五十四 ギロの魔術師・輸送馬車護衛(二)
陽が昇り始めた頃、ガサの町にある魔術師の塔ではフーゴとハンスの二人が騒ぎ立てながら二匹の犬を伴って裏山への散歩に出かけ、塔内が静寂を取り戻したところだった。
エレナとシンディが塔の一階にある井戸の脇で洗濯をしていた。この井戸は塔の中にあり、四階まで突き抜けていた。桶に繋がっている太い綱が四階の天井からぶら下がっていて、どの階でも使える様になっているのだ。
一階にだけ井戸の脇に広い洗い場があって数人で洗濯できる様になっていた。石造りの床には排水の為の小さな溝が掘られていた。
一階の大広間でレグルスに会ってから一時間後、魔術師の姿に着替えたジーナは塔の三階にあるレグスルの居室を訪ねた。
「ケルバライト殿、夕べ遅くにガエフのランダル殿から手紙が届いたのだ」
レグルスはそういって筒状に巻かれたパピルス紙をジーナに差し出した。
ランダルとはガエフ公国の魔術師会をまとめる大魔術師長で、若い頃はレグルスの弟子だった。かつてはコリアード王家の魔術師修練所長だったレグルスがその地位を追われ、魔術師長となった今ではランダルの方が位が上だったが、ランダルは今でもレグルスを師と仰いでいた。
その手紙には、金塊を積んだ荷馬車がカテナ街道をギロの町へ向かうので、その馬車の警護をしてほしいと書いてあった。警護はガエフ公国の警備兵が担当するのだが、それとなく見守って欲しいというのだ。
「それとなく見守るとはどういう事でいしょうか」
「あくまでも噂だが、バリアン大陸の他の街道で金塊が襲われた時に魔術が使われた可能性があるらしい。何よりも困っているランダル殿を助けてやりたい」
「レグルス殿、魔術なら魔術師会以外にもコリアード家から隠れている流れの魔術師がいます。その者達の可能性の方が高いと思うのですが」
「それもあり得るな。いずれにしても一般兵だけでは相手が出来ないかも知れない。かといってよそ者が警備隊に加わる口実がない。ガエフの警備兵を疑う訳ではないが、襲う側に関係者がいる可能性もある」
「判りました。私がそれとなく警護をしましょう」
「飼い犬が一匹増えたし、食費も嵩むだろう。金塊輸送馬車の警護が終わったらランダル大魔術師長殿に報酬を要求してみるか。嫌とは言わないだろう」
レグルスは笑いながら言った。
「犬が増えた事をご存じでしたか。あの犬はバニッシュという名の闘犬です。闘犬飼いに飼われていたので訓練はされています。不用意に噛みつく事はありません」
「判った。金塊を乗せた馬車は今日の昼にガエフの町を出るらしい。急がせて申し訳ないがよろしく頼む。
数日早く判っていればガエフを出る時から見張る事が出来たのだが、今からではカテナ街道の途中で金塊を乗せた馬車の一団と出会う事になるだろう。しかし、人が多いガエフ公国の近くで襲われる心配は無いと思う」
ジーナは旅支度をした。
腰に二本の鎖を巻き、湾刀型のダガーを差して上着に投げ矢を数本忍ばせる。腰に巻いた鎖の先には折りたたみ式の刃がついていて、鎖鎌として使用できるように工夫してあった。
顔に黒い布のマスクをして帽子を被る。
バウに鎖帷子を着せた。戦いの準備でもあるが、なにかあった時に山犬と間違われない為だ。
文様の杖を手にして大広間に出てシンディを呼んだ。
「シンディ、小鳥のピーを連れて行く。数日で戻るぞ」
男の声でシンディに言い、心の中で小鳥を呼び寄せる。
魔法で出来た青い鳥かごから小鳥が出てきて魔術師のマントを着たジーナの肩に留まった。
「ケルバライト様、ピーちゃんが寒がらないかしら」
ジーナが古代語を唱えると小鳥が留まった肩の所に魔法で出来た鳥かごが出現した。ジーナが暇な時に鳥かご用の魔法陣をマントの肩に刺繍しておいたのだ。
その鳥かごを生み出す魔法陣は魔術師の塔の地下室でジーナが研究したもので、暖かい風の筒を作り出す事ができた。何故青色になるのかはジーナにも判らなかった。
「シンディ、ジーナと旅に出る。五,六日留守にするぞ」
「お気を付け下さい」
六歳のシンディが大人びた口調で言った。
まだ塔の人達になついていないバニッシュを残していけないと思ったジーナは連れてゆく事にした。
