五 魔術師の塔・ガサの町(一)
秋の日が昇り、町の人々はすでに仕事を始めていた。
街道を南へ歩く。昨日は気づかなかったが、パン屋、小間物屋、仕立屋、等がならび、その先には野菜、果物、穀物などの露店がならんでいて、貧しい町とはいいながら買い物客が往来していた。
ダンの店はすでに開いており、ビルは木の枝で道に落書きをしながら店番をしていた。
「おはようビル。店番をしているのね。何を書いているの?」
道の落書きをジーナがのぞき込むとビルは足で落書きを消した。
「文字を勉強していたのなら私が教えるわよ。」
「ちがうよ、今日バウはどこへ行ったの?」
「散歩中、今日は天気も良いからね。」
ジーナは並んでいる道具の中に扉の止め金具を見つけた。扉の錠を交換する事も考えたが、タリナの宿の人たちの注意を引きそうだ、やめておこう。
「この金具を二個ちょうだい。」
ビルは街道の向こうに生えている木を指さしていった。
「あそこの木の実を石で落とせたらタダにしてやるよ。その代わり外したら二倍だ。」
「ビルは当てる事ができるの?」
ビルは街道の小石を拾うと投げた。
三回投げてようやく当たったが自慢げに「当たったよ。」といった。
「二回も外れたじゃないの。」
「じゃあ、やってみろよ。」
ジーナは小石を二つ拾い、続けざまに投げた。二つ共当たる。
「可哀想だからタダにするのは許してあげる。ダンに怒られそうだもの。もうちょっと上手になったら相手をしてあげるわ。」
金具代をビルに払った。
ビルは悔しそうに石を投げるがなかなか当たらない。
「だめよ、ちゃんと店番をしていないとダンに怒られるわよ。ダンはいるの?」
「昨日作った武具を抱えて森へいったよ。出来具合を試すのだってさ。」
そう言って店の裏にある小山を指さした。
「この家の左の小道をゆけばいいよ。そんなに遠くないからすぐ見つかると思うよ。」
ジーナはビルの教えてくれた曲がりくねった坂道を進んだ。すぐにビルの姿も、家々も木々に隠れた。
急に道が開けた。先に空き地が見えており、人の気配がする。ダンだ。
ジーナは近くの木に上り、気配を消してダンの様子を見る事にした。
ダンは背丈ほどの長さのボアスピアを手にし、鍛錬をしていた。ボアスピアとは、大きな笹の葉状の両刃の武器が、2メートル弱の太めの柄の先についており、刃の根元には両側に突起が付いた、珍しいスピアだった。それを、頭上で回す、脇に抱えて突き出す、払う、等の一連の動作を繰り返していた。うまい。ローゼンとどちらが強いだろうか。ダンがただの鍛冶屋のおやじとは思えなくなった。ダンもローゼンの仲間なのだろうか。
「だれだ!」
ダンは振り向くといきなりジーナの隠れている木に向かってボアスピアを投げた。
スピアは木に刺さってゆれている。
ジーナは木の枝から下りた。
「私よ、ダン。」
「なんだ、ジーナか。おれはてっきり魔術師の塔に巣くう、ならず者かと思ったぞ。」
「魔術師の塔ってなに?」
「最近は破落戸共の巣窟になっているらしいが、この向こうに昔からある石造りの塔だ。」
その塔は、タリナの宿の少し北へいった所から山へ入った先にあった。その昔、近郊の村人達は、魔物の棲む塔と噂して近づく者が居なかった。
十数年前コリアード軍が進軍して来たときに、無人だった塔を魔術師会が占領して暮らせるように手直しをした。港町ギロに魔術師の館が出来上がるまでは、此処を魔術師の館として使用していたのだ。
ギロの魔術師の館が完成すると、一人の魔術師と僅かな警備兵を残して全員港町ギロへ去ってしまったのだ。ここ数ヶ月の間にならず者が居着く様になった、とガサの町では噂されていた。
幼い頃ガサの町の北にあるサッタ村で過ごしたジーナは、村から出る事がなく、また村人との親交が殆ど無かったので、塔の存在や港町の事を殆ど知らなかった。
魔術師の塔と、ダンの鍛冶屋の裏山とは獣道でつながっていた。
「昨日、タリナの居酒屋でジョンという男に会ったわ。酔っぱらって暴れそうだから店から追い出したけど。」
「おまえの腕ならジョンを軽くあしらえただろう。」
「ダン、お願いがあるの。」
「何だ?」
「ナイフの手入れをしたいの。暫くしていないから。」
「明日、来てもいいぞ。」
「ビルは住み込みなの?」
