「そんな事はないだろう。前にガサの魔術師の塔にいた兵士達は俺が斬りつけたら慌てて逃げていったぞ」
「あの半端な連中と一緒だと思って舐めると痛い目をみるぞ」
兵士達は担いで来た牛を解体し始めた。
過去に何度も同じ事をした経験があるのか、見事な手際でさばいていく。中には捌きながら口に入れる者までいた。二人の男はあっけにとられてしまった。
「お前達、火は使うなよ」
灰色のケープを羽織った男が兵士達に注意したが、その時には彼らは牛の肉を生のまま食べ始めていた。二人はその食べる速度にさらに驚かされた。
気を遣ったのか、さっきの会話を覚えていたのか、兵士の一人が生肉の塊を二人の男へ向かって投げた。二人は足下に転がっているさばきたての肉を見つめるだけで手を出そうとはしなかった。
しばらくは兵士達の食事の音だけが林の中で聞こえていたが、やがて遠くでざわめく声が混じって聞こえ始めた。
「静かにしろ」
灰色のケープを羽織った男が言った。一瞬の静寂の中に大声で叫んでいる人の声遠くからが聞こえた。ざわめきは村人の声だったのだ。
「人が来る。逃げるぞ」
牛の生肉にかぶりついていた兵士達は慌てて立ち上がり、手にしていたダガーを握ったまま、空いた手で荷物を持ち南へ向かって走り始めた。
後も見ずに走り出した兵士達に呆れながら大剣を背負った男は地面を一通り見渡した。忘れ物は無さそうだった。
二人の男は兵士達の後を追って走った。
陽は西に傾きかけ、カテナ街道はまもなく夕暮れを迎えようとしていた。
両刃の大剣を背負い、馬に乗ったダンは一度コルガの村を通り過ぎたが、再びコルガの村とガサの町の中間地点へ戻ってきた所だった。馬が疲れ始めていると思ったダンは馬から下りて道をゆっくりと歩いていた。
昼前にガサの町にあるダンの鍛冶屋を出た犬連れの魔術師とはまだ会えずにいた。あの魔術師姿のジーナが、姿を消す魔術を使って旅をしているとも思えない。それに二匹の犬をつれているのだ。しかしこの時間になっても会えずにいた。
一ヶ月半前に初めてジーナに会った時には魔術師でも兵士でもなく、ダガーの扱いが上手いだけの、一匹の白い犬を連れた少女に過ぎなかった。
しかし今日会ったジーナと思える魔術師は、ダンがこれまで会った事のあるどの魔術師よりも魔術師らしかったし連れているのは黒い軍用犬だった。また、どの様ないきさつで入手したものなのか、今日は闘犬まで連れていた。その姿はどこから見ても生粋の魔術師で、女性らしいジーナの面影は何処にも無かった。
瞳の色まで違って見えた。どの様なトリックを使ったのか、それともジーナが本来魔術師であったのか、ダンには判らなくなっていた。
ダンは心の隅で、ジーナが魔術師では無いことを願っていた。ダンには魔術師との苦々しい思い出しかなかったのだ。
東側の、刈り取りが終わった畑の奥にある農家で人だかりがしているのが目に入った。興味をそそられたダンは畑のあぜ道を、馬を引いてその民家へ向かった。
両刃の大剣を背負って近づいてくる大柄なダンに村人達は身構えていた。
「何かあったのか」
ダンが近くにいた農民に聞くと、その農民はたまたま手に持っていた鎌をダンに向け言った。
「俺の牛を盗んだのはお前ではないだろうな」
「とんでもない。俺は今街道をやってきた所だ。馬に乗っている俺が牛を襲う訳がないじゃないか」
「確かにあんたには仲間もいないようだ」
「牛が逃げたのじゃないのか?」
「そんな事あるもんか。逃げる理由が無いし、逃げたって食べる草も枯れてしまってないだろう」
村人はそう言いながらダンに切れた綱を見せた。確かに刃物で切られた断面だった。
「他の村人ではないのか?」
ダンが余計な事を言ってしまったらしい。そこにいた村人全員が目をつり上げてダンを睨んだ。
「近所の家の物を盗むような者はこの村にはいないぞ。お前は誰なんだ、盗賊の片割れか?」
「待て、落ち着け、俺はガサの町で鍛冶屋をやっているダンだ」
「ダンという男の名なら聞いた事がある。ガサの町からならず者を追い出したという話だ」
「だが、この男があのダンだという証拠は無いぞ」
ダンが名乗った事について村人同達が話あっている。
ジーナが二匹の犬の為に牛を盗んだのではないだろうか。ダンは不安になったが、小柄なジーナと犬二匹だけで牛を襲い、何処かへ連れていく事は不可能だろう。
ダンは近くの木に馬を繋いでから周囲の地面を見て廻ったた。村人はダンのしている事を見守っている。
ダンは山へ向かって踏みしだかれた草の跡を見つけた。後ろを振り返って村人に確認する。
「だれか此処を歩いたか?」
村人全員が首を横に振った。