バニッシュは歩きながら鎖帷子姿のバウにじゃれついている。バニッシュも鎖帷子を欲しいのかも知れない。ジーナはバニッシュが夢の中で横腹を刺された事を思い出した。
街道へ出たジーナはダンの鍛冶屋へ向かった。相変わらずビルが店番をしながら石投げをして投げ矢の練習をしていた。最近は随分上達したようだ。
ビルはガサの町の北にあるなめし革を加工する人達が暮らす村に両親と暮らしていたのだが、二年前、五歳の時に火事に遭い、住む家と両親を失った。それ以来ダンが面倒を見てきたのだ。
ビルが恐る恐るバウの頭を撫でている。白毛のバウとビルは仲が良かったが、目の前にいる黒毛の犬がバウと同じ犬である事に気付いていないのだ。バウの隣にいるバニッシュにはさわれないでいる。兄貴分であるバウが機嫌よく尻尾を振っている事に気付いた茶毛のバニッシュは合わせる様に自分の尻尾を振った。
ジーナは男の声でビルに話しかけた。
「ダンはいるか?」
「お待ち下さい」
「ビルが奥の作業場からダンを連れてきた」
ジーナはバニッシュを指していった。
「この犬に合う鎖帷子はないか?」
「戦いでもあるのか?」
ダンは不安そうに聞いた。魔術師がジーナの一人二役ではないかと以前から疑っていたダンは、ジーナがまた危険な事をするのではないかと思ったのだ。今から一ヶ月半前に突然ダンの前に現れたジーナは、その後魔術師の塔で兵隊達へ戦いを挑んだ。
幸いに勝利する事ができた。その後も陰でならず者と戦っている様だが、いつも幸運が味方するとは限らない。
「この犬の訓練も兼ねて短い旅をする」
「じゃあ、急いで用意する必要があるな。ちょっと待ってくれ」
ダンは作業場から目盛りが書き込まれた細紐を持ってきた。
「犬を押さえておいてくれ」
「判った」
ダンが胴回りや背丈を測っている間、バニッシュは温和しくしていた。
「良く訓練されているじゃないか」
「港町ギロにいるゼップから買い取った犬だ」
「闘犬を飼って商売にしている男がいる事は知っているが、名前は知らなかった。その男は髪が薄くなかったか?」
「そうだが、知っている男か?」
「いや、違う男だろう」
ダンは十年以上前に首都ハダルでダンク王の親衛隊と遭遇した時に会った騎士の一人を思い出していた。その男はポールアックスの名手として名を轟かしていたゼップという人物だが、こんな辺鄙な田舎にいる筈がない。同名の違う男だろうとダンは思った。
ポールアックスとは、全長二メートル前後の武器で、先には戦斧の刃と槍先が組み合わされた武器がついており、反対側の石突きの部分も尖らせていて、付く事も斬りつける事も出来る武器だった。斬りつけるといっても敵の鎧を切断するのではなく、武器の重さで鎧や兜を殴りつけるといった表現が近い。また、斧の角を敵の武具に引っかけて倒す等という使い方もできた。
ジーナはゼップに金貨三枚を渡す約束をしていた事を思い出した。
「ビル、頼みがある」
「なんですか?魔術師様」
「ギロの町に闘犬飼いのゼップという男がいる。その男に金貨三枚を渡して欲しい」
ジーナはそう言ってビルに金貨を渡した。
「今すぐですか?」
「いや、二、三日中に届けて貰えば良い。出かける時は親方の了解を貰えよ」
「ビル、魔術師の館で仕事をする時間内だったらよいぞ」
「判りました親方」
一時間もダンの店の前にいる事が出来ないと思ったジーナはダンが作業場に消えたあと、いつもダンが鍛錬をする裏山の広場へいく事にした。ジーナは女の姿でダンと共に鍛錬をする事もあったが、魔術師姿でその場所を使う事は珍しかった。
ジーナは普段魔術師の塔の裏山にある同じような広場で鍛錬をしていた。魔術師の塔の近くに一般の人が近寄る事が殆ど無かったからだ。
坂道を登った先にある鍛錬の広場には先客がいた。ウイップのゼルダだ。大柄なダンに負けない大女のゼルダはいつもの胴鎧ではなく、厚手の革の上着を着ていた。膝下まで編み上げてある革のスネ当てが付いたサンダルはいつも履いている物だった。
鉄鋲を編み込んだウイップを渦巻き状に巻いて腰にぶら下げていた。