「ビルの家は町の北で革のなめしを仕事にしていたのだが、二年前に火事をだして死んだのだ。ビルの背中にも大きなやけどの痕がある。かわいそうでな。時々でいいからビルの話し相手になってくれ。」
「いいわ。ダン、私に大剣の技を教えてくれないかしら。」
「ナイフを使えるじゃないか。」
「ナイフは相手に接触するくらい近づかないと使えない。いつか無理がくると思う。」
「力を付けてからだな。ちょっとこれを使ってみろ。」
ダンは木にささっているスピアを抜くとジーナに渡した。
重い。三キロはありそうだ。先ほどのダンをまねて脇に抱え、突き出してみるが腰がふらつき思うようにいかない。
ダンはスピアを取り上げていった。
「それではだめだ、何か考えよう。店へ戻るぞ。ビル一人じゃあ心許ないからな。」
店の前でダンと別れた。
魔族に襲われたエレナの事が気になったジーナはエレナの家へ行くことにした。
町の外れにある警備兵の詰め所の前からエレナの家が見えた。
ニコラ老人とエレナが家の前に立っていて声をかけてきた。
「昨日はありがとう。エレナは良くなったよ。」
「エレナはもう大丈夫なの?」
「すみません。昨日助けていただいて。」
「助けるだなんて、ただ街道に倒れていたのを見つけただけよ。声をかけたけれど気を失っていたからニコラさんを呼んだの。」
「私、昨日の事を思い出せなくて。気がついたらベッドの中にいたわ。」
「タリナさんには何日か居酒屋を休むと伝えてあるわよ。」
「ありがとう。」
エレナは家の奥へ引っ込んだ。
「もう大丈夫そうね。」
道まで送りにきたニコラが言った。
「ああ、食事も出来るようになったし、何日かしたらタリナの宿へ行かせよう。」
ニコラの話では、エレナは事件の事を覚えていないらしく、まだ頭痛がするようだ。勿論ジーナの事も覚えてはいない。
「心配なのはまた賊が出て襲わないかということだが。町の中に引っ越した方が安全だろうが、タリナだけで町に住まわす様な金の余裕はないし、困ったものだ。」
そうニコラは言った。
魔族の事も、自分の事も秘密にしたいジーナには答えようがなかった。
「あんたへのお礼だ。これを持って行ってくれ。袋はあとで返してくれればいいから。」
ジーナに袋いっぱいの野菜をくれた。
ジーナはエレナの家の脇を通る道を指さして聞いた。
「この道はどこへ続いているの?」
「まっすぐ行くと廃墟になった祠祭館跡へ出るよ。墓地があるからすぐわかる。」
この辺り一帯には荒れた畑が広がっており、ニコラの家の周囲等、一部分だけ手入れがされていた。
十数年前、コリアード軍が荒らし回って、農家が壊され、畑も踏み荒らされてすっかり荒れ野になってしまったのだ。祠祭館が廃墟になったのもその頃だった。
進軍して暫くは魔術師の塔を基地にしていたコリアード軍は、石造りだった祠祭館を取り壊し、その石を使って新たな魔術師の館を港町ギロに建てたのだ。いまでこそ立派な町になったが、当時小さかった港町ギロには魔術師の館に使える大きな建物は無かったのだ。
「祠祭館には誰かいたの?」
「ガサの町の祠祭師は代々祠祭館に住んでいたランプリング家が受け継いできたのだが、祠祭館が壊されてからは見かけなくなったよ。」
「住んでいたランプリング家の人達はどうなったのかしら。」
「さあな。長男のルロワは魔術師の塔に住むレグルス魔術師長に拾われていったけど両親はどこへ行ってしまったものか分からないな。」
「祠祭師がいなくては町の行事が行えないのでしょう?」
「町の祠祭を行うのは、魔術師の役目かと思ったんだが、ガサの町の魔術師長レグルス様は塔に籠もりきりで町におりて来ないから、祭りや葬儀は町の世話役がやっているよ。コリアード王家は何を考えているのかね。」
かつて祠祭館は、村人の葬式、結婚等の儀式と、年に二回行われる祭り、争い事の仲裁など、多目的に利用されるもので、小さな村や町では一人の祠祭師が儀式を執り行ってきたが、大きな町では複数の祠祭師が住み暮らしていた。祠祭師館には代々伝わる暦があり、その暦に従って祠祭師が決める畑への水の割り振りや作付け物の決定などは農村にとって重要な事だった。