少し山へ向かったところで血の跡を発見した。
「見ろ、ここで牛が殺されたに違いない」
牛が暴れて傷つけたのか、近くに立っている木の幹の皮が剥がれたり、擦り傷がついたりしていた。周囲にはかなりの血が飛び散っていた。
足跡はさらに奥へ続いていて、牛の血が点々と続いていた。
「もっと奥へ行ってみよう」
暫く歩いた先には作られたばかりの空き地があった。低い枝が切り払われ、小木はなぎ倒されていた。
その空き地のほぼ中央には牛の残骸が散らばっていた。中には食べかけの生肉もあった。その跡から十人以上の人間が食べたに違いないと思われたが、たき火の跡は見つからなかった。
「誰かたき火の煙を見た者はいないか?」
村人達に煙を見た者はいなかった。昼間では目立つと思った盗賊達が肉を生のまま食べたのだろう。切り取られた肉の量からして、食べ残りを何処かへ運んで夜中にたき火をして調理するのだろうとダンは思った。残骸からして相当量の肉が運び去られたに違いない。十人程度の人間ではとても食べきれない量だっただろうと思ったのだ。また生肉をそのまま食べる人間は誰もいなかった。その様な事をしたらすぐに腹を下してしまう。運が悪いと死に繋がる事もあった。しかし、未調理のままここで食事をしたという事はよほど腹を空かせていたに違いない。
「肉を生で食うなんて野蛮なやつらだな」
そういった村人にダンは行った。
「火をおこすと煙が上って見つかると思ったのだろう」
ダンは一本のダガーを拾った。全長三十センチ程度の小振りな片刃のダガーで、柄は粗末な木製だった。コリアード軍に入隊するとすぐに支給される安物のダガーだった。
剣は戦いの時にしか使用しないが、ダガーは木の枝を払ったり、食事の肉を切り分けたり、様々な事に使われた。しかし支給される安物のダガーはすぐに切れ味が悪くなり、剣先が曲がってしまう事もあった。従って殆どの兵士は金が出来ると各々気に入ったダガーを買い求めて腰に差していた。軍に返された支給品のダガーはまとめて鉄屑として売られる事になるのだった。
支給品のダガーが落ちているという事はコリアード軍が近くにいるのだろうか。
「盗賊だ。盗賊に違いない」
村人の一人が呟く様な小声で言った。
ここ数年は大きな盗賊騒ぎが無かっただけにダンは軍隊が関わった可能性の方が高いと思った。あるいは、脱走兵の仕業なのだろうか。しかし村人は盗賊と思ったらしい。
「今夜は皆で盗賊の備えをするんだな」
「あんたを牛泥棒と間違えて住まなかった。今夜は皆で夜警をする事にしよう」
一時間の休憩が馬を元気にしていた。まもなく陽が暮れると思ったダンはコルガの宿へ向かった。コルガの村で一泊するか、ダルコの村へ夜道を行くかは決めかねていた。
ジーナは灰色のケープを着た男が率いる兵士の一団の少し北よりに潜んでいた。兵士達の様子は小鳥のピーの目を通して探る事ができた。話し声はジーナが幼い頃から付けている魔石の腕輪の力で盗み聞く事ができた。しかし、小鳥の目を通して見える風景には不鮮明なところがあり、人の顔を判別する事は出来なかった。
大きな木の下に屈み込んだジーナの両脇に二匹の犬が寄り添っていた。
『ジーナ、あいつらを追い越さなくて良いのか?』
異界の指輪であるアルゲニブが心の中に話しかけてきた。
『大丈夫よ、アルゲニブ。彼らは今夜コルガの村に泊まるらしいからその間に夜道を急ぐわ。今のうちに寝ておきましょう』
ジーナは腰のポシェットから金貨と銀貨を取り出し、背面を合わせてこすりだした。
軋むような金属音が迷惑なのか、二匹の犬が一度は瞑った目を開けてジーナの手元を見ている。
金貨や銀貨は表面にはコリアード家の文様が描かれているが、裏側は平坦で、発行元を示す魔術師会の刻印が彫られていた。表の文様は金や銀を流し込む型に掘られたものが浮き上がっているだけなので手間をかけられてはいなかった。裏の刻印は溶けた金属が固まる前に刻印用の型を押し当てて作っていた。
『ジーナ、何をしているのだ。そんな音を出したら眠れないではないか』
アルゲニブが話しかけた。
『あなたは眠りなんか必要ないでしょう』
『俺は犬たちの変わりに言っているのだ』
『金貨の裏に魔法陣を描こうと思ったら魔術師会の刻印が邪魔になったの。だから削ろうと思ったのよ』
『それなら細かい砂を付けてすり合わせる早く削れるぞ』
『さすが年の功ね、アルゲニブ』
ジーナが地面の土を拾おうとするとアルゲニブが慌てて止めた。
『そんな荒い土では傷だらけになるだけだぞ』
少し考え込んだジーナはポシェットから黒い小袋を取りだし、中に入っている白い粉をつまんで金貨の裏面に塗った。