そんな格好でも寒そうに見えないのはゼルダの筋肉質な体型の所為なのだろう。両刃の大剣を手に、仮想の敵に向かって攻撃の型を繰り返していた。
人の気配に気付いたゼルダは鍛錬していた剣をとめて二匹の犬と魔術師姿のジーナを交互に見ている。ジーナはそんなゼルダを無視して鍛錬を始めた。
ダンから教わった杖術の基本形に、かつて暗殺者のチャンから教わったダガーの舞いを組み合わせたものだ。いつも鍛錬に使っている杖は重さが三キロもあったが、文様の杖は重さが半分くらいしか無かった。杖の速度が速くなりがちなのを押さえていつもの様にゆったりと振る事を心がける。
『型の鍛錬は速度や力ではなく、気を整える事にある』
口癖のように言っていたチャンの言葉をかみしめながら、呼吸と気の間合いを意識しつつ型をなぞる。
一通り終わった所でゼルダが話しかけてきた。
「見た事がない杖術の型だね。魔術師様の工夫かい?」
「そうだ」
「私と鍛錬しないかい?」
ゼルダが両刃の大剣を構えた。ジーナは返事の変わりに杖の先をゼルダ向ける。左手で石突き近くを握り、右手で杖の中間を軽く握った。基本形だ。上から落ちてくる両刃の剣に対して右手を返しながら杖の先で受ける。ゼルダの剣はダンほどの速度はないが、力が強い。力負けして隙が出来た胴を、切り返したゼルダの剣が襲う。しかし速度ではジーナの杖が勝っている。石突きを持つ左手を後ろに引きつつ、杖の中間で受ける。ゼルダの攻撃は休む事なく続くが、その攻撃が単調である事と、ジーナの杖の速度が速い事でゼルダの剣の相手をする事が出来ていた。
力だけで戦ったのでは大剣の二,三振りでジーナは負けていただろう。それに杖では決定的な攻撃は出来ない。喉を突いて命を奪う技をジーナは知っていたが、鍛錬でその技を使う訳には行かなかった。
また、文様の杖には秘密があって、力強く振り回すと中に隠されている槍先が飛び出す仕掛けがあり、ショートスピアとして戦う事が出来たが、その仕掛けは今まで使った事が無かった。
突然ゼルダの攻撃が止まった。ゼルダの視線を追うと、バウとバニッシュが激しい戦いをしていた。
「魔術師様、あんたの犬がケンカをしているよ。止めてやりな」
二匹の犬からは攻撃の気持ちが伝わって来ない。ジーナとゼルダの戦いを見て、自分達も鍛錬に参加したくなったのだろう。じゃれ合っている事がジーナには判ったが、大型犬二匹の本格的なじゃれ合いは普通の人が見たらケンカに見えて当然だった。
「遊んでいるだけだ」
バウが唐突に近くの木の枝に飛び上がった。バニッシュが飛びかかるが届かない。バウを真似て低い枝にバニッシュが飛び上がったが、バウの様に枝の上で立っている事が出来ずに落ちてしまった。バニッシュは悔しいのかその動作を繰り返している。
「変わった犬を飼っているな」
何が可笑しかったのか、ゼルダが笑い出してしまった。
「今日は終わりだ、魔術師様のおかげでたっぷり汗をかく事ができたよ。それだけ強ければ魔術など必要ないと思うよ。魔術なんで弱い者がすがる術だ」
確かにそうだとジーナは思った。
ジーナが軽い運動をして息を整えていると、鍛錬の終わりを感じとったバウとバニッシュがジーナの足下へ寄ってきた。今朝方の夢の同調のおかげでバニッシュとも心を通わせられる様になったのかも知れない。
「魔術師様は何処へいくんだい?」
坂道を下りながらゼルダが聞いた。
「ダンの鍛冶屋へ寄った後カテナ街道を南へ向かう」
魔術師に余計な事を聞いてはいけないと思ったのか、ゼルダはそれ以上聞いてこなかった。
二人と二匹は揃ってダンの鍛冶屋へついた。ダンがバニッシュ用の鎖帷子を持って立っていた。ゼルダが先に話しかけた。
「ダン、それはなんだい?」
「犬用の鎖帷子だ」
「珍しいね」
「戦が多かった頃には軍用犬に必ず着せたものだ。戦が無くなった最近では犬に着せる事はなくなったがな。ゼルダ、魔術師と何をしていたのだ?」
「ダン、魔術師様のおかげでいい鍛錬になったよ」
「ゼルダ、魔術師を相手に剣で遊んではいかんぞ」
ダンの目は笑っていなかった。ジーナと魔術師が同一人物だと感づいているダンはジーナがゼルダの遊び相手にされる事を良く思わなかったのだ。