この大陸の宗教は多神教で、春先の種まきの頃には太陽の神『ヴトゥ』に農作物の豊作を願い、秋には穏やかな冬である事を月の神『ナンナ』に願うため祭りを行う。祭りの前後三日間は全ての人が仕事をしてはならない決まりになっていた。
しかし、コリアード軍の魔術師達は、『神はこの世に存在しない。この地を治めるのはコリアード王のみだ』として、祠祭館での行事、決まり事をことごとく無視してきた。
確かに最近では畑の種まきは年に何回も行うし、その時期、作る作物も商人の依頼に合わせる様になっている。
各地の祠祭館は取り壊されるか、魔術師に占領され、魔術師の館と呼ばれる様になり、墓地が取り残されることになってしまった。地位を奪われた祠祭師の中で、魔力を持たないものは近郊の世話役として留まり、魔力を持つ者は王家の魔術師会に入るか、または粛清から逃れるため、旅の魔術師として大陸をさすらう事となった。
葬儀は村、町の顔役が仕切るか、地位を追われた祠祭師が世話役という曖昧な地位で行っていた。
このように代々受け継がれてきた知識、文化は過去の遺物へなりさがりつつあった。
野菜のお礼をいい、墓地への道を行こうとするジーナにニコラ老人が言った。
「祠祭館跡へ行っても見る物はないぞ。」
「薬草を探しているの。」
ジーナは笑顔で老人を振り返り、野菜の袋を手にしたまま歩き始めた。
道が上りになる。墓地が見てきた。なだらかな坂を小さな石で区切った土地だ。石の仕切りの中には細い道が平行に多数続き、その道の両側に高さ五十センチ程度の墓標がたっている。墓標には家の名前が彫られ、名前の上には動物や花の彫刻をするのが慣習となっている。この彫刻は文字が読めない人たちが墓を間違える事が無いようにしたものだ。墓標の上端には霊を悪霊から守ると昔から言い伝えられている五角形の文様が彫られている。
祠祭館にもっとも近い位置に高さ一メートルはありそうな、ひときわ大きい墓標が建っていて、その年代物の墓標には立派な文様と『ランプリング』の文字が彫られている。この墓標の持ち主がランプリング家に違いない。
墓標に彫る絵は、貧しい人たちは自分で彫るか、知り合いの石工に僅かな謝礼で彫ってもらうが、生活に余裕のある人、地位の高い人は高額な金を払って熟練した石工に細かい細工をさせる。従って墓標の絵、文様の差はそのまま、その家の経済力の差となって現れるのだ。
墓地の向こう側には祠祭館跡だろうか、崩された石壁と、建物の間取りが分かる程度に残された土台があった。祠祭館まで割れた敷石と、石畳を剥がされた跡が続いている。
祠祭館前の道をさらに進むと海が見渡せる崖に出た。海風の影響なのか、高さが三メートル程度しかない背の低いヤマグワの木がまばらに生えている。春には葉が茂り赤い実をつけるが秋が近いこの頃では葉の半分程が黄色に色づいている。木の根元に傷に効く薬草が生えている。形は土筆に似ているが、良く見ると小さな赤い花が集まって形を作っている。この草の根を乾燥させて薬草として使用するのだ。ジーナは何本かを引き抜き、ポシェットにしまった。
海は水平線があるのみで陸地も島も見えなかった。過去に西から漂流船が流れ着いた事があるらしいが何百年も前の出来事である。
バリアン大陸では漁師が使う数人乗りの船しかなかったが、コリアード王家では大型の船を数隻持っていて荷物の搬送に使っている。噂によれば、昔流れ着いた船の記録を探しだし、再現したのだという。
道は崖で右に曲がり、川沿いを下ってゆく。遠くに港町が見えた。
手前、南側には漁船と思われる小舟が十数隻あって、何の目的があるのか、北側にコリアード軍の大きな船が泊まっている。町自体も北側に大きな家並みがある。
暫く港の風景を眺めていると、道の向こうから大柄な女が歩いてきた。背に大剣を背負っていて、年齢は二十代にも三十代にも見えた。
「おや、見かけない子だね。何処の子だい?」
「こんにちは、私は旅の途中なの。」
「じゃお父さんは宿にいるのかい。この辺りは物騒だから気をつけなさい。早く帰った方良いよ。」
ジーナを子供だと思いこんだその女はジーナの返事を待つ事なくガサの町へ去っていった。隙のない歩き方はかなり上級な武術の心得があるにちがいない。
海から吹く冷たい風に体が冷えてきた。魔術師の塔にも興味があったが、この重たい袋をもったまま坂道をうろつく訳にいかない。
その大柄な女はダンの鍛冶屋の前にいた。
