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ジーナ  作者: 伊藤 克
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五十三 ギロの魔術師・輸送馬車護衛(一)

 ジーナはバニッシュとバウを連れて魔術師の塔へ向かった。バニッシュの後ろ足は殆ど動いていなかった為山を下りるのに時間をかけた。魔術師の塔が見える麓へついた頃には深夜になっていた。

 空を見上げるとアフロデーテの神話がある魚座が南の空に見えていた。ジーナが初めて魔術師の塔へ来た頃はもう少し東側にあった様に思った。母親の事を知らないジーナはその星座を見る度に母アフロデータとその息子キュービッドの神話を思うのだった。

 幼い頃から自分を育ててくれたローゼンは両親の事や生まれた家の事などは一切教えてくれなかったのだ。

 ジーナの母親はアフロデーテの様に浮気性で、ジーナ自身も私生児だったのではないだろうかと思う事もあった。それならば幼かったジーナに母親の事を話せなかったローゼンの気持ちも分かると思った。

 ローゼンがジーナの出生について教えなかったのは危険から逃れる為だったのだが、事情を知らないジーナがその事に思い至る筈もなかった。

 まもなく冬がやってくる。そろそろ北サッタ村へ行く準備をしなければならない。

 立ち止まって夜空を見上げるジーナの脇で二匹の犬は温和しくしていた。

 ジーナが再び歩き始めると二匹の犬も歩き出した。ジーナが物心ついた時には既に腕についていた癒しの力を持つ魔石の腕輪に頼ればバニッシュの怪我が少しは良くなるのではないかと思った。しかし魔術師の塔にある隠し部屋を使う訳にはいかない。バニッシュが原因で隠し部屋の存在を知られてしまう可能性があるからだ。

 

 魔術師の塔へついた。西へ傾いた月明かりを浴びて深夜の森を背に黒く浮かび上がって見える。

 ジーナは白馬エニブが居なくなった馬小屋の中に新しい藁を山積みにした。ガサの町へ来る前まで共に旅をしたバウは寝床を作っている事に気付いたようだが、バニッシュは不思議そうに見ている。

 マントを脱いて藁に潜り込んだジーナはバニッシュを呼んで同じように藁に潜り込ませた。反対側にバウがすり寄って来る。ジーナは脱いだマントに手を伸ばすと、刺繍の中から温もりの魔法陣を選び、古代語を唱えた。重たいバニッシュの傷ついた足がジーナの腕輪に当たる様、位置を変えた。バニッシュの鼻息を耳元で感じながらまぶたを閉じた。

 

 夢を見た。不思議な夢だった。網に囲まれた空間で巨人を目の前にしていた。巨人はかぎ爪と剣先を組み合わせた不思議な槍を手にして自分に向かって突いてきた。剣を抜こうとするが自分は素手だった。

 四つ這いになって巨人の顔を見上げている。巨人の顔は今夜森であった男だった。そこでジーナはこの夢が自分の物でない事に気付いた。巨人が槍の先で横腹を突こうとする。横飛びに避けるが、自分には巨人を攻撃する術がない。

 せめて杖を手にする事ができれば良いなとジーナは思ったが、犬のバニッシュでは武器を持つ事が出来ない。それでも吠えかかろうとすると棒の先に突いているかぎ爪で横腹を引っかかれ血が出るのを感じた。自分がその槍の柄にに噛みついたが一振りで飛ばされてしまった。

 横に大きな犬が現れた。バウだ。

 バウの隣には武器を手にした少女が立っていた。その少女は光に包まれて顔が見えない。バニッシュの心にある自分のイメージなのだとジーナは思った。

 巨人が再び槍を突き出した時、バウが飛び出して槍に噛みついた。驚いた巨人が槍を落とした。バニッシュの心が安心するのを感じた。いつ拾ったのだろうか、巨人が別の武器を手にして再び向かってくる。それはピッチフォークだった。農民が枯れ草や麦藁をかき集める為に使っていた、先に三、四本の鉄の尖った棒がついた熊手だ。