「何を言っているんだいダン、この魔術師様が本気を出したら、私は命がなかっただろうさ。遊んで貰ったのは私の方だよ」
確かにゼルダと鍛錬をしている間中ジーナは攻撃を受けるだけで、積極的にゼルダへ攻撃仕掛ける事はなかった。それだけジーナには心の余裕があったと言えるかも知れない。
ダンがジーナにいった。
「犬が動かない様に押さえていてくれ。ところでいつ戻るのだ?」
「一週間くらいだ」
ジーナは、ダンが鎖帷子を着せる間バニッシュの頭に触れ、動かない様に指示をした。
ダンが出来立ての鎖帷子をバニッシュに着せている間中、盛んに尻尾を振っていた。余計な物を体に付けられる事を嫌がりそうなものだが、兄貴分のバウと同じ姿になった事を喜んでいるらしい。
「付け終わったぞ。犬の体に会わない所があるかも知れないが、直しは帰ってからだな。急ぐのだろう?」
ジーナは礼をいう替わりにポシェットから金貨を出してダンに渡した。
「余り物の材料で作った鎖帷子だこんな金は受け取れないな」
金貨を返そうとするダンを無視して魔術師姿のジーナは街道を歩き始めていた。
その後ろ姿にダンは大声で言った。
「金の無駄遣いはほどほどにしろよ」
「ダン、魔術師様にそんな口を利いて大丈夫なのかい」
「ああ、あの魔術師は港町ギロの魔術師と違うからな。ゼルダ、店番を頼めないか?」
「あんたも何処かへ出かけるのかい?」
「雪が降る前に地鉄を仕入れたいのだ」
地鉄とは鍛冶屋が材料とする鉄の塊だ。この地鉄を炉で溶かして農具や武具を作るのだ。
「地鉄ならギロの町でも手に入るだろう?」
「そうなんだが、鋼を手に入れたくてな」
「誰から武器を頼まれたんだい?」
「俺は剣やスピアは作らんよ。鎌の刃にするんだ」
農具の刃を鋼で作る鍛冶屋はいなかった。鋼が高価なこの地方では、そんな農具を村人が買うことが出来なかったからだ。
街道をゆく魔術師の後ろ姿を見ながら話をするダンの顔を見たゼルダは、魔術師の後を追う口実にしたのだろうと思った。地鉄の話は嘘ではないにしても今思いついた言い訳に違いないのだがそれ以上ダンを追求しなかった。
「判ったよ。私が留守番をしてあげる。けれど鍛冶屋は出来ないから店は閉めるよ」
「ああ、ビルの面倒を見てくれればよい。ビル、一週間したら戻るからな」
「親方、店が休みの間魔術師の塔へ行っていても良いですか?」
「ああ、好きにしてくれ」
「ビル、塔へ何をしにいくんだい?」
「ゼルダさん、俺はレグルス魔術師長様からお仕事を頂いているんだ」
「あそこでビルに出来る仕事があるのかね」
ゼルダは信じられないという顔をした。
「ビルはあそこにいるシンディという女の子に会うのが目的なのだ。そうだろう、ビル」
「親方、違うよ。ちゃんと仕事を任されているんだから」
ビルが魔法陣に対する特殊な能力を持っている事を知ったレグルスは、魔法陣の研究と記録の仕事をビルに手伝わせていた。しかしビルはその事を言う訳にはいかなかった。誰にも言ってはいけないとジーナからきつく口止めをされていたのだ。もしその事がガサの町で噂になって港町ギロの魔術師や警備兵に知られるとビルの命ばかりではなく、関係した人達にも迷惑をかけるかも知れない。ジーナはそうビルに言ったのだ。
バリアン大陸の各町に少なくとも一人はいた祠祭師が、魔術師会が台頭すると姿を消した理由もそこにあった。しかし祠祭師達が姿を消した真の理由を知る者は殆どいなかった。名前だけで能力を持たない祠祭師はその職を捨て、町の世話役や商人になった。能力のある祠祭師の殆どは魔術師に転身した。しかし一部の祠祭師は一斉に姿を消したのだ。魔術師の塔の二階で寝たきりとなってしまったルロワの両親もそんな能力を持つ、姿を消した祠祭師の一人だった。
ビルに能力がある事はジーナとレグルスしか知らなかった。ビル自身、人と違う能力を持っている事に薄々気付いているが、子供のビルはその本質までは理解していなかった。
「ビル、私はこの店で留守番をしているからあんたは好きな子の所へいっていな。あそこには料理の上手な女もいるという噂だからね。居心地も良いだろうだ」