「やあビル、まじめに留守番をしているじゃないか。元気だったかい?」
「うん、おばさん、久しぶりだね。」
「おばさんなんて言うんじゃないよ、ゼルダという名前があるのだからね。今度おばさん、なんて声を掛けたらタダじゃ済まないからね。」
言いながらゼルダはビルの両手を持ってその小さい体を振り回した。
ビルは笑いながら振り回されている。
「ビル、さっき何をしていたんだ?」
「石投げ。ジーナに負かされたから練習しているんだ。」
「ジーナってだれだい?」
「友達。」
「そうかい、お前に友達ができたのかい。その石投げをやってごらん。」
ビルは何回か投げたが半分は外した。
「私も投げるからもう一度やってごらん。」
ビルが再度石投げをしたが、木の実に石が当たる前に、ゼルダの投げた石が実を落としていた。
「ビル、投げるスピードを上げて石が真っ直ぐに飛ぶようにしな。ところでダンはいるかい?」
ビルが作業場を指さすと、断りも無く入っていった。
「おお、ウイップのゼルダ、久しぶりだな。また武器の注文か?」
「ダン、元気そうね、ケリーランス公国の様子をみていたのさ。昨日戻ったところよ。あれ程名を成した白い狼の話は全く聞かないね。」
白い狼とは、数年の間ケリーランス公国を荒らし回った盗賊で、一部の金持ち貴族や、コリアード軍の幹部しか襲わなかった。世間では彼らを義賊と呼び、コリアード軍は逆賊と呼んでいた。
しかし数ヶ月前急に姿を消した為、コリアード軍に負けて全滅したという噂だった。
「魔術師が襲われたという噂もあってね。首都では警備兵がうようよしているよ。とても事を起こせる様な状態ではないね。」
「そんな事を鍛冶屋の俺に言っても無駄だぜ。」
「ダンがこの町にやってきたのは、五年くらい前だったわね。裏山でスピアを振っているのを何度も見かけているのよ。あの技はただの鍛冶屋の親爺ができるものじゃ無いわ。私、仲間を捜しているの。ダンの腕前なら最高の仲間になれると思うのだけど。」
「港町ギロにいるダミアンとかいうのはどうだ? あいつは腕力も有りそうじゃないか。」
「あの男はだめよ。自分さえ良ければ裏切りでも何でも構わないという男なんだから。仲間にすると寝首をかかれそうだわ。」
「武具の注文なら喜んで受けるぜ。何の仲間か知らないが、訳の分からない事に荷担する気は俺には無いぜ。ビルの面倒も見なきゃならないし。裏山でやっているのはただの体操だ。」
「最近はガサの町でも不良兵士を見かける事が多くなったわ。それもあって鍛えているのね。」
ゼルダは勝手に解釈して納得したようだ。ダンは反論しなかった。
「ビルに会ったけれど、以前より明るくなったわね。」
「おお、友達ができてな。両親を亡くしてから笑う顔を見る事がなかったものだが、最近は良く笑うようになった。」
「ジーナという名だそうね、どこの子なの?」
「タリナの宿に泊まっている一人旅をしている女だよ、昔の友人の娘でな、宿を世話してやったのさ。小柄だから子供に見えるがもう十八歳になったと言っていたな。」
ダンはジーナとローゼンの秘密は誰にも言わない事に決めていた。
「それなら来る途中であったわ。あんな娘が一人旅をするなんて大丈夫なのかしら。」
「さあな、今まで大丈夫だったのならこれからも大丈夫なのだろう。」
「白い狼が全滅したといっても逃れた人が絶対いる筈なの。是非こちらのグループの仲間になってもらいたいわ、それらしい人が武具を調達にきたら私に教えて。」
「こんな田舎の町にそんな物騒な人達が来る訳ないだろう。それに他人の注文を漏らしたりしないぜ。ゼルダの事を他の人に漏らさないようにな。」
「分かったわ。」
「大剣をみせな。」
ゼルダは背負っていた大剣をダンに渡した。
「随分荒い使い方をしているな。新しいのをつくるかい?」
「頼むわ。他の武具屋で作らせてみたのだけど、すぐに折れてしまって使い物にならない。」
「鉄を鍛えるのに日数がいるな。一、二週間かかるぜ。」
「気が向いたときに取りにくるよ。」
ゼルダが外にでると、ビルがまだ石投げを続けていた。
「急に上手にならないわよ。毎日少しずつ続ける事ね。」
ビルが、新しくできた友達の事を明るい声で話しているのを聞いて、ゼルダの心はほころんでいた。