 巨人がピッチフォークの先をこちらへ向けて来た時、少女は手にしていた武器で巨人に斬りかかった。

 犬が危ないと思うジーナの気持ちと、巨人が怪我をしてしまうと思うバニッシュの心が交錯した。夢中で少女の手に噛みついている自分がいた。

 噛まれた少女の腕が強く光っている。異界の指輪であるアルゲニブが腕にバリアを張った事がジーナに判った。遅かったのか腕に痛みがある。巨人の持つピッチフォークが急に縮んで小さなナイフ程度の大きさになった。巨人がその小さくなったピッチフォークで自分を突こうとするが既に恐ろしい武器ではなくなっていた。

 ジーナは手の痛みで目が覚めた。バニッシュが手に噛みついたままで唸っている。まだ夢の中のようだ。ジーナがバニッシュの頭を強く叩いた。目が覚めたバニッシュが一瞬は訳が判らない顔をしていたが、噛んでいる事に気付くと慌てて口から離してジーナの目線を避けるように、ジーナの胸に顔を埋めた。勿論全力で噛んでいた訳ではないが腕には歯形が付いていた。

 バリアを張ったアルゲニブに心の中で話しかけた。

『アルゲニブ、少し遅かったわよ。腕に傷ができたじゃないの』

『申し訳ない。しかし、夢の中の出来事まで責任はとれないんだがな』

 確かにその通りだとジーナは思い直し、感謝の気持ちを送った。

 ジーナの背中で寝ているバウが前足でジーナの背中を突いた。バウも何かの夢を見ているのだろう。ジーナが魔石の腕輪をしているせいなのか、動物と心を通わせる能力のせいなのか判らないが、どうやらバニッシュの夢に同調してしまったらしい。

 小さくなったピッチフォークは印象的だった。食事の時に使えるかも知れないとジーナは思った。

 貴族達の間では小さなフォークが食事に使われていたが、一般人が食事にフォークを使う風習はまだ無かった。ナイフに突き刺して食べるか、素手で肉をつまんでいたが、ナイフで口を切ったり、手を切ったりする事があった。特に子供がよく怪我をしていた。また、素手で食べ物を掴んだ手を服やハンドチーフに擦り付けたりもした。小さなフォークで食事が出来れば食べやすいし清潔でもある。ダンの鍛冶屋で作ってもらおう。

 バニッシュの為に鼻歌程度の小声で子守歌を歌いながらジーナは優しくバニッシュの頭を撫でた。バニッシュが小さく鳴いた。

 誰にも教わった事の無い子守歌。即興で歌っている様でもあり、思い出の引き出しを覗いている様でもあった。

 ジーナは再び眠りに落ちた。もう夢は見なかった。


 明け方、バウが起きるとバニッシュも目を覚ました。傷ついて動かなかった後ろ足はすっかり良くなっていた。

 バウが朝の散歩の為にフーゴとハンスを起こしにいくとバニッシュもその後をついていった。犬が二匹になったのだ。あの二人はさぞかし驚くだろう。

 魔術師の塔にある隠し部屋で、藁だらけになった魔術師の服を脱いで壁に干し、髪を下ろして女の姿になってから大広間に出た。

 犬二匹とフーゴ、ハンスの二人が朝の散歩に出かけるとシンディとエレナが部屋から出てきた。エレナは二十歳を過ぎた女性だが、小さなシンディはまだ六歳だった。ガエフの町で芸をしていた旅芸人一座からこの塔へシンディを連れてきたのはジーナだった。