「有り難う、ゼルダおばさん」
ゼルダが幼いビルの顔を両手で強く挟んで言った。
「おばさんじゃないよ、お姉さんといいな」
その光景に失笑したダンは会話を切り上げてギロの町にある貸し馬屋へ向かった。これから旅支度をするのに時間がかかるし、帰りの事もある。馬で魔術師を追いかけようと思ったのだ。
魔術師姿のジーナはバウとバニッシュの二匹の犬を連れてカテナ街道を南へ歩いていた。ガサの町の兵士詰め所を通り過ぎた。兵士の詰め所といってもギロの町のように警備兵が常駐している訳ではなく、検問も行われていなかった。十人近い兵士がいるはずなのだが、昼間はいつもひっそりとしていて、兵士がうろつく姿や、話し声を聞いた事が無かった。
この詰め所の兵士は夜行性の魔族なのではないかとジーナは思っていた。
ガサの町を出て一時間ほど街道を歩いた。
小鳥のピーはジーナの肩とバウの頭を行き来していた。バニッシュの頭にも止まろうとしたが、前足で振り払おうとした。しかしバウが平気で鳥を頭に乗せているのを見て、バニッシュはピーが頭に止まっても追い払わなくなった。
ジーナはカテナ街道から左に見える山脈へ向かう脇道を探していた。魔術師と犬二匹連れでは目立つ事と、何処かに潜んでいるかも知れない賊を先に見つける為だ。一度山に入ってしまえばカテナ街道と平行して南へ向かう獣道が必ずある筈だ。
三歳から一五歳まで険しいガナラ山の森をバウと共に駆け回っていたジーナにとって山の麓にある森を進む事はそう難しい事ではなかった。
しかし、街道からいきなり森へ踏み込んだのでは人目につくし、枯れ草の踏み後も残る。また、葉を落とした木々も多く、枝を渡る姿を見られてしまう。脇道へ逸れて森の奥へ入れば人目に付かないと思ったのだ。
「バウ、脇道を探しておいで」
そういってバウの頭を撫でると、ジーナの意図が伝わったらしく、街道を南へ駆けていった。バニッシュが後をついて行こうとしたが、ジーナが止めた。
「バニッシュは私の側にいてね」
あまりのんびりとしてもいられない。ジーナは早足でバウの後を追った。
半時間ほど歩いた所でバウが待っていた。山へ向かって細い道が続いている。山道をのぼるとブナが密集している森があった。ジーナはカテナ街道と平行していそうな獣道を分け入った。犬二匹がジーナと前後して歩いた。バウは殆ど音を立てずに進むが、バニッシュは山道を歩いた事が無いのか、枯れ草をかき分ける音や小枝を折る音を立てながら騒々しく歩いている。バウが時々振り返っては唸っている。バニッシュに注意をしているらしい。睨まれる度にバニッシュが申し訳無さそうに小さく鳴いた。
二時間程歩いた。ジーナは小休止する為にバウとバニッシュを呼び寄せて一度立ち止まった。
魔石の腕輪を使って周囲の気配を探りながら進む。街道を行き来する人の気配を感じる。刈り入が終わったこの時期、街道を歩く人はまばらだった。
獣道の遥か先で数人の人の気配を感じたジーナはピーをその方向に飛ばし、目を瞑って心をピーに向けた。空を飛ぶピーが見ている地上の風景がジーナの心に広がった。揺れる風景に目眩を感じたが、すぐに慣れる事ができた。
急に動かなくなったジーナを不思議に思ったバニッシュがジーナにじゃれつこうとしたが、バウが前足で小突いて温和しくさせた。バニッシュは兄貴分であるバウには逆らわない。
ギロの町で馬を借りてきたダンは鍛冶屋に戻り、作業場に吊されていた両刃の大剣を背負い、借りてきた馬の鞍に付けられている物入れに干し肉や水の入った竹筒、武器の手入れ道具や食事用のナイフ等旅に必要な物を入れた。
「ビル、出かけるからな。火にだけは気をつけろよ」
徒歩の魔術師はすぐ見つかるだろう。出来れば魔術師に気付かれたくない。馬に乗ったダンは速歩で街道を南へ進んだ。
魔術師に一時間以上遅れて出発したダンだったが、二時間進んでも二匹の犬を連れた魔術師の後ろ姿を捕らえる事が出来なかった。そんなに広くない街道で見誤って追い越してしまったという事は無いだろう。魔術師は途中で馬を調達したのだろうか。ダンは不安になって馬を急がせた。