『それは魔石の粉末だな? そんな貴重な物を使う何で勿体ないではないか』
『大丈夫よ。回収するから』
ジーナは小袋の口を広げ、その上で金貨と銀貨の裏面をこすり合わせ始めた。削られた金粉、銀粉と魔石の粉末が小袋に落ちていく。
魔石の粉末が持つ魔力の効果なのだろう、金貨の裏面が次第に平らになっていく。触ると熱を持っていた。
魔石の粉末とは、魔術師が作り出す魔族に必ず付けられている、魔石のかけらから作られた指輪を焼き、不純物を取り除いた粉だった。
この方法を教えてくれたのは初めてジーナに魔術を教えてくれた流れの女魔術師キーラだった。それはケリーランスにいた頃で、キーラはジーナの幼い頃からの保護者だったローゼンの親友だった。
そのキーラもジーナに魔石の粉末の効果を教えてくれた訳ではない。ジーナは自ら試して見る事でその効果を確認していた。しかし、魔石の粉末がそう簡単に手に入る訳ではない。ジーナは幸いな事にガサの町にある魔術師の塔での、魔族との戦いで多くの魔石の粉末を入手する事ができていた。
『ジーナ、なんでもかんでも一つの袋に入れると後で分けられなくなるぞ』
『なんでそれを先に言わないのよ、アルゲニブ。もう始めちゃったじゃない』
『以前にも私の異界での主人だったお方の血が乾燥した物を同じ袋に入れていたな』
『そんな事、いまさら言われたって』
それはフーゴとハンスがガサの魔術師の塔へやってきたその日の事だった。アルゲニブの勧めで四階の魔法陣の部屋に飛び散ったまま乾燥していた魔法貴族の血をかき集めたのだが、それを魔石の粉末が入っている小袋へ入れてしまったのだ。
『ジーナ、女の娘はもっと繊細で綺麗好きなんじゃないかな』
『じゃあ、アルゲニブは私が女として魅力が無いと言うのね』
金貨をこすり合わせているジーナの手に力が入った。凄い早さで削られていく。軋むような音も大きくなった。
余程気持ち悪い音だったのか、バニッシュが盛んに鼻を鳴らしてジーナの顔をのぞき込み、前足でジーナの膝を突いている。
『ジーナ、俺が悪かった。謝るからもう少し穏やかにやってくれ。それに大きな音を立てると敵に聞こえるぞ』
指輪のアルゲニブが懇願する様に話しかけた。
さすがにそれは拙いと気付いたジーナは穏やかに作業を進めた。
やがて兵士達が牛を盗んできて食事を始めたようだ。牛を解体する音が聞こえてくる。しかしたき火をたいている様子はない。ジーナの心に兵士達へのある疑惑が浮かんだ。
肉の匂いに反応したのか、闘犬のバニッシュがジーナの顔を見あげた。
「バニッシュ、お腹がすいたのね。でも今は我慢しなさい。今夜は寝られないから今のうちに休むのよ」
ジーナがこする金属の単調な音が続く。二匹の犬は、甘えるようにジーナの両膝に頭を乗せてまどろんでいる。
突然遠くにいる兵士達が慌ただしい物音を立て始めた。近郊の村人らしい話し声も別の方角から聞こえて来る。ジーナも慌てて立ち上がり、小袋と金貨をポシェットにしまった。
「あんた達、行くわよ」
こんな所で先を行く兵士の一団や村人に見つかる訳には行かない。
ジーナは兵士達と一定の距離を取りながら後を追った。途中で兵士達の食事跡に遭遇した。ジーナとバウは通り過ぎようとしたが、バニッシュが立ち止まった。仕方がない。
「あんた達、食べたい肉を加えて付いておいて」
ジーナはそう言い置いて走り続けた。二匹の犬は肉を咥えてジーナの後を追って来た。半時間ほど走ってからジーナはカテナ山脈側の藪へ分け入り、高い木の下で座った。二匹の犬はジーナの前で立ち止まり、咥えていた肉をはき出した。
バニッシュがすぐに食いつこうとすると、バウが前足でバニッシュの頭をこづいてジーナの顔を見つめた。勝手に食うなとバニッシュをさとしたのだ。この様な時、ジーナが先に口にしないとバウが不機嫌になる事を知っているジーナはダガーを抜き、バウが咥えてきた肉から一切れ取り、二匹に言った。
「食べても良いわよ」
余程腹が空いていたのだろう、待ちきれなかったバニッシュは盛んに尻尾を振り、肉に食らいつく。ジーナは煙が目立たない程度の小さな火をおこし、その上に肉を置いた。焼けるまで少しの間があった。バウはジーナが食べ始めてから目の前の肉に口を付けた。
ジーナはダンがすぐそばまで来ている事に全く気付いていなかった。
前節(五十四話)から随分と間が開いてしまいました。今月末に更新と思っていましたが、まとまった時間を得る事ができましたので投稿する事にしました。
本当に不定期な更新で申し訳ありません。
(次話は七月に入りそうです)
いつもの事ながら、細かい修正は更新までの間に行わせてください。
ジーナの事、よろしくお願いいたします。