 一階にある大広間の掃除をしていると、魔術師長のレグルスが現れた。

「ジーナ、ケルバライト殿に頼みがあるのだが、呼んでくれないか」

「お急ぎでしょうか?」

「夕べ遅くにガエフの大魔術師長ランダルから依頼の文が届いたのだが、その件でケルバライト殿に相談したい」

「差し支え無ければ内容をお聞かせいただけませんか」

 レグルスは、ジーナと魔術師のケルバライトが兄妹ではないかと思っていた。彼女になら話しても良いだろう。

「細かい事はケルバライト殿に話をするが、金塊を乗せた馬車がカテナ街道を通るらしい。そこでケルバライト殿に陰ながら警護をして貰いたいのだ」

「心配な事があるのですか?」

「今まで何度か襲われた事があるのだが、内情に通じている者の仕業ではないかという疑いがあるのだ。判っていると思うが、この話は秘密だ」

「判りました。ケルバライト様を探してまいります」

 ジーナは魔術師ケルバライトと一人二役をしているのだが、その事は誰も知らなかった。掃除道具を置いて塔を出た。最低一時間はケルバライトを探す振りをしなければならない。


 それはジーナがバニッシュを引き取った日の二日前に遡る。

 ガエフの町にある領主の館の東に大きな屋敷があった。商人エドモンドの屋敷だ。商人とは仮の姿で、実は首都ハダルから逃げてきた盗賊の首領だった。

 エドモンドは書斎で腹心のラルフと会っていた。

「紙商人アレックスの火事騒ぎでは随分儲けましたね」

「ああ、あいつの倉庫にあった荷は全て私の物になったのだからな。剣を振りかざして盗みに入る事だけが盗賊ではない。頭を使うのだ」

 一週間前に魔術師の館の北にあった紙商人アレックスの屋敷が火事になった。屋敷の主人だったアレックスは逃げ遅れて死んだのだ。

 エドモンドとアレックスの出会いは一ヶ月以上前に遡る。

 アレックスはその頃、強盗に入られて商売が出来なくなった。その弱味につけ込んだエドモンドが倉庫の荷を担保にして金を貸したのだ。火事で死亡したアレックスは当然借金を払う事は出来ない。その結果、アレックスの荷は全てエドモンドの所有となったのだ。

 すぐに金を調達したかったアレックスが契約書の内容を良く確認せずにサインをした結果だった。また、借金の原因となった盗賊の事件についてもエドモンドの仕業だとは死ぬまで気付く事は無かった。

「首領、アレックスの商売を引き継がないんですか?」

「私は商人ではない。誰かが後をついて商売を始めたら、また甘い汁を吸う手だてを考えるだけだ。それともラルフが商売をするか?」

「とんでもありません」

「ラルフ、二日後に魔術師会の輸送馬車がカテナ街道を通るのを知っているか?」

「首領、輸送馬車なら毎日の様に行き来していますよ」

「普通の馬車ではない。金塊を積んだ馬車なのだ」

「それは珍しい、何故危険を犯してまで陸送するのでしょうかね」

「ケリーランス沖でコリアード家の輸送船が沈没したらしい。それで急遽陸送する事になったようだ」

「その船は誰かに襲われたのですかね」

「いや、違う。嵐にあったという噂だ」

「輸送馬車を襲いますか?」

「手はずはラルフに任せよう。私達が襲った事を他の連中に知られたくない。変装をしろよ」

「手下を使わないのですか?」

「散り散りになっている彼らを集めている時間がない。町の遊んでいる連中を集めて仕事をしてくれ」

「判りました。仕事が終わったらその者達を処分します」

「それで良い。それからこれは軍資金だ。元をとれよ」

 そういってエドモンドは金貨の入った袋をラルフへ向かって投げた。


 エドモンドとラルフが金塊強奪の相談をしてから二日後、ジーナがバニッシュを引き取った日の朝、ガエフ公国は晴れ渡っていた。あと一ヶ月もすると北の湿った風が冷たい雨や雪をこの地へ運んでくるようになる。

 ガサの町の南にあるガエフ公国の都心、ガエフの町にある警備兵の詰め所で、班長の一人であるアランが隊長のルイスから呼び出されていた。

「隊長、お呼びでしょうか?」

「金塊輸送馬車の警備依頼があるのだが、やるか?」

「船を使わずに馬車で運ぶとは珍しいですね」

「詳しい事は判っていないが、十日程前に運搬船がケリーランス沖で座礁したらしい。それで急遽馬車で運ぶことにしたのだそうだ」

 ケリーランスとは、ガエフの東南にある公国で、首都ハダルはその公国の北にある。

「どこへ運ぶのですか?」

「北にある港町ギロだ」

「判りました。お願いがあるのですが」

「なんだ」

「ギロの町へついたら一週間ほど休暇を頂きたいのですが」

 今回警護を命じる警備班長のアランは、他の者には隠しているが、ガエフ公国領主の末っ子だった。

 領主であるロッド・ブランデルと長男ジョエル、次男バイロンの三人は首都ハダルにいてガエフの領主の館へ戻る事は殆どなかった。館はロッドの弟であるティムがロッドに変わって管理をしていた。末っ子のアランはある事情から、その四人との間には確執があったのだ。

 館に居づらくなったアランは身分を隠して警備兵となっていた。その事を知っているのは警備隊長のルイスだけだった。

 隊長のルイスは、今回の仕事について、金品に執着のないアランが適任だと思ったのだ。まれにではあるが、護衛兵士が護衛すべき馬車ごと消えてしまう事件が起こったり、盗賊から賄賂を貰いワザと盗まれる兵士がいたりするからだ。

 最近アランがダルコの村にいる子連れの女性の家へ通っている事は、兵士仲間で密かな噂となっている。真面目なアランが休暇を願い出たのはその事と関連があるのかも知れない。不遇なアランに目をかけてきたルイスは休暇の許可を出す事にした。

「判った。ガエフの町は平穏だ。一週間くらいなら良いだろう。荷馬車は今日昼前には到着する。積み荷を確認し終わったら出発してくれ。魔術師のヴァル様が同行するらしいから打ち合わせをしておくと良いぞ」

 アランは一週間以上前にミラと交わした約束を果たそうとしていた。ミラには弟がいたが、三年前にギロに行ったまま戻らないのだという。アランはミラに代わって弟を連れ戻してやろうと思っていた。

 ミラはガエフの町の北にあるコルガ村に住む少女で、今年の初めにアランの兄であるバイロンの子を生んだのだ。しかしバイロンはその子が自分の子である事を認めようとしなかった。幼子を抱いて旅をする事は出来ない。母のイリヤが探しにいったのだが、連れ戻す事は出来なかったらしい。


 アランはミラ宛の簡単な手紙を書くと、外へ出た。仕事の時には若い兵士に文使いを頼むのだが、私用で兵士を使う訳には行かない。町にある文使い屋へ寄り、ミラ宛の手紙を届ける様、依頼した。

 次に兵士詰め所に隣接する魔術師の館へいき、ヴァルを呼び出した。二人は歳が近い事もあって組んで仕事をする事がまれではなかった。最近起きた旅芸人の首領アモスと魔術師サイラスの殺害事件でも共に調査を行ったのだ。

「アラン、今回は往復五日の旅になりそうだ。何名くらいで護衛をするのだ?」

「私の班員をつれて行きます。十数名になるでしょう。中には初めて旅をする若者も混じっていますが、バリアン大陸でもはずれのカテナ街道では手強い強盗はいないでしょう」

「そうだね。ガエフの魔術師で警護に参加するのは私一人だが賊に魔術を使う者はいないだろうと思う。だが万が一の時の為に手を打ちたいと思うんだ」

 辺りに人がいない事を確認してから二人は荷物の警護について相談を始めた」


 昼前にガエフ公国の魔術師の館へ二十人近い兵士の一団が到着した。どの兵士も正装をして、ロングスピアの先に所属する公国の旗を付けた者までいる。金塊を積んだ馬車を警護してきた連中だ。この荷車をアラン隊が警護を引き継いで港町ギロまで運ぶのだ。

 アランは積み荷の確認の為に、荷車を魔術師の館の隣にある倉庫へ馬が付いたまま入れた。

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